8.キャロライナ・ローズ・ローシェットと、ミッチ・リーダス
「ご機嫌よう、グリーンフォス子爵令嬢」
「………ご機嫌よう、ローシェット公爵令嬢様…」
開けた扉の向こうには、フラグどころでなくそのものがいた。
「ねえ、そんなとこに突っ立てないでお入りになったら?」
この部屋の主のようにソファーに悠然と腰掛け、綺麗に口角を上げた赤毛の美しい少女。だけどその赤銅色の目に浮かぶ色はこれぽっちも好意的には見えない。
「あの、いえ、私は用事があると呼ばれて――」
「ええ、そう。 呼んだのは私よ」
( ……ですよね )
生徒会役員でもない、ましてやローシェット公爵令嬢――キャロライナ様がこの部屋にいる時点で殿下はここにいないだろう。
ならばここで殿下が呼んでると言ったミッチ・リーダスが嘘をついたということ。というよりも、キャロライナ様の思惑に加担したということ。
扉の前から動かない私に、痺れを切らしたのか少し尖った声が飛ぶ。
「いい加減、お入りになったらどう? 私、決断力のない者は好きではないの」
( いやいや、これは決断力云々の問題ではないですから )
そう思った私の背を誰かがトンと押し、パタンと扉が閉められた。
「――えっ、あっ…」
( あー…、そう来るか )
まあそうだろう、公爵令嬢様が単独で動くってことはない。殿下の従者も引き込んでるくらいだし。
見たところ、この部屋にはキャロライナ様一人のように見えるが、会長室は無理でも給湯室には人は潜める。もちろん今閉められた扉の外にもいるだろう。
私は「ふぅ…」と息を吐くと、キャロライナ様の方へと歩み寄る。
「決めたのかしら?」
「決めたというより諦めただけです」
「そう。 どちらでもいいわ、お掛けになって」
勧められた向かいの席に座る。
テーブルには紅茶と美味しそうな焼き菓子が置かれているが手を出す気にはならない。怪しすぎる。
それにしても、こうやって呼び出すくらいだから何か話しがあるのだろうが、向かいのキャロライナ様は優雅に紅茶を嗜んでいる。
「飲まないの? 最高級の東方の紅茶よ」
「今はあまり喉が渇いていませんので」
「…あら残念」
残念という視線ではないと思う。
「あの、それでどうして私は呼び出されたんですか?」
面倒くさいことはさっさと終わらせてしまうに限る。
早速用件を尋ねればキャロライナ様はカップを手にしたままスッと目を細めた。
「貴方、その髪色は生まれ付き?」
「――えっ!? ……そう…、ですが…?」
流石にそんなことを尋ねられるとは思わなかった。
え、キャロライナ様もピンク頭に違和感が? と思ったが、そんな感じではなくとても忌々しそうだ。何なら舌打ちでも付いてきそうな。
「なんで…、なんで貴方なんかがオリヴィア様と同じ髪色なのっ」
「えっ」
「その目もっ、顔立ちだってっ!」
「え、あのっ、えっ」
「貴方がっ、殿下の側にいるから殿下は私を見ないのよっ!」
「いや…、そ…っ」
( それはこじつけでは? )
それと、ああそうかとも思う。キャロライナ様が殿下の婚約者と決まったのは随分と前だ。つまりは生前のオリヴィア様を知ってる。
オリヴィア様はダニエル殿下の生母。エリックが言うには私にどことなく似ているという。
キャロライナ様のこの反応ではそれは確かなのだろう、――が。
( …でも、やっぱりただのこじつけでは… )
「邪魔なのよ」
「そう言われましても」
「どっちでもいいわ、紅茶か、焼き菓子か」
「は?」
「口になさい」
「ええっ」
そんなこと言われてハイそうですかと口にする人なんていない。と言うよりも何入れたんです?
当然口をつけない私に、キャロライナ様が腰を浮かせ、身構えたとこで廊下に繋がる扉の向こうが騒がしくなる。
「殿下っ! お待ちをっ――、」
「何故だ? 生徒会長である私が生徒会室に入るのに止められる謂れはない!」
強い声と共にバンッと勢いよく扉が開く。
現れたダニエル殿下は端正な顔を険しくしかめ、鋭い金色の目は中途半端に腰を浮かせたキャロライナ様と、これまた中途半端に身構えた私を往復したあと僅かに眇められる。
「…役員でもない二人が生徒会室で茶会か」
「し、子爵令嬢が用意してくれたのですわ、殿下」
はっ、何言ってんの、この人!
なんてことは、殿下の視線が鋭過ぎて言えずに、ただブンブンと首を振る。
と、視線が緩んだ――、いや、ように見えた。
殿下はフッと口の端を上げる。
「ほう…、珍しいな。 先日、キャロライナ嬢の父であるローシェット公爵が私にと、東方から取り寄せた貴重な紅茶をくれたのだが、この香りととても似ている気がする。…グリーンフォス子爵令嬢も貰ったのだろうか?」
そんなわけない。てか、香りでわかるのものなの? 飲めたらなんでもいい派の私にはわからない。
「貰ってなんて、」
「ええっ今日差し上げましたの。 それで試飲をしようと言うことで場を提供してくれたのですわ!」
「茶菓子まで用意して?」
「これはっ、そちらの部屋から…、子爵令嬢が持ってきてくれたのです」
突然の殿下の乱入に、付け焼き刃の取り繕いでキャロライナ様は給湯室を指差す。そこにお菓子があると知ってるのは一度入ったからか、それとも生徒会役員の中にもキャロライナ様の息のかかった者がいるのか。…多分後者だ。
でも、そろそろ嘘を重ねるのは止めた方がいいと思う。
「そうか」
殿下はとても緩やかに笑って、安堵の表情を浮かべたキャロライナ様に笑顔のまま告げる。
「とんだ茶番だな」
氷点下の眼差しと声をもって。
キャロライナ様の喉がヒュッと鳴る。
こちらに向けられたものでないとわかっていても私だって一瞬息を飲む程の威圧感。
だけど「殿下…?」と、廊下から新たな人物の声がして殿下が振り向いたことでその呪縛は解けた。
「…どうして、ここに…」
「ああリーダス、すまないな、お前には伝え忘れてたようだ。 午後の予定は変更になった」
そこにいたのは顔を青ざめさせたミッチ・リーダス。
背を向けた殿下の表情はこちらからはわからないが、きっと笑顔で、眼差しは氷点下なままなのだと思う。それと、殿下の言葉。
予定の変更はわざと伝えられなかった、…いや、予定自体が嘘だったか。
リーダスもそれがわかったからその表情なのだろう。
「……愚かだな、リーダス」
「…っ」
「お前の過ちは、自分の犯した失態に対してさらなる愚行を重ねたからだ」
( ……失態…? 愚行って…? )
その言葉の真意を探ろうにも殿下はそれ以上リーダスに告げることなく再びこちらを振り返る。
殿下は笑顔だ。少しだけ哀れを含んだように穏やかに。
「ああそうだ丁度良い。 実は大事なものを忘れてここまで急いで来たんだ。 少し喉が渇いたのでこれを貰っても?」
喉が渇いてるとはとても思えない涼やかな顔で殿下は私の目の前に置かれたカップを手に取った。
「や、殿下それは…っ」
「殿下!?」
「殿下っ!」
三者三様の制しの声を無視して殿下はそれを一気に飲み干し、「…なんてこと…っ」とわななくキャロライナ様に鋭い視線を向けた。
「……で、何を入れた?」
「――な、何を…なんて…、用意したのは私では…」
「まだ茶番を続けるつもりか?」
「茶番など…っ」
「もういい、話しは後で――…、」
ふいに言葉を切った殿下がガクリと膝を落とした。
「殿下!?」
咄嗟に差し出した手を殿下が掴む。触れた体温は高い。混ぜられていたナニカは即効性のものだったのだろう、「ハア」と零れた息も熱を孕んでいるようだ。
グッと力を込めて殿下の体を起こそうとするが如何せん体格差があり厳しい。見かねて、ためらうように伸ばされたリーダスの手は、でも無用だとばかりに跳ね除けられ。殿下はソファーに手を付き自力で身を起こすと低く声を発した。
「――入れ」
途端なだれ込む人。捜査官と警備の男たちが部屋を囲んだ。
殿下は傍らで肩を貸す私に小さく呟く。
「すまない…、君も一度拘束することになる」
「え?」
「ミルズ卿がいる。彼には伝えてあるから」
よく見れば囲んだ男たちの中にローランがいる。私がローランを確認したのを見届けて殿下は声を上げた。
「ここにいる全員を一旦拘束しろ。 罪状は薬物混入、王族に対する殺人未遂だ」
「――な、殺人だなんてっ、決して毒などではっ」
「キャロライナ嬢…、では何が入っていると?」
「……っ」
言えないし言えるわけない。それは自分が用意したのだと認めることになる。だがしかし調べられればどうせバレると思うのだが。
口を噤んだキャロライナ様を見て殿下は新たに指示を放つ。
「口裏を合わさせぬよう、各自別室して話しをきく――、…っ」
「殿下っ!」
再び崩れそうになった殿下の体を今度はローランが反対側から支えた。
「リリアベル変わるよ」
「ミルズ卿…」
「うん、リリアベルも後で俺と移動するから。 その前に殿下も治療を。外にいた者はもう捕らえましたので」
「ああ…」
ローランに肩をささえられ先に部屋を移動しようとした殿下に大きな声が掛かけらる。
「――殿下…っ!!」
捜査官に腕を捕らえられたリーダスだ。
「殿下私は、決して貴方に危害が及ぶなんてことは…っ」
「なら私でなければ良かったとでも?」
「いえっそれは…、」
「どちらにしても加担したことに変わりはない」
「それはキャロライナ嬢が…、あの女がクレアを傷つけると言ったから!」
( え、クレア…? )
「はあ? 貴方何勝手なことをっ」
「事実だろう! あんたはそう言って俺を脅した!」
「はっ、大体脅されるような弱みを作る貴方が悪いのよ。別に婚約者いるくせに、汚わらしい! しかもあんな地味な…」
「うるさいっ、クレアには絶対手を出すな! 彼女のお腹には俺の――」
「リーダス、キャロライナ嬢、そこまでだ」
罵り合う二人を煩わしそうに止めた殿下はローランに告げる。
「私より先にあの二人を」
「確かにその方が良さそうですね」
「殿下!」
「ダニエル殿下! ちょっと放しなさいよっ!」
抵抗虚しく連れ去られる二人を見送って殿下はこちらを振り返った。
「グリーンフォス令嬢」
「………」
「…リリアベル嬢?」
「…え…っ、――あ、はいっ?」
「大丈夫か?」
「や、それは殿下の方ですよ」
「いや、私は…。 ……一応さっきあったことの内容を聞かなければならないから」
「そんなことは別に何ともないですよ、大丈夫です」
「そうですよ殿下、リリアベル嬢は慣れてますから」
「…慣れてる?」
「あっ、ミルズ卿! 早く殿下をお連れした方がいいのではっ」
「ん、ああそうだったそうだった。では殿下行きましょうか」
「そう…、だな」
「じゃあ私はここで待ってます」
「直ぐ戻るから」と、ローランは殿下に肩を貸し部屋を出て行った。
部屋には捜査官が数名残り現場維持と証拠の収集をしている。それの邪魔にならないように窓際に寄り、さっき殿下によって中断された思考の中に戻る。
リーダスは、最後になんと言った?
彼女のお腹には――?
そのままの言葉の意味であれば相手はリーダスの子を身ごもってるということだ。しかも相手の彼女の名前はクレアだと言う。
クレア――、よくある名前だ。この学園にも何人もいるだろう。
だけど、重なるものが多すぎる。
私は腕を組んで窓枠にもたれ、片手の指先は口元を彷徨う。
「…クレア様が、身ごもってる…?」
リーダスがそう話すということは本人もそのことを認識しているということだ。
( 匂いのキツい紅茶を飲み、重い荷物を抱えて歩く。妊婦であると自覚して? )
無頓着なだけか、それぐらいではどうもならないのか。それともクレア違いか。
まあだた、それがクレア・レンダーソンであるかどうかについてはこの先の取り調べで直ぐに白黒つく。
うろうろと彷徨っていた指先が終着地点を決め、口の端でリズムを刻む。
消えた毒物、使われた毒物。
身ごもっていたジェーン・ドウに、身ごもってるらしいクレア。
寮見上げる男子学生に、違和感を覚えた言葉と場面の数々。
浮かんでは消えてゆく泡のように思考が次々と入れ替わり、ひとつのカタチを表し始める。
だけど今一歩には届かない。その欠けたピースを埋めるには私では無理だ。
「……エリックに頼まなきゃね…」
ここ一番の難題にぶつかったように眉を寄せる。
さて、どうやってお願いしようか?