第十話 双子の文通
第十夜 双子の文通
お天気は晴れ。晴れ渡りすぎて薄っすらと土製のようなリングを持った大きな惑星が見えています。一瞬落ちてこないか心配になりましたが、万有引力に逆らっているものを挙げれば枚挙に暇がないこの都市では意味の無いことかもしれません。たとえ惑星が球体であろうとこの世界が球体であるとは限りませんし、もしかしたらこの世界では水平線の彼方では落ちる夕日で海が煮え立っているのかもしれません、はたまた世界の下では大きな亀が大地を支えているのかもしれません。常識なんて要らない都市なのです。天が崩れてくると寝食を忘れて恐れていたという杞の国の人を笑えないなどと、とりとめのない事を想いながら、今日も開店の時間がやってきました。
今日の一番客は複眼が麗しい繭還のヒトです。このヒトは比較的若めの常連さんで、私よりもこの店に馴染んでいますが、十年単位で通っている他の常連さんに比べれば最近来るようになったヒトらしいです。草食らしく、いつも苦そうなサラダを食べています。お酒も嗜みますがどちらかと言うと話が好きなヒトです。良く私も捕まって相手にさせられますが、変わった夢の話なんかをしてくれて面白いので苦になりません。
私は先手を取って「いつものサラダですね?」と注文を取りマスターに伝えます。その後次々と入ってきたお客さんの対応をしながらそれぞれの注文を捌いていきます。夕食時は一番忙しい時間です。サラダをお出しして、魚は奥の席、良く分からない炒め物は団体さん、手前の席ではお酒のお替り、あっちもお替り。 あ、お酒の樽が空になってしまいました、新しい樽は厨房の奥かしら?
そんなこんなで、てんてこ舞いになりながらも今日も夕食時を乗り切りました。満足げなため息を付いて店内をそっと見回すと常連さんの繭還さんが視界に入りました。いつもは夕食時が終わるのを待って私かマスターに話しかけてくるのですが、今日は眉間に皺を寄せたままじっと店内を見ています。どうしたのでしょう? 私は話を聞くのも仕事のうちと、自分に言い訳して、繭還さんの席に新しいお酒を持っていきました。
「氷が溶けてしまっています。新しいのとお取替えしますよ」
「……ああ、頼む」
私は新しいグラスにハーブ酒を注ぐと、大きな氷をトングで一つ浮かべます。その仕草をじっと見つめる繭還さん。いよいよおかしいです。話好きな彼はこの隙を逃さず話しかけてくるはずです。本当にどうしたのでしょう?
「今日は随分静かに飲まれるのですね。いつもはマスターなんかと話していますが」
「その……いつもこの店に来ていたのは、僕の双子の弟なんだ」
「え? と言うことは今日初めてだったのですね。すみません余りにもそっくりなもので……」
私達は微妙な距離感のまま自己紹介をしました。彼との短い挨拶で分かったことは、随分人見知りをする事です。経験上、初対面の方との会話で一度話が途切れると、精神的に辛いだけでなく会話を再開するのに多大な度胸が要ります。なので、ついつい私から話しかけてしまいます。内容は……共通の話題に限ります。
「今日は弟さん、どうされたのですか」
「寝ている」
「あら、来店されたときは何時もラストまでいらっしゃったので夜に強いと思っていたのですが、夜更かしでもされたのですか?」
「いや、彼は今「眠」だから」
「みん?」
私は謎の言葉を復唱します。そして弟を「彼」と呼ぶことにも微妙な違和感を受けました。あと、無意識でしょうか? 私がトスした会話のボールを的確にアタックで叩き落としてきます。言葉のチャッチボールではなく言葉のバレーボールです。私は一生懸命ボールを拾いトスを上げにいきますが、どちらかと言うと聞き手の私には、この言葉のラリーをちゃんと続けられるか微妙なところです。
「我々、繭還は起と眠という二つの状態がある。起は今の僕の状態で、身体が起きている時。普通は数ヶ月から1年くらいの期間だ。この間はまったく睡眠を必要としない。逆に眠は身体が寝ていて夢の世界にいるとき。これも普通は数ヶ月から1年くらいの期間続く」
「1年起きて、1年寝るような感じですか? 壮大な寝溜めみたいです」
「寝溜めとは少し違う。現実の世界にいる時と、夢の世界にいる時期があると思えば良い。繭還は現実の身体と夢の世界を交互に繰り返す。夢といっても同胞たちの夢の世界は緩やかに繋がっているから、我々にとっては起も眠も同じだけの重みがある。」
アタックが緩くなりました。これなら拾えます。
「ああ、それで何時も来てくださっている弟さんから話を聞いてご来店していただけたのですね」
「いや、僕は弟と話したことないんだ」
「え……」
なんというキラーパス。リカバリーするにも重過ぎます。
「僕らは眠の世界や、起の世界で話し合う。なかなか会えないヒトもいるけど時間をかければいつか会える。でも僕と弟は会えないんだ」
「どうしてですか?」
「双子であるせいか、僕と弟は起眠の周期が全く一緒なんだ。ただし起と眠が逆転している」
「それって」
「僕が起きていれば弟は寝ている。僕が寝れば弟が起きる」
「だから、話したことがないのですか?」
「そう、お互いのことは人づてに聞くしかない」
彼はコクリと頷いて返事をしました。周期は生来のもので変えられないそうです。すれ違いばっかりで全く合えない双子。それなのに顔はそっくり。まるでドッペルゲンガーみたいです。他人の目を通さずに話がしてみたいというのはお互いに感じていたのかもしれません。
「繭還さん。その交換日記なんてだめですか?」
「交換日記?」
「日記を書いたことは?」
「ない。繭還は余りものを忘れないんだ」
「交換日記は文字通り日記を交換するのです。自分の考えたことや今日あったことを書いて、次の日、相手に渡すのです。相手はそれを読んで、考えや経験を書いてまた翌日に元のヒトに日記を返します。そうやって複数人で一冊の日記を付けてお互いに読み合うのです」
「つまり僕が毎日日記を付けて、眠に入る前に弟に渡るようにするということかな」
「ええ、意外と面と向かって話し合うよりも素直に書けたりするのです」
「……それは思いがけない考えだ」
初めて笑ったその顔は常連だった弟さんとそっくりでした。
それから私と廻繭さんは閉店まで話し込みました。その中で彼は人見知りをするだけで、話が嫌いなわけではないことが分かりました。色々な面白い話を聞きました。繭還は眠の前になると起と眠を跨いだメッセンジャーとなるべく仲間内からの伝言を携えて眠りに付くこと。寝るときは大きな繭を作り中に入って眠期に入ること。奥さんと眠と起のタイミングがずれていることを利用して二股を掛けた繭還の男性が奥さんと愛人の二人にばれて、現実にも夢にも逃げ場がなくなってしまったこと、などなど。色々な面白い話をしました。
楽しい時間はすぐ過ぎるもの。もう看板の時間です。
「それでは、稀人さん今日はありがとう、これからは暇な深夜の時間は日記を書く時間にすることにするよ」
そう言って、彼は長い夜の街に溶けていきました。