その1 辛すぎチキンステーキの店
※この小説は、実際は登場人物全員が関西弁を喋っていますが、わかりやすさのため標準語でお届けします。
天使とか悪魔とかロマンだなあと思って書きました
後で書き直すかも…
その日、僕は新大宮駅前の喫茶ディアボロで、早めの夕食をとっていた。
この店の名物はもちろんディアボロ風チキンステーキなのだが、学生ゆえ懐が寂しく、バイト前の腹ごしらえには卵サンドイッチが関の山である。これでもかとたっぷり挟まれた、マヨネーズで和えた卵は塩気がきいていて美味い。カリカリに焼かれたパンにかじりついていると、広くない店内のカウンターで店員どうしが話している声が聞こえた。
「マスター? ちょっといいですか?」
「なに?」
「この店のチキンステーキなんですけど、辛すぎません?」
「えっ、辛かった? 普通だと思うけどなあ」
顔を上げてみると、若い女性店員がマスターが長年拵えている名物メニューに対して物申していた。結構失礼なのではと思うが、初老のマスターはどこ吹く風でのんびり受け答えしていた。かなりおっとりした男性らしい。
「こないだクマちゃんが食べながら泣いてました」
「そんなに……?」
「涙出すぎて、自分の涙で溺れそうでしたよ。『美味しいのに辛すぎてどうにかなっちゃった、どうしよう』って。見ていて可哀想で……」
「それは、辛さに弱いだけだから、もう食べない方がいいんじゃないかなあ」
「でも美味しいから食べちゃうと思います」
「食べちゃうかあ。わかった。じゃあクマさんの分だって教えてくれたら辛い調味料は抜いてあげるね」
「ありがとうございます。後でクマちゃんに教えてあげようっと」
女性は楽しそうににっこり笑った。女性店員は見たところ十代後半くらいだろうか。ほぼ白の金髪をポニーテールにまとめ、背中まで垂らしていた。服は黒く丈の長いワンピースに、制服と思しきエプロンをしている。明るく快活で清楚っぽい雰囲気とでも言おうか。可愛らしい雰囲気で、マスターが少々無礼を働かれても許してしまう理由を察した。
「こんにちは、迷子の星屑君。お水をどうぞ」
ふと気付くと、愛想よく笑った彼女が目の前にいて、僕の空になったグラスを取り上げると水を足してくれていた。
「ああ、ありがとうございます……」
近くで見ると、雰囲気だけでなく顔立ちも可愛らしかった。
「最近、おつかれではないですか?」
そして気づかわしげに僕の顔を覗き込んで尋ねてくれる。店内はディナーのピークタイムを前に人もまばらだ。僕が学生っぽいから、次は友達を連れてきてねという営業半分、暇半分で絡んできているのかもしれない。
「ああ、少し疲れているかもしれません。バイトも学校も忙しくて……」
「そうでしょうそうでしょう、そんな感じの顔です。あまり危ないことをしてはいけません」
「顔?」
僕はそんなに疲れた顔をしているだろうか?
「もし困ったことがあったら、私に相談してくださいね」
そこらへんのカフェの店員に相談とは。ちょっときょとんとしてしまう。
「大声ではいえないんですが、わたくし、高度霊的……いえ、天使でして」
「天使……?」
小さい声で耳打ちしてくる。天使だと? 何かの聞き間違いだろうか。
「びっくりされました? びっくりしないで聞いてください。私たち天使は地上の霊的な治安を監視・維持しておりまして。かいつまんで言うと人間の皆さまが善く生きられるよう手助けをしているんです。その一環で、人間の皆さまに危害を加える霊的存在はわたくしめが責任をもって始末いたします」
天使だと名乗った彼女は、握った両の拳で軽く空中を切った。せいぜい猫パンチだが、怨霊の類にならば対抗できるのだろうか。
「はあ……」
「オカルト系ならなんでもまかせろ、でございます。長年の経験と知識で、絶対になんとかしますから。お友達からでもOKですよ。ああ、いえ、今日はとりあえず覚えて帰ってくださると嬉しいです」
グイグイいきすぎたと思ったのか目標を下方修正し、彼女はまた人懐こく笑った。青い瞳はカラコンなのだろうか。
「テンちゃん。変な勧誘だめだよ」
テンちゃんという名前なのか。まずは名乗った方が良かったな。テンちゃんと呼ばれた彼女は、案の定戻ったカウンターでマスターに注意されていた。
「ごめんなさい。でも、勧誘はしてません。まだコマーシャルの域です」
「コマーシャルの域か。なら怒れないけどさ。そこから出ないでくれよ」
「はい。マスターの営業妨害はいたしません」
マスター、変な店員を雇っちゃったな。でも笑顔が可愛いから許してしまっているんだろう。店内にはディアボロソースの食欲をそそる香りが漂ってきてよだれが出るが、僕はバイトに向かうため席を立つ。
テンちゃんと呼ばれていた彼女。
単に変な奴とは切り捨て難いまともな雰囲気があった。彼女が大噓つきであろうと、ほんものの天使だろうと、信じたいと思ってしまった。さすがに人間だろうが、霊能力者の類なのかもしれない。可愛くて風変わりな友達が増えるのは悪くはない。
何か困ることがあれば、頼ってみようではないか。
***
僕のバイトは24時までやっているスーパーの品出しの夜のシフトなのだが、一人暮らしをしている男だからとあれやこれやと頼まれ、最後まで残って片付けなどしていると結構遅い時間になる。残業代はちゃんとつくので生活が助かるといえば助かるのだが。
バイト先から自宅までは徒歩で、そこそこ距離がある。最短距離で帰るためにいつも裏通りを通るのだが、なんだか今日は雰囲気が違った。いつもと何が違うのかというと説明しづらいが、空気が濁っている感じがする。時間は23時をまわっていた。あたりの飲食店は軒並み閉まっていて、住宅も電気が消えている家が多く、外には僕以外いやしない。にもかかわらず、背後から視線を感じる。音もなく何かがついてきている気配を感じる。足音は聞こえないように思うが、刃物を持った男だったらどうしよう。もしそうだとしたら、僕はそれほど力がある方ではないので一突きされて即死だろう。
ぐにゃ、と空間が歪む感じがして、キンと耳鳴りがした。
――怖い。
あまり夜道で身の危険を感じたことはなかったが、今日は違った。とりあえず、刃物を持った男だったら走って逃げよう。意を決して振り返ると――そこにはなにもいなかった。
何もいない? そんなわけがない。絶対に何かがいた。だが、実際はなにもいない。そうなると打つ手がないので、足元に視線を落とし、やや早歩きで家路を急ぐしかない。ふと電柱に目を向けると、電柱と建物の隙間になにかがいた。
「……ん?」
何か。それは定型の形を持たない、明らかに人ならぬモノだった。
やばい。
やばいやばいやばい。
一瞬だが確かに目が合った。合ってしまった。
ぞぞぞ、と一気に寒気が背筋を駆けた。あ、これダメなやつだ。霊とか見えたことなんてないのに本能的に理解し膝が震える。体の力が抜けそうになりながら、必死に足を進めた。うぞうぞと禍々しい気配が後に張り付いて着いてきていた。早く自宅へ帰らなければ。自宅に帰って、風呂に入って、早く寝たい。気を抜くと震えて動かなくなりそうな足をなんとか動かして家路を急ぐ。すると、明かりの灯っている店があるのに気がついた。
カントリー調の看板。喫茶ディアボロだ。
いつもは閉店している時間だ。……どうして。
しかし、背に腹は代えられない。僕はガラス扉を叩くようにして光の中に飛び込んだ。
店内では、テンちゃんと見知らぬ女の子が客席に座って酒盛りをしていた。テンちゃんの手には琥珀色の蒸留酒が入ったショットグラス。向かいに座った女の子はするめを齧っている。汚く飲んでいるわけではないが、女の子二人で機嫌よくうふうふと微笑みあっているところを見ると明らかに酔っぱらっていた。
「あの……」
「ああ、迷子の星屑君。やっと来たんだね」
テンちゃんはこちらを見て、赤らめた顔でにこにこと笑った。
「……助けてください」
「やっぱり。憑かれてる顔、してると思ったんだよね。……まあちょっと座んなよ。顔真っ青だから、君も一杯飲む?」
「け、結構です」
「あ、まだ飲んじゃいけない年だったりする……?」
「だったりしますね」
僕は19歳、大学2回生である。法律上飲酒は禁じられている。
「赤ちゃんだ。人間の赤ちゃん」
テンちゃんの向かいに座っている女の子はするめをガジガジと嚙みながら、こちらを品定めするような表情で見つめている。こちらもいっそ不健康なほど透き通るような白い肌に、髪色は茶色で、二つのお団子を頭の上に拵えている。服はその服で家の外に出たのに驚くほどよれよれのジャージだった。テンちゃんのぱりっとした黒のワンピースとは対照的だ。
「そっか。じゃあぶどうジュースくらいにしとこう」
テンちゃんは傍らにあったぶどうジュースのボトルを掴もうとするが、そんなことをやって一息ついている場合ではない。
「すみません、ちょっと差し迫ってて」
「ああ、あれ?」
「ひっ!」
テンちゃんが指さしたドアを振り返ると、ガラス戸の向こうから何かがこちらを覗いていた。黒いもやもやとした形を持たない存在。また僕と目が合った。その瞬間、ドン、と店のドアが叩かれた。
「見ちゃだめなんだよ。構ってもらえるって思っちゃうみたいだから。でも、よくわからないものって確かめたくなるよね、本能的に」
ドン。ドンドン。店のドアを叩く調子はだんだん早く強くなっていた。テンちゃんは飲みかけのショットグラスをテーブルに置くと、するりと僕のわきをすり抜け、ドアに向かっていった。
「ちょっと」
ドンドンドン。開けるのだろうか。ドンドンドンドン。開けたら中に入ってきちゃうんじゃないか? ドンドンドンドンドン。
心臓が口から出そう、とはこういうことをいうのかとわかった。今までの人生のいかなる瞬間より滝のような冷や汗をかいて、焦燥感で目をまわしそうになっている。
「大丈夫だよ。任せて」
ちらりとこちらを振り返り、にっこり笑う。
「天使パーンチ!」
テンちゃんがまあまあの声量で宣言し、拳を握りドアに向かってへなちょこ猫パンチを放った。この絶体絶命な状況でふざけてるのか? そんなんで本当にやれんのか? とあまりの恐怖もあいまって僕も憤って拳を握りかけたが、一瞬わかるかわからないか程度にきらりと彼女の拳が青白く光ったように思えた。次の瞬間、ガラスの向こうにいた黒いもやもやとしたナニカは霧散してしまっていた。
「あれ?」
「やっつけた。てやっ!」
「今のへろへろパンチで?」
「あれで十分だよ。道にいたやつを連れてきちゃったんじゃないかな。どちらかというと弱めの悪霊だったよ」
パチン、とテンちゃんが指を鳴らすと、全てのグラスや酒のボトルは片づけられた。
「とりあえず、うちで休んでいかない? ここはマスターの店だし」
勝手に使ったのがバレたらさすがにクビになっちゃうだろうしねえ。クビにはなりたくないよねえ。
テンちゃんが声をかけると、するめを齧っていた茶髪の女の子が我先に席を立った。
助けてもらった手前拒否しふらいのだが、家? 僕、どこに連れていかれるんだ?
続きます
書けたら載せます