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第一七話 今日までふたり 後編 稀人の仕事

第一七夜 今日までふたり 後編 稀人の仕事




散々迷った私が酒場のある階層に戻れたのは、そろそろ日が傾いてきた頃でした。朝ご飯しか食べていないお腹が自己主張をしていますが、それどころではありません。食事の仕込みに買い出し、テーブルをセットして、夕方には酒場を開かなくてはなりません。マスター一人では大変です。


私はへろヘろになりながら急いで酒場のある裏通りに入ります。そして外から酒場を見て不味いと思いました。そろそろ開店時間なのに今日のメニューを書いた看板が出ていません。窓にもカーテンが係りっぱなしなのも不味いですが、中に明かりが灯っていないのも大変です。急いで準備をしないと開店時間に間に合いません。私は裏手に回って勝手口から中に入ります。


「すみません。マスター遅れました。今準備をします!」


そう叫びながら上がると……誰もいません。明かりが一つも灯っておらず、ひと気が無い、異常です。私はなんとなく忍び足になって勝手口からキッチンへと進みます。


「マスター……?」


普段なら仕込みをしているはずのキッチンも、綺麗に整頓されていて、コンロも冷え切っています。少なくともここで仕込みをしていた形跡はありません。それどころかキッチン入り口にかかっているはずのマスターのエプロンセットまでありません。


私は店内に行きますが、ここも異常です。まずカーテンがすべて引かれていて真っ暗、椅子もすべてテーブルの上に上げられています。まったく開店する様子ではありません。臨時休業というのもありますが、それならば表にそう書いてあるはずです。


まるで怪談を聞いた時の様に、背筋がぞっとします。そして、もしかしたらマスターが急病になったのかと思い、私は二階の居住部に向かいます。昨日までとは違うこの異質な空間が怖くなったのかもしれません。パタパタと軋む階段を駆け上って二階の廊下にたどり着きます。でも……


「……何これ?」


そこには一階以上に良く分らない光景でした。マスターの部屋がないのです。部屋がものけの空という訳ではありません。


二階には突き当たりにマスターの私室と廊下の左右に私の私室と空き部屋があるはずです。でも、どう見ても左右の2部屋しか扉が無いのです。樫の木のドアがあったはずの突き当りには小さな窓が一つ。私は訳が分らなくなってその窓から外を覗きます。そこには小鬼のランプ屋さんや薬草屋さん、周囲の見知ったお店が見下ろせます。手前には見慣れた店の屋根。もし一日で改築をしてしまう様な大工さんに頼んで間取りを変えたとしても、窓から見える屋根の経年劣化までは再現できないでしょう。


店を間違えて何処かに不法侵入したわけではありません。でもマスターがいないし、マスターの部屋もありません。部屋だったものの痕跡はありません。


私は無意識に両肘を抱えていました。マスターがいないだけならば、不意の外出やなどで済みますが、不思議で済ますには大事過ぎます。これでは自分をごまかすことは出来ません。マスターは居なくなってしまいました。消しゴムで消したようにいないのです。今までこの歪曲都市の不思議や理不尽は、私に害のある物ではありませんでした。呆れるか、奇妙に思うか、歓声を上げるか。歪曲都市に馴染めたのもそのおかげです。でも、ここに来て私は歪曲都市が怖いと思いました。もしかして、マスターは自分にだけ見える幻覚。いわゆる、イマジナリーフレンドというものだったのでしょうか。


私は自分の正気まで疑い出します。私は混乱したまま、自分の部屋に入りました。私にとってそこはもっとも落ち着ける安全圏のはずです。自分の部屋まで無かったらどうしようかと思いながらも、一気にドアを開け放ちます。


果たしてそこには、今日出たままの自室がありました。いえ、一部違います。机の上に一抱えの包みがありました。


「これ。今朝、マスターがくれた卒業祝いのプレゼント……」


帰ってきて初めてのマスターの形跡にふらふらと立ち寄って手に取ります。無造作に包みを開けると。黒いベストとハーフエプロンそして、蝶ネクタイ。持ち合わせのYシャツと黒いスラックスを合わせて、即席女性バーテンダーです。


私はなんとなく、マスターにもう会えない気がしてその場にへたり込みました。暫くそうしていましたが、お尻が冷えて痛くなってきたのでしぶしぶ立ち上がり、そして、臨時休業の札を掛けに階下に下ります。私の感傷に関係なく時間は過ぎていくのです。ただ明かりの全く無い酒場に間違えて入ってくる人も無かったようで、私は表戸より顔と手だけだして休業札を外に下げました。


そして、どうしようかと店内に振り返った瞬間、涙も吹き飛ばして叫び声をあげる羽目になりました。


「ど、どうして、風見鶏? え、コージン様ですか?」

「またあったね。どうやら只今を持って君は正式に歪曲都市の住民になった様だからね」


テーブルの上に突然生えていた風見鶏は、風もないのにくるくると回りながら言いました。どこから来たのでしょう。お社から離れられないのではないのでしょうか。驚きの余りフリーズしてしまいます。


「さっきはまだ、微妙に稀人の力が残っていたからね。でもどうやら力が消えて君は稀人から住民になった」

「え、稀人の力?」

「君は稀人だったからね。外から来た稀人はこの都市において、絶大な力を持ち、それゆえに大切にされる」

「大切にされていたのは分ります。この都市に意地悪するヒトはいませんでした。皆可愛がってくれました。でも私は唯の人で、力なんてありません」

「高いところにある水が力を持つように。意識の違いこそが力だ。違う世界から来た稀人は力を持っている。君は歪曲都市をなんだと思っている?」

「常識の通じない意味不明なことの起こる都市です。でも今は私の生活の場です」


唐突な質問に疑問符を浮かべながら、私は言葉を返します。私はこの空に平たい海があったり、浮島が浮いていたり。様々なヒトもいます。幽霊、魔女、竜……。どれもみんな私の理解を超えるものです。でも優しい人達です。


「この都市の住民はこの都市について疑問を持たない。今あるこの都市以上の想像をせず変化をもたらさない。だけれども稀人は都市に違和感を持ち、その想像や妄想でもって都市に新たな概念や物を増やす。この都市で驚いたり疑問を持ったりするたびに、稀人の妄想・想像が都市に零れ落ちる。だから多くの稀人達の妄想が都市を拡大して、形作っているとも言える。稀人が居るから都市は成長でき生きていける。だから都市の住民は稀人を大切にしなければならない」


一息に言う向神様は、もう回っていません。どうやら私の様な稀人の想像や妄想がこの奇妙な都市の糧だというのです。


「でも人は移ろいやすく、歪曲都市に住むうちに、稀人は自分の常識自体に疑問を持ち、あり方を変えてしまう。この都市に馴染むうちに存在が歪曲して住民となる。都市は稀人という新たな知識・妄想を吸う内に自ら歪曲して変化していく。疑問を出し終えた稀人は力を失い住民になる。そして吸い出された君の妄想は次に来る新しい稀人を驚かせる。」


初めて聞くこの都市の仕組みです。すべては不思議で片付けていたことですが、一応この都市なりの掟の様なものがあったようです。しかし、私はこの都市に取り込まれたということでしょうか。向神様の言葉が途切れたときに聞いてみます。


「歪曲都市は稀人を燃料にして、取り込んでいく?」

「随分曲がった解釈だがそれもこの都市の一面だ。しかし、多くの稀人だった者達はこの都市を歓迎しており、自ら望んで住民になっていった」


一部を除いて。と向神は思わせぶりに、お店の中を見渡すように一周だけクルリと回ります。


「ここは稀人を歪曲させ、稀人に歪曲される都市」


私は黙って聞きます。思いがけず威厳を持った声で風見鳥……向神様は言いました。こんなとんでもない話なのに理解できてしまう自分がいます。向神様の言うとおりこの都市に異常に疑問を持てなくなった私はもう稀人ではなくなったのでしょうか。そんなことを考えてから、私は今最大の懸念事項を向神様に確認します。


「向神様。この酒場のマスターで、私を拾ってくれたヒトがいなくなってしまいました。今朝、向神様を詣でるまでは確かに、ここにいたのです。マスターも私の妄想でできた幻想だったのですか?」

「そうだね。君がそう望んだから。稀人は落ちてきた時がもっとも力が強い。都市を自分の想像通りに無理やり書き換えるくらいに。君はそのマスターに類する人物を望んだのでは? その妄想を都市は汲み取った」

「そうですか。なんとなく異世界に行くことになったら、酒場でウエイトレスをする自分という物語を妄想していたこともありました」


マスターは存在しましたが、それは私がそのように想像したから。悲しいことは悲しいのですが、事実を突きつけられて妙にしっくり来ました。妙だとは思ったのです。たまたま、たどり着いた場所に、人手が足りない酒場があって、マスターが初対面の少女を雇ってくれる良い人で、住み込むための部屋が開いていて……


「では君の言うマスターは、君の想像を補助するように歪曲都市に具現したのだね。そして、君は補助を必要としなくなった」

「私が力を失ったからマスターは消えたのですか?」

「どちらかというと、君が独り立ちするまで保護する役が終わったからじゃないかな。もともとそういう風な存在だったのだ」


私はとうとう半泣きになって、必死に涙が落ちない様に苦心していましたが、くるくると回る風見鶏は私の感傷はまったく感知しないようです。そんな向神を見ながら、私もそろそろ独り立ちしなくてはマスターに笑われると、決壊しそうな涙を無理やり拭って、腹を決めます。


「住民になったということは、私は人間ではない? 力は失った?」

「力は失っているが、その分類には意味が無い。君がこの都市の住民であることが事実である」

「では、この都市に暮らすのですね」

「稀人ではなくなったから無条件の庇護はうけられない。他の住民達と同様に扱われるだろう」


私は自分の決意を神様に表明しました。これこそ独り立ちの儀式でしょう。


「私はこの店で働きたいです」


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