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第九話 逆さま人生

第九夜 逆さま人生



今日の天気は曇り。湿気を湛えた厚い雲が歪曲都市に垂れ込めていて、らせん状に渦巻く都市の天辺はすっぽりと雲の中です。この雲の様子なら天が泣き出すことはなさそうですが、洗濯物を干すにはどうにも相応しくなさそうな天気です。でも安心できる天気でもあります。きっといつも空あちらこちらに見える色々な変なものが隠れているからでしょう。雨といえば、この前、童謡とかにある空から飴が降ってくるとかいう事態はあるのか聞いてみました。……あるそうです。場所によってはあるそうです怖いです、さすがは歪曲都市といったところでしょうか。そんな埒もない考えを振り捨てて、さあ今日も張り切ってお客さんを迎えましょう。


そうこうしているうちに今晩も忙しい夕食時がやってきて私を慌てさせています。お酒を両手いっぱい運んだり、マスターが次々に作り上げる料理をそれぞれの机に運んだりします。此処だけ見たらこの店は明らかに定食屋さんでしょう。他には居酒屋といいたい感じです。間違ってもバーとか気取った感じではありません。私はそんな事を考えながらあたふたと仕事をこなします。


忙しい時間が終わって一息。此処からはお酒の時間です、この時間ならバーと名乗っても許されると思います。今宵、店にいるのはみな常連さんたちで、基本的に一人で黙々と飲むのが好きなヒト達ですので、必然的に私は手持ち無沙汰になります。その時、入り口のドアが少しだけ開き、外の湿った空気が一陣吹き込んでドアが閉まりました。扉の金具が馬鹿になって風で開いたのかな、と思いながらドアの様子を見に行きます。


「これ、稀人のおじょうさんや。私の席に案内していただけるかな?」


私が驚いて声が聞こえた足元を見ると、そこにいたのは手乗りサイズの小さな小さなおじいさんでした。白髪と髭が顔を半ば隠し、しかも皺くちゃですが人好きのする笑みを浮かべています。小人を見かける機会はありませんでしたが此処は歪曲都市、どんな妄想じみた事柄も起こりえるところです。きっと私が知らなかっただけでしょう。私は内心の動揺を表に出さないようにして席に案内します。私は小さなおじいさんペースに合わせる様に一歩一歩、まるで花嫁をエスコートする父親のようにゆっくりと案内します。


私は二人がけの小さなテーブルの前でふと気がつきます。小鬼さんが座るような子供用の足の長い椅子に座ってもきっとこの小人のおじいさんは机に届かないでしょう。私は「こちらへ」と手の平を差し出して、おじいさんを掬い取るように持ち上げて机の上に乗せます。ショットグラスの椅子にゴブレットを逆さまにしたテーブルを作り、最後に店に飾ってある女の子の人形からティーセットを強奪して綺麗に洗って置けば即席小人用テーブル席の完成です。


私は小人のおじいさんから注文を受けて、小さなカップに琥珀色のお酒を零さない様に注ぎそっと小さなおじいさんにお出しします。


「稀人のお嬢さんはもう店に慣れたかね?」

「え? ええ、私はおじいさんにお会いするのは初めてだった気がするのですが、どうして私がここに勤めて日が浅いと分かったのですか?」

「会うのは初めてだけど、私は君を“知っている”からね」


とんちの様な不思議な物言いです。でもからかわれているような感じでもないし、この小人のおじいさんは本当に懐かしそうな表情です。……前にも私の様な稀人が居たのでしょうか?


「おじいさんは小人さんなのですか。失礼ですが初めてみました」

「私も稀人は初めてみるよ」

「初めて……ですか」

「知識では知っていたのだが、実際に会うのは初めてだよ。さて稀人さんの疑問には答えなければならないね。私の様な者は小人ではなく時逆と言うのだよ」

「ときさか?」

「そう、時を逆巻き人生を逆向きに生きる者だよ」


ときさか、時逆? 人生を逆向きということはあのおじいさんは未来から来たヒトということでしょうか? いきなりSF的な感じになりました。


「未来人さんということですか?」

「そういう訳ではないのだよ。そんなことより、稀人のお嬢さんはこの歪曲都市には慣れたのかな?」

「いえ、まだです。正直、未だにここには慣れません。この前も空から飴が降ると知って驚いたくらいです。」

「稀人は常に疑問を持って生きている、実に面白い。君らの疑問はこの歪曲都市の糧となる。」

「ええと……」

「ところで私は何歳に見えるかね?」


結構マイペースなおじいさんのようです。しかし難しい質問です。見た目では80歳を超えている様に見えますが、ここは歪曲都市、常識は通じないのです。時逆という種が人間よりも長く生きているのでしたら300歳とかでもおかしくない気がします。でも、下手に間違えたら失礼ですから、一応人間を基準として答えることにしました。もちろんリップサービスとして、見た目から10歳ほど差し引いておきます。


「人間で言えば70歳は超えているように見えるのですが……」

「そうかねそうかね。私は実は今日生まれたところなのだよ」

「はい?」


してやったりと言う様な笑顔で時逆のおじいさんは言いました。ジョークでしょうか。でもいきなり否定するのも少し気が引けます。


「我々、時逆はね、逆向きなのだよ。」

「逆向き?」

「そう、私達は小さく年老いた姿で生まれる。生まれたては溢れんばかりの知識を持っており、何でも知っている。年を経ると徐々に身体が大きくなり、壮年、青年、そして子供へと“成長”していき最後には大きな赤ん坊になる。そして、経験を積んで色々な知識を忘れていくのだよ」

「おじいさんだけ、時が逆ということですか?」

「まあ、我々が成長、老化と言うことを、お嬢さんたちが若返り、退行と言うだけだよ。私はこの店がどんな客にも美味いものを出していて、この時期に稀人のお嬢さんが給仕をしていることを“知っていた”。でもこの店に来るのは初めてだし、お嬢さんとも初めましてという訳だね」

「そうなのですか」


全然分からない感覚ですが、とりあえず一方的に時逆のおじいさんが私のことを知っているということみたいです。それならば今までの対応も失礼には当たらないでしょう。そこから私達は色々なことを話しました。時逆のおじいさんは私を馴染み友達の様に話します。きっとおじいさんにとってはそうなのかもしれません。歪曲都市で過ごした日が浅い私にとってマスターや一部の常連さんを除いて殆ど知り合いはいません。古い友人の様に扱ってくれる時逆のおじいさんとの会話はすごく楽しいものでした。


「稀人さん、“今”は好きかね?」

「?……ええ、今を楽しんで、今よりさらに明日を楽しむのが私のモットーです」


時逆のおじいさんは皺くちゃの顔をさらに歪めて笑います。でも私を知っているということは私がどう答えるのかも知っていたのではないでしょうか。


「そうかね。では歪曲都市に飲まれんように違和感を大事にしなさい」

「?……はい」


おじいさんは「じゃあ今日はこれで」と言うと御代を払って、生暖かい風の吹く夜の街へと消えていきました。


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