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カイムは雨雲をじっと眺めて熟考していたが、ふと瞳に光を閃かせて二人に視線を向けた。さっとアルプーが顔を逸らすが、無視して続ける。
「どっちかが死ぬまで殴りあうとかどうでしょう?」
滅茶苦茶である。
「……前から思っていたが、お前、たまに人としてアレな事を言うな」
「『いい事を思いついたぞ』って顔して言わないでくれ……拒否するのがちょっと躊躇われるだろ」
思い切り顎の引けた二人を見て、カイムは聊か気分を害した。いい事を思いついたぞも何も、これ以外に万事解決する方法など無いだろうに。結局世の中の根幹は弱肉強食なのだ。まさか三角図の頂点付近に佇んでいる人間達が、そのようなことを知らないはずもない。自ら手を下す勇気さえ持たぬ主に、下の者が果たしてついて行くだろうか?
そんな彼の不満げな表情にますます顔を青くしたアルプーとジスティアスは、気まずい沈黙と共に地面を見つめる。では、とカイムは代替案を提案した。
「代理戦争ということで、お互いの執事殿が死ぬまで殴り合いを」
「出来ればその血に濡れた発想から脱却して貰えまいか」
「お願いしますお兄ちゃん」
深々と頭を下げられ、カイムはついに溜息を吐いた。
「じゃあもう勝手にすれば。お宅らはどっちもどっちなんですから。俺は知りませんからね」
どっちもどっち。
誰もが思っていてそれでいて敢えて言わなかった事を、この料理人はあっさりと、それでいて気だるげなお母さんのごとき口調で言ってのけた。キリアはカードの動向を眺めながら、しっかりとサムアップでその偉業を称えた。
そもそも、とキリアの視線の先で、カードを場に捨てながら執事が小さな声で呟く。「代理戦争なんて事になる前にアルプー様を刺して逃げますから」
対面するバトラーは山から伏せられたカードを取りながら小さく返す。「まったく魔性の執事だよ。私なら鼻薬をきかせるね、君に」
キリアはこくこくと頷く。少年は、既に彼らの性格を完全に把握していた。もう何も驚き畏れることなど無い。
そんな部下達のやりとりも知らず、しかも何故か村民であるカイムに怒られてしまった気がする領主達は、しゅんとした様子で行き詰った喧嘩の行方をどうすべきか模索していた。しかし、お互いの主張をお互いが譲らず、暴力無しに解決する方法など、どうにも思いつかない。ここで折れれば家名に泥を塗るとまで考えてしまっているのだ。流石にどっちもどっちな領主たちでも、その程度の冷静さと誇りは持っている。
ふと、ジスティアスが蒼い瞳を天に向け、小さく口を開けた。そして「そうだ」と呟く。
「……選挙だ」
「選挙?」
訝しげな表情で少女を見下ろし、アルプーは眉を顰める。選挙などという言葉は、王都の聖教会の坊主達がまれに使うシステムを指すもので、それ以外の人間にとっては全く身近でないものだった。貴族貧民に関わらず。
ジスティアスは大きく頷くと、大きな瞳に相手の中年を映す。
「発想を逆転させるのだ。領主が民を選ぶのではなく、民が領主を選ぶ。この村の、十五歳以上の自己決定能力のある成人した男女に私と貴様のどちらがより領主に相応しいのか、選んで貰おうではないか。ただし即物的な煽りも賄賂も駄目だ。例えばお金をあげるから私を選べ、とかは禁止。自分が領主になったらどのような政治的メリットがこの村にあるか、演説を中心にジェントルに民草に訴えるのだ。どう?」
アルプーは気難しげにまじまじとジスティアスを眺めていたが、やがて不敵な笑みを唇の端に浮かべ、頷く。
「ほう、斬新な試みだな。面白い、受けて立とう!」
今この瞬間、世界初の民主政治が生まれたのはさて置き、その様子を眺めていたカイムは「へえ」と感心して独り言ちる。「死ぬまで殴る必要が無くなるんですね。回りくどいが、良いアイデアです」
冷や汗を流しながら、ありがとう、と返す二人を遠目に、執事達三人はカードを次々と場に流して行った。主達には聞こえない低い声音で、手元から視線を外さず言葉を交わす。
その様子は、如何に部下である彼らが軸となって領土の奪取について牽制しあっていたかが垣間見える、含蓄のある物言いだった。
「また奇妙な事を。領主が民におもねるような事をしても良いんでしょうかね」
「さあな。だが、面白い発想だ」
最後の一枚を投げ出すと、バトラーは立ち上がる。そして顎で中年と少女を指し示し、静かに宣言した。
「勝敗の決着はこっちに移行だ、執事殿。どちらの領主がより上手か、勝負しようではないか」
「どちらの執事が、でしょう」
にやりと笑うと、執事は眼鏡を押し上げてカードを捨てる。それから立ち上がって相手を見ると、バトラーより一回り背が低いはずが、不思議と対等の視線を交わしているような気迫があった。
「どちらの領主が有能かなど、わたくしから見れば一目瞭然です。全く、甘いんですから。貴方達は本当に面白い」
「そうかね? 私から見れば、君らの方が不思議だがな」
お互いに笑みを浮かべ言葉を交わしながら、二人はそれぞれの領主の下へと戻って行った。その会話の意味を理解することの出来なかったキリアは、ばら撒かれた自分のカードの後始末をしながら少しだけつられて笑ってしまう。勝負事が嫌いな少年などこの世に居ない。面白くなってきた、やはり喧嘩はこうでなくてはならない。体の血がゆっくりと温かくなってゆくのを、地べたに座り込んだままで感じていた。
一方、この場にいるもう一人の村民であるカイムは、相変わらずどうでも良さげな表情で砂塗れになってしまった料理に視線を置いている。昼食を台無しにしたアルプーを叱責する機会を失したのが残念だったのだ。
「さて、」とアルプーの隣についた執事がジスティアスとその後ろに控えたバトラーを見つめながら宣言した。
「わたくしは一度退職した身。今一度かつての主の下に出戻るのは執事としては感心出来るものではございません。それは恥です。ですからわたくしは、よっぽどの事が無い限り! そのような恥を甘んじて受け入れるつもりはございません!」
「分かった、分かった。給料を一割増にするから」
アルプーの情けない声に、執事は黙って静寂を保つ。やがて二トーマス吐き(注釈:トーマスおじさんが二回深呼吸するのにかかる時間)した頃、びしりとジスティアスの後ろのバトラーに人差し指を突きつけた。
「さあ、準備なさい!」
「良いだろう。頼んだぞ、料理人」
やっぱりこっちに振られるか。
面倒だったので、カイムは伝令を使うことにした。その場で目を伏せ、しばらくそのまま雨雲を運ぶ風の音を聞く。微かな耳鳴りが聞こえたころ、聞き覚えのあるあの忌まわしいボーイソプラノが風に乗ってやって来た。
『何、呼んだ? 自棄っぱち系』
目を上げると、例の美少年合障団の団員が一人、宙に浮いている。キラキラと輝く赤い派手な服を着ていたので、丁度披露していたところだったのだろう。死の舞踊を。
カイムは曖昧に頷くと、腕を組んで少年霊を見上げた。
「領主を決める選挙をするらしいから、副村長にそう伝えてくれ。一刻で準備をするように」
『……で、そうする事で僕らにどんなメリットがあるのさ。さっきから館に変な兵士達がいっぱいやって来て、彼らの接待に忙しいんだよ。両A面新曲が十枚ほど溜まってるから、全部披露するのさえ夕方までかかるんだよ?』
少年は大仰に溜息をつくと、宙でくるりと一回転し、頭の上で腕を組むアオリのポーズをする。カイムは一瞬、相手を冥魔術で吹き消すイメージを脳裏に浮かべたが、そんなことはおくびにも出さず続けた。
「どうせ副村長は選挙にかこつけた祭にするだろ。こっちでリサイタルでもやったら? ガリーナが鐘を鳴らすまでの間だけどな」
少年霊は少し黙ったが、やがてくすくすと笑みをこぼす。白魚のような手でカイムの髪を撫でると、風に乗って来た道を翻ってゆく。
『オッケー! こりゃ凄いや、数十年ぶりのフェスティバルだ! シニアも動員して、生きてる奴らを死ぬほど虜にしちゃうぞーるるらららーらー』
生死の境を彷徨うだろうな、何人かは。しかし、リサイタルが始まる前にガリーナを見つければ問題ない。馬鹿と鋏は使い様である。――この場合、馬鹿というのがガリーナと幽霊のどちらを指しているのか、カイム自身にも分かりかねたが。
ふと首を巡らせると、その場に居た全員が凍ったようにカイムを凝視していた。紙のように白い顔で――幽霊屋敷を僅かながらでも知っている執事だけは平然としていたが――、驚愕とも恐怖ともつかぬ表情をしているので、カイムは困ったように笑ってみせる。
「今の、俺の従兄弟の友達の息子の級友です」
誰一人信じなかった。
信じなかったが、それ以上の追求を避けた。
何故カイムの従兄弟の友達の息子の級友が半透明なのだとか、宙に浮かんでいたのかとか、突然現れたのかとか、生きてる奴らをどうのとはどういう事かとか、聞きたい事は沢山あったに違いない。けれど、どういう答えが返ってきても安堵は得られそうにないことは、カイムの何時ものように優しげな笑顔を見ていれば自ずと解るものだ。本能というものは誰にでも存在するのだから。
「冥獣召喚士だ……」
唖然としながらも目を輝かせたジスティアスを、バトラーが面倒臭そうな瞳で見下ろしたのが視界の隅に映る。カイムは踵を返してその場を後にした。ガリーナ探索の続きをするためだ。
少年霊が、たまたまガリーナの鐘の「封」が遅れた為に現れていることの説明はするつもりはない。あんなのと友達だと思われるのが不本意だったからだが、既にそれは手遅れだということに気付くことも無かった。
カイムの予測通り、副村長は選挙を祭に昇華させるつもりらしい。
女性は炊き出しに走り回り、若衆は屋台や舞台を急いでこしらえ、隣町に花火を買いに馬まで走らせる。先程の休憩所では楽団倶楽部の老人達がこの地方に伝わる古い楽器の手入れに余念が無いし、外に居ない者は蚤の市に出す商品を家中引っ繰り返して探している。ふと大通りを見ると、大きな垂れ幕が派手な旗と共に風に揺れていた。「第一回領主決定選挙祭」とやたらと丸い字で書いてある。
第二回以降があるかどうかは分からない。カイムがこの村に来てから何度か祭をやったが、いつも「第一回大工の嫁双子出産祝い祭」や「第一回台風の目が村に滞在祭」や「第一回太陽が眩しかったから祭」などばかりなので、常に第一回を冠詞として使うのが慣例なのだろう。第一回台風の目が村に滞在祭は、その名の通り台風の目が村の真上で風が凪いだ時に行ったのだが、当然数時間で台風の目は移動する訳で、大風に煽られながらも何故か皆楽しそうだった。ガリーナなどはキリアと一緒になってぴょんぴょん飛び跳ね、風のせいでいつもより遠くに飛べます素敵ですとかなんとか言っていた。
そんなに好きならいつでも台風を起こしてやるのに。
そういう言葉が喉まで出掛かって、カイムは慌てて引き攣った笑顔を浮かべたものだ。
ともかく、この村の祭好きは異常である。若者は強制参加なのだ。当然、カイムもまた。
「ガリーナを探しに行くって言ったのに……」
溜息混じりに言いながら、金槌を板に叩きつける。元々手先は器用なので、彼の作る屋台は他のものよりもこぎれいに出来上がりつつあった。当の領主たち本人は、控え室で舞台が出来上がるまで出番を待っている。何の出番だか知らないが。
「子供じゃあるまいし、放っといても出てくるよ。なんでそんなに会いたいんだよ?」
少し離れた木陰に座ったキリアが、さっきから握っているノミを弄びながら尋ねてくる。カイムが手を差し出すと、持っていた釘を投げて寄越した。
「説明すれば長くなるけどね、寺院の鐘の音が鳴らないと幽霊がひどい歌を歌って皆が辛い目に合うんだ」
「端的だな」
少年はぽつりと呟くと、別に困った顔もせずに再びノミを弄りだす。「それより」、と遠慮がちに言った。
「前から聞きたかったんだけど。兄ちゃん、冥魔術が使えるよな?」
かん、と釘を最奥まで穿ち、カイムは手を休めた。キリアは続ける。
「さっきもそうだ、あれが冥獣だとは思えないし、召喚したのかどうかも分からないけど……とにかく、兄ちゃんはあのオカマみたいなキモイ幽霊を呼んだ。瞬時にだ。これってどういう冥魔術?」
「王都には――」
言葉を紡ぎつつ、紡ぐ言葉を選ぶ。屋台の強度を確かめるために何度か釘の繋ぎ目を押してみるが、びくともしない。
「冥魔術を使える人間なんてざらにいるからね。俺もちょっと齧っただけなんだよ、風の冥魔術を。あの幽霊も風に声みたいなものを乗せて呼び寄せた」
「発動経路は? オロー式? ゾルデア式?」
「……」
発動経路。なんだそれは? 聞いた事があるような、無いような。
冥魔術を使うには、常世から現世に「力の源」を引きずり出す際に、自分を通してある種の力場転換装置を組み込まなくてはならないと聞いたことがある。そのやり方が数通りあって、それぞれに名前が付けられているということだろうか。多分、そうだ。
カイムは少し笑うと、キリアに尋ねた。
「君は?」
「おれはオロー式」
「じゃあ、違う方じゃないかな」
キリアはノミに視線を落とし、考え込むような間を持ってから、再びカイムの黒い瞳を見つめる。
「嘘だ」
「……嘘?」
「ゾルデア式は書式を介して冥府の力をこちらに持ち出す、『召喚式』の発動経路だ。一方で、オロー式は自らの直視や発声で発動させる。執事の兄ちゃんもおれも、オロー式だ。兄ちゃんは書式をいつ描いた? 描いてないよな。アルプーの館を壊した時だって、何も見てなかった。アルプーを見ていた。けど、発動した風の冥魔術は、兄ちゃんの見ていない館の外殻に発生してた」
カイムは呆気に取られて少年の厳しい顔を凝視した。
まさか、こんな辺鄙な村に、これほどの知識を持つ少年が存在するとは――。
「兄ちゃんのは、ゾルデア式でもオロー式でもない。だとすれば、後は……『クラビト式』しか無いじゃないか」
「クラビト式?」
そんなものまであるのか。
驚いたカイムの表情に、キリアも徐々に驚いた表情を作る。そして深く溜息をつくと、首を振って座り込んでいた足を崩した。
「あのさあ、本気で知らないの? ちょっと齧ったって言ってたろ。ゾルデア式もオロー式もクラビト式も、子供がご飯を食べるためにスプーンの使い方を教わるようなもんなんだぜ。じゃあ、クラビト式を使える人間が存在しないことも知らないの?」
「……ごめん、ぜんぜん知らなかった。子供の頃からなんとなく使えたから、特に勉強もせずにそのまま今まで生きてきたんだ。発動経路っていうのも、よく知らない」
「滅茶苦茶だなあ」
心底呆れたようにキリアは笑い、曇天を仰いだ。
つまり少年は、「お前のような冥魔術の使い方をする人間は存在しない」と言うのだ。
カイムはどう応えようかと迷う。どう返事をしたところで、キリアの発見したカイムの中の異端は揺るがしようが無い。困って屋台に視線を戻した時、キリアが、
「兄ちゃんて、たまにガリに似てるな」
と言った。
「それは無い」
木目のささくれを削りながら、きっぱりと断言する。
あんなのと友達だと思われるのは別に気にしないが、あんなのと同類だと思われるのは――やっぱり少しだけ困る。自分は色に変な名前を付けないし、台風の日にぴょんぴょん飛び跳ねないし、前後不覚に陥って人を木槌で殴らないし、幽霊の歌を良いと思うこともない。異性を気安く家にも呼ばないし、一晩過ごすことも無い――。
ばき、と音がした。
「あーあ」
握り締めていた屋台の脚が折れたのだ。少年の呆れた嘆息に、カイムは再び困惑したような笑みを乗せ、同じく曇天を仰いだ。