その8 行こう行こう魔の山へ②
※この小説は実際は登場人物全員が関西弁を喋っていますが、わかりやすさのため標準語でお届けします。
天使と悪魔っていいよねと思って書きました。
前回の続きです。その5「ふたりっきりで~」から読んだ方がいいかもです。
お化け屋敷の中には、通路の片側に柵が立ててあり、その向こうに恐怖のオブジェがずらずらと並べてあった。
どのオブジェもいかにも恐怖をあおりそうな生々しい死者の美術が施されている。大人が一目見れば作り物だとわかるが、どれも制作当時は見事な彩色であったことが察せられる。月日を経て恐怖だけが薄まってしまい、時の流れをの無情さを知る。鉄は熱いうちに打て、推しは推せる間に推せ。そんな言葉達に通じるものがある。
「この中に生首、ですか」
「まあないと思うけど、仮にあるとして……」
一つ目のゆるやかなカーブに差し掛かった。
「腐ったら撤去されると思うから、ミイラ状態なんだろうね」
「そうでしょうね」
「ミイラなら混じっててもわからないでもないし」
同じようなオブジェが続く。右手に、黒い顔をした母親が赤ん坊のようなものを抱える像が現れた。赤ん坊はおくるみにくるまれていてその姿は見えない。彼女は赤ん坊を抱いているのか、それとも赤ん坊でない何かなのか。少し気になって覗き込んでみると、そこには黒い、赤ん坊のような生き物がいた。
――生き物?
僕が覗き込むと、黒い顔に、一センチほどの目が十も二十もぱちりと開く。一つ一つがぎょろぎょろと動き回り、あらぬ方向を見ていた。そのごく狭い白目にはかすかに血管が見え、それが生き物であることがはっきりわかった。目玉は何かを探しているようだったが、ばちんと僕と目が合う。それは、ほんの数秒間の出来事だった。
「……っ!」
見てしまった。心臓がバクバク脈打って口から出そうだ。とっさに声は抑えたが、すっかり気を抜いていた。だが、先輩に気付かれないように、何事もなかったかのように先に進む。ここに異形の何かがいますなんて言って、先輩も目を合わせて怖い思いをさせたら申し訳がなさすぎる。
うぞ、背後で何かが染み出してくる気配がした。それは僕が目を合わせたことで目覚め、増殖し、あふれ出す。母親の胸に抱かれたおくるみのなかからぼとぼとと床に転がり落ち、床を這い、ゆっくりこちらに近づいて来るのだろう。追いつかれないように、巴先輩に歩幅を合わせつつも決して止まらず進んでいく。気が気ではなかった。
次のオブジェは棺桶の中に入った死人だった。こちらも着物の経年劣化がひどい。日用品の朽ちていく様子とはこのようなものなのだと思い知る。
「まあ……怖くはないよね」
「そうですね」
努めて元気な声を出した。足は今にも震えて止まってしまいそうだ。
最悪、先輩だけでも逃がそう。何かあったら申し訳ない。ルルちゃんとニュイちゃんがそばにいるはずなので、僕は大丈夫だ。絶対に助かる。そう自分に言い聞かせるしかない。まずは、外を目指さなければ。冷汗が額を伝った。室内が適度に暗くて本当に良かった。手が震えていることを勘づかれなくてよかった。先輩のことは、彼女のことだけは、僕が守らないと。
「っ!」
次の、木の棒に磔にされた死人のオブジェで、死人の衣服の中を何かが這っているのがうっすら見えた。残念ながら、ここにもいる。怨霊は屋敷の中に点在しているということだ。目を背け、次へ。次は山となった生首の間にうごめく黒い何かがいる。生首が多くて全体像はよくわからないが手のひらほどの何かが大量にいるようだ。
ああ、厭だ。
だんだんしてきた耳鳴りが、きんとひときわ高く鳴り響いたかと思うと、生首の間をうごめいていた生き物の目が開いた。こちらも体表面にびっしりと大小無数の目がある。
「ひっ」
今回は目が合う前に目を逸らせたが、猛烈に気分が悪い。頭痛と耳鳴りがひどくて足がふらつく。ただでさえ暗くて見えづらい視界がさらに狭くなっている気がした。
「大丈夫?」
巴先輩は暗がりの中で、僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですよ」
「怖かった?」
「ちょっと怖かったです」
「え、どこが?」
「人の顔じゃないものが人の顔に見えて……」
「パレイドリアってこと?」
顔パレイドリア現象。天井のシミなんかを人の顔に見間違えるという現象である。
「あはは、そうですね」
「ここ、雰囲気はいいもんね」
「先輩は大丈夫ですか? 具合悪くなってたりしません?」
そういえば、巴先輩は何も感じていないのだろうか。彼女の霊感は今日はどうなのだろう。
「大丈夫だよ! げんきげんき。ありがとう」
巴先輩はにっこり笑った。不思議なことに、薄暗いというのにその笑顔だけははっきり見ることができた。照明がないとなにも見えないような暗闇の中で、彼女の笑みはいっそ輝いていて、はっきりと視えた。僕、先輩が好きだなあ。好きな人の笑顔って、こんなに元気になれるものだったんだ。……知らなかった。
今さっきまで手足が冷たくてたまらなかったが、体が息の仕方を思い出したように、暖かい血が巡りだしたように思える。あと道のりがどれくらいかわからないが、何事もない顔をして外に出よう。
その時、ズボン越しに何かが僕の足を撫でるように触っていった。感触としては肌のようだ。手だろうか。赤ん坊に追いつかれたか。
――ついに触れてきた。こいつは触れられるんだ。
ちょっと怖いことになりつつある。怨霊に触れられたのは初めてだ。ルルちゃんがなんて言ってたか、パニックになりそうな頭で必死に思い出す。実体多めの怨霊は触れることができる。ネズミも僕に飛びつこうとしていたが、噛まれると怪我をするから気を付けてと言われたっけ。つまり、今日現れた怨霊も、僕に物理的な危害を加えることができる。
もうひとつ曲がり角を曲がったところで、一気にあたりが明るくなった。光の中にバカでかい閻魔様の像が佇んでいた。閻魔様はギミックでゆらゆら揺れながら、僕らを大きな大きな目玉で睨んでいる。
地獄には実際にこの人がいて、時間に追われながら死者の人生の善悪を裁いているのだ。
(審判は全ての人に平等だよ)
ルルちゃんがしていた話をふと思い出して足を止める。もしかしたら、大昔、僕みたいに天使と仲良しになった人が、死んだ後にどうなるか尋ねて、閻魔様はこんな方なんだよと教えられ絵に描いたのかもしれない。そう思うとちょっと微笑ましい。
「どした? 閻魔様だけど」
「いや、大きいなと思って……」
ルルちゃんに聞いた話を説明するのはここでは時間がかかるので、やめておいた。
「あはは! 大きいよね。怖くはないけど結構びっくりしちゃった。おもしろ……」
閻魔様は僕の倍くらいの背丈があった。これまでおおむね人間の等身大のオブジェばかりだったので、小さい子などは怖がるのではないだろうか。
「しかもちょっと動いてるし。芸が細かいよね」
「よくできてますよね」
「ほんとほんと」
巴先輩がおかしそうにカラカラと笑う。先輩が大丈夫そうでよかった。多分、館内の怨霊に気付いてないんだ。もしかしたら気付いているのかもしれないが、目を合わせたりついてこられたりはしていないということだろう。こんなにたくさんいて、何も感じていないわけがない。この大きな閻魔様が現れたということは、おそらく終盤だろう。ほっと息を吐く。その時、ものすごい力で足首を掴まれた。
「わっ!? いたたた」
力が強すぎて、骨から砕けてしまうのではないかと不安になる。大きな手が僕の足首を掴み、握りしめる。見てみるとそこには何もない。だが、それは手だと感触ではっきりわかる。
「えっ!?」
「足を掴まれてます! ご、ごめんなさい!」
一気に緩んだ気持ちが恐怖で染まる。頭が真っ白になりそうになりながら、なんとか謝って僕は駆け出した。足枷をはめられたようなどうしようもない重さはあるものの、移動はできる。とにかく外にでて、ルルちゃんとニュイちゃんを見つけなければ。多分、外で待ってくれていると思う。今日は何の約束もしていないのに、僕は自然と二人の登場を信じていた。いつも、ディアボロの前にいてくれる二人の姿がはっきり頭に思い描ける。
「ええ~~~!?」
巴先輩がびっくりしながら、走り出した僕についてくるパタパタという足音が後ろでする。よかった。先輩も動けている。置いてきてしまった先輩のことが心配でたまらなかったので、ほっとした。そして、暗い通路の先に光の筋が見えた。この先へ。外へ! 僕は全力で駆け出していく。
光の中に飛び出す直前、一瞬だけ青白い光が見えた気がした。
「どうしたの……? なんか見えた?」
外に出ると、すっかり体が軽くなっていて、足の激痛も消えていた。ただならぬ様子で外に飛び出した僕を追って出てきた先輩は、心配そうにこちらを見ている。
「何かに足を掴まれたんですよ……うわ」
ズボンは触れられたと思しきところが濡れて、生臭い悪臭を放っていた。ズボンの裾をめくってみると、手の形に青あざがついている。
「痛そう。何かがいたんだね。顔、真っ青だよ。大丈夫? 具合悪くない?」
「大丈夫です。先輩は大丈夫でしたか?」
「うん。……だから、中でも大丈夫か聞いてくれたんだ?」
僕が頷くと、巴先輩は感激した様子で僕の手を握ってくれた。
「怖かったよね。心配してくれてありがとう。私は雰囲気が悪いのはわかったんだけど、それ以上のことは感じられなかった。いつも霊感があるって言ってるのに、気付いてあげられなくてごめん」
「いえ、大丈夫です」
「ご、ごめんね…………いつも見えるって言ってるのに……」
こ、これは。出るのではないか。
「本当に本当にごめん。ほんと私、ここぞという時に役に立たないよね、ごめんね……私なんて私なんて私なんて私なんて私なんて……」
思わず笑顔になってしまった。また先輩はくちゃくちゃの顔をして反省している。
「あの、いいんです。先輩が無事なら、ほんとうに」
今更ながら手を握られていることにめちゃくちゃ照れた。僕、先輩の手を握ってる? 現実?
先輩の手は柔らかくて、さらさらしていて、骨からして細いことがわかる。お化け屋敷の中が涼しかったこともあり、体温は僕より少し低い。
かっと顔が熱くなる。やばい。今までの恐怖全部忘れた。あの、でも、その、付き合ってもないのに手とか触っていいんでしょうか……?
「私なんて私なんて私なんて私なんて私なんて私なんて」
「先輩」
先輩の手をぎゅっと握り返す。
「はっ!?」
彼女もびっくりして我に返ったらしく顔を上げる。
「お化け屋敷の中で笑ってくれたじゃないですか」
「え? うん、私、能天気にごめん……」
「いやいや、あれでめっちゃ元気になったんですよ。だから、ありがとうございました。一緒にいてくれて」
先輩とじっと見つめあう。すごくいい雰囲気。多分、こういうタイミングに告白をすればいいんだろうな。わからないけど。
「……すぐるくん……でも、私……」
「先輩がいてくれるだけで安心できました。ほんとうに、いてくださってありがとうございます」
告白などというだいそれたことが僕にできるわけもなく、今日はこれが精いっぱいだった。そして、しっかり目を合わせてもう一度手をぎゅっと握っておいた。ああ、恥ずかしい。これ以上のことを世のカップルの皆は乗り越えているのか。純粋に尊敬してしまう。
僕が言うと、先輩はためらいがちに頷いて、それ以上自分を卑下することはなかった。
「まあ、ひとまず部会で話すネタはできましたね」
「そうだね。ある意味、村長が見せてくれた書き込み以上の内容なんじゃない?」
確かに。書き込みの内容とは重なるような重ならないような。部会で何をどこまで話すか考えなければ。
その日は、そこで別れた。
続きます。続き書けたら載せます。
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