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昼休みが始まるチャイムが鳴って五分以上過ぎた頃、やっと授業の終わりを告げられる。教師が教室から出ようとすると同時に、お弁当と水筒が入ったバックを机の横のフックから素早く取る。足早に屋上へと向かおうとしていた早夜は、教室の入り口で友人によって足止めされた。早夜の友人、恵理は真剣な顔付きで詰め寄る。
「早夜。三年の日向先輩と付き合ってるって、本当なの?」
早夜はその一言に吹き出した。
「ええっ?ありえない!」
「でも、“あの日向が女子と一緒にいる!”って噂で学校中持ち切りなんだよ。それって早夜のことだよね?」
「そ、それは…」
「しかも携帯までお揃いなんだってね?」
「ううっ…」
今、まさに屋上へと向かおうとしていたのは尚が待っているからだ。
尚と知り合って一ヶ月。携帯電話を変えたその日の夜に尚からお昼を一緒に食べようと誘われた。宇宙人だが、顔の良い人とご飯を一緒に食べるなど、恐れ多いと断ろうとした。
しかし、やんわりとした口調なのに有無を言わさない強引さでお昼を一緒にとることになってしまった。それからも何となくお昼には屋上に行く事が恒例となりつつある。
そして、なぜこんなに騒がれているのかと言うと、尚の性格が起因している。あのド天然な性格についていける女子がいないのだ。尚の顔に寄ってきた女子も、尚と一日いただけでみんなギブアップしてしまう。
そんな尚だからこそ、一ヶ月も一緒にいる相手が誰なのか大騒ぎなのだ。
しかし、早夜は声を大にして言いたい事がある。
「でも、先輩とは付き合ってないからね!絶対、ない!」
「えー。でも先輩のこと好きなんで…」
「す、好きじゃない!あんな奇天烈人っ」
…なんで髪の色そんなに明るいのか聞いたら、「“日向”って感じがするからー」って答えちゃう人だよ?もう、天然通り越して宇宙人なんだよ?た、確かに先輩に笑いかけられたら多少、ときめいちゃうこともあるけど…、って違う!今のなし!
「まあ多少…いや、ド天然だけど。そこが可愛いところだよ!」
うっかり頷きそうになった早夜は、違う違うと頭を振る。
この一ヶ月で早夜の中で尚の存在が大きくなっているのは確かな事である。失恋したことも、尚の常にツッコミ満載な会話のおかげで思い出すこともない。だからこそ、早夜は戸惑っていた。
これ以上、早夜の中で尚の存在が大きくなったら、この曖昧で心地良い関係が崩れてしまうのではないか、と。
悶々とした思いを巡らせていると、いきなり廊下から女子の黄色い声が飛び交う。
「な、何事?」
次第に大きくなる歓声に、早夜はそろっと廊下を見る。そこには意外な人物がいた。
「あれ、ここどこだっけー?」
…出た、脱力系!
キョロキョロと何かを探すような仕草を見せる尚を見て、早夜は素早く廊下から離れた。
今、早夜に声がかかればたちまち注目の的となり、噂が広がってしまう。
…どうか私を見つけませんように。話しかけられませんように…。
「あ、さーや見っけー」
そんな早夜の思いもすぐに打ち砕かれ、尚はにこにこと近寄ってくる。
…見つかってしまった!
もはや早夜に出来ることはただ一つ。素早く尚を追い返すこと。早くどこかに行ってくれと願いながら、早夜はしっしっと手で追い払うような仕草で尚に合図する。
…騒がれたくないんです!先輩ならこの意味分かりますよね?だから近寄って来ないで!
早夜は自分の事で精一杯だった為か、尚が宇宙人だということをすっかり失念していた。
「え?さーや、なあにー?」
「呼んでないです!追い払ってるんです!」
早夜の抵抗も虚しく、尚は嬉しそうに笑いながら早夜に近付く。クラスメイトだけでなく、隣のクラスの人までもが尚の動向を目で追っているのが分かり、早夜は泣きそうになるのをぐっと堪えた。みんなが視線が一気に二人に集中する。
早夜は諦めたように肩を下げた。
「一体どうしたんですか…」
「んー?さーやを探してたら迷っちゃってー」
「三年にもなって校内で迷子!?」
…ど、どんだけ方向音痴なんですか!
口には出さず、早夜は尚に突っ込む。
尚は物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回す。
「へえー、二年の普通科ってここにあったんだあ」
早夜たちの学校は普通科と特進科に分かれている。コの時型になっている真ん中が一年生の校舎である。一年生までは同じ校舎だが、二年生から科によって校舎も別々になっているのだ。体育館や図書館などは校舎から少し離れたところにあるために当然の如く、双方の生徒の行き来はないと言っても過言ではない。
因みに、尚は特進科である為、慣れない場所で迷子になるのも致し方無いとも言えなくもない。
…そうだった。先輩って見た目がふにゃふにゃしてるのに意外と頭良いんだよね。容姿も良いのに、頭も良いとか…世の中って不公平!
すると、早夜の横にいたはずの恵理はいつの間にか尚に向かって話かけていた。
「日向先輩!私、早夜の友達の恵理です!」
「ちょ、ちょっと!」
…早く帰ってもらいたかったのに、引き留めなくても!挨拶なら私のいないときにいくらでもどうぞ!
恵理は面白そうににやにやと早夜を見ている。
「どうもー。さーやがお世話になってますー」
「いいえー。お世話してます」
「お、お世話されてない!というか、先輩のそのセリフもどうかと思うのですが!」
尚と恵理は初対面とは思えない程にこやかな雰囲気である。
「早夜は自分のことには鈍感だし、意外と流されやすいところもありますから、押せ押せでいきましょう!私、応援します!」
「うん、わかったあ。ありがとー」
「えっ?お二人とも何の話ですか…?」
にこにこと微笑む尚は当然の如く早夜の言葉をスルーする。勿論、友人もその一人だ。
…くそう。誰も教えてくれない…!みんな私の敵だ!
「そういえば、先輩は早夜を探してたんですか?」
「うん。そうなんだー。でも、普通科って来たこと無かったから迷っちゃったけど、さーやに会えて良かったー」
尚が早夜の顔を覗き込む。
「あんまりさーやが遅くて、心配だったからー」
そう言っていつものように柔らかく微笑む尚があまりにも可愛くて、クラス中の動きが止まる。
「迎えに来たんだー」
早夜も今までにない至近距離からの微笑みに対応出来ず、思わず顔を赤くした。
すると瞬時にクラスを包む雰囲気が変わるのを感じ取った早夜は、辺りを見回した。
「ちょ、なんで皆アルカイックスマイルなの?」
まるで仏のように微笑むクラスメイトたちを見て、早夜の赤かった顔は気まずそうに眉を寄せた。
「…なんか和むな、この二人」
「同感…(クラス一同)」
クラス中が生暖かい視線を早夜と尚に送ると、早夜はお弁当の袋をぎゅっと掴み直した。
「せ、先輩!行きますよ!」
「うん。じゃあみんな、またねー」
変な空気に耐えきれなくなった早夜は尚を引きずるように教室を出た。その後ろで尚とクラスメイトたちが、意味深なアイコンタクトをとりながら微笑んでいるのを早夜は知らない。
「みんな良い子だねー。また、さーや迎えに来ようかなあ」
「来なくて良いですから!」