その11 天界の思い出②
※この小説は実際は登場人物全員が関西弁を喋っていますが、わかりやすさのため標準語でお届けします。
天使と悪魔っていいよねと思って書きました。
ルルの過去篇です。ノスタルジック百合
お休みの日に、先生の顔が見たくなって家まで散歩がてら行ったことがある。
のんびりと先生の家までの石畳を踏む。天使はこの広い庭園の自分の区画に住んでいる。生まれた時に入った家にずっと住んでいる者もいれば、仕事場や友人の家の近くに引っ越す者もいるが、先生は学校の近くに住んでいた。
植え込みの木には果実がなっていて、摘んで食べながら歩いた。天使なら誰でも食べ放題だ。琵琶の皮を手で剥くと、果汁が滴ってかぐわしい香りがした。うん、美味しい。
天使の庭にはいつも緩やかで心地いい風が吹いている。神様が吹かせているのだ。たくさんの植物、たくさんの建築物、私達の命。それらはみな神様に与えられたものである。と先生から教わった。ここは天界なので当然であるし、そもそも地獄も神様が作ったのだという。地獄があるせいで天使と悪魔は激しく対立し、戦うことになっているのだが。
どうして戦わなければならないのだろう。私は不思議でたまらなかった。
この世には善と悪がある。善と悪は、光と影のように裏表一体。あって然るべきものなのかもしれないと先生は言った。が、私にはまだ理解できなかった。
「わざわざ敵同士を神様が作るなんて変じゃないですか? 皆天界で幸せに暮らせばいいのに」
そう尋ねたけれど、先生は曖昧に笑うだけで、答えは返ってこなかった。当然だ。それは、「人間はどうして死ぬの?」に等しい愚かしい質問である。天界と魔界が存在してしまっていることは天使ごときにどうにか出来ることでもないし、疑問を持ったところで迷いを生むだけだ。迷いは隙を生み、最悪の結果を招くだけ。どうしたってひっくり返せないことに疑問を持つことは危険だ。
胸の奥底に疑問はほのかに残ったが、先生を困らせてはいけないと思って私は口をつぐんだ。
私は生まれたてで、人間でいうと6歳くらいの容姿をしている。とはいえ人間とは違うので、知能は発達していて言葉もある程度しゃべれる。だだ、知識はなく、語彙力も乏しい未熟な状態なのである。どの程度の年齢の見た目で生まれるかは天使によってそれぞれで、本当に赤ちゃんの見た目で生まれる者もいる。赤ちゃんがラッパを吹いている絵画などがあると思うが、あれはそういうことである。成熟してくると、見た目の成長も緩やかになるが均質に成長するわけでなく、若い見た目のまま何千年も生きてから死ぬものもおり、見た目は運次第といえる。見た目と中身がちくはぐであるため、天使はお互いの見た目には頓着しない。ちなみに、ほんのひと時なら霊力で見た目を変えることもできるそうだが、それは上級のクラスになって教えてもらえるらしいと聞いた。
先生は比較的若い見た目で止まっている気がする。私はどんな大人になるんだろう。
生まれてここまで、先生には本当にお世話になった。世界のこと、天使の生き方を丁寧に授けてくださった。私は、先生のおかげで天使に生まれてよかったと思っている。人を善に導くために生まれてきたなんて、なんて素晴らしいことなのだろう。人間というものにははまだ会ったことがないけれど、どんな生き物なのか知る日が楽しみになる。先生と仲間がいるから、毎日楽しい。同期も楽しい子ばかりだし、今日も散歩がてら、先生の顔を見に行くことができる。
先生は昔、人間界に派遣されていた。人を善に導き悪魔を討伐した実績を認められ、出世して天界で先生になったそうだ。先生は名誉職のような部分もあり、ある程度実績がないとなれない。だから、先生は、私の自慢なのだ。
先生は人間界の現役時代それはそれは強くて悪魔に恐れられていたらしい。と、名付けのブレダラおじさんが教えてくれた。確かに先生は歴戦の戦士らしく厳しい雰囲気があっていつだって背筋が伸びていた。折り目正しく真面目で、義理は通すタイプだ。実際大抵の時は優しいが、文字を教えるときはスパルタだったし、体を鍛えろ的なことをしょっちゅう言っている。
天界はほわほわゆるゆるした雰囲気なので、先生のように厳しい人がいるのは空気が引き締まっていいことだと私は思う。色々な性質の人がいて当たり前、と学校の先生達は言うし。
同期のウーシャンフェンだって、プラリネだって同じはずだけれど、私は先生のことが大好きだ。
優しいが厳しい。そのあり方に心底の敬愛を感じる。
***
先生の家に着いて部屋をノックすると、いつものように先生はドアを開けてくれた。けれど、私はひどく驚いて狼狽えてしまった。見上げた先生の瞳に、涙が溜まってきらめいていたからだ。
「どうされたのですか」
「ごめんね、今日はダメ」
身振りで帰るように促された。私がするべきことは家に帰ることなのはすぐわかった。けれど、私もいつもお世話をしてくれている先生を慰めたくなった。寒い日には手袋をはめてくれ、暑い日には日傘を差しだしてくれる大好きな先生のことを。
「せんせい」
私は、一歩先生に歩み寄って、ぎゅっと抱きしめた。あの時私の背丈は先生の胸くらいだったし、世界のことだって何も知らなかったけれど、できることはしたかったのだ。
「ありがとうね」
先生の声は涙に濡れていたが、先生も私を抱きしめてくれた。しばし、夕方の先生の家で抱き合う。先生の涙か幾度か髪に落ちた。昔、私の知らない何かがあって、先生を深く傷つけたのだろう。癒えないそれが今も痛んでいる。
「ミカエル」
背後から、声がした。先生がはっと顔を上げると、大人の天使がいた。確か、ラファエル先生だ。学校で見たことがある。別のクラスの先生だが、何のクラスを持っているのか私は知らなかった。
「大丈夫? あんまり弟子に心配をかけちゃだめだよ」
「ラファエル……」
ラファエル先生は優しく微笑んで、先生の頭を撫でた。肩を抱くと、先生はラファエル先生にしがみつく。
「見苦しいところを見せてごめんなさい」
先生はすこし顔を上げ、また涙をこぼした。それは私達生徒には決して見えないゆらぎで、普段とは違う先生の一面を見られた喜びよりも申し訳なさが勝った。
「いえ」
そして、ラファエル先生とミカエル先生の親密な様子にその場に居づらくなって、私は先生の家を出ると、扉のそばに見慣れない子どもの天使が立っていた。年齢は私より少し上に見える。あまり見た目は当てにならないが、もしかしたらもう中級クラスかもしれない。ラファエル先生の弟子だろう。
「こんにちは」
「こんにちは、ミカエルさんのお弟子さん?」
挨拶をすると優しく返してくれた。
「はい」
「かわいい。私はラファエル先生の弟子のメシャン・ルー」
「メシャン・ルー……さん」
「ルーって呼んでね。あなたは?」
「ベル・ヴィル・ブルーです」
「ふうん。”ルー”がお揃いだ」
そう言って微笑む彼女は透けるような茶色い瞳をこちらに向けてくれた。彼女は茶色の長い髪で、前髪を瞼の上でまっすぐに切りそろえ、後ろの髪はみつあみに編み、華奢な体を純白でいかにも肌触りの良さそうな布に包んでいた。多分、きっと、すてきな子だ。先生と初めて出会った時とは違うけれど、心臓がどき、と確かに小さく脈打つのを感じた。
「皆には何て呼ばれてるの?」
「ベルちゃん」
「じゃあルルちゃんって呼ぶね」
彼女がいたずらっぽく笑って、私はえも言われぬ気持ちになった。はじめて出会った少し年上の先輩が、私にあだ名をつけてくれた。私は、先生と同年代の子どもと他幾人かの大人としか話したことがなかったので、こんなに嬉しいことはないと思った。
「先生とミカエル先生、仲良しだよね」
彼女は、家の壁にもたれながら言った。中で先生はまだ泣いているのだろうか。
「そうみたいですね」
「知らなかったの?」
彼女は、薄い嘲笑を含んだ笑いを浮かべた。彼女は知っていて、私は知らなかった。師匠にどれだけ気に入られているかは天使のプライドに関わる。だから私も傷付いているのだが。
「ミカエル先生、昔お友達を失くしたみたいだよ。天使狩りの被害にあって。ラファエル先生は心配だからたまに家を見に行くんだって」
「そうなんだ……」
「それも知らなかったの?」
「……はい」
先生には私の知らない部分がたくさんあるらしい。茶髪の天使は私をからかうように笑っていた。悔しい。先生になにも教えてもらっていない自分が。
「まあ、弟子には言いたくないでしょ」
茶髪の天使は、さきほどとは打って変わって、嘲りの全くない優しい声で言った。
「好きだからこそ知られたくないこともあるよ。先生が情緒不安定じゃキミ達を不安にさせてしまう。高潔な天使ほどそんなこと教え子に言わないよ」
その後も、ミカエル先生とラファエル先生の仲がいいため、帯同した弟子としてメシャン・ルーとはよく顔を合わせた。彼女はやはり中級クラスで、戦闘訓練を始めたとのことだった。会う度に彼女は私をからかい、新しい知識を与え、笑わせた。年長者として年下の未熟者を笑う時もあれば、優しく世の中のことを教えてくれることもあった。彼女からはいつもいい匂いがして、髪はきれいに手入れされて艶めいていた。だんだん、私の胸の一番柔らかいところに彼女の場所ができるのを感じた。
続きます。続き書けたら載せます。
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