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冷たい風がスカートからのぞく無防備な足に襲いかかる。白いマフラーをぐるぐると顔にかかるほどに巻き、手はカイロの入っている温かいポケットの中に入れてた早夜は屋上を見渡した。
壁を風よけにしながら、器用に座って寝ているその人こそ、早夜の探し人である。
「先輩!こんなところで寝てると風邪引きますよっ」
十二月だというのに未だ屋上で昼寝(大きめのブランケット持参)をしている尚を叩き起こす。
放課後、帰ろうとしたところに尚からメールがあったのに気付いた。屋上にいるから暇だったら来て、というメールが昼休み直後に送られてきていた。もう3時間も経っているし、居ないだろうと思ったが一応確かめに来てみると尚はいたのだから驚きだ。
…こんな寒い中でよく寝られるなと思ったけど、ここはまだ暖かいな。
少し眩しい太陽の光に目を細めていると、早夜に叩かれた肩を擦りながら尚がゆっくりと目を覚ます。
「うぅ、痛いー…。あ、さーや。調度良いところに来たねー」
「はい?」
尚は早夜に気付くと眠たそうにはにかんだ。
…うぅ、男の人なのに可愛いとか反則でしょう!
最近では尚が笑顔を向けてくるたびに早夜の胸がぎゅーっと締め付けられる。原因に心当たりはあったが早夜はあえて気付かないふりをする。
尚はそんな早夜の様子に気付いた様子もなく、ブランケットから手を差し出した。早夜はしぶしぶポケットからカイロを取り出して尚に渡そうとする。
「うーん。それじゃない」
「え?でも私、これしかないし持ってないんですけど…」
違う違うと、尚が首を振る。尚の意図が分からず早夜は首を傾げた。
すると、カイロではなくカイロを持っている手を握られて、そのまま尚の方へ引き寄せられた。
「え、ちょ、先輩っ?」
そして、気が付けば。
「ふー。暖かいねー」
早夜は尚とブランケットに包まれていた。
「え?なん、で」
「さーや、動いちゃだめー」
「!?」
後ろから尚に抱き締められていることに気付いた早夜は、あまりの近さに尚から距離をとろうとした。しかし、尚の声が耳元で囁かれ、思考が停止する。
冷たいコンクリートの床に接しているお尻とは対照的に、尚が接しているところからじわじわと熱を持つ。大きいとはいえ一つのブランケットに二人が入っていると接触するところも増える訳で。
…な、何でこんなことに。背中が、熱い。胸も、痛い。
尚に動くなと言われ、早夜はガチガチに固まってしまった。ついでに思考も固まってしまっていた。
それを知ってか知らずか、尚はさらに早夜を自身の方へ抱き寄せた。
「せせせせせ、先輩…っ」
「んー?」
…んー?じゃないです!し、心臓が破裂する!死んじゃいます!
「さーやも温かい?」
「あ、温かいです、けど…」
「そうー?良かったあ」
いつも通りの尚に早夜は若干気が抜ける。すると、尚が早夜の右手をとってじっと見る。
「あの、先輩…?」
「さーや、これどうしたのー?」
早夜の右手の人差し指に出来ていた結構深い切り傷を見て尚は尋ねる。
「教科書で思い切り切っちゃって…。もう血は止まってますけど、よく分かりましたね?」
「さっき手を握ったら時に、さーや痛そうにしてたからー」
早夜自身でも気付かなかった程の表情の変化に尚は気付いていたのだろう。先輩の観察力はすごいなと感心していると、早夜の手はさらに後ろに引っ張られたと思うと傷口に柔らかいものが触れる。その正体に気付いて早夜は息を詰めた。
「女の子は傷ついちゃだめなんだよー?早く直るおまじない、ね」
指先に触れる尚の唇に、早夜の中で治まってきた熱が再燃する。今までしてもらったことのない女の子扱いと相まって、恥ずかしさで早夜は俯く。
「…天然のタラシですね、先輩」
「えー?なあに?」
早夜の小さな呟きは尚に届かなかった。尚はもう大丈夫、と早夜の手を離してまたブランケットにくるむ。
…私はこんなに緊張してるのに、先輩はいつも通り、なんだ。…なんか、一人で緊張してバカみたい。
早夜が一つため息をつくと、早夜の頭に尚がよしかかる。呼吸からしてどうやら寝ようとしているようだと悟ると、早夜は少し身動ぎして尚に声をかける。
「先輩。…先輩、起きて下さい!」
「んー、さーやどうしたのー?」
「どうしたの、じゃないです。メール見たんですけど、何か私に用事ありましたか?」
「メール…。ああ、あれねー。特に用事はないよー?」
「へっ?」
「さーやと一緒にいたいなーと思ってメールしたんだあ」
尚のその言葉に早夜は顔を赤くする。うぅ、と唸ることしか出来ない早夜の後ろで尚は微笑む。
…先輩って、どうしてこうさらっと恥ずかしいこと言っちゃうかな?
「そ、それはそうと、先輩って寝てばっかりですけど受験生ですよね?」
「うん。そだねー」
「…寝てばっかりだと大学行けませんよ」
今日だって、三年生は午後から自主勉強として授業も無かったので、残っている生徒はほとんど図書室で勉強をしているのを早夜は見ていた。
実のところ、早夜は心配していたのだ。いくら特進科だとて、尚が勉強しているところを見たこともなければ、鞄の中には筆記用具ぐらいしか入っていないのを早夜は知っている。こんなところで寝ていて果たして大丈夫なのかと、早夜は詰め寄ったが、尚は飄々と答えた。
「大学はもう行けるよー?」
「…はい?」
「俺、T大の推薦決まってるからー」
「…せせせ、先輩ってそんなに頭良かったんですか…!」
T大といえばここ周辺では一番偏差値が高いところである。しかも推薦で入学出来ると言う尚に、早夜は開いた口が塞がらなかった。
それを見た尚はにこにこと微笑む。
「さーやって犬みたいだよねー」
「全然、脈絡が無いんですけど…?」
「さーやもT大に来てねー」
「無視ですか!しかも私の頭じゃT大は絶対に行けないですよ!…でも、なんで」
「さーやと一緒にいたいからだよー?」
「なっ」
平然と先程の恥ずかしい言葉を繰り返す天然の尚には他意がないと分かっていても早夜は慌ててしまう。
「あ、さーや。告白の返事はー?」
「また違う話に…!こ、告白って犬が好きとかいうあれですか?私にどう返事しろと…?」
「愛の告白なのにー」
「犬にですよね!」
「えー?さっき、さーやは犬みたいって言ったよー?」
…うん?つまり、先輩は犬が好きで、私は犬みたいで…。
「!?」
言葉通りの意味だと、とんでもない解釈に辿り着いて早夜は訳がわからなくなる。
「え、先輩、は、私のこと…」
「あ、やっぱ返事いいやー。もう、さーやは俺の彼女だったからー」
今度こそ尚の言葉に絶句する早夜の顔を、真横から尚が覗き込んで柔らかく微笑む。
「い、いつの間に…?」
「んー?さーやが“好きです。付き合って下さい”って。そんで俺が“いいよー”って」
「それ最初の…!」
今まで思い出すこともなかったあの時のことを持ち出されて、早夜は目を見開く。柔らかく微笑む尚と目が合うと、反らすことはもう出来ない。
「さーやが好きだよ」
尚の言葉に、視線に。じわじわと温かいものが心に広がっていくのが分かる。
「あ、の、私も先輩が…」
「尚だよー?」
「……。尚…先、輩が…好きです」
「うん。知ってるー」
尚に優しい笑みを向けられると早夜は嬉しいのに泣きたくなる。
…天然だし、マイペースだし、いっつも先輩に振り回されっぱなし。…だけど。
「だから、勉強頑張ってねー?」
「うっ…はい」
…この笑顔には敵わないの。