第41章:環状線と感情線
音楽観のトラブルによる神谷の激昂と「なるか」の泥酔を挟み、宮下は深夜のタクシーで新宿から千葉の自宅へと帰宅する。
「宮ちゃん! あらダメだ!! 俺、本当に怒らない人間だけど、今回ばっかりは無理だ! なんだあの言い方は! 俺の音楽観にまでケチつけてきやがった! 許せねぇ!」
神谷は血管が浮き上がりそうなほど怒りを滲ませ、荒々しく声を震わせた。
「陸さん、ごめんね。なんか嫌な思いさせちゃって」
「宮ちゃん! あんなのとはさっさと別れな! なるかちゃんと一緒になった方がいい!」
吐き捨てるように言い放つ彼を前に、私はただ引きつった苦笑いを浮かべることしかできなかった。そんな私の気まずそうな顔を見て、神谷はふうと大きく息を吐き、現実的なトーンへと戻った。
「まぁ、とは言っても、今後我々が音楽活動できなくなるのは困る! 宮ちゃん、何がなんでも帰るしかねぇ!」
「そうだね、タクシーで帰るよ」
足元で、なるかはまだアルコールの気だるさに包まれながらも、深い眠気へと引きずり込まれるようにトロンとまぶたを落としていた。
「ほら、なるか。タクシーで帰るよ」
「んー……」
支え合うようにして西武新宿駅横のタクシー乗り場までたどり着くと、私たちは空車待ちの列に並んだ。
「陸さん、本当に迷惑かけたね」
「いやいや、宮ちゃん、気をつけて帰りなよ? なるかちゃんもいるし」
「了解」
ちょうど目の前に停まった車体に手をかけ、私となるかは後部座席へと滑り込んだ。
「いらっしゃいませ。どちらまで」
「すみません、千葉なんですけど、いいですか?」
「千葉?! 別に構わないですけど、私そっちの道あまり詳しくないですよ?」
「あ、インター降りたら僕が案内しますので」 「かしこまりました。で、どちらのインターで?」
「あ、刈羽インター出口まで向かって下さい」
「承知しました。安全のため、シートベルトをお締めください」
運転手の乾いたアナウンスに促され、私はぐったりと眠るなるかの肩を支えながら、まず自分のシートベルトを引き絞ってバックルにガチャリと噛み合わせた。さらに、横でうつらうつらしている彼女の分まで手を伸ばし、しっかりと体に帯を回してロックしたのだった。
新宿から首都高に乗り、C1の無機質なカーブを抜け、そのまま果てしない常磐道へと突入する。道のりはあまりにも長かった。
深夜の高速道路を走るにつれて、走行距離の重みと深夜割増しの容赦ないメーターの跳ね上がり方が相まって、運賃はみるみるうちに恐ろしい額へと膨れ上がっていく。それでも私たちは、ただ無言で暗い車窓の景色を眺め続けるしかなかった。
刈羽インターの出口を抜け、私が細かく指示を出しながらタクシーを進めると、見覚えのあるいつものコンビニの前に車体が滑り込んだ。
「ほら、なるか。着いたよ? 大丈夫?」
「んー、大丈夫……」
「一人で降りられる?」
心配そうに覗き込む私に、なるかはフラフラと頼りない足取りでドアを開け、夜の闇のなかへと消えていった。
彼女を見送り、再びタクシーは静まり返った夜道を走り出し、やがて我が家の前で静かに停車した。
「ありがとうございました」
「いえいえ、これだけの長距離、ドライバーとしても助かりますよ」
「お釣りはいいです。これで何か温かい飲み物でも買って下さい」
長時間の運転で疲労を滲ませる運転手にいくらかの労を挟み、私は車を降りた。
玄関の階段を一段ずつ上がり、鍵を差し込んでガチャリと重い扉を開ける。その瞬間から、家全体の空気が普段とは全く違う異質な密度を持っていることに、皮膚の感覚ですぐに気づかされた。
重い足取りでリビングのドアを押し開けると、そこには妻が、まるで感情という機能のすべてを切り捨てたような冷え切った形相で、ポツンとソファーに腰をかけていた。
「ただいま」
「……おかえりなさい」
その声には温度がなかった。
「約束は約束だからね? きちんと守ってね」 「……ごめんなさい」
「私はもう寝る。おやすみ」
「……おやすみなさい」
妻が立ち去ったあとの凍てつくようなリビングの静けさのなかで、私は現実逃避するように、部屋の暖房がちゃんと点いているのを目で確認するしかなかった。




