二章 鉄騎は駆ける。どこまでも
V8エンジンを鳴り響かせながら都内の道を突き走るジャガーFタイプ75クーペ。純白の車を駆るのは地雷系ファッションとメイクに身を包んでいる蒲生乃愛と、助手席にはやる気がなさそうに見える金髪の女子高校生の豊崎紗来奈が座っていた。
車内では乃愛が作成したマイリスト音楽が流れていた。アニメソングで編曲されており、リズムに乗りながら気分良く運転する乃愛の隣で、紗来奈はエミリアに連絡している最中だった。
『なるほど。やはりいませんでしたか』
事の顛末を簡素に報告すると、エミリアは静かにそう言った。紗来奈はJPSの煙草を吸いながら続けた。
「オークションの前には奪還する」
『そうしてください。でも無理はしなくていいですよ。本命はこちらで抑えていますから』
「わかってる。だけど、必ず取り戻すから」
紗来奈の強い言葉を聞いたエミリアは小さく溜め息を漏らした。だが困惑ということではなく、だろうなという諦めに似て、笑みを含んだ溜め息だった。
『心配していませんよ。紗来奈さんと乃愛さんですから』
「ありがとう」
『乃愛さんにもよろしく言っておいてください』
報告を終えた紗来奈は吸い終えた吸い殻を窓の隙間から捨てて、また新しく煙草を咥えて火をつけた。吐き出した煙が吸い込まれるように車外に吹き出ては消えていく。
「ちょっとー。禁煙じゃないとはいえ吸い過ぎだと思うんですけどもぉ」
「結構な頻度でクリーニングしてもらってるんでしょ」
「それはサキナが乗って煙草吸ってる時なんですけどぉ! だいたいさぁ──」
軽快なアニメソングが鳴り響く車内で乃愛はぷんすかと怒るが、紗来奈は気にせず煙草の煙を燻らせて、窓の外に広がる眠らない街の光を眺めていた。静寂もあれば喧騒が広がるこの都市には、とても魅力的で暴力的なものがあるのだろう。だからこうして人々は都市と共に眠らず、欲望に忠実で生きているのだろうと時々思う。
「ねぇ聞いてるぅ?」
「聞いてない」
「マジでさぁ!」
紗来奈の返答に乃愛は呆れる。黒いマスクの下で口がへの字になっていることが容易に想像できた紗来奈は少し笑ったが、サイドミラーから視線を外すことはしなかった。
煙草を取り出したり捨てたりなどのタイミングでサイドミラーから後方を確認していた。三台の黒いマセラティのギブリが、先程から一定間隔を保ちながら追ってきていた。
「ノア」
「後ろの奴らでしょ。わかってる。倉庫街出た時から着けてきてたよ」
「のこのこ追わせてたの?」
「最初から事を荒げる必要あるぅ? サキナじゃないんだしさぁ」
「……んぅ」
「にゃはは! 図星なんだ!」
紗来奈がムッとしたところで乃愛はいつもの猫を被ったような笑い方をした。自覚があって反論できなかった紗来奈はただ煙草を吸っていた。
「荷台に銃積んでる。サキナ側のやつ。自由に使っていいから迎撃任せるからねぇ」
「わかった」
吸っていた煙草を窓の外へ放り捨てた紗来奈は荷台に向きを変えた。乃愛が愛用しているクリスチャン・ディオールのキャリーケースや紗来奈のリュックサックの他に、テニスバッグが置いてあった。引っ張り出して助手席に座り直してテニスバッグを開けて中から取り出したのは、シグMCX RATTLERアサルトライフル。5.5インチ仕様の短い銃身は強化バレルに交換している。近距離戦闘を想定した小型ダットサイトと伸縮式ストックを装備。マガジンに込められた銃弾は5.56ミリ弾や7.62ミリ弾ではなく、300ACCブラックアウト弾だった。
「良いの仕入れてんじゃん」
「でしょう? 試し撃ちの感触良かったから買っちゃったんだよねぇ」
「この弾撃ったことないんだよね。楽しみ」
「大事に撃ってよねぇ」
バックミラーやサイドミラーで後方のギブリを見る度、乃愛は感嘆の息を漏らした。
「ギブリかぁ。いいなぁ。試運転した時凄く良かったんだよねぇ。この子を先に乗ってなかったら選んでたくらいに大好きなんだよねぇ」
「あのさぁ……」
「大丈夫だってさぁ」
乃愛は好きなボーカロイドの曲順になると音量を更に上げ、バックミラーとサイドミラーを確認してハンドルを握り直した。
「あんなクソ親父共に負ける訳ないでしょ」
アクセルを一気に踏み込んで加速する。V8エンジンに負荷が掛かり、エンジン音が咆哮する。威嚇のようでありながら心地良さすら覚えるエンジン音を響かせて、乃愛が操るジャガーは高速道路を爆走した。三台のギブリも加速して追ってくる。
乃愛は更に加速する。紗来奈はMCXのストックを目一杯まで伸ばすと、窓を全開にして身を乗り出し、追ってくるギブリに向けてアサルトライフルを構えて引き金を引いた。
7.62ミリ弾と同等のエネルギーを有すると言われる銃弾が発射されると、容赦なくフロントガラスを突き破って吸い込まれるように運転手の頭を撃ち砕いた。ハンドル制御を失った車は左右に大きく揺れ、遮音壁に衝突すると派手に横転した。
「いい感触」
「でしょ~?」
撃ち切った紗来奈はマガジンを交換し、残り二台に向けて撃ち続ける。敵も黙ってやられている訳にはいかず、後部座席から身を乗り出して近代化カスタムされたロシア製AK104アサルトライフルで応戦した。
負けじと紗来奈もやり返す。鉛玉の応酬だ。聖典でもないやり合いだ。ただただ殺し合いを果たすのだ。因果応報を果たす鉛の応酬を。
紗来奈が撃った銃弾が一台のタイヤを貫通する。制御が難しくなったが運転手はなんとかハンドルを握って制御するが、次々と紗来奈がタイヤやエンジンに銃弾を撃ち込むせいで車に負荷が掛かって重要なダメージを負わされて制御不能になると、とうとうどうにもならなくなって先程の車と同じように遮音壁に衝突した。勢いが強すぎたせいで空中に放り投げられるように一回転し、擂り潰されるよう瞬く間に車は廃車となって転がった。
「もったいないなぁ!」
「敵の車が大切なの!?」
「慈しむぐらいいいでしょ! 高速降りるよ!」
真っ直ぐ行くと見せかけてハンドルを切って高速を降りるジャガーを狙い、ギブリも後を追っていく。障害物に衝突することを狙ったがそんな甘い相手でもないことを理解した乃愛は、街中であろうともかまわずアクセルを踏み倒した。
深夜の都市部を一四〇キロ以上もかっ飛ばしていく白いジャガー。懸命に後を追うギブリ。都市部に降りても相変わらず銃撃戦は続いていた。
「そろそろ決めてほしいんだけどなぁ!?」
「じゃあ揺らさないでもらえる!?」
「注文が多い!」
「横から入り込んでくる!」
十字路を曲がった時。敵のギブリが一気に距離を詰めてきたと思ったら、ドリフトを駆使してジャガーの真横に張り付いてきた。このドライバーの腕は一流だ。相手の攻撃に怯むことなく詰めては真横に張り付くこの技量。間違いなく一流ドライバーの証拠だ。後部座席の男達も笑いながらアサルトライフルを構える。勝機は貰った、と言いたげに。
ギブリのドライバーが見た光景は、ジャガーのハンドルを片手で握りながら、もう片方の手でグロック34カスタム拳銃を向ける黒マスクをつけた地雷系少女だった。
「わざわざ横に来てくれるんだ。ありがと」
少しだけにやっと笑った乃愛はドライバーの頭に9ミリ口径弾を数発お見舞いした。頭蓋骨を砕いて脳髄を掻き混ぜられたドライバーは即死して、制御を失った車は露店のショーウインドーに突っ込んでいった。
野次馬が携帯電話を片手に事故現場を撮影している合間に、紗来奈は体を引っ込めて車に身を隠した。乃愛も長居はせずにそのまま立ち去った。
「生きてる?」
「無事に」
「それはなにより」
「運転ありがと。……ノアだから助かった」
煙草を吸い始めた紗来奈は、乃愛を見ずに固めた拳を向けていた。どうしてやろうか、と迷った乃愛だったが素直に応じることにした。
「さっすがサキナ。こっちこそありがとぉ」
乃愛は軽く拳を突き合わせ、上機嫌で流れる音楽に合わせて歌い始める。少し呆れた溜め息を漏らした紗来奈は嬉しそうに紫煙を吐いてドアの外を眺めた。ゆっくり眺めるにはいい月が浮かんでいた。
◇
都内にある高層ホテルの女子トイレ。一人の女性が身だしなみを整えていた。白人以上に人形のように透き通る白い肌と、青い瞳が印象的な女性の名は相場エミリア。地毛のプラチナブロンドをストレートボブの髪型で決め、赤いブラウスを着て白のタイトスカートとジャケットを羽織っていた。化粧の乱れを確かめていた彼女の右耳には、無線式の片耳イヤホンが装着されていた。
『良かったのですか? 彼女達二人を行かせて』
イヤホンから若い男の声。部下からの問いにエミリアは化粧を直しながら口を開く。
「お二人の実力は申し分ありません。確実に対象を確保するでしょう」
『信頼されているのですね』
「はい。当然、貴方もですよ」
『それは嬉しいことです。位置にはついています。目標も確認済みです。後はエミリアさんの好きなように』
「わかりました」
化粧道具を片付けたエミリアは鏡を眺める。整っている自分の顔を見ては薄ら笑みを浮かべた。ハイヒールを甲高く鳴らしながらトイレを出た。静かに扉が閉まる音だけが空しかった。