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衝撃の告白からしばらく経った後、不知火の船内は思いのほか静かだった。
ユート曰く、地球圏で最大規模を誇るAstroErectronicsが影も形も掴めないような技術を持っている時点で地球圏の人間かどうかを疑っていたし、そもそも金冠レベルのVIPってことだから今さら宇宙人と名乗られてもそこまで衝撃はないとの言葉に拍子抜けしたようにソフィアは苦笑いを浮かべる。
一方でリンは目を輝かせてソフィアに詰め寄ろうとしたが、突如割り込んできたハルの声がリンを押しとどめる。
「間もなくポイントゼロに到着します。付近には小型の魔物の気配はあれど、こちらに近づいてくる様子はありません」
「良いか、ソフィア嬢?」
「はい。お願いします」
ソフィアの了承を受け、不知火はゆっくりとポイントゼロの中心部。
ソフィアの指定した地点へと近づいていく。
辺りは静謐を保っており、風さえもあまり吹いていない。
「目標地点、到達」
ハルの声とともに不知火がゆっくりと止まる。
乾いた音が砂漠に響き、不知火のサイドハッチが開く。
一歩一歩足元を確かめるようにユートを先頭にソフィアとリンがそれに続いて不知火から降りてくる。
「ここ、か?やはり資料通り何も見当たらないが」
そう言ってユートは辺りを見回すが、ガラス状に溶けた砂漠の砂に覆われた付近一帯には特に何かがあるようには見えなかった。
「リンさん、いかがですか?」
「え?」
ソフィアにそう問いかけられ、そっと肩を押されたリンには目には見えないが確かにそこに何かがいることを感じ取っていた。
ぼんやりとリンの上着の右ポケットが淡く光る。
そこにはソフィアから預かりっぱなしになっていた小さな宝石が青く光を灯していた。
『星の魔女』
突然辺りに電子音声が響く。
驚いた様子を見せるユートたちとは対照的にソフィアは柔らかい笑みを浮かべる。
「お久しぶりです、マザー。私のことがわかりますか?」
『ソフィア様……ご無事でいらっしゃったのですね』
その言葉とともにユートたちの前に突然直径1メートルほどの球体が現れ、ふわりと浮かび上がる。
金属とも陶器とも判断が着かないような材質のそれはその見た目に反して重力などないかのような動きを見せている。
「長い間、ご苦労さまでした。故郷を離れ、遠く宇宙の彼方でのあなたの仕事ぶりに敬意を表します」
『そのように言って下さるんですね』
何か後ろめたいことがあるかのようにマザーは独り言ちる。
と同時にポイントゼロ全体の空気が青く色づき始める。
『あの日、逃げろという意思に飲まれ、滅びゆく星を見捨てて逃げ出した私に』
それは告解だった。
マナの宿ったAIという特異な存在だけが持ちえた感情。
その発露。
マザーの言葉とともにリンはもちろんユートにまで砕かれていく星の最後が、生命の叫びが叩きつけられる。
『あの滅びをもたらした物の恐ろしさを知りながらもそれを抹消することが出来なかった私に』
長い間一人だったAIは自身が収集した技術を、兵器を恐れた。
その恐ろしさを知りながらも情報の収集を第一とする本能とも言えるプログラムによりそれを消すことが出来ずにいた。
その苦悩。
『友として出会えるはずだったこの星の人々を見殺しにしてしまったこの私に』
いずれ、それこそ時間はかかっただろうがアストラの人々が地球を訪れる可能性だって大いにあった。
地球へと着陸する際にマザーのAIに宿る星を失った意思は地球をアストラに近づけようとマザーの管理機能にハッキングしてWISHを地球へとばら蒔いた。
そして多くの地球の人々がWISHの影響で生み出された魔物によって殺されてしまった。
ただ見ているだけしか出来なかった後悔。
マザーはまだ暴走していたのかもしれない。
もしくは暴走するように仕向けられたか。
星の意思を受けてから遥かに長い時が過ぎ、星のマナの力も全盛期とは比べるべくもないが、それでも数人ならば吹き飛ばせるくらいのマナがポイントゼロ周辺に集まり始める。
次第に光を増していく周囲の様子にしかし一切焦った表情を見せず、ソフィアは微笑む。
その彼女の視線の先には、瞳に涙を湛えたリンの姿があった。
「あのね!」
リンの一声で渦巻いていたマナの流れが落ち着き、静けさをもたらす。
錯乱するようにその球体を回転させていたマザーにも声が届いたのか、カメラ部分と思われる場所を声の発生源であるリンに向ける。
「私だって、逃げたりすることもあるよ。自分の好奇心を優先して失敗することだってある。調整を失敗してお兄に怪我させたことだって数えきれない」
それでも、とリンは叫ぶ。
「お兄だってナージャだって怒る事はあるけど、それ以上に褒めてくれた。だから私はこれでいいんだって、こうやって生きていくんだって思えた」
リンは珍しく本気で怒っていた。
マザーが自分を責め続けなければいけないという事実に納得が行かないから。
そういう風に細工をした奴が気に食わないから。
「あなたのやってきた事だってちゃんとした仕事だったんでしょ?長い間、故郷から遠く離れた砂漠の中で一人情報を、技術を守ってきて、それなのに誰にも褒められないで自分を責め続けなきゃいけないなんて、あんまりだよ!」
彼女の眼にはマザーを取り巻く何かのマナ回路が映っている。
それはつい最近見たような濁った青。
「だからね、ありがとう!地球に来てくれて、マナを持ってきてくれてありがとう!あなたのおかげで私は楽しく過ごせてる。ソフィアとも会って友達になれた。ほかの誰が何を言おうと私はあなたに感謝してる!」
ふわり、と蒼の風が吹いた。
その風はマザーを撫でるように通り抜けると空へと消えていく。
それと同時にリンも力が抜けたように尻もちをつきそうになり、いつの間にか近くに来ていたユートに支えられる。
「目が覚めましたか、マザー?」
『これは、そうか。あの方が……』
ソフィアの言葉にマザーは何かに気づいた様子を見せる。
そんなマザーを両手で掲げるように持ちソフィアは言葉を、感謝を紡ぐ。
「私も何度だって言いましょう。アストラを代表してあなたに、その長きに渡るあなたの献身に心から敬意を表します。ありがとう、マザー」
「……光栄です、ソフィア様。そして星の魔女殿、あなたがいたから私は救われました。ありがとう」
その言葉を最後にソフィアの手が重みを感じ始める。
周囲のマナも風と共に辺りに散っていっているように見える。
「ソフィア?マザーは!?」
リンの言葉に答えず、ソフィアはゆっくりとマザーを地面に下ろす。
その表情はリンの方からでは陰になってしまい伺いしれない。
『あの日から、整備も補給もなく200年近くが過ぎ、星のマナで持たせているような状態だったがそれも終わりが近かった。完全に停止する前に君たちに出会えて、本当に良かった』
完全にマザーはその体を地面に横たえる。
マザーを覆っていたマナも何かから解放されるかのように空へと、宇宙へと還っていく。
リンもユートもソフィアでさえも一言も発さずにマザーの言葉に耳を傾ける。
『ありがとう地球の子たち。ありがとう星の魔女殿』
そして最後にマザーはソフィアにだけ聞こえるようにささやく。
『お気を付けくださいソフィア様。あの方が私の中の一部を持っていかれました。あの方はまだ諦めていらっしゃらないよう……で、す……』
その言葉を最後にマザーは役目を終える。
もう動かないその機体には晴れているはずの空から雨が一滴、降り注いだ。
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それからしばらく後、行きの行程とは全く別物のように帰り道は順調に進んでいた。
しばらくは沈んだ様子だったリンやソフィアも数日すると調子を戻したようで、今では 仲良く不知火のライブラリーを見ながらはしゃいでいる。
帰りの行程も6割を消化したある日の昼下がり、ユートは思い出したかのようにソフィ アにの方に身体を向ける。
「ソフィア嬢、今いいか?」
「はい。どうしました?」
不思議そうに首をかしげるソフィアに申し訳なさそうにユートは「聞きたいことがある」と言って先延ばしにしていた質問を持ち出す。
ユートの真面目な表情にソフィアも姿勢を正してユートの方を向く。
「……あのセルペンスって奴もソフィアと同じアストラ人ってことで良いんだよな?」
「……はい」
「あいつの言う技術の果てっていうのはなんのことだかわかるか?あいつの求めるものっ
ていうのは何かわかるか?」
ユートたちの脳裏によみがえるのは最後のセルペンスの言葉だった。
『技術の、進化の果てを見せてください。その先にこそ私の求めるものはあるのです』
そう言っていた彼は間違いなくユートたちに目を付けており、このままならこの先何度も向こうから寄ってくることになるだろう。
「正直な話、技術の進化の果てが何をさしているかはわかりません。ただ彼が、兄が求めているものは何となくですが察しがつきます」
「兄ぃ!?あの人ってソフィのお兄ちゃんなの!?」
「あ、はい。言っていませんでしたか?」
「聞いてない!」
突然のカミングアウトに不知火の中の一部(一人)だけが騒がしくなる。
言葉のエンジンをフルスロットルで回そうとするリンの頭を掴み押さえつけることで黙らせながらユートはソフィアに続きを求める。
「私の両親は私が幼いころに別れており、兄は母に引き取られ、私は父に引き取られたのですが、母はしばらくして推進派と抑止派の戦いに巻き込まれて亡くなりました。その時に兄も行方がわからなくなっていたのです」
「ソフィ……」
「もう、何年も前の事ですから。その後兄は推進派に引き取られていたらしく、それがわ
かった時には彼はもう兵器開発者として名を馳せていました」
そう言いながらソフィアは手を固く握りしめられるが、その手をリンは優しく包み無理はしないでとソフィアに伝える。
「母を殺された復讐と言ってももう相手はいません。だから兄が望む事で今の技術では不可能なことなんてもう死者蘇生か過去に戻るくらいしかないと思うのです」
「いずれは時を超えて行けるかもしれない、か」
リンを見て、狂喜していたセルペンスは確かにそう言っていた。
ならば奴が目指す先。
技術の、進化の果てとは、そういうことだろうか。
「決めつけは良くないが、来るとわかってて対策しないのもな。ありがとう、ソフィア嬢。つらいことをよく話してくれた」
「気にしないでください。もとはと言えば身内の不祥事みたいな物ですし。先ほども言ったようにだいぶ前の事ですから」
頭を下げるユートに困ったように笑いながらソフィアは首を振る。
引き締まっていた空気がわずかに緩んだ時を狙いすましたかのようにリンがカットインしてくる。
「そういえばさ、結局星の魔女って何なの?私のこと?」
そのリンの問いにソフィアはさらに困ったように微笑む。
「正直、これは迷信のような物なのですが、それでもよろしいですか?」
「いーよ!」
「星の魔女とは、星が選んだ代弁者とでも言いましょうか」
大仰な言葉にリンだけでなくユートやハルまでソフィアの方を向き始める。
「マナが満ちる星では時々マナとの親和性が常人の数百倍とも言える人物が生まれてくるそうなのです。今までの記録では全員が女性であり、彼らは星と人をつなぐ存在だったと言われています」
「シャーマン的なことか?」
「その認識であっていると思います。ですが実際に星と交信できるかはわかりません」
「だそうだが、どうだリン?何か聞こえるか?」
ユートのからかい交じりの言葉にリンは頬を膨らませながら首を振る。
「ま、私は私ってことでしょ。ね、ソフィ?」
「そうですね。それでいいと思いますよ」
そう言って笑いあうリンとソフィア。
それを見守るユートとハル。
短いようで長かった旅も間もなく終わる。
「じゃあさ、ソフィも一緒に旅しようよ!そしたらあの黒づくめシルクハットマンにも会えるだろうし、この星のことも知れるだろうし一石二鳥。ううん私も嬉しいから一石三鳥でしょ」
「それは、でも迷惑では?」
「あー。まあ諦めた方がいいかもな。リンもそうだがナージャもソフィア嬢を簡単には離
してくれないと思うぞ」
「諦めて楽しむ方が精神衛生上気楽なものですよ」
ユートとハルの言葉に苦笑を浮かべながらもソフィアはリンに向かい軽く頭を下げる。
「それでは今しばらくお邪魔してもよろしいですか?」
不知火の船内は喜びと歓迎の声で埋め尽くされる。
この次の旅を語るのはまた次の機会になるだろう。
からりと晴れた砂漠には不知火の轍が刻まれ、そして風がそれを吹き消していく。
今日もまた世界は回っていく。
回り続けていく。
第一部完。
お付き合いいただきありがとうございました。
続きは、まぁ反響次第ということで。