第七話 猫に合う酒
半ばエタっていましたが、妄想が湧いてきたので投稿を開始したいと思います。
第七夜 猫に合う酒
今日は猫さんが来ました。
アニメーションなんかでよく見たネコミミとかではなく、直立した猫さんです。骨格がどうなっているのかは分かりませんが、人間体型ですが皮膚は見えず毛が生えていて、顔は完全に巨大な猫です。見事な茶色い長毛で触りたくなりますが、お客さんなので堪えます。よくよく見れば、仕立てのいいスーツを着て黒い帽子を被っている様子は何処かの良いとこの男性のようなイメージです。私は丁寧にしすぎて問題はないだろうと思って、丁寧にお辞儀をして奥の席に案内をしました。猫紳士は黙って席に歩きますが、その後ろを細身の黒猫が着いて行きます。こちらは普通の猫のようです。
猫紳士さんは窓辺の席に座り、帽子を取って窓枠におきます。そんな仕草すら板についていて、なんというか浮世離れしています。黒猫さんはそのモーニングを着た猫さんの後ろに座り、此方を見ていました。こちらはペットなのでしょうか。
「お客様、ご注文はいかがしましょう?」
「……」
無視されました。こんな反応は初めてです。どうすればいいでしょう。少なくともお客さんである以上、失礼な態度は取れません。このままここに突っ立っているわけにもいきません。私が困った顔をしていると「食前酒とこの店のおすすめを頂きます」と猫紳士さんは口を開いていないのに、高めの声が聞こえてきました。私は周囲を見回しますがこの奥の席には猫さん達と私しかいません。もしかしたらこの猫紳士さんは口を開かずに声を出せる特技をお持ちなのかと考え、もう一度声をかけようとすると。
「どこをみているのか。旦那様に食前酒とこの店の一番人気の食事をお持ちしなさい。」
ちょっと高い声の主は足元の黒猫さんでした。完全に外見は普通の猫ですがどうやらしゃべれた様です。一声目を無視してしまった所為かちょっと強めなお言葉です。どうやら猫紳士さんがご主人で、黒猫さんがその召使の様なヒトのようです。私は滅多に会わないような種族に会ってウキウキしているのを隠しながら、一礼して厨房に戻ります。此処に来てから変なヒトには慣れっこになっていたつもりでしたが、猫というクリティカルな可愛さに抱きしめたいと思ってしまいます。お客様なので実行はしませんが。
マスターに「ちょっとおしゃれな猫さん達がマスターの飛び切りをご所望のようです」と伝えました。マスターはちょっと迷った後、魚を使った家庭料理をお出しするようで毒々しい色の魚を冷蔵庫から取り出しています。色はともかく肉厚で美味しい魚です。私はそれを横目で見ながら、この店で普段お出しするよりもちょっと良いワインをグラスに注ぎ、お盆に載せてお出ししました。
猫紳士さんはチラリと私が机に置いたワインに目を留めると、窓の外を見ながらワインに口をつけます。その姿がとても様になっていて猫紳士さんは格好よかったです。きっと普段飲まれるより安いだろうワインに特に文句を付けるでもなく淡々としています。渋いヒトは大好きです。渋くてさらに猫さんだなんて最高です。私はつやつやな毛に抱きつきたいのを我慢して厨房に戻ります。これ以上は顔のニヤつきが抑えられなかったからです。
マスターはすでに料理の仕上げに掛かっていました。内臓を抜いて表面だけ強火で炙った半レアの魚にハーブをふんだんに使ったドレッシングの様なソースをかけるという料理で、炙る前の魚が目も覚めるようなマリンブルーと蛍光黄色のだんだら模様だったことを除けば、非常に美味しそうな料理です。ただ、その派手な魚が廉価で味の良い庶民の食べる魚だと知っているので、マスターに聞いてみました。
「マスター、その魚で大丈夫ですか? なんかえらく育ちのよさそうなお客様ですけれど」
「君の出した酒だって彼が普段飲むワインではないだろうが文句は出なかったし、こんな裏手通りの酒場に態々来るくらいだから大丈夫だろう。食材の目利きは自信あるし、この魚の味は保障するよ。」
マスターは気にしないようです。まあ、たしかに豪勢な料理が食べたいなら表通りのお店に予約を入れるでしょうし、余りに拙い事をしたならあの召使の様な黒猫さんが止めてくれるでしょう。私は気楽にサービスを提供することにしてマスターが普通の皿に載せた魚料理と新しいワインを猫紳士さんの机に運びます。
すました黒猫さんに横目で見られながら、銀のナイフ・フォークなんかではなく混ぜ物入りの使い込まれたものを机にお出しすると、ようやっと猫紳士さんの興味を引いたようで、目線を白いお皿に戻します。スンと無様にならない微妙なアクションで香りをかいだ後、私には分かりかねますが、たぶん完全なるテーブルマナーでもって魚を切り分けていきます。
骨を避けながら身をはずして最後まで綺麗に召し上がったところを見ると、お気に召したようです。食後に食器を下げてワインを注ぎにいくと黒猫さんから声をかけられました。
「給仕よ。旦那様がワインではなく度数の高めの酒で、この店のお勧めはあるかと仰っています」
ちょっと偉そうな黒猫さんも可愛いです。そんな馬鹿な事を思ってから私は考えます。マスターはこの店に来る多くの種族のお客様に対応できるように色々リキュールでフレーバー酒を作っています。色とりどり様々な物が入ったキャニスターを見るとワクワクします。その中の一つに当りをつけて「少々お待ち下さい」と言って厨房に下がります。
「マスター。あのリキュールお出ししていいですか?」
「ん?カクテルの注文か?」
「いえ、濃い酒ということなのでロックでそれをお出ししようかと思って」
「ロックなら任せた。他の注文が入ってしまって手が離せないんだ」
私は琥珀色になったそのお酒をグラスに半分ほど注ぎ、大きな氷の塊をトングでそっと浮かべます。ちょっとニヤ付いてから顔を直して席にお持ちします。最高の笑顔でお出しました。私は厨房の陰からこっそり様子を見ています。猫紳士さんは香りを嗅いでちょっとびっくりしたような顔をしてから
「旦那様!?」
ちょっと大きな声に私が奥の座席を見ると、猫紳士さんがグダグダになって机に寝そべっており、黒猫さんがおろおろしています。あ、目が合った。
「給仕。旦那様に何をお出ししたのだ」
「マタタビ酒ですが……」
「マタタビ……旦那様は弱かったのか」
黒猫さんが呆けたように言います。マタタビは知っているようですがこの様子では始めてだったのでしょうか。そんなことをしているうちに猫紳士さんはグデりと床に滑り落ち「ニャーン」とか鳴いています。私も黒猫さんも何とかしたいのですが、形は猫といっても大の男並みの体格です。私や黒猫さんには手に負えません。あたふたしているうちにマスターがやってきてくれて、とりあえず店のニ階に連れて行きました。この泥酔状態のまま返すと側溝に嵌って死亡とかもありそうです。店じまい後足元がぎりぎり安定してから黒猫さんと帰って行きました。
次の日の夕方前、店の開店準備をしていると昨日の黒猫さんがやってきました。きっちりと足を揃えて座り長いしっぽを足に巻きつけるようにしている猫らしい様子に惚れ惚れします。
「先日の謝罪に参りました。旦那様はマタタビが初めてだったので加減が分からなかった様でして」
「私こそすみません。初めに御断りをしておけばよかったです」
必殺謝罪返し、謝られたら謝り返します。とりあえずお互いさまと相手のプライドを傷つけることなく謝罪を受け入れるというスタイルです。凹んでいるらしき黒猫さんは滔々と普段の旦那様がどれだけ紳士的かについて語っています。
どうやら、猫神士さんは若いヒトらしく黒猫さんを従者として連れて旅の途中だったそうです。話の途中で聞いたところでは猫紳士さんの方は所謂貴族階級の様で彼ら独特の言語しか話さず、黒猫さんの様な普通の猫の格好をした従者が他の種とのコミュニケーションを取るという文化を持っているようです。彼らの内ではマタタビは酒や煙草と同じような大人の嗜好品で、若い猫紳士さんは今回が初めてだったので、気持ち良くなってしまいあのような事になったとのことでした。黒猫さんは恐縮というか完全に凹んでいますが、私的には大きな長毛猫がニャーンと床でゴロゴロ転がっている様子は眼福ものでしたので全然かまいません。黒猫さんは謝り倒して帰って行きました。
その後、猫さん達がこの歪曲都市に滞在中に何回か来て、その度に猫紳士さんがマタタビ酒を呑もうとして、黒猫さんに非常に強く止められていました。