第1話 令嬢ブリギッタと秘密の離れ
それは想像もつかない大昔、世界には人間界に分けられるヒトと動植物、異界に分けられる魔物という生物が暮らしていた。ヒトと魔物は幾度も争いを繰り返し、時には互いの種族が滅亡寸前にまで追い詰められた。
そこでヒトと魔の住人達は互いにある条約を締結した。その名も「相互間不可侵条約」。両者は住処を分け、互いの世界に干渉しないことを約束したのだ。とはいえ、これは友好条約ではない。
不可侵条約締結後もなお、ヒトの中にも、魔物の中にも互いに危害を加えようと画策する者達が当然現れた。そこで立ち上がったのが、ユルビリス王国の貴族達である。列強の台頭であったユルビリスの国王は五大貴族を筆頭にして魔物とヒトとの諍いを管理する機関を作った。
対魔防衛省のストゥルケル家、対魔大蔵省のレヴァンノ家、対魔環境省のアストラッド家、対魔司法省マガモト家、そして対魔福祉省のドルヴァンネ家。五大貴族の当主達は互いに協力して、ユルビリス王国、そして周辺国の魔物関連の事件や事柄を管理していくことになった。
令嬢ブリギッタは父の死により、晴れてその責任重大な五大貴族の一角へと成り上がったというわけだ。今までの落ち着いた貴族令嬢としての日々は終わり、彼女は対魔福祉省としての仕事に追われることになった。
来る日も来る日も書類整理。それだけではなく……。
「見ろよ、共存派のドルヴァンネだ」
「父親があの思想なら娘も洗脳済みだな」
共存派。それはヒトと魔物が手を取り合い、共存することを望む一派である。ブリギッタの父、べニートは五大貴族の中で唯一の共存派であった。しかし、悲しき哉、ユルビリス王国では魔物に対する酷い差別意識や嫌悪感が渦巻いており、王宮内でもそれは顕著であった。 したがって、変わり者のドルヴァンネ家は漏れなく貴族内では侮蔑と嘲笑の対象であった。
艶やかな王宮内を歩きながら、ブリギッタは舌打ちをしながら足を踏み鳴らしていた。まるで陰口を叩く者達を踏み潰そうとするが如く。すぐ後ろを歩くシャルルが困ったように自前の長い白髪を揺らしてため息をついた。
「レディ、手は出してはいけませんよ」
「分かってますわよ! でも、シャルル、ああまで露骨な嫌がらせはないんじゃないかしら!?」
「確かに、この前の貴族議会ではわざと椅子を隠されたり、資料が配られなかったりとありましたね……」
「そうよ! 腹立たしいわ、まったく!」
ブリギッタはむすっと頬を膨らませて、再び前を向いた。そしてうんざりしたような顔をした。父親が共存派であったことは彼女の代にも尾が引いていて、尚且つ若い女性ということもあって五大貴族の会合の場である貴族議会では陰湿ないじめが続いていた。
今日、彼女が王宮に赴いていたのは月に数回開かれる貴族議会のためである。また頭の固いオッサン達の相手をするのか、とブリギッタはえづきそうになった。シャルルは主君の様子に胸を痛めたが、お供として彼女を諭した。
「ブリギッタ様、お気持ちは非常にお察しします。しかし当主としての立場なら、どうか貴族議会では落ち着いていてください」
「それを決めるの私ですわ」
ブリギッタはシャルルに対し、不敵な笑みを浮かべると議会会場の入り口前に立った。彼女はシャルルにドレスの裾を直してもらうと、渾身のスマイルで扉を開け放った。
「ごきげんよう! 皆さん」
ブリギッタの明るい挨拶とは裏腹に既に席についていた五大貴族達は白い目で彼女を見つめた。その中でストゥルケル家当主、レボルヴァ•ド•ストゥルケルは葉巻の煙を吐きながら、ブリギッタを見つめた。
「おやおや皆もう席についておるぞ、ブリギッタ嬢?」
「あらー、申し訳ございませんわ。おじ様達は朝が早いようで」
お嬢様、とシャルルが注意するとブリギッタは鼻を鳴らして紺色に彩られた円卓前の華美な椅子に腰掛けた。貴族達はブリギッタの失礼に、レボルヴァは「口の悪い娘だ」と溜息をつくと、側に控えていた自身の息子であるフランに顔を向けた。
「フラン、皆が揃った。会議を始めるぞ」
父の鶴の一声に、フランは「はっ!」と敬礼すると円卓の上にユルビリス王国一帯の巨大な地図を持ち出して一面に広げた。
「本日の議題は、昨夜、ユルビリス王国上空で見られた翼竜の調査と……」
「その前に!」
フランが話し始めた瞬間、ブリギッタが手を挙げて制止した。今度は一体何事だ、一同な怪訝そうにブリギッタの方を向いた。彼女は円卓に勢いよく手をついて立ち上がると、口を開いた。
「私の、ドルヴァンネ家への待遇を変えてくださるかしら?」
ブリギッタの言葉にレヴァンノ家当主、ヘクター•レヴァンノは吹き出した。
「我が儘な子ですねぇ。ドルヴァンネ家への手当ては我々と公平に支出されてるではないですか?」
挑発するような口調に、シャルルは片手を頭に当てて「なんてことだ」と首を振った。しかしブリギッタは退かなかった。
「違います! 我が一族に対する侮辱をやめてくださるか聞いてますのよ。まったく、口を開けばどいつもこいつもお父様や私への悪口……。そんなに共存派が嫌いですか? 魔物が恐ろしいですか!?」
「口を慎みたまえ! ブリギッタ嬢!」
その時、レボルヴァが怒鳴り声を上げ、一同は固まった。フランは耳を押さえ、ブリギッタも口をつぐんだ。彼は葉巻の先を灰皿上で押しつぶすと、ブリギッタを睨みつけた。
「貴君は我が国が魔物、そして共存派に向ける差別意識の程度を分かっているのか? 貴君のお父上は我々にとっては異端なのだよ」
「よくも! 我が父を異端などと!」
「静かにしたまえ、こちらとしては国王に取り繕ってドルヴァンネ家を五大貴族から除外することも可能なんだぞ」
さあどうする、意地の悪い笑みを浮かべるレボルヴァに対して、ブリギッタは力無く頷くと風船の空気が漏れたようにへなへなと椅子に座り直したのだった。
※※※※
「共存の何がいけないの!」
貴族議会の夜、ネグリシェに着替えたブリギッタは自身のベッドに顔を埋めて泣き叫んだ。傍ではシャルルが目を伏せて彼女の背を摩っている。
「どうか泣かないでください、あの方達は貴方様の地位を蹴り落とそうとしているだけです」
「だとしても、許せないわ」
ブリギッタは顔を上げると、シャルルを見つめた。
「私は、魔物のことはよく分からない。でも、魔物との共存はお父様の長年の夢だった。それを貶すなんて、万死に値しますわ!」
ブリギッタは拳を作ると、何回もベッドマットを殴った。その手をシャルルはそっと握ると、首を横に振った。
「いけません、怪我をしたらどうなさるのですか。僕は旦那様からブリギッタ様をお守りするよう言い付けられております。貴方様にどのような敵が現れようと、僕が傍におります。だから、つまらない虫の声に惑わされないでください」
そう言って真顔の多いシャルルが珍しく微笑むと、ブリギッタは「ええ、そうね……」と取り敢えず息を整えた。そして「暫く一人にして」とシャルルに命ずると、彼が去った後に夜の暗闇を映す窓辺に立った。
ぴかぴかに磨かれたそれには自身のやつれた顔が映った。彼女は迷っていたのだ。本当に自分が五大貴族の立場に相応しいのか。異端として貶され、議会内での立場も低い。ひょっとするとドルヴァンネ家は政治の座から下り、普通の貴族としてのんびり暮らしていくことの方が向いているのではないか。
ブリギッタは窓に額を押し付けた。こんな時に父がいてくれたら、先代としての教えを貰えたら。ブリギッタがないものねだりをしていると、不意に窓の向こうの離れが目に映った。
それは父に侵入を禁止されていた場所。しかし、父はもういない。ブリギッタは自身の首にかけられていた鍵をネグリシェから取り出した。
「もしかしたら、貴族議会の運営や振る舞いについての良い資料があるかもしれない。当主となった今の私なら、お父様もきっと許してくださる」
ブリギッタはシャルルなら止めてくるだろうと思い、正面玄関は使わないことにした。彼女はヒールを窓の外に投げ落とすと、カーテンを結んだ紐を吊るして真夜中の地上に降り立った。
「さあ、禁足域へ行ってみようじゃない!」




