その3 愉快なオカ研
※この小説は実際は登場人物全員が関西弁を喋っていますが、わかりやすさのため標準語でお届けします。
天使と悪魔っていいよねと思って書きました。
翌朝、目覚めてからスマホをチェックすると、所属している大学のオカルト研究会の定例会のお知らせが入っていた。
テンちゃんは何か困ったら頼ってね、と何度も言ってくれたが、少し心当たりがあったのでドキッとしたのだ。というのも、僕は大学のオカルト研究会に所属している。
僕の所属するオカルト研究会の活動は、寺院や霊園を散策したり、こっくりさんなどの心霊儀式をやってみたり、行動心理学の面から心霊現象にアプローチしてみたり、UMAを追って野山を駆け回ったり、ヒットしたホラー作品を皆で鑑賞したり、それらの活動を取りまとめた部誌を発行したりなどと多岐にわたる。意外と忙しく、充実した活動をしているのである。
明日の定例会でテンちゃんの話をしてみてもいいかもしれない。テンちゃんも自分の身分を隠したり、秘密にして欲しいと言ったわけではないのだし。少なくとも、除霊で助けてもらった話だけはしたい。オカルト研究会といえど実際に心霊体験をしたことがないメンバーも多いので、ちょっぴり自慢してみたい。
オカルト研究会というと怪しい集団と思われるかもしれないが、特にそのようなことはなく、ごくごく普通の学生のクラブ活動である。確かに癖の強いオタクっぽいメンバーが集ってはいるものの、きちんと運営・統治されたまともな集まりだと僕は思う。部長、副部長を始め、先輩達は優しく頼りになり、時間割の組み方だけでなくバイトや人間関係などの生活の相談に乗ってくれるし、もう使わなくなった教科書を譲ってくれたりもする。飲みにいっても、無理矢理飲まされたり酌をさせられたりもしないし、芸をやれと無茶ぶりをされたりなどもしない。上下関係はあれど、面白い意見は学年関係なく採用され、人間関係のトラブルも僕が知る限りはなかった。
オカルトという実在するかどうかわからないものを愛好しているだけに、人一倍常識を持たねばならんという雰囲気がオカ研の中にはあった。
「すぐるくん、本当にオカ研をエンジョイしてくれてるよね。村長が子犬みたいで可愛いって言ってたよ」
「子犬?」
僕は大学生男であり、村長も顎髭を生やした男である。村長は二代前の部長で、オカ研が楽しすぎて二留している、と自分で言っているが単に大学院生なだけである。だが、引退したOBでこんなに足繁く通っている人はいないので、言いたいことはわかる。現役部長は引退したので、本人が好きな因習村にちなんで村長、というわけだ。
「うん、UMAのことさえ信じてくれればなあって言ってたよ」
「それはちょっと……」
誤魔化すように首を傾げておく。
人気のない、夜の大学の購買前。ローソファで僕の隣に腰かけているのは、二学年年上のオカ研の巴先輩だ。落ち着いた女性で、眼鏡をかけていて、その奥の少し眠そうな優しそうな瞳がチャーミングだ。……と僕は思っている。本人に言ったことはないけれど。
巴先輩は比較的霊感があり、はっきり見えることは少ないが気配は感じるそうだ。学内のあそこに何かがいる、というような話をしょっちゅうしていて、オカ研の中では巴ニュースとして喜ばれている。また、こっくりさんなどの儀式を実際にやるのが好きで、部でもその手の企画をよく提案してくれている。
新入生歓迎会の時に、右も左もわからず不安だった僕に巴先輩が優しく応対してくれたので僕は入会を決めた。こんな優しい人がいるクラブなら大丈夫だろうと。オカルトにはそれまで興味はなかったけれど、それでもいいと言われたし、入会してからはそれなりに活動している。
今日の定例会の席についてから、ふと思いついた。テンちゃんの件は、今日のところは巴先輩にだけ教えよう。巴先輩にだけ話して、そのお店、行ってみたい、一緒にそこへご飯を食べに行こう、と言われたい。完全に下心だが、どうしてもそうしたくなった。部内へ共有すると、多分定例会の後に皆で行こうとなると思うので、それは次回でいいではないか。
そんなわけで、定例会で僕は結局何も話さなかった。
定例会の後は、部室でまったりする者、バイトへ行く者、研究室へ戻る者などがおり、皆慌ただしく生活へ戻っていく。僕は定例会のあと、部室でやりたいことがなければ、学校のテラスで巴先輩と自販機の紙パックの飲料を飲みながら雑談をするのがお決まりとなっていた。それなりに気に入られているとは思うのだ。それ以上仲良くなる方法なんて、少しもわからないけど。
巴先輩は不思議な雰囲気の人で、どれだけ雑談を重ねてもクラブの先輩と後輩以上の関係になれそうな気配がなかった。学外へ二人で出かけるなど夢のまた夢である。年下だから相手にされていないのだろうか。そう思うと、自分の生まれ年が憎い。あと二年早く生まれていれば巴先輩の同期になれたのに。
「とにかく、本当にいいクラブに入れたと思います。皆さん真面目だし、巴先輩は優しいし」
そう言うと、巴先輩は複雑そうな顔をした。
「そうかな? そんなことないよ」
「そんなことありますよ。ああ、そう。嘘みたいな話なんですが、一昨日、天使に会いました」
「天使? どういう意味?」
巴先輩はきょとんとして、眼鏡の奥の瞳を見開いた。
「本当に、そのままの意味で、天使なんです。喫茶店でバイトしていて、僕を怨霊から助けてくれました」
「何それ」
巴先輩は子どものばればれの嘘を微笑ましく聞くみたいにくすくす笑った。
「あ、信じてくれてないですか?」
「うん、残念ながら」
「じゃあこれから会いに行きませんか?」
「会えるの?」
「会えます。駅前の喫茶店で働いてるので」
「なにそれ」
「来てみてください!」
***
その後、僕は先輩を喫茶ディアボロに連れてくることに成功した。やった! 初めて先輩と一緒に食事をすることが出来た。僕は背伸びをしてディアボロ風チキンステーキを頼み、先輩は辛いのは苦手だからとハンバーグを頼んだ。
「こちら、天使のテンちゃんです」
「あ~、どうも、天使です。よろしゅう」
食後に二人を引き合わせると、テンちゃんは巴先輩に握手を求めた。
「お困りの際はなんでも相談してくださいね。何時間でもお話を聞きますし、ピンチになったら全力で救います」
「本当に天使なんですか?」
「はい、天使です。あ、嘘じゃないですよ。意味もなく霊力を使うことは禁止されているので、ちょっと今ここで証明してみせることはできないのですが……」
こないだ霊力で片付けしてたじゃん。あれはダメだったんだ。ちょっと吹き出しそうになった。
今のは逆に怪しかったですね、とテンちゃんが困ったように笑うと、先輩はいぶかしむようにテンちゃんの顔を見つめた。
「この間、テンちゃんは悪霊から助けてくれたんです。あの時は死ぬかと思いました。本当に感謝してます」
「お力になれてよかったです」
テンちゃんはにっこり笑った。可愛い人の笑顔は見るだけで癒される。
巴先輩はフレンドリーな姿勢にめんくらっているのか、困惑した顔をしていた。
「私たち天使は、人が善く生きる手助けをするために存在します。それはあなたも例外ではありません。よかったら、連絡してきてくださいね。愚痴でも雑談でも何でも聞きますから」
テンちゃんは、巴先輩にポケットから名刺入れらしきものを取り出して一枚手渡した。
名刺をもらった後すぐにディアボロを出て、西九条佐保線沿いのケーキショップで食後のコーヒーを飲むことにした。デートっぽい状況に嬉しくなってしまい、僕は奮発してモンブランも頼んだ。
「天使の名刺って、何が書いてあるんですか?」
僕はもらえなかったので、名刺の内容が気になってしょうがない。巴先輩がすぐにスマホケースのカードスロットにしまった名刺を、見せて欲しいとせがんだ。
「うん……」
巴先輩はぎこちない仕草で名刺を取り出した。名刺はごくシンプルなデザインで、余計な内容は一切書かれていない。少しのヨレもしわもないぴかぴかの上等そうな真っ白な紙に、金色の文字で名前と電話番号、メッセージアプリのアカウントが載っている。名前は「テンちゃん」とあった。本名?
「なんだろう、不思議な女の人だったね」
巴先輩は困惑から抜け出せないらしい。それは、そうだろう。
「すごくフレンドリーですよね。でも本当に天使ですよ」
「ああ、そこは大丈夫だよ。人間とは存在感が全然違うから」
巴先輩は頷いた。
「どう違うんですか?」
オカ研に入って、そういう話が好きになってきた。UFOやUMAを心底信じることはまだできないが、自分の知らない感覚などには興味がある。怨霊がどこからきてどこへいくのかも気になるし、僕は人間絡みの事象には興味があった。
「なんていうか、人よりものすごく濃い感じ。私は、人間って皆多かれ少なかれエネルギーを持ってるイメージなんだけど、あの子はエネルギーの量が桁違い、みたいな」
スポーツドリンクとあんこくらいの差だろうか。
「天使は霊力があるって言っていたので、それですかね」
「そういうことだね。本当に全然違う。自分より上位の存在だってことが、横にいるだけでわかるよ」
「なるほど……」
僕には全然わからなかった。テンちゃんって本当にすごかったんだ。色々な超自然的なものを目にしたけれど、巴先輩の話を聞いてやっと咀嚼して飲み込めたような気がした。
「あの店って、もう一人天使がいたりする? マスターかな?」
そんな気配までわかるとは。先輩は本当に第六感があるのだ。マスターは時たま厨房から料理を運んできていた。
「いえ、マスターは違います。厨房で皿洗いをしているバイトにもう一人いるんですよ」
「そうなんだ。なんか、すごい店だね。マスターが神職とか?」
「いえ、マスターは普通のおじさんで、彼女には迷惑しているそうです」
「迷惑なんだ」
巴先輩はおかしそうに笑った。先輩が知らないことを僕が知っていることで、先輩を多少なりとも楽しませている事実が嬉しくてたまらない。
「家にも行ったんですよ」
「家?」
巴先輩は急に眉をひそめた。
「部屋の中に大きな庭があって、とにかくすごいんですよ」
「……」
巴先輩は戸惑ったように首を振った。
「そろそろ帰ろうか。もう閉店だよ」
このあたりの店は閉まるのが早い。店員がもの言いたげに店内を見回しているのに気づいて、僕らは急いで退散した。
***
結局あの後、僕はオカ研でテンちゃんの話をすることはなかったし、ディアボロには二、三日に一度通うことになった。
というのも、頻繁に怨霊に遭遇するようになってしまったのだ。
ただただ嫌な汗が出る。鳥肌が止まらない。後ろから迫りくる何かの気配に追いつかれないよう、全力で自転車を飛ばす。今までバイト先へは徒歩で通っていたけれど、一秒でも早くディアボロにたどり着けるよう自転車に変えた。帰路で怨霊と遭遇する。いつもそうだ。怨霊は目も合わせていないのに着いて来る。それらは固定の場所にいるわけではなく、大通りでも裏通りでも、ふいに僕を待ち構えている。遭遇を避けることは何度目かで諦めて、最短距離でディアボロまでたどり着くことにエネルギーを注ぐことにした。
びちゃ、びちゃ。
水気のある足音が後ろからついてきている。今日はなんだか大きい気がする。だが、振り向いてはだめだ。恐怖で足が震えそうになりながら必死に自転車のペダルを漕ぐ。
ディアボロのカントリー調の看板が目に入った。今日も看板の下にテンちゃんとクマちゃんが佇んでいる。二人が目に入ると心底安堵して、ほっと息を吐く。ああ、助かった。テンちゃんは、僕にういっす、と会釈してこちらに進み出る。
キッとディアボロの前でブレーキをかけて振り返る。いた。今日は、小学生くらいの大きさの、毛むくじゃらの猿っぽいなにかだった。よく遭遇するようになったのはここ二週間ほどだが、怨霊はだんだん大きくなり、実体を持ち始めていた。その周りの空間はぐにゃぐにゃと歪み、明らかにこの世の者ではないことがわかる。二人に会えたからもう大丈夫だとわかっていても、怨霊が目に入るとどっと冷汗が噴き出してひどく鳥肌が立った。どうしたって、それは恐ろしいものなのだ。追いかけられることには少しずつ慣れてきたけれど、相対することには絶対にこの先も慣れないと思う。何も感じないなんて絶対にありえず、本能的に恐怖を感じる。だから、怨霊に何食わぬ顔で向かっていくテンちゃんも、退屈そうにそれを眺めているクマちゃんも、この世ならざる者なのだとまざまざと思い知らされる。
テンちゃんは身軽に踵を鳴らして駆け出す。カツンと音を立てて強く地面を蹴り、猿との間合いを詰めた。猿も対戦相手が現れたことに気付いたらしく、迎え撃つべく身構える。
テンちゃんと猿が激突する、と思われた瞬間、テンちゃんは停止しすっと腰を落とした。
「よいしょっと」
その瞬間、テンちゃんは何もない空間から、青白く光る刀を抜刀した。
すぱん。
予備動作なく初手で猿を左下から右上へ斜めに一刀両断する。目にもとまらぬ一瞬の閃きだった。
(やったか……?)
猿はゆらりとゆらぐ。そのままテンちゃんは手を休めず、真っ直ぐ上から下へ斬り下げた。テンちゃんの振るう得物は猫パンチと同じく、霊力の青白い光を放っていた。何をされたのかまるでわかっていない様子のまま、猿の存在そのものが崩壊していく。それはそれは、ぐちゃぐちゃになりながら。内臓が見えたりするわけではないし、断末魔の絶叫が聞こえるわけでもないのだが、ぐちゃぐちゃとしか表しようのない光景で気色が悪い。
「安らかに眠ってね」
そう言って、両手を合わせてなむなむとつぶやいた。
テンちゃんによると、彼女の刀は浄化の刀である。斬った霊的存在は浄化され、霧散するか、あるいは天界へ行くこととなる。行先がわからなくなって漂っている霊的存在を導くのも天使の仕事なのだ。勝手に天界に連れて行っていいのか不思議だが、なにぶん人の魂でないので、ある程度天使が自己裁量でやっていいらしい。怨霊の存在の根源が生き物の魂ならば天界にいくことが多く、そうでなければただ浄化されて散っていくことが多いとのことだ。
ともかく、天使の仕事は斬って殺すことではなく、救いを与えることである。
「うーん、やっぱりこれといって強いわけじゃないです」
淡く光る刀をどこかにやってしまってから、テンちゃんがゆったりこちらに近づいて来る。
「でも、こんなに頻繁にっていうのはどう考えてもよくないですね」
「はい……」
「ちょっとずつ大きくなってきてますし、これ以上は看過できません。これからはバイト先まで迎えに行きます」
テンちゃんは珍しく表情を曇らせ考え込んだ。毎日ではないにせよ、頻繁なのでそうしてもらえる方が僕も大変ありがたい。
「原因も探ってますので、もう少しだけ辛抱してください。君を必ず守ります」
「……ありがとうございます」
まだ続くのか。少しげんなりしてしまう。
僕たちの背後で、クマちゃんが眠たそうに小さくあくびをした。
続きます。続き書けたら載せます。