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「ハル、機関最大。最速でお兄のとこに!」
ユートとの通信が途切れた瞬間、リンは声を張り上げる。
ヘッドセットを身に着け、周囲の状況と稲妻の状況をモニターに映し出す。
刻一刻と悪化する状況に状況を確認するリンの表情がかつてないほどに険しくなっていく。
唸りをあげる風に揺さぶられる不知火の車体がマナホールの影響が不知火に近づいていることを示している。
それほど経たないうちにマナホールに飲み込まれることは間違いない。
しかし不知火はリンの言葉に従うでもなく、さりとてマナホールから離れることもなく一向に動く気配を見せない。
「ハル、何してるの!早く!」
リンが再度そう叫ぶも不知火の機関部は変わらず最低限のアイドリング状態からその出力を上げようとしない。
「ハル!」
喉が引きちぎれるような叫びにもハルは何も返さず、それどころか不知火は緩やかにマナホールから離れ始める。
「何してんの!逆だよ!離れちゃだめだよ!」
慌てて手元の端末を操作するも、制御系はロックされておりハルからの操作以外は受け付けようとしない。
「これ以上ここに留まれば不知火もマナホールの影響に巻き込まれます」
「それが何!お兄もソフィアも危ないんだよ。このままじゃ二人が死ぬかもしれないんだよ!」
リンの言葉はコックピットにむなしく響く。
リンの言葉に何も返さずハルは不知火をマナホールから離れさせていく。
いつしか叫び続けたリンの声は枯れ、瞳からは涙が零れ落ちる。
それでもハルが応じないとわかるや否や足をもつれさせながら席から立ちあがり、コックピットブロックから出ようとする。
「リン、ユートから権限の委譲を受けている。彼のラストオーダーはあなたの安全を最優先に、だ」
「うるさい、うるさい、うるさい!私の安全なんて……お兄がいなきゃ、意味なんかない!」
そう言いながらリンはコックピットブロックの扉をたたき始める。
「たった一人の、残された家族なの!なんでもいいから!早くお兄のとこに!」
何度そう叫んだところで、ハルはユートの命令を遵守するために不知火の足を止めることはない。
いくらリンに恨まれようと、彼女まで失わないために。
ハルの電子回路に焼き付くような信号が流れても、それを押さえつけて彼はマナホールから距離を取っていく。
扉をたたき続けるリンの手は赤く腫れあがり、それでも彼女は痛みを感じていないかのように扉をたたき続ける。
リンの声はやがて力を失い、扉に縋りつくように床に座り込む。
「……うあぁぁあぁ!」
静まり返った室内に慟哭が響く。
「いやだぁ……置いていかないで、お兄」
外の様子とは裏腹に静寂を保つコックピットブロックの中ですすり泣きとともにリンのかすれ声が響く。
大して時間がたったわけではなかったが、必死の扉を叩き続けたリンの体はぼろぼろになっていた。
顔は涙ぐしゃぐしゃになり、手からは血がにじむ。
扉にうつむいた頭が力なく寄りかかり彼女の体を支えていた。
ハルでさえも見たことがないほど憔悴したリンはしかし扉に縋りつくように手を伸ばす。
ふいに不知火が大きく揺れる。
地面の凹凸を超えたのか不知火が揺れたことによりリンの手が倒れかけた体を支えるためにとっさに床をとらえる。
「っつ!」
リンが顔をしかめたのは傷ついた手に体重がかかったからだけではなかった。
緩慢に顔をあげたリンの視界にはソフィアが不知火を離れるときにリンに手渡した宝石が映っていた。
周囲のマナの濃度が高まっている影響なのかうっすらと青い光をまとうそれをリンは導かれるように手に取る。
「ソフィ……」
不知火を離れたときのソフィアの顔がリンの脳裏に過る。
リンの言葉に反応するように青い光が輝きを増しリンの視界を焼いていく。
何か確信があったわけではない。
しかしリンはゆっくりと体を起こし、輝くそれを痛々しい両手で掲げる。
宝石が光を増していくとともに、先ほどまで感情という濁流で濁り切っていたリンの頭の中が澄み渡っていく。
生まれたときから知っていたかのようにどうすればいいのかがわかる。
「リン?どうした?」
先程まで慟哭していた少女の静まり返った様子にハルは思わず声をかける。
「……マナの」
その声にも気づかない様子でリンは幽鬼のように立ち上がる。
彼女が弱弱しくかすれた声で言葉を紡ぐごとに宝石から漏れ出た光がリンのもとに集まり始める。
「マナの本質が、願いなら……」
リンはそう言って宝石を胸の前に両手で包むように握る。
その姿は何かにとりつかれたかのように普段の彼女とは異なっていた。
視線はコックピットブロックの天井を超えて遥か空を見上げている。
「WITCHがマナに感応した人類の進歩だというなら!」
そうあって欲しい、という願いを込めて高らかにリンは宣言する。
リンの言葉が力を取り戻すごとにその手の平の青い光は徐々に強さを増していく。
「やって見せてよ!」
その言葉をトリガーに光が爆発的にあふれ出し、コックピットを、そして不知火を覆い、空へと伸びていく。
その高く高く伸びる光は離れつつあったユートの位置からでも十分に見えるものだった。