その9 悪魔のような妹
※この小説は実際は登場人物全員が関西弁を喋っていますが、わかりやすさのため標準語でお届けします。
天使と悪魔っていいよねと思って書きました。
誰にも気付かれないように、細心の注意を払って音を立てないように家の鍵を開け、ドアを開ける。よし、誰もいない。ほっとしながら靴を脱いで、上がり框に足をかける。心臓がどきどきと鼓動を立てている。今日は楽しかった。できるだけ長くこの気持ちに浸っていたい。だが、廊下を二、三歩いたところですぐそこにあったトイレのドアが間いた。
「お姉ちゃん、お帰り」
「……ただいま」
ああ。終わった。一番嫌な相手に見つかってしまった。
敵意の混じった口調で言うのは、私の妹、珠莉愛である。読みは『じゅりあ』であり、とんだキラキラネームであるが、出産後のハイテンションでうちの馬鹿両親が調子に乗ってつけた。
というのも、彼女はべらぼうに可愛いのである。ぱっちりとした瞳、色素の薄い光彩、高く伸びた鼻筋、小さく可愛らしい口。それらが絶妙なバランスで顔面に配置されており、うちの一族のDNAも捨てたもんじゃないと思ってしまうほどだ。彼女は生まれた時からそれはそれは可愛く、両親の正気を失わせるには余りあるほどのものだったことがうかがい知れる。ごくシンプルな私の名前と比べれば、顔の造形がだいたいその差である。両親は、彼女を可愛い可愛いと溺愛して育てた。
「何その恰好。全然似合わない」
ところが、顔はこんなに可愛いのに壊滅的に性格が終わっていた。
「……そう」
何かがあるといちいち私につっかかって、なにもかもを否定してくる。
「全然だし。なにそれダサ。セットアップとか流行ってないから。変すぎ。何も着ない方がましだよ」
「ああ、そう」
めんどくさい。年を取ればマシになるかと思ったが、ひどくなる一方だった。本当に小さい時からずっとこの調子で、一緒にいると胃が痛くなってくる。自分がこれでいいと思っていたことが全部揺るがされて、お前はダメだと言われる。否定否定否定否定否定。こんなに意味もなく攻撃的なのは、自分が一番でないと気が済まないからだ。幼いころから可愛いねと誉めそやされ、私と差をつけてもらって、行く先々で優遇されて生きてきて、いつしか特別扱いされないと気が済まなくなった。
私が誕生日のプレゼントを貰えば、お姉ちゃんだけずるいと泣いて暴れた。自分だって誕生日にプレゼントをもらうのに。どこもずるくないのに、彼女は自分もプレゼントが欲しいと言い張る。誕生日が台無しになるくらいしいつこく激しく泣いて騒ぐので両親もしぶしぶ応じた。そんなことが三日に一回くらいあって、家族全員が彼女の顔色を窺って生活している。今は泣いて暴れることは少なくなったが、物を壊すことは日常茶飯事である。私のものも、両親のものも、自分のものも、全部。
愛されて生まれてきたくせに、恩知らず。
彼女はその破壊性のほとんどを私に向けていた。一番身近な他人。姉妹だからこそ両親の愛情すら奪い合うことになるのだろう。私達いにとって、お互いは大事な存在などではない。治らない打ち身のように、ずっとそこにあって、早くどこかに行って欲しいのに全く痛みが去る気配がない。
彼女が小さいうちは力でなんとかできたけれど、大きくなれば力も強くなるし頭も回るようになる。両親も手がつけられなくなって、結局は私に我慢を強いた。小さいときは庇ってくれたこともあるように思うが、中学生くらいになるとすっかり両親は諦めていて、私に自力でなんとかするように促した。それからは、妹の顔色を窺って彼女を刺激しないように努めるのみで、私が妹に攻撃されていることを見て見ぬふりをしている。あまつさえ、妹が暴れたら私の不手際を責めることすらある。
まあ、そうしたら楽だよね。
ちなみに、彼女はあまり勉強ができない。それに比べて私はそこそこできた。それも彼女はお気に召さなくて、私が成績を両親に褒められるのを見るたびに暴れて物を壊したり、殴りかかってきた。そのうち両親もその状況が面倒くさくなってきて、私の成績を褒めることもなくなった。別にそれだけなら良かったのだが、大学受験の前日、妹が私の部屋にきて一晩中喚き散らしたのは堪えた。お姉ちゃんは絶対落ちる、低能、死んじゃえ、と朝まで怒鳴り続けられて一睡もできず、結局大学受験は失敗した。あれは本当に辛かった。が、両親は、経済的に浪人は無理だとしか言わなかった。あの頃、妹はしてやったりとにやついた顔でこちらを毎日見ていて本当に殺してやろうかと思った。投げやりになって滑り止めで受けた大学に入り、今に至る。
不思議なものだが、毎日毎日お姉ちゃんはずるいと怒鳴られていると感覚が麻痺してきて、本当に私がずるくて悪いことをしているような気がしてきてしまうものである。妹に押しのけられるからこそ自分が悪いのではないか、と頭のなかの因果が逆転してくる。
「デートじゃね?」
「……」
急に図星を突かれて言葉に詰まる。
「あ、デートだ。気色悪ーい。だからおしゃれしたんだ。全然おしゃれじゃねえけど」
妹はそれに気付いて、誇らしそうに背筋を伸ばしてすらりとした体を見せつけてくる。猫背でこれといって特徴のない私とは大違いである。
「デートじゃないよ」
とりあえず否定しなければ。一番知られたくない相手に知られつつある。最悪だ。楽しかった気持ちがだんだんしぼんでいく。
「お前、髪の毛とか巻けたんだ。キモ。人のアイロン勝手に使わないで」
別に妹のアイロンではなく、家の持ち物であり母も使っている。なのに、妹は罪を作り出す。見事な手腕だと思う。
「そんな日もあるから。あなたに関係ないでしょ」
とりあえず部屋に帰りたい。自室が安心ともいえないのだが、比較的心安らぐ場所である。ともかく自宅において、自室の外が地獄すぎる。
「男だ男だ男だ気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い!!」
妹はこちらを激しく睨みつけ、完全に怒りのスイッチが入ってしまっていた。大きな声がキンキン響いて、頭痛がしてくる。
「お父さんお母さん! こいつデート行ってたよ! 気持ち悪いよ! ねえ! 私の教育に悪いよ! 追い出した方がいいんじゃない!」
リビングのドアを開けて両親の顔を見て怒鳴った。両親は困惑しているとしか言えない反応だった。まあ、そりゃそうだろう。両親はもう私に興味がないので、そんなことを怒鳴りこまれたところでどうでもいいのだ。
「自分だって彼氏いるでしょ」
ちなみに妹は私の二つ下。私より賢い大学に推薦で入って、私のことを見下している。こんな風に騒いでいるが、普通に彼氏がいるはずだ。今はいなくても。高校生の時から彼女は顔だけは可愛いので言い寄ってくる男性が一定数いるのだ。それで、短期間付き合っては別れるのを繰り返していると数少ない地元の友達から聞いている。巴ちゃんの妹、すごいよね、と触れにくい話題のように聞かされた時は驚いた。妹はすぐに別れる男と遊んであげた、うまく男から男へ乗りこなしていると思っているが、実際遊ばれているのは妹の方らしい。そのことを言うと激しく攻撃されそうなので、触れたことはもちろんないが。
「彼氏なんていないよ!!」
妹は顔を真っ赤にして叫んでいだ。歯をむき出しにして猿みたいな顔をしていた。大きな瞳もメイクを施した眉も、かたちのいい唇も、すっかり歪んで醜くなっている。私は今までの人生で、妹の醜い顔の方を見ている時間の方が長いと思う。
「うそはよくないよ」
心臓がひどく脈打って、血の気が引いて倒れそうなくらい怒りとストレスを感じているのに、頭の芯は冷静になって冴えていく奇妙な感覚がある。吐きそうだ。
「死ね! お姉ちゃんみたいなブサイク、絶対振られる!」
私が部屋に向かう間、妹は罵詈雑言を投げつけてきた。はやく、ドアを閉めたい。
「絶対絶対絶対絶対うまくいかない! 性格も悪いし頭も悪いしセンスも悪いし服もクソダサい! もう嫌われてる!」
声が大きい。最近振られたのだろうか。彼女の触れてほしくない話題だったらしい。まあ、ほじくってきたのは彼女なのだが。我が家は田舎ゆえそこそこゆったりとした一戸建てだが、もしもマンションだったら、他の部屋の住人に怒鳴り声がうるさいと注意されるだろう。こんな騒音を出す一家とは一緒に暮らせないと言われたことだろう。いっそ誰かに注意してほしかった。あなたがやっていることはどうかしている、ここにいてもらっては困ると彼女に言ってやってほしかった。
「どうせクソみたいな男だよ! どんくさいお姉ちゃんにはいやらしい男がお似合い!」
そういわれると、カッと怒りが燃える。すぐるくんのことを悪く言わないで欲しい。お前にそんなことを言う権利はない。
「あんたに言われたくない! あんたみたいな頭空っぽのなんでも人のせいにしてばっかりの馬鹿には! ほっといて! 死んで!」
鍵をかけたドアに向かって言い返す。
「は!? お前が死ぬんだよ! 死ね!」
妹は、拳でドアをドンドン殴った。一瞬殴る音が止んだかと思ったら、次は硬い何かでドアを強打する音に変わった。テニスラケットか何かだろう。このままドアを破られたらどうしよう。
「死ね! 死ね!」
ドア越しにストレートな殺意が聞こえてくる。半狂乱に叫びまくる妹。本当に殺されるかもしれない。怖くて涙が滲んできた。
子どもの時、激昂した妹に階段から突き落とされた事がある。理由はなんだったか全く覚えていないが、もしかしたら理由なんてなかったのかもしれない。五つか六つだったと思うが、あの頃から私を殺したかったんだと思う。あのあたりから何をしでかすかわからない存在として、妹を家の中で妹を恐れる雰囲気が作られた。両親も最初は私を守ろうとしたのかもしれないが、自らに危害が及ぶこと、そして妹が犯罪者になることを何よりも恐れている。長い時間のなかで、妹の攻撃性が私に向いていれば安心だという結論に至ったのだろう。外部の人に乱暴狼藉を働かず、家の中だけで全てをおさめるにはそれが一番コスパがいい。私が我慢してくれれば全て何もないのと同じだ。
断続的に部屋のドアが殴られる音がする。呼吸が乱れて、涙が伝った。家の中に化物がいる。助けて。こんなことは絶対にすぐるくんには知られたくなかった。普通そのもののあの子にこの苦しみはわからない。当たり前に皆が家族を愛していると思っている人、言葉が通じず暴言と暴力しかない人の存在を理解できず、他人とは話せばわかりあえると思っている人。多分、すぐるくんはそっち側の人種だ。私の辛さを彼に知って欲しいとは少しも思わないけれど、語ったところで絶対に理解できないと思う。私と彼の間には大きくて深い溝がある。
ドアを殴打する音は止まない。怖くて布団に潜り込む。この後、殺されるかもしれない。喧嘩を売ってきたのは妹なのに、妹が勝手に怒って、殺されるのは私。仮に振られた直後だとして、人の幸せを鬱陶しく感じるのはわかる。だが普通、こんなに怒鳴りまくって人の部屋のドアを壊そうと殴ったりするものだろうか。普通。普通ってなんなのだろう。もうずっと、普通がどういうものなのかわからなくなっている。普通のものが自分にふさわしくないと思ってしまうほどに。
今日の楽しい時間の記憶は頭の中で切り刻まれて、もう原型を留めていない。頭が痛くて、頬を涙が伝う。
私は震える手でスマホに手を伸ばした。うまく操れない指先で画面をタップして、何度も失敗しながら音声通話をかける。
――もしもし。
私なんて。
生まれてこなければよかった。先に生まれたのは私だ。押しのけられる私が悪いのだ。
妹は狂っている。悪魔みたいといえばそうなのかもしれない。衝動性を抑えることができない。私になら何をしてもいいと思っている。
私は普通だ。少し気が弱いだけ。
彼女は私を殺したいと思っている。両親も止めてくれない。守ってくれない。どうして。
私なんて。
理解できない。
私なんて。
どうしていつもこんな風になるの。
私なんて。
私が悪いの?
私なんて。
いいや。私が、悪いのかもしれない。
妹みたいに主張できないから。
妹みたいに喚き散らしたりしないことが私のプライドだった。
それが。
――私なんて。
続きます。続き書けたら載せます。
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