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 キリアはその奔流に木っ端のごとく飲み込まれる意識で、それが何なのか必死に考えを巡らせた。周囲を見渡せば、皆が皆、同じような苦悶と混乱の表情で耳を押さえている。まるで雨上がりの川に落ちたような、宵のバーバババ亭に潜り込んだような、学問所の成績が悪くてお母さんに叱られている時のような――ああ、そうか。キリアは瞋目した。今までの自分の認識が引っ繰り返されるような衝撃、人生という名の坂にぽっかり空いた落とし穴、青空に轟く稲妻。

 これは、歌だ。

「や――やめろ……! やめてくれッ!」

 それが自分の声なのか、隣で蹲る男の声なのか、正面で苦悶の表情を浮かべる女のものなのか判らない。判らないが、それでも歌は止まなかった。変わらぬ歪な波動で恋や愛や渚や星を歌い上げる。そして、何故カイムの呼んだ冥獣がこのような破壊活動を行うのかはついぞ理解出来なかった。

 気持ち良さそうに中空を乱舞する華美な衣装の少年達の向こうで、アルプーらが舞台に倒れている様子が視界に映った瞬間、キリアの意識はぼやけていった。どうも自分はアルプーが関わると必ず死を感じるなあ、などとぼんやり思いながら――。

 その刹那だった。

 濁音の奔流を柔らかく切り裂く、天の響きが舞い降りたのは。

 少年達は途端に口を噤み、ぴたりと空中で静止したまま、曇天の彼方に佇む尖塔を睨みつける。そして口々に悪態を吐きながら、口惜しそうに唇を噛んだ。

『ああっ、またこのパターン……!』

『なにさ、自棄っぱち系のくせに!』

『空気読めよ聖女!』

『はいはい撤収、そういう契約だからね。お疲れさーん』

 鳴り響く鐘の音に対してぶつぶつと罵りながら、やがて少年達はその体を風に溶かし、広場から跡形も無く消失する。後に残った村人達は、ただただ唖然とするのみで、攻撃された聴覚と脳の感覚を正常に取り戻す頃には、優に教会から救いの主がここに到着するまでの時間が経っていた。

「まあ、やっぱりお祭じゃないですかっ! 皆さんぐったりするほど踊りまくったんですね、羨ましい」

 この惨状を見渡し、腕を組んでじろりと隣のカイムを睨むガリーナ。

 じんじんと響く脳髄の振動に揺られながら、キリアは生まれて初めてガリーナに後光が挿しているのが見えた。きっと他の村人達も同様だろう、救世主たる聖女に対して初めて尊敬の念を抱いたようだった。

「ガリ……ありがとう、お前は本当に聖女だった。聖なる女だった。救世主だった。馬鹿にして悪かった、これからはあんまり馬鹿にしないようにするよ――」

「へい?」

 感動の余り涙を浮かべながらガリーナの手を握るキリアは、次にきっと隣のカイムを睨み、

「一方こっちは悪魔め」

「……ごめん。あいつらの統率を取れなかったことは反省する。修正しとくよ」

「そうしてくれ悪魔め」

広場の惨状を前に申し訳なさそうに項垂れるカイムを見て、ガリーナが唇を突き出す。

「なんだかよく分からないけど、そうです、反省してください。かくれんぼの最中にレディを放っとくなんて失礼です。ところで今回は何のお祭なんですか? 皆でダンスパーティなんて楽しそうじゃないですか」

「ああ、そうか、お前はずっと居なかったもんな。実はさ、今回は――」

 キリアが舞台を指し示した時、そこでは丁度、細身の執事が気絶したアルプーを蹴り起こしている所だった。執事は例の少年たちの大合障の中、素早く耳栓をした後は、騒ぎを無視して黙々と投票結果を集計していたのだ。国内執事番付に上位入賞も決して夢ではない縁の下根性である。

 中年の男が呻いて体を起こすその隣では、ジスティアスが未だ蹲って丸まっていた。

「アルプー様、結果が出ましたよ。とっととご起床召してください」

「む――? うむ、もう朝か。何やら妙な夢をみた気がするが、なかなかスッキリ爽やかな目覚めだ。さて、投票はどうなった?」

「そうやって厭な事には目を瞑り続けてきた貴方の人生にこれからも幸多からんことを。さあ、ジスティアス様も、もう歌は終わりましたよ」

 床の上で小柄な体を丸めているジスティアスは、執事の言葉にも起き上がる素振りを見せない。

 執事がうんざりした表情で紙片の束から顔を上げた時、バトラーが舞台の裾から現れた。「どうだった?」と尋ねる彼の声に、ジスティアスはぱっと飛び起き、きょとんとした顔で大人たちの顔を交互に見上げる。

 肩を竦めると、執事は両手に持った紙片を三人に示して見せた。

「五十二対五十二。真っ二つですな」

「はあ!?」

 アルプーとジスティアスが身を乗り出した。

 執事の示す丸とバツの書かれたそれぞれの紙は、確かに丁度五十二枚ずつあった。これではどちらが勝者か決定出来ない。これだけ大騒ぎした挙句に領主を選出することが出来ないなど、とても納得が出来ない二人は、眉を顰めて唸り始めた。

「むう……本当に綺麗に半々だな」

「くそ、まさか勝負がつかないなんて思わなかったぞ。バトラー、なんとかしろ!」

「知らんです」

「執事、なんとかしろ!」

「わたくしも知らんです」

 涼しい顔でそっぽを向く二人の黒服に対し、小娘と中年は歯噛みする。二人の領主はどうしても雌雄を決したい。彼らが、再び活気付いて談笑を始めている村人達を見下ろしながら懊悩している間に、人垣を縫って少女と青年がやって来た。

 少女は菫色の修道服を着て、翡翠色の視線を好奇心に輝かせながら領主達に向けている。青年に先導されて、今回の祭の主役達に会いにやって来たようだった。

「だから、今回は祭じゃなくて、この村に相応しい領主はこのお二方のうちのどちらかを選ぶものだったんだよ。君はどう思う?」

 カイムがそう言いながらアルプーとジスティアスを示すと、ガリーナは驚いたように目を見開いた。

「あらまあ、そうだったんですか。でも、そんなの決まってるじゃないですか」

 そう呟いて微笑み、ぼんやりと自分達を眺めている領主を指差す。

「こちらの方が私の村の領主様でしょう? とっても良い方なんですよ。私、良く知ってますもん」

 カイムはガリーナを呆れたように見つめてから、小さく口の端を上げた。そしてガリーナの白い指が示す先に佇む領主に、「貴方の勝ちですよ、アルプー様」と言って頭を下げた。


「……えっ、ちょっと、ちょっと待て。なんだお前は? 投票結果は全部出たんだ、控えていろ!」

 慌てて身を乗り出すジスティアスに、カイムは首を振る。

「残念ですが、この村で唯一投票資格があるのに、先ほどは投票が出来なかった人間がいるんです。それが彼女です。ですから彼女の今の投票には効力があると思われるのですが、いかがでしょう?」

「そんなの納得いかん! なんでそいつがさっき投票しなかったなんて言えるんだ? 証明してみせろ、カイムスターン!」

 肩をいからせて威嚇するジスティアスの青い瞳は怒りに深く輝き、小麦色の肌は僅かに上気する。彼女が唐突に現れた最後の有権者への不審と不満を顕わにするのは当然のことだった。だが、やはりカイムは静かに頷き、ジスティアスの背後に立つバトラーに視線を移す。

「証明は、そちらのバトラー殿がしてくださると思います」

 バトラーは表情を変えず、素早く二度瞬きをしただけだった。そして少しの間を挟んだ後に、カイムを見つめながら、小さく頷く。「確かに、彼女は先ほど投票出来ませんでした」

「そんな……、」とジスティアスが柳眉を下げて、唇を噛んだ。

「でも、でも、おかしいじゃないか。さっきは居なかったと言うなら、どうしてこいつがアルプーだなんて判るんだ? 紹介されるところを目撃してなくちゃ、こいつがアルプーだと判る人間なんていないだろ! 例え以前からアルプーの事を知ってたとしても、以前と今じゃ豚と人間なんだから!」

「いえ、判るんですよ。彼女は」

「なんでさ!」

「だって、彼女は――ガリーナですから」

 何の理由にもならない回答はどこか呆れながら、それでもどこか誇らしげに。

 話の展開についていけず、ついていくことをとっくに放棄しているガリーナは、「えへ」と笑って首を傾げる。唖然とその菫色の少女を眺めるジスティアスが顔を真っ赤にし、再び口を開こうとした時――。

「もういいでしょう、お嬢。これは正当な勝敗です。貴方の――我々の負けです」

 ぽつりと呟いたバトラーの一言は、あくまでも眠たげで、あくまでも億劫そうだった。

 余興としては面白かったが、時間の有意義な使い方とは言えなかった。そんな淡白な声音で、端的な事実を告げる。

 だからジスティアスは、ぷちんと切れた。

 元々保つのも覚束ないか細い絹糸が、呆気なく風に攫われて曇天に溶けて消える。

 拳を固く握り締め、絶望と怒りを含んだ視線で相手を見上げる。一振りの揺らぎも見せない相手の沈着とした瞳は、ジスティアスの逆鱗を撫でるばかりだった。

「……じゃ、ガリの聖女は、手に入らないのか?」

「へい? 私が何――」

「ガリの聖女は手に入らないのか! 私は欲しいと望んだものさえ、手に入れることが出来ないのかッ!」

 眉を吊り上げてバトラーに食って掛かる。

 右手は相手の襟首を掴もうとして、それが遥か上空にあるから、胸の前でやるせない拳を作った。

 そしてバトラーは、「あんたの望むものとは?」と静かに返した。その瞳は寒空のような冷たささえ帯び、領主の教育者としての厳しい眼光を放っていた。

「はっきり言いましょう、お嬢の我侭にはうんざりです。こんな田舎にまでやって来て、戦争ギリギリの領土争いをする、村人を翻弄する、アルプー様を挑発する。あんたを守る為に命を賭して警備につく兵達のことを考えたことがありますか? お嬢の我侭に、彼らは家族に二度と逢えなくなる覚悟をして臨むんですよ。これでも私は精一杯譲歩してあんたの我侭を叶えているつもりです。そうしたら今度は、勝負をして負けたから癇癪ですか。いい加減にしなさい、ジスティアスの跡目ともあろう方が」

 氷点下の言葉は少女の熱を冷まし、潮のように血の気を引いてゆく。

 逆鱗に触れたかと思えば水をぶっかける相手の態度は何時も通りで、ジスティアスは何時も通り、そんな彼の一挙手一投足に怒り悲しみ喜び泣くのだ。だって他に上手い反応の仕方を知らない。少女はまだ少女であり、バトラーは何時まで経っても永遠にバトラーなのだから。

 だから今、蒼褪め震えるしか術のない少女は、宝玉のような瞳にうっすらと涙を溜めた。呻くように、喉の奥で独り言ちるように、睫毛を震わせ、瞬く。

「家族? 私は……私は二度と家族には逢えないんだ……そうさせたのはお前じゃないか。我侭くらい、これくらいの我侭くらい、良いじゃないか――」

 気の毒なほどに血色を無くした小麦色の肌。夏の湿った風に吹かれる帽子の羽飾り。

 舞台上の二人の周囲だけ、泡沫のように周囲のざわめきから守られている。

 バトラーが僅かに眉根を寄せて口を開こうとした次の瞬間、ジスティアスが唐突に彼の胸元に頭突きをした。ぐ、と青年が呻く隙に、再び顔を真っ赤にした少女が自棄になって食いかかる。こうやって怒って喚くか、或いは衆人環視の中で泣き出すしか術が無いのだ。だから領主として、よりみっともなく無い方を選ぶ。

「だってだってだってだって! もうすぐ誕生日なのに、お前はなんにも買ってくれないじゃん! 犬が欲しいと言ったら自分で買え、テストの点数が悪かったら家庭教師を倍にする、家督を継ぐ者として男物の服、お爺様は私のことを嫌ってる、もう領主なんてやってられるかばか! お前なんかどこかの場末の年増な歌姫にうつつをぬかして散々貢いだ挙句に牛乳雑巾のように指先でつままれてポイ捨てされるがいいさ!」

 バッチイよ、と叫んで羽付き帽子を憤懣と共に地面に叩きつける。

 バトラーは胸を擦って咳き込みながら、いかにも不満げに返した。

「待ちなさいよお嬢、私は結構理想が高い」

「知るか若ハゲ――!」

 次は手袋を投げ捨てる。

「馬鹿な、見なさいこの豊かな黒髪を。我が領海のワカメは近海随一と評判ですよ」

「お惣菜の話がしたいならお弁当屋さんに行って帰ってくるな永遠に! いや構わない、お前がジスティアス家に残れ、私が出る! もうやだ、私はお寺に帰る! バカ―――!!」

 最後は執事の持っていた投票用紙。丸とバツの書かれた紙片が風に舞い上がり、曇り空の元で雪のように舞う中、ジスティアスは舞台を降りて控え室へと駆け込んで行った。差し当たっての逃げ場がそこしかなかったからだ。

 栗鼠のような素早さでこの場を後にしたジスティアスを、他の人間達は呆然と見送るだけだった。彼女が怒るしか術が無かったように、彼らもこうして彼女の後姿を眺めるしか術が無かった。

「くっ……この私にお惣菜屋に永久就職しろだと? 入婿はやや不本意だがそれはそれで味のある人生かもしれん……」

 未だ咳をしながら呟くバトラーに、アルプーが気まずそうな表情で声をかける。

「まあ、その、なんだ、子供というのは気紛れなもので、自分の視点が狭すぎることにまだ気付かんのだよ。一晩寝ればけろりとした顔でまた小生意気な小娘に戻っているだろう。気を落とすな。正々堂々と戦って負けたことは決して屈辱ではないことを、いずれあの娘は自ずから知ることになる」

「アルプー様が他人を気遣ってらっしゃる。思った以上に最悪です。見てください肌がこれこのように鳥肉のごとく」

「う、うるさい馬鹿執事! 主人が勝って領主としての尊厳を取り戻したのだから、もう少し褒めそやしたりおだてたりせんか!」

「わたくしの中でアルプー様の人間としての尊厳は地にへばりついたままですが」

 慇懃無礼な執事へ唸り声で反論するアルプーを尻目に、ガリーナがいち早く控え室へと足を向けた。平民は下がっていろ――と命じるかと思われたバトラーは、沈黙を保ったままその場から動かない。そしてそんな沈黙に対して問いかけるような瞳を向けられていることに気付いた彼は、カイムに対して弁明するように呟いてみせた。

「構わない。お嬢はガリの聖女に逢いたがっていたからな。少々の時間なら謁見を許そう」

 疲弊したように見える相貌は、あるいは本当に疲れていたのかもしれない。

「バトラー殿、選挙の結果はこれで確定なんですね?」

「そうだろうな、」と嘆息混じりに言う。壁にもたれかかり、村人やアルプーらの騒々しい声を子守唄にするように瞼を閉じると、相変わらず億劫そうに宣言した。

「第一回領主選挙の勝者は、アルプー様だ。この村は以前同様、オルドラン州に属する」

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