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第六話 今日の価値

第六夜 今日の価値




店を開けた頃には曇りがちでしたが、夕食の時間が過ぎた頃には雲がどんどん増えて月も見えません。夕食時が終わってからもう一度空を仰ぐと、今夜は分厚い雲が空を覆っていて今にも泣き出しそうです。と、そんなことを言っていたらとうとう雨が降ってきたようです。今日は夜間のお客は余りいらっしゃらないかもしれません。私は戸を閉め酒場に戻って、そんなことを考えながら、テーブルを拭いて回っていました。今日はもうお客さんがこないだろうと言って、マスターも奥に引っ込んでしまいました。暫くして灰色のコートを着た独りのお客さんが飛び込んできました。





いやあ、酷く降ってきたね。このお店が開いていて良かった。おや、ここは酒場だったのだね。ああ、身体が冷えていたからちょうど良かった。あ、お嬢さんコートを掛けさせてもらってもいいかな。いやいや、突然の大雨で濡れ鼠になってしまったからね。コート掛けの下が水だらけになってしまうから、きちんと断って置こうかと思ってね。ああ、ありがとう。いやこのスーツはいいのだよコートは濡らしたってスーツは濡らさないよ。この灰色三つ揃いは我々の商いの印のようなものだからね。


え? 私の商い? そうだね。奇跡を売っているって言ったら信じるかな。そうだよね。ウン臭いよね。それが普通の反応だよ。君はこの酒場のウエイトレスかい。そう、君は非日常の面白い話を望んでいるのだね。じゃあ話してあげよう。ただ君は今仕事中のようだけど、その時間をちょっと頂くことになるよ? え、そうお客さんの話を聞くことも仕事? うん、それならいいんだ。


さて、今から君は私のお客様だ。え? 私が 面白いお客様だって? お互いにお客様と呼び合うのもなんだかなぁ……。おほん、お客様にはキチンとした話し方をしなくてはなりませんね。いえいえ、正しい言葉遣いは社会の基本です。では、今日の商品は私の職業についてです。お耳を拝借。


我々は何でも商売にします。便利屋、雑用、やって見せろといわれれば奇跡を起こすことだってあります。我々はそれをお客様に買っていただいて、代わりにお客様に御代をいただきます。そう、そうです。奇跡はお金では変えない。それが摂理です。ですが我々はそれを商うのです。もちろん摂理を曲げるのですから、御代を頂くにしてもそれはお金なんてものではありません。時間です。我々は奇跡を起こして時間を頂くのです。


時間の貰い方ですか。なんと言っていいか、その、手の動かし方を説明する程度には難しい質問です。そして、ヒトが食べ物を食べなければならないのと同じくらい我々には必要なことです。いえいえ、痛いことはありません。場合によっては時間を渡したことすら気がつかないでしょう。ただ、予定されていた寿命の蝋燭から一滴頂いているのです。それを集めて我々は活動しています。


正当な取引ですよ。我々の掟でご契約させていただく際には、必ず我々が時間を頂くことになることを契約者に伝える事になっています。伝えなかったら? それは私の手落ちですから御代はいただけません。ただ、奇跡を起こしたぶん私の蝋燭は短くなるでしょう。


小さな願いなら少しの時間を、大きな願いなら見合うだけの時間を頂きます。え、どうせなら、ずっと幸せになれるように願えばいい、と? ええ、そう願われるお客様もいらっしゃいます。でも私はなるべく考え直すように伝えるのですよ。ずっと幸福な人生を望むというのは、莫大な対価が発生するためです。


説明……は難しいですね。たとえ話をしましょう。あるところに、とある女性が居たとします。どこにでもいる普通の女性です。彼女には付き合っている彼氏が居て、将来は彼との結婚も考えている幸せな女性です。しかし、あるとき彼女は彼氏と喧嘩をしてしまいます。理由は何か小さなことだったのでしょう。男女の喧嘩とはそういうものです。女は彼に酷い言葉を言ってしまい、彼も売り言葉に買い言葉で罵声を返します。そして、あんなに好き合っていた二人は破局してしまいます。


そして女性は願います。「あの時彼氏に言ってしまったひどい言葉を取り消したい」と。そういうことなら、簡単です。彼女をその時に戻してあげてやり直させればいいのです。もちろん御代は頂きます。彼女の人生は巻き戻した時間とプラスアルファ短くなるでしょう。そう、プラスアルファは私が奇跡を起こした分の取り分です。それが無いとただ働きになってしまいます。


え? 彼と喧嘩したのがはるか昔で、彼女の残り寿命を越えて巻き戻したとき? それは彼女には支払い不可能ですから、残りの時間を誰かに肩代わりしていただきます。それが出来ないならその願いは無効です。もちろん、他人から勝手に時間を奪ったりはしませんよ。あくまで契約に基づく売買です。


話がそれましたね。


問題は漠然とした願い方をした場合です。「彼と幸せな人生を送りたい」などと願うと困ったことになってしまいます。何しろ彼女の幸福の妨げとなるものを、その都度その都度取り除かなければならないのです。彼が浮気した。両親が病気になった。子供がグレた。自分は若々しくありたい……。はっきり申しますと個人でお持ちになっている時間ではとても足りないのです。いやはや、ささやかな幸せというのが最も難しいとはなんとも皮肉なものです。


まあ、そういった訳で私個人としては契約の際の願い事は一つに限らせて頂いているのですよ。お客様も願いが叶い、私も対価として時間を得られる。いわゆるWIN-WINの関係と言うやつです。


え、何ですか。そろそろ仕事に戻らなくては? 大丈夫ですよ。この時間は私が頂きますから、何の問題もありません。……おかしな事をおっしゃる。あなたは私に興味があると、面白い話をするように望んだではないですか。時間を頂くとも言ったはずです。私はあなたが望んだとおり私の職業について話しましたし、あなたはそれを楽しまれました。売買成立です。そんな時間なんて持ってない? またまたご冗談を。あなたは若いしまだまだたっぷり時間をお持ちです。


そりゃ分かりますよ。私はそれを商っているのです。そんなに泣きそうな顔をなさらないでください。愛嬌のある顔が台無しです。そんなことはしません。明日起きたらおばあちゃんになっているなんてボッタクリもいいところです。私はこの商売にちょっとばかりの誇りをもっていますし、いつだって適正な値をつけているつもりです。この商売は信用が第一ですし。そうですね、あなたの願いは他愛も無いものですからね……


今回はおまけしておきますよ。





私はビクリとして起きました。手には布巾を握り締めてテーブルに突っ伏していました。うちの酒場の奥の席です。どうやら座ったままうっかりウトウトしてしまったようです。良く覚えていないのですが、夢を見ていたようです。吊り時計を見ると夕食の時間が終わってまだ余り経っていません。お酒のお客さんがいなくて本当に良かったです。急いで仕事をしようと立ち上がると、マスターが此方を見ました。寝ていたところを見られてしまったでしょうか?


「今回は社会勉強だと思って、これからは灰色の男には近づかないようにね。」


どういう意味でしょう? 灰色の男と言うのは何かの隠語でしょうか? 尋ねようとしたときにドアベルが鳴ってお客様が入ってきます。接客をしなくてはいけませんね。ふと窓から見た空には綺麗な月が出ていました。


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