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「何それ何それ何その異常な痩せ方! あんた絶対どこかで毒盛られてるよ!」

「バトラー、怖いよう! あいつ追っ払ってよう!」

「おお恐ろしい……きっと餓死した豚が化けているに違いありません。お嬢、早くこの村から逃げましょう」

「やっぱり遅かったか……冥人から獣化の呪いでも受けたか……」

 キリアは半トーマスほど飛び上がって腰を抜かし、ジスティアスとバトラーは寄り添って震え上がり、カイムは眉根を寄せて苦々しく呟く。ファイは周囲の人間の絶叫に恐れをなし、カナブンのような速さで逃走してしまった。

 困惑したように馬上で沈黙しているのは、当の本人だった。くすんだ金髪を雨の匂いのする風に揺らし、憮然とした表情と共に怯える人間たちを見下ろす目は空の色で、空想小説ばかりを読んでいる少女十人に「あなたの理想の領主像は?」と問えば九人が「この人です」答えるに違いない。

 理想の領主は、やがて重々しく口を開いた。

「戦え、現実と。私はアルプー領主、オルドラン州の主であり、この村の主だ。確かに館が壊れた故の野宿が祟って心労でほんの少しだけだけ痩せたかもしれんが――」

 お前こそ現実を見ろォというキリアの裏返った悲鳴を無視し、

「私は確かにアルプーだ」

と断言する。

 それでもまだ誰も信じなかった。ジスティアスに至っては恐怖の余りバトラーにしがみついて泣き出してしまっている。

「怖いよう……もう私、豚食べない。呪われたくない。怖いよう……」

「何を言いますか、お嬢。育ち盛りに豚は必須です。大丈夫、高名な冥魔術遣い達を雇いましょう。豚の呪いを跳ね返す呪文を唱えてもらうのです」

「ぶつぶつ周囲で呪文を唱えられながら豚足を貪るの? なんとなく魅力的だけど、ちょっとそれって不健全だとおもう」

「馬鹿おっしゃい、退廃こそ貴族の特権です。耽美主義に走るのです。民草には発想すらできない贅沢を嫌がらせのように満喫してやろうではありませんか。豚足と言わず丸焼きでいきましょう」

「うん……。分かった。頑張る」

「よく仰いました。それでこそ、ガレナ州の主です」

「だから! なんでガレナ州の領主である貴様がこの私の領地でのほほんと思春期における栄養価について語っているのかと聞いておるのだ!!」

 二人きりの世界に入り浸っていた主従についに頭の血管を切らせたアルプーが、馬から飛び降りて詰め寄る。既に恐怖から脱却したジスティアスは、足音高く闊歩してきたアルプーに胸を反らしながら偉そうに応えた。

「ふん、何度言えば分かるんだ元豚領主。ここは私の領土になるのだ! だから私が主なの! さっさと帰って家でも直してろ!」

「小娘が、それは王国憲章統治の章第三条一項を網膜に残像が焼きつくまで眺めての台詞だろうな? 『領土における統治の移譲に関しては、各領主が双方の合意に基づいて為すものとす』! 貴様がぞろぞろと部下達を引き連れてここにやって来たという伝令を聞いて来たと思えば、この有様だ」

 ジスティアスは尊大に顎を上げたまま、バトラーを振り向いた。

「どういう意味?」

 言葉を拾ったのは部下ではなく、激昂しているアルプーだった。

「つまり、勝手に人様の土地を自分のものにしちゃうと駄目ってことだ。バトラー、貴様一体この子供に何を教えてきた? こんなのが領主だと、ガレナ州の民草も苦労するわ!」

 少女はその言葉に口を曲げ、再びバトラーを振り返る。アルプーの言葉に一片の隙も見出せなかったのだろう。彼女が縋る目で従者を見上げると、バトラーは相変わらず眠そうな目を擦りながら低い声で言った。

「しかし、実はその条文には罰則規定が御座いませんで。やっちゃ駄目だけど、やっちゃっても別に王様からは罰は無いよという、まあ形骸化した法です」

「おい、貴様……」

 アルプーは据わった目でバトラーを睨みつける。

「知っているはずだ。罰則規定が無い故に、結局領土の取り合いを始めた領主達は必ず戦争を起こすと。私は何があっても戦争だけは絶対にしない。だから大人しく手を引けと言っているのだ」

 この国では、過去に何度も領土盗りの合戦が行われてきた。特にまだ王の権威が強大でなかった中世に於いては、冥魔術も駆使した血で血を洗う戦争が何十年も続いたこともある。現在は落ち着いたものの、戦争となる火種はそこかしこに存在するのだ。特に、この村のように、領地の境界線付近の場所では。

 その時、黙って動向を見つめていたキリアが、呻くように呟く。

「すげえ。おっさんが領主に見える」

「気付くのが遅いぞ、小僧」

 春の思い出がトラウマになっているのはキリアだけではなく、アルプーも同じくそうであった。少年に――特に、少年の背後で未だ不審げな顔をしているカイムに目を合わせないように返事をすると、引き攣った目許で目下の敵であるジスティアスとバトラーを睨めつける。

 ジスティアスは、初めて困惑したように柳眉を下げた。

「戦争なんて、私も考えていないぞ。戦いなんて嫌いだ」

「そうだろう? ジスティアス、ならば話は簡単ではないか。いたずらに私の領土に手を出す事はやめろ。平和を保つ為には、努力が必要なのだ」

 珍しく優しい声音で――慣れない行為のためか、引き攣った目許がさらに痙攣していたが――宥めるアルプーに、ジスティアスは微笑んだ。花が咲いたように無邪気に輝く笑顔で、大きく頷く。

「うん、でもここは私の土地だって決めたから!」

 ぶちん、とこめかみの血管が破れた。

「こおぉんのクソ餓鬼がァ――!! オラ来い! 割ってやる! いっぺん中身垂れ流しにしてやる!!」

 瞬間、例の如く大人にあるまじき心の狭さで少女に掴みかかったアルプーの体が、真横に吹っ飛ぶ。背後から彼の頭に回し蹴りを叩き込んだのは、沈黙を守っていた執事だった。

「落ち着きなさいアルプー様、それじゃ代理戦争にもならぬ頂上決戦です。クライマックスはもう少し引き伸ばすのが常套でしょう」

 細く長い脚で宙を振り切ると、大地に伏臥した男の頭を踏みつける。その流麗な動き全てが様になっていた。

 その時、完全な部外者と化してしまったキリアは、吸い込まれるように執事の姿に魅入っていた。そしてふと後ろに立つカイムに目を遣る。最近村にやってきた人間として、執事とカイムは自然と比較の対象となるのだが、二人は余りに正反対だった。執事は都会的で冷たい美しさのある人間で、カイムはどこか朴訥とした不思議な人間だ。同じ職場で働いていた元主従の関係であるというのも興味深い。二人がガリーナと仲が良いのもまた、興味深い――。

(……あれ? なんか)

 ふと眉をひそめる。

 何か。――何か、妙な気分になった。

 まるで心に小さな棘がひっかかったような。

「し、執事ッ! 貴様、主に対してなんたる無礼な!」

 盛大に鼻血を吹きながらがばっと起臥したアルプーの裏返った声に、キリアの思考は中断する。

(まあ、いいか)

 そんなことよりも、今のこの状況の方が大事だ。……大事なのだが、そろそろ面倒臭くなってきたのが本音だ。さっさと決着を付けて貰えないだろうか。

「主? 何のことでしょう」

 執事が片足を宙に揺らせたまま言う。

「領主アルプー様は自己管理も出来ない無能でした。優秀な主に優秀な執事は必要ありません、優秀なその才覚を存分に生かして一人で人の二三倍働けばよろしい。無能な小物に付いてこそ、優秀な執事は輝くのです。わたくしの主、太った油じみた情けない小男アルプー様は死にました」

 たかが痩せただけでこの言い様である。アルプーは実に情けない表情で血を出し続ける鼻を抑えつつ、執事を凝視した。そんな元主からさっさと目を逸らし、執事は先程キリアがばら撒いた王カーを拾い集め始めたバトラーを手伝う。

 領主は暫くそのしゃがみ込んだ後姿を捨てられた子犬のような目で見つめていたが、鼻血が止まると、気を取り直したように強い視線でジスティアスを振り向いた。

「とにかくだ! ガリの聖女とこの村は、このアルプーのものだ!」

「違う、ジスティアスのものだからな!」

「何を言うか小娘が。今更のその妄言、聞き捨てならん。この村は私のものだ!」

「だって私最初から認めてないもん、この村がお前のものだなんて。そんなの私が生まれる前の話だろ!」

「あのなあ、玩具の取り合いじゃないんだぞ! ぬいぐるみ付き「守銭奴ころ助大冒険」をくれてやるからお家にお帰り!」

 少女と中年は火花を散らし、同時に叫んだ。「執事バトラーッ!」

「何ですか。それより貴女、そういえば昨日また買い食いしてましたね。お小遣い下げますよ」

「わたくしは貴方の執事ではなく、皆の執事です。ひとつのラブより沢山のライクです。世界に一つだけの珍花よりも花粉と酸素を撒き散らす常緑樹、そんなものをわたくしは愛す」

 呼ばれた二人は、拾い集めた王カーから目を離さずに淡々と応える。彼らは地面に座り込んでゲームを始めてしまっている。キリアも試合の動向を眺める為、近くに寄って観戦をしていた。余りに長く不毛な言い争いの輪廻に、すっかり飽きてしまったのだ。矢張り喧嘩は小気味良い啖呵と切り返しの応酬をしつつ、少しずつ前進しなければ聴衆の興味を惹き続けることは出来ない。子供の言い争い程度のレベルでは、特にキリアなどの百戦錬磨の人間にはちっとも面白くないのだ。

 二人の主はそのつれない様子に声を失い、情けない表情で部下を眺めた。今更ながら口喧嘩の技術を磨かなかった事が悔やまれる。常に注目を浴びなければ気が済まない貴族の二人にとって、今の状況は実に悲しいものだったのだ。

 そして次にやるせない視線の行く先を探し、一人輪から離れて佇んでいたカイムを見つける。

「カイムスターン、絶対ここは私の土地だよね」

「カイムスターン、誰がなんと言おうと私の土地だな」

 一人はやや明後日の方向を眺めていたが、二人の視線を同時に受け、カイムは腕を組んだ。眉根を寄せて領主達を眺め、やがて重い口を開く。

「……それで、アルプー様のその痩せ方の秘密は何ですか?」


「お前、マイペースにも程があるぞッ!!」


 二人の領主の怒号にも、カードを見つめた三人が振り返ることはなかった。

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