その4 みせしめユートピア
※この小説は実際は登場人物全員が関西弁を喋っていますが、わかりやすさのため標準語でお届けします。
百合回です
「安い……多い……すごい……!!」
「良かったねえニュイちゃん」
翌日、ルルちゃんとニュイちゃんは僕のバイト先にやってきた。今日はディアボロは休みなのだそうだ。
僕は二条大路沿いのスーパーで、閉店までの夜シフトで品出しやレジ打ちのバイトをやっている。バイト先をここにした理由は、給料がそこそこ良くて、社割で食料品が買えるからである。今思えば、飲食店にすれば社割どころかまかないで食事が出たのかもしれないが、後の祭りなので何も考えないことにしている。大型スーパーゆえスタッフが多くシフトの融通もきくし、別に悪いことなど何もないのだ。
かなり広い店内にはところ狭しと商品が並べられている。色とりどりのポップが商品を宣伝していて、見ているだけでもとても楽しい。野菜、肉、加工食品、日用雑貨、飲料、酒、どんな種類の商品も多種類取り揃えている大きなスーパーだが、特に得意なのは惣菜だ。安くて、大きくて、お腹一杯になれる。いかにもSNSで写真映えしそうな商品も多数あり、客からも人気が高い。
二人は、品出しをしている僕を見つけると寄ってきて声をかけてくれたが、ニュイちゃんは挨拶もそこそこに、店内を見回して目を輝かせていた。
「労働してるじゃないですか。その調子」
ルルちゃんはニッと笑って小さくピースサインをしてきた。
「ぼちぼちですよ」
「エプロンが似合ってる」
「ルルちゃんほどじゃないです」
「謙遜はよくないですよ」
「いやいや」
「ここはいいところだね、まさにユートピア……」
ニュイちゃんは本当に楽しいらしく、ぴょんぴょんと跳ねている。
「ロープライスなユートピアでしょう。本当にたくさん商品があるので楽しんでいってください」
「うん、楽しむ!」
こんなにニコニコしているニュイちゃんを見るのは初めてかもしれない。彼女はいつもテンションが低く、どちらかというと不安そうにしているか退屈そうにしているかどちらかなので、スーパーごときでこんなに喜んでくれるとは思わなかった。
「ニュイちゃんは好きだよね、スーパー」
ルルちゃんは一心不乱に売り場を物色するニュイちゃんを見て、目を細めた。
「買ってもいい?」
「いいよいいよ。好きなだけ買いな」
「ありがとう。何を買おうかな……」
そわそわきょろきょろしているニュイちゃんに買い物カゴを手渡すと、スキップしかねない勢いで惣菜コーナーに戻っていった。
「お酒コーナーってどこですか?」
ニュイちゃんを楽しそうに見つめながらルルちゃんは尋ねてくる。酒?
「あっちの方です。お酒、好きなんですか?」
「ありがとう。お酒が好きというよりは、それ以外に特に興味がないというか」
「それ大丈夫なやつですか……?」
酒カス、アル中、などの言葉が頭の中を掠めて飛んで行った。そういえば、最初に怨霊に襲われたとき、ディアボロでも飲酒していたっけ。
「私は食事をしないんですよ。食べようと思えば食べられますが、人間のように、生命維持に必須ではありません」
ルルちゃんは僕の考えを読んだように、気まずそうに説明を始めた。
「私は体のほぼすべてが霊力なので物質的な栄養素は必要ないんですよね」
「ふうん」
僕は品出しの手を休めず耳をそばだてた。
「天界の住人も体の構成は色々でして。霊力の部分が多ければ食事はいりませんしお腹もすきません。けれど、実体部分……雑に言うと肉体が多い者はお腹も減りますし、栄養を回さないと肉の部分が弱って死んでしまうので、生命維持に食事が必要になります。個人ごとにまちまちですね」
「つまりニュイちゃんは」
「あの子は肉体の割合が多いので、栄養摂取は必須です」
「なるほど。でもルルちゃんはお酒は飲むんですね」
「嗜好品ですね。普通に酔っぱらいますし、すごく美味しいです。人間の技術さまさまですね。他には果物なんかも私はたまに食べますよ。イチゴとか、ぶどうとか、柿とか。味を楽しみます」
「へえ……」
ルルちゃんだけなら食費がかからないのは素直に羨ましい。意外な天使の食事事情だった。
「ルルちゃーん!」
「ん~?」
ニュイちゃんに後ろから声をかけられたルルちゃんは花が咲いたような満開の笑みで振り返った。
「いっぱい入れちゃった。ダメ?」
「いいよ~」
惣菜でぎゅうぎゅうになった買い物カゴを見せに来たニュイちゃんを見つめ、ルルちゃんはサラサラのポニーテールを揺らしてにこにこしている。
「ありがとう。ルルちゃん、大好き」
カゴを傍らに置くと、ニュイちゃんはルルちゃんの胴体に腕を回した。
「私も」
ルルちゃんも、ニュイちゃんをぎゅっと抱きしめ、よしよしと頭を撫でる。
美少女百合、可愛い。見てるだけでいい匂いがしてくる。
というか。
僕は、天使は愛を知らないのかと思っていた。ルルちゃんはいつだって親切だし、思いやりもあるし、何にでも親身になってくれる。けれど常にこれは仕事だという雰囲気があった。天使としての役割を説明している時もやや事務的で、ボケたりはするものの、場を和ませようという意図が見て取れる。巴先輩にだって、マスターにだって、誰に対しても接し方が均質なのだ。ここしばらく一緒にいる感じ、ルルちゃん自身はそこそこおちゃらけて陽気な性格なので、取る態度や話す言葉は意識的にコントロールをしている。その理由は、彼女が天使だからであり、僕ら人間のことを博愛的に愛しているからだ。天使の加護や、祝福や、救済は全ての人に平等に降り注ぐ。その人がどんな人であったとしても。なので、天使は博愛主義でドライな付き合いしかしないのかと思っていたが、人間に対して深く関わりすぎないようにしているというだけで、天使どうしならば話はまた別だということなのだろう。ルルちゃんにも大切な人がいることに少し安心する。
そして、次から次へと驚いているのだが、ニュイちゃんにも、好きという感情があったとは。
いつもニュイちゃんはこの世の全てに対して、なんならルルちゃんがやっていることにすら興味がなさそうなのだ。いつも反応が薄く、ただ後ろをついてきているという印象のため、この人は大丈夫なのかと少し心配になるほどだった。ルルちゃんとニュイちゃんは怨霊退治や天使としての活動において協力し合っているわけではないので、どうして一緒にいるのか本当によくわからなかった。だが、今の百合ハグから考えるに、ルームシェアしてしまうほどすごく仲のいい友達同士だということだろう。ニュイちゃんは実体が多いとのことだったので、そのあたりの理由で戦闘に参加しないのかもしれない。ニュイちゃんは今日もよれよれのジャージを着ているが、肩や袖口から出た手なんかは見るからに瘦せていて華奢だ。とてもではないがルルちゃんのように戦えそうには見えない。きっと、ルルちゃんとは与えられた使命が違うのだろう。ルルちゃんの話を聞いていると結局”天界はなんでもあり”だと思わされることが多く、戦闘をしない天使がいたっておかしくない。
欠けていても、弱くても、✕のつかない世界。全てがそのかたちそのままで存在していい場所。多分、天界はそういうところなのだ。
「僕は店閉めしてきます。出入口のあたりにいてもらえますか?」
「わかりました。私たちも会計しなくちゃ」
「うん」
ルルちゃんとニュイちゃんはにこにこ笑って見つめあった。
***
「そんなに買ったんですか?」
本日の営業はつつがなく終了した。ゴミ捨てとのぼりの回収のために一旦店外に出たところで、ルルちゃんとニュイちゃんが待ってくれているのに出くわした。ニュイちゃんは惣菜や食料品でパンパンに膨らんだレジ袋を両手にいくつも持っている。ルルちゃんは肩にかけた猫柄のエコバッグに蒸留酒らしき瓶がひとつ入っているのみだった。無駄にハードボイルド。
「うん、いっぱい買っちゃった」
「でも賞味期限大丈夫ですか? あんまり日持ちしないですよ」
レジ袋の中をちらりと見たところ調理済みの惣菜が大半を占めており、それらは全部数日以内に食べられなくなってしまう。
「ぺろりだよ」
「ニュイちゃんは食いだめできるから」
やはり天使は体の造りが違うらしい。
出入り口のドア付近で佇む二人をふと冷静になって見てみる。僕は二人にすっかり慣れてしまっているが……この二人、かなり怪しくないか?
金髪ポニテ、黒いワンピースは彼女の普段着ではあるのだが、薄緑の目をして浮き世離れした雰囲気があるルルちゃんと、虚ろな表情でくたびれたジャージを着たガリガリのニュイちゃんが二人でいると、夜中の新大宮ではべらぼうに目立つ。閉店後のスーパーの敷地内でたむろしていたとなると職質待った無しである。警察が出動したりするとしゃれにならないのではないだろうか。
「中で待っててください、目立ちますから」
「え、いいの? 我々部外者だよ……?」
部外者なので外で待たされていたはず。ルルちゃんは躊躇した。
「中にはもう他にほとんど従業員はいないので大丈夫です。待てる部屋もありますし」
控室も別に部外者が待っていい部屋ではないのだが、迎えに来た家族が待っているのは一度か二度見たことがあるような気がする。
「う〜ん、いいのかなあ」
「いいんじゃない? 関係者が良いよって言ってるんだし」
ニュイちゃんはルルちゃんを諭した。
「いいのかなあ、いいのかなあ……」
「まあまあ、入ってくださいよ」
ほんと、頼みます。警察だけは勘弁してください。
「あ、おつかれ」
その時、ドアが開いて、僕以外唯一残っていたパートのお姉さんが出てきた。
「だ、誰…!?」
同僚はルルちゃんとニュイちゃんに気付いて明らかに驚いていた。怪しげなヤンキーがいきなり二人も勤務先に現れたら恐怖を感じても仕方がない。
「天……」
「僕の知り合いです! ちょっとこの後用事があって……見た目なかなかファンキーですけどすごく普通の人なんで大丈夫ですよ」
ルルちゃんの言葉を遮る。今天使ですとか言うと余計に話がこじれる。やべえ奴だと思われて僕もクビになるかもしれない。本当にやめて。
「お、おお……? わかった……。夜遊びはほどほどにね……? なに……? 飲みに行くの?」
同僚は困惑しつつも僕を心配したのか質問を投げかけてきた。
「まあそんなとこです」
「これ、疲れによく効くんですよね。早く家に帰ってキメたいなあ」
ルルちゃんはエコバッグを掲げながら満足そうに頷いた。いや、何が入ってるかわかんないから。そんで、キメるとか言うな。誤解を生むだろ。
「な、何をキメるの……?」
「刺身っすね」
ニュイちゃんはサーモンの刺身もカゴに入れていた。確かに。
「早く家に帰って、炙って食べたいなあ」
「炙……? ああそう……? へえ……じゃ」
炙りサーモンって美味いけどさ、炙るとか言うな! あんまり家でサーモン炙らないだろ。内心焦る僕をよそに同僚は顔を引きつらせながら足早に帰って行ってしまった。僕が危ない奴らとつるんでいたらいけないと思って声をかけてくれたのかもしれないが、数秒前に方針を百八十度ひっくり返し、関わり合いにならないことにしたらしい。次に何かフォローしておかなければ。頼むから通報はしないで。
店内に戻り、控室の椅子に腰掛けるように二人に言った。
「僕はもうちょっとだけ作業があるので……」
「はーい」
ルルちゃんはテーブルに腰掛けて、頬杖をついた。ニュイちゃんもぼんやりしている。意外とこの二人ってぽやぽやしているのかもしれない。可愛い。
店の奥に掃除用具をしまいにいくために、陳列棚の間を移動する。お菓子、調味料、お酒。夥しい数の食品の中を抜けていく。
「……ん?」
部屋の電気がチカチカと瞬いた。なんだ?
チカ、チカ。しばらく待っても、それは止むことがない。
おかしいな。
不思議に思いながら天井のLEDを見つめていると、ガサガサとどこからともなく音がした。
音だけで正体にあたりをつける。多分ネズミだ。
あまり回数は多くないものの、この店舗でネズミは見たことがある。ネズミや虫は、調理場や廃棄に集まってくるため食品を扱う場所には必ずいる。何度駆除しても、餌がある限り無限に湧いてくるやっかいな存在である。バイトを始めた頃は出くわす度に驚いていたが、今となってはだいぶ慣れた。また駆除餌を社員さんにお願いしなくちゃ。虫だったら殺さねばならない。それはそれで嫌なのだが。
ふと視線をやると、棚の向こうに大きくて黒いネズミが走っているのが見えた。
「デッカ!?」
サッカーボールくらいの大きさがあるだろうか。これまで見た中で一番どころか、常識を覆す大きさに思わず声が出た。長い尻尾、短い手足、顔立ちなどどう見てもネズミなのだが、サイズだけがどうにかなっている。ネズミ? は鼻をくんくんさせながら、あたりの匂いを嗅いでいた。食料がないか探っているのだろう。あたりをひとしきり物色したあと、ネズミは僕を見た。目と目が合った。
ちょこちょこと短い手足を動かして、ネズミか駆け出す。こっちに来るのかと思いきや、そばに陳列してあったキャベツに飛びついて齧り始めた。
「お、おう……」
どうすればいいのだろう。というか、僕という人間に見つかってるんだから、齧らず逃げろよ。たいていネズミは人間に出くわすと隠れてしまうのに、このネズミ? は警戒心が薄いらしかった。
とりあえず手に持っていた箒で害獣をつついて齧るのをやめさせようかと思ったが、どのみちもうこのキャベツは売り物にならない。ならしばらく齧らせておき、店の奥までいってバケツを取ってきて、被せて重石でも置いて捕まえておこうと思いついた。放っておくと店中の食品を朝まで齧りそうだ。それだけは避けた方が無難だろう。ひとまずこのネズミにはキャベツを齧っておいていただいて。足早に店の奥まで向かおうとすると、陳列棚の影から、もう一匹出てきた。
(まだいる!?)
バケツ、二個もあったかな。一度に二匹もいるなんて、由々しき事態だ。それにしても、見れば見るほど大きいネズミだ。齧りついているキャベツと同じくらいのサイズがある。普段ネズミ捕りに捕まっているものは僕の拳程の大きさもないし、色も灰色や茶色なのに、今日のネズミは黒い。
……明らかにおかしい。
え、いやでも、店のキャベツ齧ってるしどうすれば?
「すぐるくん!!」
その時、僕を呼びながら、売り場フロアへルルちゃんとニュイちゃんが走り込んできた。
「どこ!?」
陳列棚の背が高くて、僕が見つからないらしい。
「ここです! どうしました!?」
僕は手を挙げてここだと言わんばかりに振った。
「いたいた〜! 大丈夫だった〜!?」
そう言って片手に霊力刀、もう片手にニュイちゃんを引っ掴んで走り込んで来たのだが。
「うわっ! ちょ、やめてくださいよ!!」
彼女達の後ろには夥しい数のネズミが追従していた。
「え!? こっち全然いない!?」
「く、食うな〜!!!!」
ルルちゃんについてやってきたネズミ達が特大のユートピアの存在に気付いてしまったではないか。次々食べ物に飛びつくものだから、僕は焦って手にした箒で近くにいた一匹を追い払おうとした。
「く……」
しかし、しぶとい。箒で食べ物から引き離そうとするのだが、彼らの食欲に僕は勝てない。がっちり人参に齧りついた獣を箒ごときでどうにかすることは出来なかった。叩いて殺すことも一瞬頭をよぎったが、殺すなんて気がとがめるし、一匹殺したとて大量にいるので意味があるとは思えない。
「キャー!」
ニュイちゃんの持っていたレジ袋に一匹のネズミが飛びついた。袋の外側から、なんとかして内側に入ろうと這い上がる。ニュイちゃんはアワアワしながらそれを見ていた。
ついに、最初の一匹がレジ袋に入らんとしたその時。
「私のご飯ー!!」
ニュイちゃんが思い切り黒い獣に蹴りを入れた。蹴りはクリーンヒットし、跳ね飛ばされるかと思いきや、その場でスパッと切り裂かれた。
「え?」
切り裂かれたネズミの黒い体はグズグズと崩壊していった。
うわ……えぐ。いつものやつだ。
ん? いつものやつ?
「ルルちゃん! これいつものやつ!?」
「はい! いつものやつです! でも、今回のやつは実体が多いので触らないように! 齧られたら怪我します」
ネズミっぽいけど、いつもの怪異の類、つまりネズミっぽいけどネズミじゃない、少しネズミに似た化物だということだ。……が、今回は便宜上ネズミと呼ばせていただく。
ルルちゃんは僕に近付いてきたネズミを刀でさっと薙ぎ払った。
「ひい……」
視界に入れてもあまり恐怖は感じないが、齧られるとヤバいと聞くと怖くなってきた。
ニュイちゃんは驚いたのか、床にうずくまって、レジ袋を抱きかかえて震えている。一瞬で消し去られた同胞を見て、次のネズミが続く様子はなかったが、明らかに食べ物の匂いに引き寄せられ、ニュイちゃんの周りを取り囲みつつある。
「これ一匹一匹やったほうがいいんですかねえ……個々の相手よりは、原因を突き止めたいんですが……」
ルルちゃんは頭を悩ませた。
「ニュイちゃん、お願いです、協力してくれませんか?」
「……嫌……」
ニュイちゃんの傍らに膝をついて顔を覗き込む。ニュイちゃんはぺたりと座って俯いたままだ。
「そう言わずに、あなたの力が必要です」
そう迫られて、ニュイちゃんは泣きそうになりながら首を振った。
「あまり無理をさせるのはよくないのでは」
「ニュイちゃん……」
僕の助け舟を完全に無視して、ルルちゃんはニュイちゃんの手を握った。びくりとニュイちゃんの肩がふるえる。
「お願いします。またお惣菜いっぱい買ってあげるから」
確かにさっき一匹倒してたけど、こんなに怖がって震えているニュイちゃんに戦闘を強要するのは可哀想なんじゃないか?
「でも……」
「お願いだよ……皆で無事にここから出たい。そのために、原因を探りに行きたいの」
「だけど……」
「お願い、私を行かせて」
ルルちゃんも困った様子だ。
「うう……だったら」
「だったら……?」
ニュイちゃんは苦しそうに、ルルちゃんに囁く。
「だったら……もっと命令して……?」
「う……」
「私をもっと奴隷のように、物のように扱って……壊れるまで酷使して……使役して……?」
ん……? なんだ……?
「それ、あんまり好きじゃないんですよね……」
ルルちゃんは心底嫌そうに顔を背けた。
「でも、お願いしたいんだよねえ……? お願いしたいなら、聞いてあげたくなるような言い方をして欲しいな……」
「ニュイちゃん……」
「ルルちゃんのこと、大好き。だから……したいなあ……隷属……」
また百合はじまってる?
ニュイちゃんはそっとルルちゃんに何かを耳打ちした。僕には聞こえなかったが、なにか百合百合なことを言ってるんだと思う。
「うう……わかった……わかったよ」
元気だったルルちゃんは急激にしょんぼりしていた。なんだこれ。
「ニュイちゃん……」
ネズミが駆け回る音を知覚して、迷っている時間はないとルルちゃんは意を決したらしく、深呼吸をした。たったひと呼吸、息を吸って吐く。途端に、ルルちゃんの纏う雰囲気がスッと冷たく荘厳なものに変わる。
ルルちゃんは向かいあって立ったニュイちゃんの首を絞めるみたいに、肩甲骨のあたりに両手をかけて言った。ニュイちゃんは甘えるようにルルちゃんの腰に腕を回す。
「私の聖隷に命令します」
「ふへへ……それだよ〜」
ルルちゃんの態度がよほど嬉しいのか、ニュイちゃんは堪えられない様子でへらへらと笑った。
「全部殺してきて」
「うん」
ニュイちゃんはとびきり嬉しそうで、語尾にハートがつきそうな勢いだ。
「刃物みたいに全部切り刻んで」
「もちろん……」
とろけそうな声色と表情。ネズミが現れた時は不安そうだった表情が今や恍惚に染まっていて、ニュイちゃんが震えるほどの悦びを感じているのが見て取れる。
「失敗は許さない。あなたを所有しているのは私。そして、いつかあなたを殺すのは私だから。自覚して」
「うん……わかった……」
ルルちゃんがごく冷たく言い放つとニュイちゃんはぴくんと体を震わせ、ルルちゃんから身を離して駆け出した。陳列棚と並走しながら、あっという間にトップスピードまで上がる。
「早」
とんでもない早さだった。壁際、陳列棚の端でUターンし、こちらに向かって生鮮野菜の並ぶ長い通路を一瞬で駆け抜ける。走りながら、片っ端から食べ物にたかるネズミを木っ端微塵に蹴り殺していく。ためらいなど少しもなく、時たまくるくる回っていっそステップでも踏むように軽快に。きゃはは。ニュイちゃんは殺しまくりながら楽しそうに笑っていた。
「す、すごいっすね」
ニュイちゃんの惣菜によってくるネズミを斬りながらルルちゃんが苦笑した。
「まあ……今まで触れづらくて有耶無耶にしてた話題ではあるよね」
「わかる……」
あれは触れづらい。意味不明だし、ニュイちゃんが可愛い女の子でなければどちらかというと気色悪いシーンだった。
「ニュイちゃんはなんていうか……人間にはわかりにくい精神構造してるかな。奉仕精神が旺盛すぎるというか」
奉仕精神と表現していいのかは、かなり疑問なのだが。
「元々気が弱いからね。命令に従うと思えば頭空っぽにしてやれるみたい。もちろん、私もあんなに強い言葉は使いたくないし、彼女とは対等でいたいと思ってるんだよ。だけど、あれをやらないと絶対に協力してくれなくて」
難儀な友人である。
「どっちが使われてるのかわからないっすね」
「ああ、うまいこというね。まさにそんな感じ」
はあ、とつらそうなため息をもらす。
「神様、私は愛している友人をぞんざいに扱ってしまいました……」
すっと跪くと背中を丸めて懺悔を始めた。ルルちゃんは友達に命令し、あまつさえ殺すなどと言ってしまった罪悪感で心がかき乱されたらしく、ぶつぶつ言いながらお祈りをした。強請ったのはニュイちゃんなのでちょっと気の毒になってくる。とはいえ、祈りを捧げながらも惣菜や僕に飛びついてくるネズミは抜かりなくさくさくと斬っていた。
「さて、ニュイちゃんが頑張ってくれてる間に原因を探ろう」
立ち上がったルルちゃんは、背筋を伸ばして言った。
「うお、重っ」
ニュイちゃんの惣菜の袋を持ち上げると、男子の僕でも結構重たかった。こんなものを軽々持っていたとは、あんなに華奢だというのになかなかの力持ちである。やはり天使というものは計り知れない。
まずは、バックヤードからネズミが湧き出したのでバックヤードに戻る。従業員以外立入禁止のスイングドアを抜け、薄暗い廊下を歩く。なんでこんなことになっちゃったかなあ。
「今回のネズミ達は実体が多めですね。いつものとは少し違います」
いつもの奴らは空間があたりの空間がぐにゃぐにゃ歪んでいて、輪郭がぼやけているものが多い。なんとなく違う種類の存在であることは理解できた。
「あんなにたくさん湧き出てくるのも変です」
「確かに」
いつもは一体しかいなかった。確かに、生き物の霊や、場の悪いよどみを存在の根源とする悪霊が、数体ならまだしも一気に大量に表れるというのは考えにくい。
「つまり誰かが生んでるんですよ、多分ね」
誰かが。そう聞くと少し怖くなる。
「いたずらなのか、そうでないのかはまだわかりません。でも、この感じだと原因があって、解決することが出来ると思うので」
つまり、理由がなく大量に湧き出てきた場合は、一体一体斬るか自然発生的なものだからと放置するしかないということか。それはそれで怖い。
「ん……?」
パチンと事務所の電気スイッチを押す。事務机と書類本棚がいくつも並べられている。白い壁にはカレンダー。と、分電盤の蓋。神棚。
「あれ」
よく見ると、神棚が破壊されている。木製の小さな社が、無残にもハンマーのようなもので叩き壊されている。怖。なんでそんなことをするの?
「しかも、分電盤のお札が破り捨てられてます」
ブレーカーボックスの蓋に、お札の切れ端が張り付いていた。確かここに、県内の神社でもらってきたお札が貼ってあった。
「ふうん……」
ルルちゃんは事務室を見回して考え込んだ。
「他にいつもと違うところは?」
「ここは特に」
ないと思う。普段そんなに用事がないので、小さな変化はわからないと思う。
「魔除け的なものが破壊されて魔が入ってきたってことですか?」
「どうだろう」
ルルちゃんは事務室を後にすると、他の部屋も一室一室見て回った。時たま現れるネズミを斬りながら。何匹か同じ方向からやってきたので、どこかはわからないがネズミは決まった場所で発生し、そこから走ってきているような気がする。
「あっちぽいよね」
「はい」
ルルちゃんもそれに気付いたのか、一室一室見るのはやめ、ネズミの流れをたどることにしたようだ。建物の奥へネズミを探しながら進んでいく。この廊下を抜ければ屋上へ続く階段だ。
「あれ」
いつもは施錠されている屋上のドアが開いている。
「いつもは閉まってるんですが開いてます。閉め忘れちゃったのかな」
日常的に屋上に行くことがあるのかどうかは僕にはわからない。僕は屋上には施錠されていると聞かされているのみで、社員さんなら何か用事があるのかもしれないし。
ドアをくぐり、屋上へたどり着いた。うちのスーパーの屋上は駐車場になっていないタイプで、がらんとしていて何もなくて、心地いい夏の前の夜風が吹いていた。あたりを見回してみると、たばこの灰皿がある。ここは僕が知らなかっただけで喫煙所として使用されていたのか……。
ふと、建屋の影になにかがあるのが見えた。
「何……?」
明かりが乏しくよく見えない。目を凝らして見ると、ネズミの死体だった。
「うわ……」
大量のネズミの死体が積んで置かれていた。その数は数十ほどだろうか、すぐには数を数えられないほど多い。
「見るからにこれっすね」
ころん。そう言っている間にもネズミの死骸の山のあたりから黒くてキャベツくらいのサイズがある新しいネズミが発生した。
「は、はい……」
いや、めっちゃ気色悪いんだけど。こんなに大量のネズミをどうやって集めてきたわけ? 飼ってたやつを殺したとしても怖いし、捕まえてきて殺して置いたとしたら執念も行いも怖い。
「こういうの、やめてほしいです」
ルルちゃんは首を横にふりながら、ネズミの死骸を二、三度斬った。青白い刀で斬られたネズミは、死骸のはずなのに、消え失せた。
***
「パイセン〜。スーパーの食べ物が大変なことになってます。巻き戻してもらえません?」
階段を降りながら、ルルちゃんはスマートウォッチで誰かに通話を繋ぎ、助けを求めていた。
『状況は?』
「新大宮駅近隣の二条大路沿いのスーパーマーケットにて召喚魔術を使った者がいました。画像は10分ほど前に送付してます。術者や目的は不明ですがネズミらしき魔物が大量に湧き出して商品をかじりまくったもんで……」
『術者の目星は?』
「ごめんない、つきません。場所は屋上で、屋上の鍵は開いてたので、人間かそれ以外かもわかりませんでした」
『画像確認しました。承認しましょう。何分くらい? スーパー内部だけでいいね? 目撃者は?』
「はい。範囲はそれで。30分ほどお願いしたいです。人間は一人、私とニュイちゃんが対応に当たりました」
『彼女と? 協力してくれた?』
「はい」
『……うまくやってるわけね』
「うまくいってますよ」
『ならいいけど。人間は誰?』
「最近仲良くなった子です。怨霊から何度かアタックを受けてまして」
『そうですか。心配ですね。引き続きお守りしてください』
「はい」
ピ、と電子音を鳴らして通話は切れた。スマートウォッチ越しに天界と会話が出来ることに驚かされる。そういえば、技術が進歩してると言っていた。天界にスーパーコンピュータがあるなら、インターネットくらいあっておかしいわけがない。
「神棚やお札がどうなるかはわかりませんが、少なくとも店内の商品は元に戻せると思います。あまりに被害が大きかったので」
「そんなことが出来るんですね!?」
「多少は、ってとこです。天界も万能じゃありません。ネズミが召喚された化物の類だったことと、食べ物はモノなので流れていった時間の中でほんの少し修復できるという程度のものですよ。天界からの迷惑かけてごめんねラッキーボーナスです。長時間の巻き戻しは無理ですし、人が壊したものも無理ですし、生き物の命は何が原因でも時間を戻せないのでピンチでも絶対頼らないでください」
そうなんだ。
「野菜、すなわち植物は生き物にカウントしないってこと……?」
「あまり突き詰めず、細かいところは有耶無耶にしてもらえるとお互いwin-winかと」
そういう論争ってあるよね。豚や鳥はダメだけど、魚はいい。タコは知能があるから食べたら可哀想、とか。植物も、移動できないにも関わらず古代から生き残ってきた実績があり、生き物としてはかなり頭脳派で立派だと思うのだが……僕はバイトをクビになりたくないので口をつぐんだ。
「ルルちゃん~おかえり」
商品陳列フロアに下りていくと、ニュイちゃんが満面の笑みで手を振っていた。ネズミがいた痕跡はもうどこにもない。食い荒らされた商品も、ニュイちゃんの戦闘で散らかった床も、ネズミから飛び散った汚れも、綺麗さっぱり30分前に巻き戻っている。
天界ってすげえ……。
「ただいま」
「原因わかった?」
「わかったよ」
「えらいえらい」
「ありがとう」
今日のニュイちゃんはよくしゃべる。よっぽどスーパーが嬉しいのだろう。あるいは、殺戮によってテンションが上がっているか。
「ニュイちゃんも今日は頑張ってくれてありがとう。助かったよ」
「やった〜!」
ルルちゃんがニュイちゃんの頭を撫でると、ニュイちゃんは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。
「あ、私のご飯」
「どうぞ」
「たすかる~」
僕がずっと携帯していたものすごく重いレジ袋を、ニュイちゃんは軽々と受け取り持ち上げた。
「ありがとう」
ニュイちゃんは珍しく僕に愛想よく笑いかけてくれた。笑うと可愛い。ニュイちゃんもよく見ると整った顔立ちをしている。困り眉の下はちょっとタレ目で涙袋がキュートだ。肌は不健康なほど白く、どこもかしこも細く、よれよれのグレーのジャージを着ていて、茶髪を頭の上でぬいぐるみの熊の耳みたいにお団子にまとめている。
「お団子、似合ってますね」
「団子? もち?」
「髪の毛、お団子してるから……」
僕は何気なくヘアスタイルが似合ってることを褒めた。本当に似合っているからだ。だが、ニュイちゃんは頭のお団子をちょいちょいと触った後スッと無表情に戻り。
「は? 意味わかんない」
僕に背を向けて歩き出した。
(なんで!? 変なこと言ったかな!?)
急に褒めたのがいけなかったのだろうか。だとしても、意味わかんなくはないんじゃないのだろうか。
「ふふ、二人とも可愛い」
ルルちゃんは楽しそうに笑った。
帰りにロッカールームに立ち寄る。はあ、今日はとびきり疲れたな。気分が悪くなるようなものも見てしまったし。さすがにネズミの死骸の祭壇は気色悪い。ロッカーの小さな鍵を回し、ドアに手をかけると止められた。
「あ〜……ちょっと……私が開けていいですか?」
ルルちゃんが申し訳なさそうに言う。
「え?」
「中、なんとなく嫌な気配があるので」
「はい!? ど、どうぞどうぞ……」
ロッカーに嫌な気配? それ最悪なやつじゃんか。僕は後ろに飛び退いた。
「失礼します」
カチャ。ぺらぺらのスチールが安っぽい金属音を鳴らし、ルルちゃんがロッカーを開けて覗き込む。ロッカーに立ちふさがるように立っているので、僕から中がどうなっているかは見えない。
「……」
ルルちゃんは何も言葉を発しなかった。ただ、ロッカーの中に手を突っ込んで何かをした。霊力の青白い光もきらきら光っているので、きっと見立て通り何かがあったのだろう。
「はい! 浄化オッケー。使っていいよ」
結局、ルルちゃんは何がそこにあったのかは教えてくれなかった。
続きます。続き書けたら載せます。
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