一章 紫煙と銃弾
都内某所。深夜。
オリンピック開催に合わせて再開発が進んでいたこの場所では、煌めく新しい高層ビルが建ち並んでいた。その光で足下を覗くと、蟻が群れているように古い湾岸倉庫が並んでいるのを見ることができた。もっとも、時代遅れの倉庫など誰も眺めることはなかった。
だからこそ、整備されず廃れていくこの場所は需要があるのだろう。そう思った一人の女子高生はゆっくりと歩いていく。
チェック柄のスカートに白のブラウス、赤いリボン。六〇デニールの黒ストッキングで脚がスカートからシュッと伸びるような印象。引き締まった体型もあいまってスレンダーさを強調させていた。その女子高生は安っぽいグレーのリュックサックを背負い、JPSの煙草を吸って紫煙を燻らせていた。暗めに染めた金髪が伸びて根元には黒い地毛が見えていた。風に吹かれてボサボサになる髪がみっともなく見えた。
女子高生──豊崎紗来奈は髪を直すが、意味がないと知って諦めた。吸い終えた煙草を捨ててゴアテックスのハイカットブーツで火を踏み消して再び歩く。
目的の倉庫が見えると、物陰に隠れて周囲の様子を伺う。倉庫事務所の出入口にいかつい二人の男が煙草を吸って立っていた。他に人影はいないことを確認した紗来奈は準備を始める。
リュックサックを開くと、中からウルフグレーのタクティカルベルトを取り出した。ベルトには装備が取り付けられている。拳銃ホルスターやマガジンポーチなど。更にはネイルハンマーを装備できる特注のホルスターが背面に備え付けられていた。
タクティカルベルトを装着し、ホルスターから四五口径スプリングフィールドXDM拳銃を抜く。銃弾が装填されているかチャンバーチェックを行い、サプレッサーを手早く装着する。片耳用の小型ワイヤレスヘッドセットを右耳に付けてアイフォンと接続させた。
『はい』
無料通話アプリで通話しているのは、紗来奈の雇い主であるエミリアという女性だ。紗来奈は、澄んだ声だといつも思っている。
「倉庫についた。今から始める」
『早かったですね。邪魔者は?』
「予定通りに潰した」
『そうでしたか。ならばお願いします。乃愛さんも予定通り向かっていますので』
「また連絡する」
簡単に済ませて通話を切る。相変わらずつまらなそうな表情をしていたが、瞳には光が宿ったままだった。
◇
見張り役というのは重要だ。
高級クラブなどでは問題のある客を入れないのはもちろん、礼儀を持って挑まねばならない。番犬の躾がなっていなければ主人の品格が問われるように、組織の下っ端と言えどある程度の礼節を守らねば組織の質に関わる。
取引が行われている中の見張りは緊張が続く。相手がどう動くかわからないからだ。良い子のように素直に従うとは限らず、欲に目が眩んで攻撃的になる者がいる。または最初から取引するつもりがなく最後に裏切ることもある。外にも中にも敵がいるかもしれないのだから気が抜けない。
それも、今回の取引相手は違う。お得意様の一つであり、それもかなりの上客だ。この組織で一番に値する相手であり、無礼はもちろん一切の粗相も許されない。少しのミスも許されないのだ。
だから、喉が渇く。あと数時間で開放される職務だが、下手に動くことを許されないとなると自由が制限される。欲求を紛らわせる為に煙草を吸っているが、ほんの僅かな足しにしかならない。
その足しになるものを吸い尽くしたツーブロックの男は、隣に立つ首にダガーのタトゥーを入れた男に声をかけた。
「煙草ねぇか?」
「吸い過ぎぞ。我慢しろよ」
「仕方ねぇだろ。小便すらいけないんだからくれよ」
タトゥーの男は小さく溜め息を漏らして、ジャケットの内ポケットにいれていたピースの煙草を取り出した。仕事中ではあるが、相棒の苦悩は理解していた。大事な客に届ける大事な商品を守る門番なのだから、これぐらいは許されるだろう。箱を振って煙草を出した。
「ありがてぇ」
「本当かよ?」
「あとで返すよ」
そんな貸しはいらない──そう答えようとしたが、煙草を咥えて火をつけようとした相棒の頭から爆ぜるように血が噴き出したことで言葉が詰まった。相棒の返り血を浴びた男は動けなかった。門番だというのに情けない。だが仕方がない。完璧に狙われた一撃なのだから。その証拠に、タトゥーの男は煙草を放り投げて脇の下に隠していた拳銃に手を伸ばした。思考の切り替えはプロそのものだった。
しかし、それよりも闇夜からの銃撃が早かった。空響く銃声の後、男の膝と拳銃を持った右手を撃ち抜いた。膝を撃ち抜かれて片膝をつき、撃ち抜かれた右手はボロ雑巾のように千切れかかっていた。
「ううぅ……!」
叫び声をあげようとした時、暗闇から金髪の高校生──紗来奈が飛び出して男に覆い被さって押し倒した。頬を掴むように口を押さえ、力任せに組み伏せた紗来奈は男の額から数ミリ離した位置で拳銃を構えた。
「中に何人いる? お姫様もいる?」
「お、お前なんだ……!? 鷹の目をどうやって……!?」
「鷹の目? …………ああ。スナイパーのこと?」
つまらなそうに紗来奈は頷いた。
「湾岸ビルとガントリークレーンから見下ろしてた奴らなら、鳴き声あげることなく潰したよ。鷹って言うより雀じゃないの?」
「お前殺し屋っ──」
男の一言を聞く前に、紗来奈は頭に二発の鉛玉を撃ち込んだ。空薬莢が空しく響いた。
紗来奈は事務所の扉の真横に張り付く。慎重にドアノブに手をかけてゆっくり回す。事務所の中は誰もいない。静かに入り込み、極端に腕を折り畳んで拳銃を構えるスタイルで突き進む。
進む毎に静かだった倉庫内は騒がしく聞こえ、やがて喧騒が響く。生活音ではなく仕事の音だ。それも重機や工具の音ではなく、がなりちらす男とフォークリフトの稼働音だ。倉庫内には貨物用船舶で運ばれてきたコンテナがいくつも置かれ、コンテナフォークリフトがけたたましいエンジン音を響かせながら動き回る。扉が開かれ、そのコンテナ出てきたのは大量のジャガイモだった。品質の悪い腐ったジャガイモが鼻を刺激するが、作業員達は我慢してかき分けていく。かきわけたその先に見つけた大きな箱を引っ張り出して空けると、中に見えたのは大量の白い粉だった──情報通りならば麻薬である。
別の方向を見ると、サブマシンガンで武装した男の前に数人の男女の若者達が全裸で並んでいた。泣きわめけば殴られたのか、何人かは頬を青黒く腫らしていた。
男達の会話が聞こえてきた。
「こんなガキ共でいいのか?」
「ンな訳あるか。こんなクソガキ共とヤるなんてごめんだ。コイツらは別に送る」
「中東アジアとかアフリカ?」
「東南アジア。最近の男のガキは顔が整ってるからニューハーフ路線や女装嗜好の変態でもいけるし、その売り筋にも充分に見込みがある。まぁ、ホストやギャンブルで借金したり、家出してきた連中だから上客からは見向きもされないからその程度だとよ。ヤギの相手にすらなれねぇってさ」
「コイツらってトー横?」
「さぁ。それ以外にもいるだろうよ。まぁ、東京や横浜ならそんなのザラにいるだろうからな。売るには困らねぇほどにぶらついている」
「違いねぇな」
「まったくだ」
ははっ、と笑った瞬間。サブマシンガンを持った男の頭が横に激しく揺さぶられ、水鉄砲のように血を吹き出して倒れた。紗来奈が撃ったのだ。
目の前に立っていた商品である男女の若者は何が起こったのかわからない。ただ噴水のように血が溢れ出る様を眺めていただけだ。隣に立っていた男も同じだ。危機を感じてすぐ拳銃に手を伸ばしたが、続け様に紗来奈から銃撃を喰らって絶命した。
甲高い銃声はサプレッサーをしていても防ぎようがない。加えて二人の作業員の死亡を見つけられては、倉庫内はすぐ怒号に溢れかえった。
作業員達は拳銃やサブマシンガン、ショットガンで武装して立ち向かうが、紗来奈は障害物を駆使して隠れながら素早く仕留めていった。かくれんぼというより鬼ごっこだった。隠れる鬼を探すが、先に鬼が見つけると全てが終わる遊び。
紗来奈にしては、身を隠しながら殺すだけで楽だった。ショットガンを持った敵が相手でも間合いを詰めてしまえば撃たれない。その銃身分だけ潜り込んでしまえば自分の間合いなのだから。腹部に銃弾を撃ち込み、次なる相手を見定める。
「ああああああっ!」
拳銃が弾切れになってスライドオープンに。前方からパールを振り上げた作業員が襲いかかってくる。マガジン交換は間に合わないが、紗来奈は冷静に左手で背面に装備しているネイルハンマーを掴むと、ホルスターから振り抜いてそのまま作業員の頭をかち割った。
「煩いなぁ」
微かに動いていた作業員の頭を数回殴り下ろす。骨と肉が砕け破れる音の最後に、潰されるような音も聞こえた。
マガジン交換をして見回す。静寂に包まれた倉庫内には作業員達の死体が転がっていた。ほんの僅かな時間だったのに、あたり一面には死臭が漂う結果となった。
危険を取り除いたと判断した紗来奈は拳銃をホルスターに納め、ネイルハンマーを右手に持ち替えて商品になりかねた若い男女の前に立つ。泣き喚き散らす様が煩くてかなわなかったが、仕事をしないといけないので渋々と口を開いた。
「お姫様を探してるんだけど知らない?」
「アンタなに!? こん、こんな酷いことしてっ……! お前も、コイツらみたいに酷いことするつもりなんでしょう!」
話が通じない。呆れた紗来奈は煙草を取り出して一服すると、喚き散らす女の頭を鷲掴みにすると地面に組み伏せると、目の前にネイルハンマーの釘抜き部分を叩きつけてやった。
「今までやってきたことを自分達がされて被害者ヅラするんじゃねぇ。アンタらを助けたのが私の飼い主の気まぐれだってことをよく覚えておいて。今から質問する。素直に、手短に答えること。いい?」
女は頷くしかできなかった。他の男女も黙って見ることした出来ない。
「お姫様はここにはいないね?」
「い、いない。私達より先に出ていっ──」
「喋るな」
吸っていた煙草を女の首裏に押しつけた。悲鳴が谺するが紗来奈は関係なく続ける。
「それだけわかれば必要ないから」
『サキナ聞こえるぅ?』
イヤホンの先から砂糖をぶちまけたような甘ったるい声が聞こえた。
「聞こえる」
『もう二分ぐらいで着くけど、お姫様は見つかったぁ?』
「いない。もう移動してる。ゴミしかいない」
『無駄足じゃん!』
「仕方ないでしょ」
溜め息を漏らして通話を切った紗来奈は、女の頭を上げさせて目を見た。泣き腫らして鼻血を垂らす女の目を、逸らさずに。
「今日のこと。誰にも喋らないのなら黙っててあげる。だけど、ほんの少しでも怪しい言動をした時は……お前ら全員、達磨にしてでも売り飛ばしてやる。豚の餌にされるか、豚とサれるか。それぐらいの選択肢はくれてやる。もう一度言う。これが最後だ。今日の事は忘れろ」
女は強く頷いた。後ろに並ぶ男女も全員頷いた。それを信用した訳ではないが、紗来奈は立ち上がって倉庫を後にした。
外に出ると、ちょうど良いタイミングで一台の車が向かっていた。目の前に停まったのは純白のジャガーFタイプ75クーペだ。猛獣の如き車を運転していたのは、地雷系ファッションに身を包んでメイクを施し、ハーフツインテールとたくさんのピアス、目尻にある右の泣きぼくろが印象的な女子──蒲生乃愛だった。紗来奈の相棒である。
「他に商品なかったのぉ?」
「いらないから捨ててきた」
助手席に乗った紗来奈の意味がよくわからなかった乃愛だが、かまうことなく倉庫街から離脱して都心の道路を駆けていった。