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「砂漠というのはあまり生き物がいないのですね」
刺すような強い日差しに照らされながらも空調により快適なコックピットブロックの中でぽつりとソフィアが呟きをこぼしたのは、第二ポイントで何事もなく補給を終わらせ、ポイントゼロに向かって出発してから数日のことだった。
時刻は昼日中。
砂漠では一番暑い時間帯であるせいか、ソフィアの言葉通り走り続ける不知火のコックピットから動くものを見ることはなかった。
コックピットブロックに表示される外気温計は40度を軽く超えている。
「この暑さだ。基本的に生物は昼間はあまり活動しないからな」
「そうそう。ほとんどの生き物は夜に活動的になるよ。逆に昼間っから動き回っているのは小さな虫とか、あとはやばいやつだね」
「やばいやつ、ですか?」
リンの言葉に首をかしげるソフィア。
そんな彼女にリンは頷きながら言葉を続ける。
「こんな暑さの中で活動できるってことは普通の生物では、まぁ虫とかは除くけど、ありえないの」
「だが例外がある。過酷な環境でも適応できるように自分の体をマナで強化した連中。魔物ってやつだ」
「もともとは普通の生物だったみたいだけど、マナによって劇的に進化、場合によっては変態した生き物のことね」
その変化は多岐にわたる。
元の種としての特徴を残したまま巨大化したもの。
まるでファンタジーに出てくる生物のような変化をしたもの。
様々な種類が確認されており、危険度は通常の生物の比ではない。
「ハル、あれ出せる?」
話をしていて何かを思い出したのかリンがハルに声をかける。
「あれとは?もう少し具体的に話してほしいのですが」
「砂漠で魔物って言ったらわかるでしょ!」
「ハル、2年前の動画アーカイブだ。砂龍のやつ」
リンのフォローをするように口に出したユートの言葉から、ハルはメインモニターに一つの映像を再生する。
映し出されたのは今も外に続いているような砂漠を映した動画だった。
「これこれ。ソフィア、よく見てて!これ結構レアだから」
リンの言葉とともに動画の画面がわずかながら振動を始める。
振動を始めた画面は次の瞬間、突然爆発でもしたかのように揺れ、そして画面全体を巻き上げられた砂が覆う。
「これって……」
「ここからだよ!」
そういうリンの言葉に呼応するように画面内で起きていた砂が消えていき、次第にその向こう側にあるものを映し始める。
そこに映されていたのは画面いっぱいに広がる何か鱗を備えたものがゆっくりと地面の中に戻っていく姿だった。
先ほどの場所からどんどん離れていく不知火の後方で再び砂柱が上がり、巨大な、少なくとも30メートルはあろうかという蛇のようなものが地面から現れる姿だった。
「これが砂龍のダンスってやつだな」
「砂龍っていうのは今みたいなでっかい魔物のことで、たぶん蛇がマナで巨大化したものだと考えられているんだ」
と言っても魔物の生態などはいまだに謎が多く、本当に蛇が巨大化したものなのかやそもそもあの巨体でどうやって生きるためのエネルギーを得ているか、砂の中の移動方法など謎も多い。
「砂龍のダンスっていうのは、砂龍が地面からさっきみたいに飛び出ては、潜るのを繰り替える行動のことで、たぶん求愛行動なんじゃないかと言われてるんだ」
「あれが……求愛行動、ですか」
「まぁ本当によくわかっていないから多分って言葉がつくけどね。魔物は多かれ少なかれ謎が多いけど砂龍クラスの奴はほとんどわかっていないんだ」
「近づくだけでも一苦労だしな」
確かにあの巨体では近くで身じろぎされただけでぺしゃんこにつぶされてしまうだろう。
とは言いつつも今ソフィアたちが見ている映像はそのぺしゃんこを逃れたユートたちが偶然撮影したものなのだが。
「ユートさん、今の映像は」
「あぁ。2年前に偶然遭遇してな」
それは2年前、とある依頼で砂漠を移動していたユートたちが偶然砂龍に出会った際の記録だった。
不知火には主にリンの希望で旅先などで出会った貴重な生物や光景の動画などが結構な数保管されているが先ほどのはそれらの中でもトップクラスに貴重なものだった。
「あの時は死ぬかと思ったよ」
「ハルがへそまげて大変だったんだよ。砂まみれだうんぬんって」
「いくら防塵フィルターがあるとはいえ砂まみれになったのです、機能不全を起こしても不思議ではなかった。何より砂龍の飛び出た衝撃と緊急機動のせいであの時は足回りにトラブルが発生していました。つまりあの時はすぐにでもドッグに入る必要があったということです」
「それはわかってますー。私が言っているのはそのあとも延々と愚痴を言ってたことを言ってるの」
ハルの言葉にリンは苦い顔で言い返す。
実際砂龍の貴重な映像を見るたびに喜ぶリンに対して、ハルが毎回文句を言うことはよく見る光景だった。
「ユートさん、ほかにもこういった映像が?」
「……ソフィア嬢、だいぶ馴染んできたな」
「?」
ともに行動するようになってまだそんなに経っていないはずだが、早くもリンとハルのあしらい方を覚え始めるソフィアに苦笑いしつつ、ユートはソフィアにおすすめの動画 アーカイブを進めるべくモニターを操作する。
動画アーカイブをスクロールしていくが、スクロールバーの長さからその動画の量がかなりあることがわかる。
「そうだな、砂漠だとどんなのがあったかな」
「いろいろな映像があるのですね」
「1年のほとんどを移動してるからな。まぁそれでも地球を隅から隅までもとはいかない
がな」
それからしばらくはハルとの口喧嘩を終えたリンも参加して動画鑑賞会が行われた。
過去の動画に当時の体験や解説を加えて行われた鑑賞会は研究者から見れば垂涎のものであった。
実際に不知火の動画アーカイブはリンたちが個人で楽しむようにしか使われていないため、出すところに出せば大金を積んででも見たいというものも多いだろう。
そんな豪華な鑑賞会のさなか、空が紅く染まりだしたころリンがとある動画のサムネイルを見て声を上げる。
「あ!」
突然上げられた声に目をぱちくりさせるソフィアを尻目にリンは突然タブレットを操作し、付近のマップを確認する。
「どうした、リン?」
「お兄ちゃん!今日の野営地点ここにしよう!」
そう言ってリンが指さした地点は現在地より少し離れた場所だった。
確かにもう夜になるため野営地点を決めなければならない頃合いだが、にしては多少距離がある。
「なんでそんなところなんだ。もう少し近いところでいいだろ?」
「いいじゃん、そんなに変わんないよ。それにほらここら辺ってツチガラスの巣があったでしょ?ソフィアに見せてあげようよ!」
「ツチガラス、ですか?」
首をかしげるソフィアにリンは後のお楽しみと言って動画アーカイブの画面まで閉じてしまう。
ユートは軽くモニターに目をやり、付近に危険が迫っていないことを確認し、ため息をつく。
実際に野営の地点を決めるリミットまでは多少あるためリンの示した地点まで行くことは不可能ではない。
ただそれは本来あったはずの余裕がなくなるということであり、何かトラブルがあった際はリスクを負ってでも夜間移動を決行せざるを得なくなるということでもある。
特に砂中の魔物などに襲われる可能性も考えると普通なら無理をするところではないが……
「周りは大丈夫か?」
「オールオッケー!人っ子一人いないよ!」
ユートの確認にリンは軽快な答えを返す。
確かに彼女の視線の先にあるレーダーには何の反応もない。
ただマナの蔓延する世界でそれがどの程度信頼に値するのか。
「よし、わかった」
そして皆の命をあずかるユートが何を根拠にリンの言葉を信頼するのか。
「ハル、少し速度を上げるぞ」
「お姫様のわがままにもなれたものですね」
「お姫様みたいにかわいいってこと?」
そのリンの戯言には言葉を返さずハルは不知火の速度を上げる。
理論を重んじるハルでさえも、不満は口にするもユートの言葉に従う。
少しだけ流れていく景色が早くなった車内で首だけをソフィアの方に向けてユートは口を開く。
「まぁ楽しみにしておいてくれ。良いものが見れると思う」
「はい、お任せします」
空が先ほどよりも少しだけ紅く染まっていた。