15
あの日以降、ユートたちの旅に邪魔が入ることはなく、順調に進んでいた。
最後の様子から再び姿を現すかと思われたマイケルが現れることはなく、彼らはついにポイントゼロ観測拠点でもあり、ポイントゼロから最も近い人類拠点のウリトーに入り、 最後の補給を行っていた。
リンとハルは補給物資の確認とともに何か用事があるらしく不知火に引きこもっており、ソフィアはリンに付き添っている。
ユートはというと、最後の補給ポイントということもあり気分転換もかねて、ウリトーの居住区域を当てもなく歩いていた。
ポイントゼロ対策の前線基地拠点とはいえ慰安目的で街中には大手チェーンの喫茶店や 軽食屋が設置されており、ユートはそんな喫茶店の一店舗にふらりと立ち寄り、遅めの朝食としてホットドックにコーヒーのセットを頼む。
幸い中途半端な時間だったからか席には空白が目立ち、ユートはその中の窓際の席に座り、コーヒーを一口すするように飲み始める。
ビーストショック以降、こうした嗜好品は地球上の生産拠点を失い、天然物だととんでもない値段がついたりする。
ユートがすするコーヒーは宇宙空間で促成栽培されたもので養殖品とも呼ばれている。
分かる人間に言わせると、味も香りも天然物と比べると二流らしいが、そこまで高尚な舌を持たないユートはこれで十分に満足していた。
「失礼」
コーヒーをすすりながらぼんやりと外を見ていたユートの視線を遮るように、向かいの席に人が座る。
「……どちら様で?」
そう言いながらユートはすぐにでも動き出せるようにごく自然に体勢を整える。
右手はそれとなく拳銃を吊っている右腰の近くに置き、相手がどんな動きをしても対応できるように視線は広く男の全身をとらえるようにする。
男から受ける印象は黒一色。
いわゆるフォーマルと呼ばれるような真っ黒なスーツに身を固め、頭には今時映像記録の中でしか見ないようなシルクハットをかぶっている。
一見すると優男という言葉が似あうその男は人好きのする笑顔を張り付けユートの対面の席でゆっくりと足を組んでいる。
「初めまして、猟犬殿」
その言葉でユートは男に対する警戒度をもう一段上にあげた。
少なくともAstroErectronicsの猟犬という名はそれなりに有名でも、その素顔まではそれなりの人間でなければ知りえないことだし、そんな人物ならばユート自身とも面識があることがほとんどだった。
「悪いが連れが来る予定でね。あっちの空席にどうぞ」
「あぁ、すいません。長くはかかりません。ただ、かの有名な猟犬殿にお会いしたので少
し話をしておきたかったのです」
男の言葉とともにかすかに鈍い金属音がユートの耳に届く。
「ウェイター、彼をあちらの席に案内してくれないか?」
そう言って、ユートが声をかけたウェイターは、しかしユートの声など何も聞こえていないかのように二人の座るテーブルの横を通りすぎる。
どころか今まであった喧騒が消えていた。
まるでユートと男だけがあたりから取り残されているかのような静けさに包まれていた。
あまりにありえない事態に対面に座る男が何かしたとあたりを付ける。
「……何をした?」
「あなたとのお話を邪魔されたくなくて少々仕掛けを」
そう言いながら男はテーブルに小さな正方形の機械を置く。
「この機械であなたと私の声の波形と逆の位相の波形を出して声を外に漏れないようにし ているのです。さらにこう言っては何ですが私は、まぁ目立つのであまり人からは認識されないようにしているのですが、その効果をあなたにも広げたというわけです」
「ずいぶんと親切に説明してくれるものだな」
男はユートの疑問に帽子を取り、恥ずかしがるように帽子で顔の半分を隠す。
「いや失礼。なにぶん技術者の端くれでして、技術のこととなると喋りたくてしょうがない性質なのです」
まるで照れ隠しのようなしぐさをして男は語るが、その語った技術はもはやSFレベルだった。
少なくともユートの知る限りノイズキャンセリングという技術はあるが、開けた空間で特定の声だけ、しかも範囲外にだけ聞こえなくするという技術は聞いたこともないし、ある特定の人だけは認識できて、その他の人から認識されなくなるなんてものは魔法でもなければありえない。
「聞いたかぎりじゃまるでSFだな」
「SF?あぁScienceFictionですか、なるほど。確かに地球には人の想像できることは実現
可能だという言葉もありますね」
自分で勝手に納得し、男はさらに言葉を続ける。
「猟犬殿、これが、技術の進歩です」
そう言って男は机の上に置いた箱型の装置を指差す。
今聞いたことが本当ならば、男の持つ技術は地球圏のトップクラスであるAstroErectronicsさえも超越しているようにも聞こえる。
男の示すそれは、今の技術の進歩の先に待つものということだろうか。
訝しげに眉を顰めるユートを気にも留めず男は語り続ける。
「技術は常に進歩しなければならない。もちろん失われる技術というものもあるのでしょうが、それでも人は、技術は常に前に進み続ける。進み続けなければならない」
瞬間、男の纏う空気が変わる。
先ほどまでの技術説明に目を輝かせる男はそこにはおらず、どこか少なくともここではない遠くを見るような男はユートが話を聞いているかどうかなど気にもしていないように話続ける。
「歩みを止めた瞬間、技術は……人は腐っていきます。水が淀むように」
「……何が言いたい」
「あなたはどう思いますか?技術の進歩に携わる者として。進むことをやめること、進みを遮ることは人という種に対しての大罪だとは思いませんか?」
そう言って男は感情を読ませない目でユートをとらえる。
直観的にユートはこの男も技術者なのだろうと感じた。
リンやナージャを見てきたユートにとってはこの人の話を聞かずに自分の話したいことを好き勝手に話し続ける人種というのは見慣れたものだった。
そしてこういった人間は自分が満足するまで話し相手を放そうとしないということも把握していた。
わずかな思考の後にユートはゆっくりと口を開く。
「……俺は技術者ではないが、だからこそ、それらにはある程度手綱を引く必要があるとも感じるがな」
そう言いながらユートは一度研究を始めると全く制御の聞かなくなるリンを思い出す。
こと研究については異常と言えるほどに集中力を発揮する彼女は、ある程度外部で手綱を引かないとすぐに栄養失調などで倒れるだろう。
実際に何度かそういったことがあり、ハルも以前は少女のプライバシーを気にしていたが、最近はそういったものは投げ捨ててリンを監視しているようだった。
「あんたの言う通り、人も技術も似たようなもんだ。そして行き過ぎた物はいずれどこか
に歪みを作る。歪みは結果的に全体を壊してしまう。……釈迦に説法だったかな」
「……なるほど。わからなくもない意見だ」
ユートの言葉に一定の理解を見せ軽く男は頷く。
「でもこんな言葉を知っていますか?」
そう言って男はいつの間にか手元に置かれたカップを手に取り、口を湿らせる。
明らかにこの店の雰囲気とは違った様式のティーカップはその中にコーヒーらしき液体を揺らしながら惑わすように湯気を立てる。
「科学に犠牲はつきもの。失敗は成功の母。歴史を作ってきた多くの者は成功の陰に多くの失敗をしています。彼らは失敗を糧として成功につなげてきた。つまり失敗して、壊れたっていいんです。すべてが成功の礎です」
「それは、程度によるだろう。自分の手に負える範囲ならいいが、そうじゃない取り返しのつかないことだってあるだろう」
ユートのもっともな指摘に、男は何かを思い出すように視線を揺らし、そして次の瞬間口が裂けたのではないかという笑みを浮かべる。
「……あぁ。ご両親のことですか?」
得心が言ったように男がつぶやいた次の瞬間、男の眉間にはユートの抜き放った拳銃が突き付けられていた。
「何を知っている?」
先ほどまでの休養中の雰囲気ではないユートの詰問にも男はさして気にする様子もない。
「マナによる人類の可能性の追求。素晴らしいテーマだ。ましてや多少のトラブルはあったにせよ彼らは一つの到達点に達している」
その瞬間、男の深淵を思わせる目と目が合い、ユートの脳裏に青い光が輝く。
忘れたくても忘れられない、あの日見た光だ。
つないだ小さな手。あたたかな両親の声。暗転。閃光。叫び。
次々に過去がフラッシュバックして、少しばかりよろける。
「失礼。もう時間のようです」
暇を告げる声に顔を上げると、男はすでに席を立ち、出口に向かって歩き始めていた。
「お前は……なんだ?」
「セルペンス。そう呼んでください」
いまだに揺れる視界に男をとらえて絞り出すようにだしたユートの問いに男、セルペンスはそう答え、かぶっていたシルクハットを軽く上げ、そのまま雑踏の中に消えていく。
「技術の、進化の果てを私に見せてください、猟犬」
セルペンスが見えなくなった瞬間、声が響き、直後ユートの周りに音が返ってくる。
しばらくセルペンスが立ち去った方向を呆然と見送り、ユートは我に返る。
すぐに耳に手を当て、ヘッドセットでこちらをモニターしているはずのハルに呼びかける。
「ハル?」
「どうしました、ユート?何かトラブルでも?」
ユートの問いかけにこちらを常にモニターしていたであろうハルは時を置かずに応答する。
まるで今ユートの目の前で起きたことがわからない、とでもいう風に。
「……今の会話が聞こえていなかったのか?」
「会話?こちらのモニター上では一人で昼食をとっていたようでしたが?」
「何?」
常にユートの動きをモニターしているハルの答えに、ユートは言葉を失う。
まるでおとぎ話に出てくるような、それこそ魔法とも言えることが実際に起こっていた。
目の前にいユートだけならまだしも、ヘッドセット越しのハルまで誤魔化しているともなればまさに魔法だ。
「発達した科学は魔法と区別がつかない、か」
「クラークですか?」
ユートが思わずこぼしたそれは旧世紀のSF作家が残した法則のうちの一つだった。
まさに魔法と言ってもいいような不思議体験をしたわけだが、それでもこれはセルペンスの言い方からすると技術の進歩の先にあるものなのかもしれない。
セルペンスはどういう立場なのかはわからないが、出会ったタイミングからいえば今回の任務に絡んでくることはほぼ間違いないだろう。
突如現れた大きな障害の存在にため息をつきながらユートはゆっくりと歩き始める。
「補給は?」
「8割方完了しています。あとはキャプテンの病院の予約を」
「病院?」
「少々お疲れのようですので」
ひとりでコーヒーを飲んでいて突然会話どうこうと言ってくるのは確かにユートが同じことをされても病院を勧めるかもしれない。
そこまで考えが辿り着き、先ほどとはベクトルの違うため息を一つはく。
「戻ったら説明する」
そう言って、ヘッドセットの通話を一方的に打ち切る。
そもそもハルも本当に病院の心配をしているわけではないだろう。
大体ハルがユートをキャプテンと呼ぶときはこちらをからかおうとしているときが多い。
どこか締まらない空気を抱えてユートは不知火の方へと頭を向ける。
先ほどまでの張りつめた心は少し軽くなっていた。