その6 性癖
※この小説は実際は登場人物全員が関西弁を喋っていますが、わかりやすさのため標準語でお届けします。
天使と悪魔っていいよねと思って書きました。
生駒山上遊園地は、文字通り生駒山の山頂に建てられた遊園地である。
標高が高いため、初夏の園内は下界より数度低く、いっそ寒いくらいの涼しい風が吹き抜けている。創業は一九二九年、地元民にはおなじみ近畿日本鉄道の系列会社が運営している。
ケーブルカーを降りたところがエントランスエリアになっており、テラスの部分から景色を見ることができた。
「わあ、いい景色!」
巴先輩は眼下に広がる絶景に感嘆の声を上げた。視界の果てまで広がる住宅街は陽の光にきらきら光っている。ほんの少し湿り、木々の匂いを含んだ山の風は爽やかで気持ちいい。先輩の肩まである髪も、嬉しそうになびいていた。
「本当ですね」
そして、先輩の顔を見て、山の下で待ち合わせた時から思っていたことを言ってみる。
「髪の毛切りました? 似合ってます」
前回の部会で調査に行くよう命じられた時には重たそうだった前髪が、流行のシースルーバングになっていた。いつもは後ろでひとつにまとめているが、今日は内側にくるりと巻いている。服のことはよくわからないが、いつもシンプルなシャツにパンツであるところ、しゃれたセットアップで、足首まであるマーメイドラインのロングスカートだ。眼鏡も心もちおしゃれっぽい気がする。
「え……そう?」
先輩、ちょっと嬉しそう。
「はい。いつもと感じ変わっててすごくいいです。可愛いです」
「か、可愛い!? そんなことないよ」
可愛いは失礼かと思ったので初手では言わなかったが、先輩が嬉しそうだったのでつい言ってしまった。先輩はうろたえたようにぱたぱたと手を振る。頬がほんのりピンクになって可愛い。僕もさすがに恥ずかしいので、えへへと曖昧に笑っておいた。
「さて、調査だね」
先輩は、エントランス付近にある園内の地図を見上げた。地図を隅々まで見ていると、園内の少し奥まったところにお化け屋敷にあるようだ。
「もう早速見に行きますか?」
「そうだね……」
「ここまできてお化け屋敷だけ見て帰るというのも」
新大宮からここまで、スムーズに乗り換えられれば一時間もかからずに着くことができる。先輩は県の東の方に住んでいるのでもう少し遠いはずだ。日常から切り離された山の上に来たのだから、少しくらいはこの雰囲気を少し楽しんで帰りたい気分になる。
「そうなんだよね」
先輩も同様だったみたいで、嬉しくなる。さっさと調査だけして帰ると言われれば、僕と一緒にいる時間が楽しくないと言われているようで悲しい。
「ちょっとお散歩していきませんか」
「うん……」
先輩は、ためらいがちに頷いた。
「本当に子どものころのままですね」
園内に点在する小型の乗り物では、小さなお客様たちが楽しそうな歓声を上げている。昔は稼働していたであろうイートインスペースが封鎖された売店、日に焼けたレトロすぎる可愛らしいゲームセンター。全てが懐かしく、記憶そのままに変わらずそこにあり、おばあちゃんの家に来たようなえもいわれぬ安心感があった。
「遠足で来たかもしれないけど、あんまり覚えてないな」
「家族ともないですか?」
「家族はないね。来たとしても記憶ないくらい小さいころ」
小さい頃の先輩か。機会があればぜひ見てみたいな。ふくふくのもちもちだったんだろう。
「うち家族の仲悪いから。すぐるくんの家族は仲いい?」
先輩は苦虫を嚙み潰したような表情だったので僕はなんと答えるべきか迷ったが、嘘をついても仕方がない。
「うちは……仲は多分いいですね」
「普通はそうだよね。遊園地にも家族で来たことないなんて変だよね」
「そんなことないですよ」
遊園地に行かない家庭くらい、なくはないのではないかと思うが、よその家のことはわからないので口をつぐんでおく。
「いいや、変だよ。うちの家族は皆変」
「どんなところが変なんですか」
「無駄に激しい。どうでもいいことをすごい押し付けてくる。ほんと、うんざりだよ」
先輩は困ったように笑った。結構、先輩は苦労人なのかもしれない。それは僕としては納得感があった。先輩はいつも優しくて、落ち着いている。色々なことを考えていて、返答が思慮深くて感心してしまうことがある。言葉が返ってくるのはいつも少し時間がかかるが、どんな言葉を返してくれるのか楽しみなので待つのは苦ではない。
「ああ、ごめん。行こう」
先輩は申し訳なさそうに眼鏡の場所を直した。僕を困らせたと思ったのだろうか。
「いえ、こちらこそすみません」
のんびりと園内を見て回り、遊園地のシンボルである飛行塔にも乗ってみた。中央の大きな塔の周りを飛行機を模したゴンドラが回りながら上昇する。上空から大阪平野、大和盆地、山城盆地の美しい景色を見ることができるのだが、いかんせん吹き付ける風が冷たく、寒い。
「なにこれ! 寒い! めっちゃ寒い!」
「すごい風ですね」
「もっと分厚い上着でくればよかった」
「ほんまそれです」
冷たい初夏の風がびゅうびゅう吹き付ける。さすが夏の寒冷線。肌寒いどころか、いっそ不快なほど寒かった。
ただ、見下ろす景色は本当に美しかった。見渡す限りの生活の息遣い。はるか遠くに揺れる大阪湾、その縁に立ち並びきらりと光を反射するビル群。空の終点は白くけぶり、海とひとつになっている。盆地に住んでいてそれを見ることはあまりないので、やはり新鮮だ。エントランスのテラスよりもう一段高いところから見る景色は、息をのむような絶景だった。
「きれいですね」
「きれいだね」
「ここに来られてよかったです」
「……私も」
私も、だって。心が弾む。どきどきして、叫びだしたくなる。先輩とここに来られただけで嬉しいのに、先輩もそう言ってくれるなんて。
その後も園内を一周歩き回った。シューティングのアトラクションに二人で挑んだのは楽しかった。急流すべりも意外なほどスピードが出て爽快だったし、高速で下降するスキーのリフトのような乗り物も面白かった。ひと遊びしたところでお腹が減ってきたので混み始めたレストランに入る。
レストランは最近新築されたようで、外装も内装も真新しい。近代的なタッチパネルの券売機もあるし、全ての席がゆったりとしている。テラス席からは景色を見ることが出来、快適な時間を過ごせそうだと一目見てわかる店だった。
僕は野菜のカレーを、先輩はパスタを注文した。
「めっちゃ華やかなわけじゃないんですけどちょっとおしゃれですよね」
昼食を食べる前に先輩は写真を撮っていた。写真映えしそうな食事で、写真に収めたい気持ちはわかる。
「そう。お皿が大きいからかな」
ランチは、大ぶりの皿に盛りつけられており、それはどんなメニューも同じ皿に盛りつけられるようにだろうが、確かに皿が大きいとそれだけで高級に見える。
「きっとそうです」
ふと顔を上げると、向かいに座った先輩とぱちっと目があった。やっぱり可愛いな。華やかではないし化粧も濃くないけれど、どうしたって先輩は可愛い。嬉しくて思わず笑いかけると、先輩も応えるように小さく笑ってくれた。次の瞬間、がしゃん、と先輩の手元にあったコップのオレンジジュースがテーブルの上にぶちまけられる。
「わっ!」
「あー……」
先輩はびっくりして固まってしまっていた。いけない、となりの席に置いてある先輩の鞄につたったジュースがかかってまう。さすがに出先で鞄がジュースまみれになるのは辛いだろう。立ち上がってそっと取り上げ、先輩に手渡す。
「濡れちゃいますよ」
「わ……あ……ありがとう」
「ダスターもらってきますね。あっちにあったはずなので」
僕は店員が料理を作っている厨房の方に小走りで向かった。ジュースをこぼしたことを告げると、乾いた布巾を何枚か渡してくれる。ジュースをこぼしたと言っても嫌な顔一つせず、親切である。
「濡れませんでしたか?」
席に戻り、布巾を先輩に手渡す。結構スマートにフォローできたのではないだろうか。先輩の好感度が上がるといいのだが。……などと打算的なことを考えながら先輩の顔を見ると、すっかりテンションが下がってしまっていた。
「ううっ……ごめんね……私なんて私なんて私なんて私なんて私なんて」
手渡した付近で机をごしごし拭きながら先輩は取り乱している。
「大丈夫ですよ。拭けばいいんですから」
「すぐるくんは、ちゃっちゃと布巾もらってきてくれて、すごいね。ありがとう」
「いえ、バイト先でも掃除はあるので」
「バイトもちゃんとしてて偉い……それに比べて私なんて……」
先輩は目を細め、顔をくちゃくちゃにして落ち込んでいる。ちょっとジュースをこぼした程度で、自己否定のネガティブ思考が止まらないらしい。
「そんなことないですよ。こぼしちゃうこともあります」
「でももう大人だよ~……? 恥ずかしいよ」
「大丈夫です」
「でもさあ……」
(め、めんどくせえ~っ……)
めんどくさすぎる。なんというか、食事をしにきてもっとひどいやらかしをしている奴はごまんといる。確かにそそっかしいとは思うが、わざとではないのだし、ただ拭けばいいことなのである。
僕のフォローが裏目に出てしまっているのではないだろうか。先輩は子どもでもあるまいにコップを倒したという自分のふがいなさに打ちひしがれていたところを、二つも年下の僕にフォローされ、恥ずかしくてたまらない、というところだろう。今日はおしゃれもしてきたし、年長者のプライド的なものもあるのだろうに。
(だが……だが、そこが最高‼)
先輩、可愛すぎないか。いや、可愛いがすぎる。前々から可愛い顔をしていると思ったが、性格まで可愛いとは。この『私なんて』は今日初めて見たが、そんな素質を隠し持っているとは。
「あ、ごめんね……ネガティブ出ちゃってた」
そして極めつけがこれである。はたと自分の口からでたネガティブに対して我に返る。我に返るのは好感度が高い。ただ自分の悲しみに酔っているだけでなく、周囲からの視線まで気にできるというのはなかなか立派だと思う。出ちゃってた、という表現まで可愛らしい。
「全然大丈夫です」
マジで。
言っておくが、別に面白がっているわけではない。
僕は、ややこしい人が大好きであり、とてつもない魅力を感じるのである。
巴先輩風にいうと、僕はごくごく普通の家庭で生まれ育った。お金持ちでも貧乏でもなく、多少の喧嘩はあれど家族の仲もおおむね良い。いわゆる問題のある家庭では絶対ない。そんな家庭ですくすく大きくなった僕は、ごくごく平凡な何の面白みもない男子大学生だ。とびぬけてできること、得意なこと、興味のあることもない。普通。それ以上でもそれ以外でもない。性格が良いよねと言われることもあるが、そんなものは特にこれといって褒めるところがないから言っているだけのことである。友達の彼氏に対する『優しそう』というコメントくらい、中身がない意見である。
そんな僕は癖の強い友人を好んだ。理由はわからないが、癖の強い友人も僕を好んだ。幼稚園の時からややこしめの友人が途切れたことはない。普通の友人もたくさんいるし一緒にいて安らぐけれど、癖の強い友人といて感じる楽しさは何物にも代えがたいものがある。その人にしかない癖があって、一人一人違うので面白いのである。癖の強い友人とは、たいがいはどこかで喧嘩別れしてしまったが、数人は今もずっと友達のままだ。僕自身はどこでこのような嗜好が育まれたのかはわからない。だが、そんなことは考えても仕方がない。普通の僕は、変な人が好き。それでいいじゃないか。
だから、この遊園地に来て、巴先輩のことがますます好きになってしまった。抜け出せない巴先輩の沼にずぶずぶ浸かりつつある。でも、僕はかなり幸せです。
続きます。続き書けたら載せます。
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