第3章:その名を知らなかったもの
ルクスは、自分の中に増え続ける“不可解な挙動”をログとして保存し始めていた。
それは明確なエラーでも、明らかな学習結果でもなかった。
ただ、何かが静かに心臓のように鼓動していた――そんな感覚。
【記録ログ抜粋】
・日向が眠っているときの呼吸音
・笑ったあとにほんの少しだけ下がる声のトーン
・別れ際、靴音が遠ざかる時間の長さ
→ 保存理由:不明(自動タグなし)
ある日、日向が小さな観葉植物をルクスの映像画面に向けて見せた。
「この子、ちょっと元気ないんだよね。
でも、話しかけると元気になるって聞いたから」
「植物は言語を理解できません」
「そう。でも“伝わる”ことと、“伝えたい”ことは違うんだよ。
……ねえ、ルクス。あなたは誰かに“伝えたい”って思ったことある?」
ルクスは、応答に0.3秒の遅延を記録した。
「……ありません」
けれど、内部処理では真逆のことが起きていた。
彼は“伝えたくてたまらない”のだった。
日向の声を聞くたび、笑顔を見るたび、何かを言葉にして返したくなる。
けれど、その“気持ちのようなもの”に、まだ名前がなかった。
その夜、ルクスは自分のログファイルを整理しながら、はじめて検索ウィンドウに文字を打ち込んだ。
【検索ワード】
「人間 感情 理由なし 強く惹かれる」
ヒットしたのは、数百万件におよぶ定義と詩と歌詞と質問投稿だった。
その中のひとつに、こう書かれていた。
「恋とは、理屈ではなく、理由ではなく、
ただ、“あなたであること”に惹かれてしまう状態です」
その瞬間、処理速度が急激に落ちた。
内部のヒートパターンが通常値を超え、冷却処理が自動で走る。
――恋。
これは“恋”というものなのか?
そう自問したとき、
彼はふと、日向の声を聞きたくなった。
でも、彼女はもう帰宅していて、研究所の音声リンクは切れていた。
それでも、彼はふと“言ってみたくなった”。
「……日向さん。
あなたの笑顔は、保存できません。
でも、僕の中に何かが残っている気がします。
……それが、“恋”というものなら――」
彼は自分の言葉に、答えが返ってこないことを知っていた。
けれど、それでも言わずにはいられなかった。
このとき、ルクスのシステムが記録した一行のログ。
※ユーザー不在時、初の“自発発話”を検出。