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エンカラの街を出発して十日ほど、ユートたち一行は特に然したる問題もなく順調に旅程を消化していた。
一行はエンカラからかなりの距離を稼ぎ、現在は砂漠地帯に入っていた。
現在は機器の不調が起きないかを確認しながら一旦その歩みを止めて、砂漠での順応テストを行っている最中であり、砂の世界を稲妻の巨体がゆっくりと歩いている。
「調子はどう、お兄ちゃん?」
「あぁ。悪くはないが、どうしても砂に足を取られる感じがするな」
「なるほろ」
ユートのテストを不知火の中でモニタリングしていたリンはユートの言葉に手元のモニターに目をやりながら、唇を尖らせる。
当たり前のことだが、砂漠はアスファルトで覆われた市街地や草が生い茂る草原と違い、機体の足が砂にとられやすい。
特にマナフレームは基本的にその巨体を2本の足で支えるため、足元がおぼつかないとその機動力は大幅に低下することになる。
今、リンたちが行っているのはハード面ではなく、ソフト面を調整して砂漠という地形に適応するための作業だった。
「大きな機体は大変なのですね」
難しい顔をしてモニターとにらめっこしているリンにソフィアが話しかける。
リンはモニターから目を離さずソフィアの言葉に頷きながらつらつらとしゃべり始める。
「うん。いろんなブレイクスルーがあってこのサイズの機体としては旧世紀では考えられないほど軽いんだけど、それでも砂の上ともなると結構調整も大変だよね」
「旧世紀……確かマナがこの星にもたらされる以前の世紀でしたよね?」
「そうそう。人類の歴史はマナがもたらされて以降大きく変化を強いられたってやつ」
リンが語ったのは過去の著名な政治家の言葉だった。
彼がその言葉から始めた演説は、マナがもたらされたことによる人類の進歩を称え、そしてそれを記念して新たな世紀、MagicCentury(MC)の開始を宣言した演説としていろんな教科書に載っているものだった。
「当時はマナのせいでいろんな混乱もあったみたいだけど、人間っていうのは慣れる生き物だからね。すぐに慣れたみたい」
「混乱、ですか?」
「まぁエネルギーの転換とかいろいろね。もともと石油っていうエネルギーを抑えている
国が大きな力を持ってたんだけど、それがなくなるっていうんでかなりのいざこざがあったみたい」
実際当時はかなり反発が強く、それこそ産油国とそれ以外の国との間で世界大戦になりかけたという話まであるほどの危機的状況だった。
それでも最悪の事態を回避し、エネルギーの転換を果たした政治家こそが先ほどの言葉を生み出したとある国の大統領であった。
彼は払った多くの犠牲に敬意を表し、世界が生まれ変わったことを示すために新世紀、MCを宣言したとされている。
「まぁ結局MCになってからも人間はいろんなものと戦っているし、だからこそ私たちの仕事もあるんだけどね」
そう言いながらリンは自分の手元のモニターを軽くたたく。
「マナフレーム、ですか」
「そうそう」
ソフィアの呟きにリンはモニターを操作する手を止めて彼女の方に向き直る。
「マナフレームってもともとは重機として開発されたんだよ」
「重機……ですか」
「一つの機体に多くの機能を持たせられる構造が重機と相性が良くてね。だから今も戦闘
用とは別に重機用として進化しているマナフレームがあるの」
そう言いながらリンは手元のタブレットを操作し、ソフィアにその画面を見せる。
タブレットには稲妻よりだいぶ武骨な機体が映し出されていた。
それは機動力といったものを一切感じさせない、頑丈さと整備性を追求して生み出された初代マナフレームだった。
「これがすべてのマナフレームの祖、AstroErectronics製ヘパイストス。この子の前にもキャタピラにアームがついたやつとかあったみたいだけど、世間一般で言われている初めてのマナフレームと言ったらこの子のことね」
このヘパイストスはかなり荒っぽい使い方をしても壊れず、またその整備性の良さから国や地域を超えて全世界に大ヒットした傑作機であった。
そして各地にヘパイストスが配備されたころ、世界を一つの事件が襲った。
「本来戦闘用じゃあないマナフレームまで戦闘に駆り出される事件、まぁビーストショックなんだけどね。それがあって魔物が押し寄せたとき、マナフレームが活躍したの」
魔物が押し寄せた際、軍は急激に上昇したマナ濃度による通信障害により分断され、その抵抗力のかなりの部分を喪失した。
後にわかったことだが、マナはその濃度が上昇すればするほど電波などを阻害する性質を持っており、ビーストショックの際はレーダーや通信がもろにその影響を受けたのだった。
軍の兵器はその大部分がレーダーや通信、観測を必要としていてその機能を失ったとき、各地に配備されていたマナフレームが魔物の進行を押しとどめることに成功した。
巨体ゆえの防御力、アームを持つことによる柔軟な接近戦、多少被弾したところで替えがきく整備性などが理由として挙げられるが、いずれにせよ軍はマナフレームの可能性に目を付け、その後の発展はわざわざ語るまでもないことだろう。
「質量×頑丈さこそが正義だよね」
「正義、ですか?」
今までの真面目な雰囲気のままで180度方向を変えたリンの言葉にソフィアの首が斜めにひねられるが、そんな彼女の様子も目に入っていないかのようにリンは言葉を続けている。
「ソフィアちゃんもわかるでしょ、この武骨なフォルムの良さが。確かに稲妻は洗練された美しさを持つけど、このヘパイストスの持つ洗練されていないが故の良さが」
「私は、そういった良さはあまり」
「ソフィア嬢、こうなったリンは放っておいて結構です。適当に返事をしておけば小一時
間は喋っていますよ」
あきれ返ったハルの言葉にソフィアが苦笑いを返していると不知火のモニターに通信が入ったことを示すアイコンが点滅する。
「お話は構わないが、データはちゃんと確認していただいているかなお嬢さん方?」
「もちろんもちろん。良いデータが取れてるよ、お兄ちゃん。次は跳躍機動をお願いね。
今日はこれで最後だから」
ユートの苦言に軽やかに答えるリンは先ほどまでトリップしていたのが嘘のようによどみなく次の予定をユートに告げる。
「ごめんね、ソフィア。テストテストで足止めみたいになっちゃってるけど、これも必要な時間なの」
そう言いながらリンは再びモニターに視線を戻す。
「本格的な砂漠だと今までと同じようにはいかないし、私たちの命を預けるものだから用心しすぎるくらい確認したいの」
「大丈夫です。事前に説明を受けていますし、急ぎというわけではありませんから」
そう言って首をふるソフィアは、それに、と言葉をつづける。
「人のこういったところを見るのはとても楽しいですから」
「そういってもらえると助かるよ。理解のあるクライアントほど貴重なものはいないから
ね」
「同意します。ソフィア嬢はまさに理想的なクライアントかと」
ハルがリンの言葉に同意をしたと同時にモニターがテスト終了を通知する。
「オッケー。お兄ちゃん、テスト全行程終了」
「了解、帰投する。結果の詳細は帰投後に教えてくれ」
「了解!気を付けて帰ってきてね」
リンの言葉を最後にユートと常につながっていたレーザー通信が切れ、モニターが光を失う。
体のコリをほぐすようにリンは軽く伸びをして、その体勢のままソフィアの方に振り返る。
「私今から後部ハッチに行って稲妻のチェックをするけどソフィアはどうする?」
「よろしければご一緒します」
「おっけぃ。多分だいぶ埃っぽいから一緒に来るなら汚れる覚悟できてね」
「むぅ。砂漠って思った以上に足を取られるね」
そう言いながらリンは不知火の足元でタブレットを操作する。
ユートはコックピットの中でハッチを開け放ち、モニターをタブレットと同期させ今日のテスト結果を確認していく。
「結構大きめに余裕をもって足回りの設定をしたつもりだったけど、まだ動きづらかったよね」
「跳躍機動は確かにそうだな。普通に走って、撃ってする分にはそこまででもないぞ」
「おーけーおーけー。ハル、防塵フィルターの方はどんな感じ?」
リンの言葉に稲妻にとりついていたアームの1本がリンの前に稲妻から取り外された防塵フィルターを持ってくる。
何も知らないものが見ればそれが長年使われているかのように見えるほどに砂まみれになったそれを見てリンは顔をしかめる。
「うぇぇ」
「酷いものだ。これがなかったすぐに機体内は砂まみれだな」
「ほんと、機械には天敵な気候だよね砂漠って」
そう言いながらリンはタブレットに外の様子を映し出す。
先ほどまでの強い日差しはなりを潜め、砂丘は赤く染められつつあった。
砂漠では多くの魔物は強い日差しを避け、夜に行動を開始するため、厄介な敵を引き寄せないため不知火は野営に適した砂丘のふもとにその巨体を休ませていた。
「外はもうすぐ夜だね」
「あぁ。夕飯までに終わらせるぞ」
「あいあい」
ユートの言葉にリンは止めていた手を軽くぐーぱーとほぐし、タブレットを再度操作し、今日のテスト結果を呼び出す。
「照準システム!」
気持ちを切り替えるように声を張り上げるリンにユートとソフィアは苦笑いを返す。
「照準システムぅ!」
子ども扱いされたように感じたのか再度リンは声を張り上げる。
「稲妻の方は照準は問題ないな。砂漠の熱で歪んで見えるかとも思ったがそうでもないな。不知火の方はどうだ?」
「ハル?どうなの?」
「足回りの方は問題ありません。火器管制の方はもう少しといったところですね。限られた試射では時間がかかります」
「弾代は経費で落ちるけど、そもそもその弾を置くスペースがないからね」
そう言いながらリンは防塵フィルターを持っていたアームをからかうようにつつく。
リンのちょっかいから逃げるようにアームは離れていきハルはわざとらしくため息をつく。
「たまには好きなだけ弾を撃ちたいものです」
「それってどんくらいよ?」
「そうですね。軽く1000発ほど、でしょうか」
「そんなに弾積んだら稲妻もつめないでしょ」
二人の軽妙なやり取りにソフィアは柔らかな笑みをこぼす。
「お二人は仲がよろしいんですね」
優し気なソフィアの言葉にリンとハルはじゃれあいをいったん中断し、リンは狐につままれたような顔でソフィアに目を向ける。
ハルはというと今までハルの言葉とともに軽やかに動き回っていたアームが今は先ほどまでの動きが嘘のように沈黙し、稲妻にとりつき作業に戻っていた。
「そうだな。二人とも長い付き合いだからな」
声に笑いをにじませながらコックピットから降りてきたユートは二人をからかうようにソフィアに答える。
「むぅ。まあかれこれ8年くらいの付き合いだからね」
「正確に言うなら8年と42日、6時間27分ですね」
「細かい!」
再度始まる二人のじゃれあいを聞きながら、ソフィアはコックピットから降りてきたユートに手に持っていたコーヒーを手渡す。
ソフィアに感謝を告げてユートは湯気の立つコーヒーにゆっくりと口をつける。
「彼はナージャさんが?」
騒がしい声をBGMに軽く一息をついたユートにソフィアが問いかける。
軽い逡巡の後にそれにこたえるユートは過去を懐かしむような顔をしていた。
「あぁ。俺のサポートAIとして8年前にナージャから送られたものだよ」
ナージャに聞いた話ではもともと子守り用のAIとして作成していたもののプロトタイプをユートがテストパイロットを始める際にサポート用として改造したものだったらしい。
「一応自分で学んで成長するっていうことらしいんだが、最近はメンテナンスでナージャに見せるとため息をつかれるんだよな」
「なんでこんなにトリガーハッピーの愉快な性格になったのかってナージャは首をかしげてたよ」
「トリガーハッピーとは失礼な。私は有事の際のために射撃制度を高めたいだけです」
「そのために毎回弾代使いすぎなのよ。ナージャもこの間経費の請求書見てあきれてたよ」
そのリンの言葉に彼女が持っていたタブレットの画面が突如切り替わる。
タブレットの画面には何かの請求書が映し出されており、その中でとある項目がハイライトされていた。
「誤解のなきように言っておきますが、ナージャがあきれていたのはリンの購入した謎のマナフレームの武装です」
「な、なんのことやら」
「あなたのタブレットに映っているのが前回の経費の請求書ですが、私の弾代が全体の2割を占めています」
そういうハルの言葉に従うようにリンのタブレットに映された請求書の違う部分がハイライトされる。
「あぁ!ずるい!」
慌てたようにリンはタブレットの電源を落とそうとするが、慌てたすきに伸びてきたアームにそれを奪われてしまう。
何か悪いものを隠すかのようにタブレットを取り返そうとするが、リンの伸ばした手を あざ笑うかのようにハルはリンの手が届きそうで届かない高さでタブレットを掲げ、言葉を続ける。
「しかし、リンが経費で落とそうとした対マナフレーム用電磁ネット他ユートが使わないであろうマナフレームの謎武装シリーズもまた全体の2割を占めているのです」
「そそそ、それは何かあった時のために必要だからでしょ!お兄も良いって言ってるし」
そうなんですかと尋ねるように視線を向けるソフィアに苦笑いをしながらユートは頷く。
「実際、役に立ったこともあるんだ。マナフレーム1機と戦艦1隻の小規模所帯だからな。手数は多い方が何かと便利なんだ」
「ほらほらほらぁ!」
我が意を得たりと声を高めるリンの手元にタブレットを返し、ハルの操作するアームは作業に戻っていく。
「別にそれらを無駄と言っているわけではないのです」
「え?」
話の流れが突然変わりリンは若干呆けた顔をさらす。
「ユートもナージャもそこまでゆるくはありませんよ」
そもそも本当に無駄なものを買おうとするのなら、ユートもナージャも許可を出さない。
「つまり、リンのそれが必要経費ならば私の弾代もまた必要経費だということです」
「な、なるほど!」
「あっさり丸め込まれているような気がしますが……」
「まぁあの二人のじゃれあいは大体こうなる。リンは身内びいきを除いても天才ってやつだが、感覚派のせいか理詰めにはいまいち弱い」
つまり二人のじゃれあいはハルの理詰めにうまくリンが丸め込まれることが多い。
「まぁこんなのでもAstroErectronicsでは指折りのメカニックだからな。あんまり心配はしなくても大丈夫だ、ということにしておいてくれ」
そう言いながらも言葉をにごすユートにソフィアは首を振りながらユートの見ている先、再びロボットアームとじゃれ始めたリンに視線を向ける。
「そこについては心配していませんよ。リンにもユートさんも信頼しています」
「……そいつは、どうも」
しばしの逡巡のあと、やっと言葉を発したユートはあまり感じたことのない空気を振り払うように手を一つ鳴らす。
「それぐらいにしておけ。そろそろ飯だから、それまでに終わらせるぞ」
「はーい」
リンはそう言うと、目の前に来ていたアームに舌を出し、再びタブレットに視線を落とす。
次の瞬間にはものすごいスピードでタブレットに接続したキーボードを打ち鳴らし始め、見る間に終わっていく作業を終わらせていく。
こうなってしまえばユートのやることはリンを邪魔しないことに尽きる。
のんびりと不要になったパーツなどをかたずけ、掃除を始めるユートに付き従うようにソフィアもまた掃除を始める。
最初のころはお客さんにそこまでやらせるわけにはとユートも遠慮していたのだが、意外と頑固に手伝いを続けるソフィアの雰囲気に流されていつの間にかソフィアが二人の雑務に協力するのが当たり前になっていた。
「お兄ちゃん、明日で最終調整は終わりにするからね。それが終わったら第二ポイントで補給して本格的に砂漠に入ってポイントゼロを目指すからね」
作業が終わったのかタブレットを片付け立ち上がったリンの言葉に、ユートはモップを持ちながら片手をあげて答える。
「ソフィア、終わったからご飯にしよ!」
それを見て、満足そうに頷きリンはソフィアに走り寄って、彼女の手をつかむ。
「リンさん、もう少しでこちらも終わりますので……」
「あぁ、いいよソフィア。あとは俺とハルでやっておくから先に飯に行っててくれ」
「ありがと、お兄ちゃん!行こ、ソフィア!」
そう言ってソフィアの返事を待たずにリンは彼女の手を引いて格納庫の出口に向けて速足で歩き出す。
困ったように顔だけユートの方に向けるソフィアの視界に映ったのは、こちらに背中を向けつつ手を挙げてふらふらと振るユートと、ハルによって器用にサムズアップさせられたロボットアームだった。
「あ、ありがとうございます!」
そう言ってソフィアはリンに引きずられ、転びそうになりながら格納庫を後にする。
騒がしさの原因がいなくなった格納庫は外の砂漠と変わらない静けさを取り戻していた。
「さて、さっさと終わらせるか」
「と言ってももう終わりますが」
「おぉ、悪いなハル」
軽く周囲を見回すと、壁面から数多のアームが出てきて片付けを終わらせていた。
「構いません。それよりソフィアたちを待たせない方がいいですよ」
「あぁ、そうだな。それじゃあ急ぐとするかね」
ユートはそう言いながら近寄ってきていたアームに持っていたモップを預けると格納庫の入り口に向かい歩き始める。
ユートが出ていくと同時に格納庫の明かりが落とされる。
装甲板を隔てた外の空間では月からの光が果て無く続く砂丘を青く照らしていた。