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 花火が上がる。明るい雨雲の下で白い煙がはじけると、集まった人々の波から拍手が広がった。

「あー、あー、メガテス、メガテス」

 急いで拵えた舞台の上から、厚紙で作ったメガホンに口を寄せてマーブルが叫ぶ。キリアとカイムは、会場の一番後ろについた。背の高い青年は問題なく前が見えるが、少年であるキリアはぴょんぴょん飛び跳ねて人ごみの隙間から舞台を垣間見る。副村長の背後には、二人の黒服が控えていた。大勢の好奇の視線を受けても一顧だにしないのは、彼らが半分以上貴族の世界に体を浸しているからだろうか。

「レディースアンド野郎ども、本日はお日柄も良く」

 物滅(注釈:十六曜の一つ。物がやたらと壊れる凶日)だぞー、とマーブルに対して野次が上がる。

「うるせえ唐変木、男なら迷信の一つや二つ根性で乗り越えろや! という訳で我が村の主人を決める選挙祭、ただ今をもって開始とします!」

 わっと歓声、湧き起こる拍手。キリアも飛び跳ねながらぱちぱちと両手を叩くが、隣のカイムは腕を組んだまま黙って前を見据えている。

「ルールは簡単! 今からジスティアス様、アルプー様、両領主様に出し物をしてもらいます。それを見て、どちらがより我が村の主に相応しいかを選び、紙に書いて箱に入れます。最後にその数を集計し、より多い方が主となるわけです。ちなみに賄賂も身内票も無しということで一つ」

「出し物? なんか芸人みたい」キリアが言うと、カイムが「芸人でしょ」と返す。

「お手でもするんじゃない。我輩に命令するんじゃないわん!とか言って。それだけで、真実を見ようとしない夢みがちな思春期上がりの男の票は獲得するだろうね」

「兄ちゃんさあ、意図しないところで命狙われるタイプだよねー」

「……なんで俺が命を狙われた事があるって分かるの?」

「畜生それがボケだと思えない自分と相手の間柄が憎い」

 二人の執事にひっぱられて領主達が舞台上に姿を現した。屋台から料理をつまんで咀嚼していた村民達は、初めて目にする主役達の姿に、一瞬の沈黙の後、爆発のような歓声を上げる。

「アルプー様、あんなに素敵な方だったなんて! お優しい上にハンサムだなんて、最高よ!」

「ジスティアス様萌えー! お兄ちゃんって呼んでください!!」

「アニキと呼ばせて!」

「踏みつけられたい!」

「貢税が下がったお陰で髪も生えてきました」

「ええ尻しとるわい、嫁に欲しいのう」

「お爺ちゃん、それは生垣ですよ」

 赤と黒を基調とした男装の小柄な美少女には雄叫びを、乗馬用の軽装をした細身の男性には嬌声を。誰かが太鼓でも鳴らしているかのような高音に、カイムとキリアは思わず耳を塞ぐ。

 当の二人は思いもかけない村民達の反応に驚き、硬直したようにその場に佇んでいる。

 出し物の必要は無いかもしれないな、とキリアは思った。今この瞬間で、ほぼ全ての人間がどちらに票を入れるかを決めたに違いない。マーブルがメガホンを口に押し当て、大声を張り上げる。

「それでは、まずはアルプー様、どうぞ」

「わ、私か?」アルプーが困惑したまま前に出ると、嬌声は一際大きくなった。彼は少し考えていたようだが、やがて咳払いをした。

「村民諸君、思うに領地制度とは――」

 しかし、始まったのが演説だからいけない。誰一人として彼の言葉を理解する事が出来ず、村民はぽかんと口を開けて舞台の上の男を眺めるだけだった。やがてこっくりこっくり船を漕ぎ始める者や、料理に熱中する者が増え、アルプーが演説を終える頃にはほとんど誰も彼を見ていなかった。

「……あ、はい、終わりましたか? お疲れ様です。いやはや大変悲しいお話でしたな、特に主人公の娘がものもらいにかかる所なんて涙なくしては聞けませんでした。それでは、次はジスティアス様、どうぞ!」

「くそっ、これだから愚かな民草は嫌なのだ!」

 苛々と踵で地面を打つアルプーに、ジスティアスは鼻で笑ってみせる。「ふん、ろくな教育を受けてない者にあんな話が理解出来るものか。この私ですら途中で寝てちょっと良い夢みてたんだからな!」

「黙れ餓鬼が。十年後を見ていろ、我が領土全てに教育制度を浸透させて立派な学校を沢山作ってやる!」

「ふーんだ私だってやるもんねーバーカバーカお前の母上化粧濃いー」

「わ、私のマーマを悪く言うなッ!」

 二人の壇上の小競り合いは、例の如く執事達の背後からの一撃で中断するまで続いた。

 頭に小さなたんこぶを作ったジスティアスは、舞台の中央に立つと、自信たっぷりに言い放った。

「歌を歌います!」

 そしてこの国に伝わる童謡を二つほど歌ってみせた。それは所々の歌詞が、例えば「青い空」が「蛙の卵」や、「お母さん笑った」が「姑キレた」といった間違いを含む拙いものだったが、細く少女らしい声音にその素人臭さがよく似合っていた。歌い終わってぺこりと頭を下げる時には、主に男性を中心とした熱の篭った拍手喝采が送られる。

「くそ、よく観察しているな小娘め、」ジスティアスの自慢げな微笑を受け、アルプーが再び前に立つ。また小難しい話が飛び出すのかと人々は食べ物に目を落とすのだが、

「これは本当にあった話だ。ある雨の日の朝、私はふと誰かの声を聞いて目を醒ました。しかし、不思議な事に、部屋を見回しても誰もいない。夢か、と私は再び布団にくるまって寝返りをうったのだが、その時、視界の隅で何かが動いた気がした。何気なく私は仰向けになり、天井を見上げたのだ。するとそこに張り付いていたのは――」

思いもよらず始まった怪談に、誰もが顔を青くして領主の姿に釘付けになってしまった。

「……うう、エグい。やっぱり呪われてるんじゃないか、あのおっさん……」

 キリアが枝豆を口に挟んだまま、身震いと共に嘆息する。時々悲鳴のようなものが上がるのは、舞台袖の上の方から透き通った少年達が出番を待てないように顔を出して聴衆を見下ろす所為だろう。

「という訳で、食べ物を粗末にすると怖い目に逢う、という教訓であるな。諸君らもゆめゆめ忘れぬように」

 アルプーがそう締めて終わると、張り詰めていた場の空気がほっと緩む。曲がりなりにも流石は領主で、教養の無い民草の注目をどうしたら集められるかをジスティアスの下手な歌に見出したのだ。既に聴衆のほとんどは、聞いたこともない貴族の館での怪談に興味津々の様子だった。キリアもまた同様だったので、

「……そう言えば何度か、晩御飯を盛大に残した夜に枕元に立った気が」

という隣の青年の呟きに耳を塞いだ。

 その後の選挙演説は実にバラエティに富み、ジスティアスが逆立ちをしてヘソを出せばアルプーが弓術を披露するといった調子で、まさに熾烈を極めた。やがて太陽が斜めに傾いた頃、マーブルから人々にさらの紙片が配布される。

「我らが領主にジスティアス様が相応しいと思ったら丸を、アルプー様が相応しいと思ったらバツを書いて、舞台の前の箱に入れるように。自分の名前は書かなくてよろしい!」

 副村長の鶴の一声で、人々は投票箱へと向けてぞろぞろと動き始め、やがて舞台の前は密集する人の波に埋もれてしまう。どちらに入れようかと未だに迷っていたキリアは、紙片も持たずにじっと人の群れを凝視しているカイムを怪訝に思った。ふと前方を見ると、舞台の裏側から体を半分突き出して今や遅しとそわそわしている青いスパンコール服の美少年達の姿があった。

「なあ、あれって兄ちゃんの召喚冥獣だよな? 何してんの、あいつら」

 カイムは返事をしなかった。

 ただじっと、何かを探すように黒曜石の輝きを放つ瞳を前方に向け――不意にはじかれたように背後を振り返った。

「もう呼んだのか」

「え?」

 そして青年は大地を蹴り、舞台を背に蒸し暑い空気を切り裂くように駆け出す。

「どこ行くんだよ! 選挙は!?」

「君と逆の人間に入れておいてくれ!」

 振り返りもせずに落とす言葉を最後に、カイムの姿はあっという間に道の果てへと消えてしまった。キリアも彼を追いたかったが、その俊足に勝つ自信が無かったので、諦めて二つの紙片に視線を落とす。

 ジスティアスか、アルプー。

 どちらに入れようかと暫く懊悩していたが、やがて「あ」と手を叩く。

「兄ちゃんとオレで逆の人間に入れるなら、一枚ずつ丸とバツ書きゃ良いんじゃん」

 キリアの苦悩を見透かした大人の態度なのか、単に面倒臭かったのか――やはりカイムの言葉の根拠には至らなかった。墨で丸とバツを書き、雨の匂いのする空を見上げる。

 舞台の少年達は、さっきより体を表に出して人々を見下ろしていた。



 カイムは家々をすり抜け、広い畑や庭を通り抜け、やがて樹が空を覆う小道にまで走り出ると、風の匂いを嗅いだ。

 ――間違いない、『下』の匂いだ。

 それはここには不釣合いなほど濃厚で透き通った、異界の芳香。冥魔術を使う時に僅かに発せられる光と同じ香りだ。カイム以外の誰かがこの香りに気付くかどうかは定かではないが、もしかしたらキリアのように才能のある人間なら判るかもしれない。

 あいつから目を離すつもりはなかったから、これは失態だ。だが、厄介なものを呼ばれた訳ではなさそうだった。そもそもここに呼ばれた者は、どんな強大な者でも大人しくなる。陸に上がった魚のようなものだ、吸う空気が違う――。

 足が止まったのは、古い教会の玄関前でだった。

 曇天に映える古の建造物を見上げ、眉を顰める。ここは一番最初にガリーナを探しに来た場所で、どの部屋にも彼女は居なかったことを確認している。だが、芳香はここから漂っていた。そして今や、徐々に薄まりつつある。何者かが発動させた冥魔術は、その執行人と共に既にこの場を後にしているようだった。

(殺して……無いだろう、な)

 不意に想像だにしなかった不吉な言葉が胸中に湧き上がり、カイムはぞっと体を震わせた。大丈夫、ガリの聖女だ。ジスティアスも逢いたがっていた人間を、殺すはずなどない。大丈夫、大丈夫だ。

 ほんの数瞬だったろうその畏怖すべき妄想をかなぐり捨て、カイムは教会の中へと足を踏み入れる。

 ざっと見たところは正午に来た時と同じだが、芳香は鼻腔を通して目の奥で静かな色となる。もしも最初に来た時にもっと注意深くしていたら、この色彩にも気付いていたかもしれない。

 消えるほどに微かな芳香を、色彩を頼りに、階段を上がる。石の壁は、夏だというのに妙に冷ややかに上階へと誘った。暗い色の階段が終わった途端に目に入ったのは、質素な家具と、部屋中に散らばった色とりどりの布や作りかけの縫い物だった。机の上には日記らしいものが置かれている。きっちり鍵付きになっているあたり、余程ガリーナが見られたくない代物なのだろう。

 カイムはガリーナの部屋を見回し、やがてある一点に視軸を置く。今日この部屋に来るのは二度目だ。年頃の少女の家に許可無く上がりこむのも今日二度目。やはりひどく悪いことをしているような気がして、居心地が悪い。冥界の芳香とは違う、どこか芳しい香りが漂っていることにも息が詰まりそうになる。きっとガリーナはこの香りにも気付いていないだろう、自分の芳香というのはとかく気付きにくいものだ――。

「ガリーナ」

 部屋をゆっくり進み、洋服だんすの前に立つ。樹の幹の色をした取っ手を掴み、静かに力を入れ、呟く。

「開けるよ」

 戸を引くと、閉じ込められていた甘い香りの奔流が溢れ出してカイムの顔を撫でた。鮮やかな服の色彩が目に飛び込み、それと同時に菫色のものが飛び出し――

「もおおおお!! 遅いです、遅いですー!! どれだけ待ったと思ってるんですか、カイムさんのノロマさんッ! 次はカイムさんの番ですからね、さあ早く隠れてください! 容赦しませんからねすぐ見つけちゃいますからね! 覚悟してくださーい!!」

 洋服だんすから飛び出してきたガリーナは、半泣きでカイムの胸を小突きまわす。そしてすぐに拗ねたように頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

 カイムは唖然としつつも、やがて微笑を浮かべる。

「良かった、元気そうで。どこか痛いところは? 何もされなかった?」

「されましたよ。カイムさんにほったらかしにされました。あんまり長い事たんすの中で座り込んでたから膝とお尻が痛くて」

 ぶうと不貞腐れる彼女の言っていることの意味はさっぱり判らない。

 けれど、大体の筋書きは解った。

「ずっとここに隠れてたんだね?」

「だって移動するとかくれんぼじゃないじゃないですかー! もう、しっかりしてください!」

 なるほど、とカイムは頷くと、天井を見上げた。

「かくれんぼ、ね。俺が誘ったんだ?」

「そうですよ、朝早くにカイムさんがかくれんぼしようって。言いだしっぺはカイムさんなんですからね!」

「この真上は鐘楼だね?」

「そうです……って、もう、本当にちゃんと探してくれたんですか? すっごく心細かったんですよ、子供の頃にかくれんぼしてそのまま忘れられて夜まで樹のうろの中でじっとしてた記憶が蘇って泣きそうにって聞いてくださーい!!」

 鐘楼への梯子を上がり始めたカイムの後ろを、憤慨した菫色のガリーナがついてくる。梯子を上りきると、途端に高い灰の空が開けた。この近辺でここより高い場所は無いだろう、足場は少々狭いが、それを補って余りあるほどの開放感だった。ちょうど頭の位置に鐘が釣り下がっている。ガリーナは毎日ここで村と空を見下ろしながら、鐘を鳴らしているのだ。

 聖女が毎日執り行う神聖な儀式の場に上がりこんだ罪悪感と、ほんの僅かな優越感に、カイムは俯いて地面に膝をついた。

(ゾルデア式……だっけか。魔方陣や書式を用いて継続的に冥界の力を流用させる魔術)

 残り香はここが最も強い。

 例えば、だ。

 この場所に、予め魔方陣を書いた紙を設置し、発動させたまま放置する。カイムやキリアのそれとは違うこの遣り方は、冥魔術の効果を継続させることが出来るが、つまりそれは、絶える事無く継続的に冥界の力を場に蓄積することができる、ということだ。時間をかけて蓄積された冥界の力はここに溜まり、破裂を待つように膨らみ続ける。後は簡単だ。第二の発動、つまり破裂を促せば、蓄積された冥魔術は完成する。オロー式では不可能な、多量の冥界の力を必要とする魔術には不可欠の儀式だった。

 そう、例えば、冥獣の召喚など。

(聖女を媒介にしたつもりか? けれど、多分それは術者の勘違いだ。この村自体がそもそも冥界と妙に繋がっている節がある。俺の屋敷の幽霊もその口だから、ここは国のどこよりも冥獣の召喚には最高の環境だ――聖女自体は恐らく召喚に必要無い)

 何者かがカイムを騙り、媒介と考える聖女をこの場所に固定させ、召喚の魔術を執行する。

 そいつはつい先程第二の発動を実行し、冥獣の召喚を済ませると、早々にこの場を離れた。ここに戻ってくることは絶対に無いだろう。

 ガリーナが傷つけられるという杞憂は泡沫の如く消え去ったが、カイムはやはり曖昧な笑みで鐘楼の地面に放置された、恐らく紙の重しとして使用された四つの小石を手に取る。

「こちらに召喚された冥獣は無力だ。術者もさっさとこの村を離れる。最早なんの害も無い。だからと言って、簡単に許してもいいものかな?」

「いいえ、許しません」

 上から降ってきた言葉に、カイムは顔を上げた。

 相変わらず半泣きの聖女が、木槌片手に青年を見下ろしている。

「さっきから何かいい匂いがします! 花火もあがってます! カイムさん、私をほったらかしにしてお祭に行ってたんじゃないでしょうね? ひどすぎます、あんまりです、訴えてやります!」

 狭い鐘楼の上でずいずいと詰め寄ってくる聖女に身を反らし、カイムは引き攣った笑みを浮かべた。君にかくれんぼを提案したのは偽物だよ――なんて信じそうにない。そもそもいい歳をした大人がかくれんぼなんか提案するものか。ガリーナなら、そんな事も疑わずに承諾したのだろうけれど。

 翡翠色の強い視線を下から受けたまま、暫くの間の後に、カイムはもう一度愛想笑いをみせる。

「その服の色、なんていうの?」



 ガリーナが木槌を握った手を振り上げるのと、遠く離れた祭会場で破滅的音痴な死の楽曲が響いてきたのは、ほとんど同時だった。

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