6.棘と毒と手掛かり
本日二回目。
部屋に戻り先ほど案内されたソファーへと座るとテーブルに置かれたままだった本をそっと押し退ける。再び勧められても困る。小説は読んでも、学術書なんてとても無理ですって。
クレア様がお茶を用意してくれている間に、私は不躾にならない程度に部屋を見渡す。
自分の部屋との差異を見つけるのは中々に楽しいものだ。
家具は備え付けであるので多分どの部屋も大して変わりはないだろう。ただ小物類は家や自分が用意したもののはずだ。
( ……へえ… )
ちょっと意外に思いながら眺めていれば、ベルガモットの薫りが部屋の中に漂った。流石の私でもわかる、これはアールグレイだ。
コトリとテーブルに紅茶が置かれる。白地にピンク色の小花が散らされた金縁取りの繊細なカップとソーサー。
「可愛いカップですね」
「――え、…ああ、私の好みではないのですが家から送られてくるので仕方なく」
「ああなるほど、じゃあ部屋の小物類も? シンプルなものもありますけど、えらく可愛らしいものも多いですよね」
「ええ。昔はそうでも、好みなんてものは変わるというのに…」
「それはあれじゃないですか、親にとっては子どもはいつまでもって――」
「ああ、それはニュアンスが違いますね」
「え?」
「結局、興味がないんです。 だからいつまでも同じようなものを送りつける。世間体の為だけに。つまりはそういうことです」
「………、…なるほど…」
明らかな毒に、それ以上何も言えずに紅茶に口をつける。クレア様に家族の話しは禁句のようだ。
やはり多少気まずかったのか今度はクレア様から話しを切り出した。
「…で、グリーンフォスさんが聞きたいのは事件の日のことですね?」
「ええそうです。 夜中から明け方にかけてなんですが」
「夜中から明け方ですか…」
クレア様は小さく眉を寄せて首を振る。
「私、一旦眠りにつくと朝になるまで起きないんです」
「あ、あー…、そうですか…」
「ごめんなさい」
「いえいえ、クレア様が謝ることではないですよ。 じゃあ、寝る前とか朝起きた時に周りで変わったこととかは?」
「そう…ですね…、いつもと、変わらなかったと思います」
「…ふーん」
うん、まあそうだろう。そんなに直ぐに決定的なものが見つかるならエリックたちが既に見つけてる。
私は部屋の二面にある窓に視線をやる。
「外を覗いても?」
「ええ、どうぞ」
断りを入れてから窓へと向かう。
白い枠組みの上げ下げ窓を開けると心地よい風が吹き込んで私の髪を揺らす。
そしてまず見えたのは森の様に広がる庭。
こちら側は学園の外れになるので余り手をつけてはいないのか、建物の周りだけは刈り込まれた芝でその先は緑の木々が続く。しかも時期的に何もかもが青々と盛大に繁っていてまさに森だ。
本来なら人など滅多に来ないだろう芝の上を今は制服を着た人たちが横切り、少し先の森の中へと出たり入ったりしている姿が見える。その奥のどこかが現場なのだろうけど、肝心な場所はここからは見えない。
ただ、今更現場を見てもあまり意味はない気がする。
忙しく動く人の様子をぼんやりと眺めていたら、建物側から新たな人が現れ私は思わず声を上げた。
「――あっ」
「………?」
その声を聞きつけて顔を上げたのはエリック。窓から覗く私を見て驚きの表情を浮かべる。
「リリアベル!? 何でそんなとこに!?」
「クレア様の部屋にお邪魔してるの。あと家からの荷物も預かってるわよ」
「は!?」
「――ダンシェルくんですか?」
「あ、はい、戻って来たみたいです」
私の反応を見て声を掛けてきたクレア様も共に窓から顔を見せれば、エリックはむぐっと言葉を呑んだ。
「こんにちは、ダンシェルくん」
「あー…、こんにちはレンダーソン先輩。 あの、すみませんリリアベルが無茶言ったのでは?」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
「そうだよエリック、何言うかな」
「何って…、いつもと同じことだよ」
「いつも無茶言ってるとでも?」
「言ってないとでも? てか、ここで話すのもアレだしもう降りて来なよ」
確かに淑女たるものこんな言い合いを大きな声で披露するものではない。「わかったわ」と返事をして一旦窓から顔を引っ込める。
「クレア様、今日は突然お邪魔して申しわけありませんでした」
「いいえ、とても有意義な時間でした」
「あー、はい…?」
( …えーっと、有意義なことなんてあったろうか? )
遠回しな嫌味かな? と思えど、クレア様は表情を殆ど変えることがないのでいまいち良くわからない。 なので、クレア様にとっては有意義なことがあったんだと思うことにする。
「ではクレア様、また学園で」
「ええまた」
クレア様に挨拶をして一階に降り出入口へと向かう。――と、扉の先でイライザ夫人に絡まれているエリックが見えた。
「あんたっ、ここが女子寮であるとわかっててうろついてたのか!」
「えっ、や、違いますよっ、 幼馴染が降りてくるのを待ってただけですから」
「言い訳が既にあやしい!」
「――はっ? ちょ…っ、あやしいって。大体言い訳でもないですし僕はダンシェル子爵の次男で、」
「エリック!」
「ダンシェル子爵…?」
私とイライザ夫人の声が被った。
「あんた…、ダンシェル子爵の息子ってことは母親はポーラ・ウェンズリーかい?」
「は? 確かに母はポーラですが…、――ああ、母親の旧姓ですね」
「やっぱりそうかい。てことはブライアンとポーラの子か。……なるほど」
私の存在をまるっと無視してイライザ夫人は納得した顔で頷く。いや、なるほどって?
しかもブライアンとポーラはエリックの両親の名前で夫人は二人を知っているようだ。
「え…、何で父と母を…?」
「ポーラはここの寮生だったんだよ」
「あー…」
確かに、なるほど。だけど夫人の零した「なるほど」はそれとはまた違う気がする。だって、物凄く渋い顔をしているから。
そしてその渋い顔のまま続ける。
「その当時、あんたの父親と母親は既に婚約していた間柄だったけども、ここは女子寮だ、婚約者だろうと男子禁制は鉄則。なのにかたや忍び込むわ、かたや脱走するわと問題ばっかり起こしてたね」
わーぉ、おじ様おば様やるねぇ。
「……何やってんだ、父さん母さん…」
エリックが肩を落として呟く。
「あんまり聞きたくなかったよ、親のそういうの…」との声にイライザ夫人の鋭い目がカッと開いた。
「あんたもだろうがい!」
「え…っ、はっ!?」
「あんただってどうやって忍び込むかの算段をつけてたんじゃないのかい」
「はあっ!? だから違うって! 僕は――」
「さては、前に見たあの男子学生も仲間だね!」
「ええっ!」
「向こうは手慣れてそうだったからそいつに聞いたんだね、…なんて不埒なっ!」
「いや、だからぁ…」
げんなりしだしたエリックを押し退けて私は夫人の目の前に回り込む。
「男子学生って?」
「――は? …あんた誰だい?」
急に話しに割り込んだ私にイライザ夫人は少し驚いた顔をしたあと怪訝に眉をひそめる。無視ではなく認識されてなかったようだ。
「さっきクレア様…、レンダーソン令嬢と一緒に通りましたよね?」
「ああ――、そういえば」
「ついでにっ、僕が言った幼馴染ってのが彼女ですからっ」
「……おやおや」
「『おやおや』ってっ…!」
「あーもうっ、そんなことはどうでもいいんだって! ――で、その男子学生ってのを見たのはいつ頃ですか?」
再び出張ってきたエリックをもう一度押しやって話しを戻す。
「いつ頃? …そうだねぇ、たぶん二週間程前かしら」
「二週間……、 それは夜ですか?」
「いや、昼間だったね。 だけど上手いこと私の死角をつく場所にいたからあれは常習犯だね」
「死角…?」
「ああ、今回はたまたま見つけたけれど、この入口と反対側の――、ほらあんたもさっきまでいたんだろう? レンダーソン嬢の部屋がある方だよ」
「クレア様の?」
「ああいや…、あの堅物そうな子が相手と言ってるわけではないけど、あの奥側は当然死角でね、しかも屋根の点検の為に鉄の足場が付けられてるんだよ。 身軽な人間だったらそこから廊下の窓に移るなんて朝飯前だ」
クレア様の、…部屋、そこにいた男子学生。
ぐるぐると思考が動き出す。
「不用心だと散々学園側には言ったんだけどねぇ、改善されやしない。 ……て、聞いてるかい?」
「――あ、ハイ、うん、不用心ですよねー。 ところで、その男子学生ってダニエル殿下だったりします?」
「なっ!?」
「はっ!?」
可能性を潰そうとそう言ってみたのだけど、イライザ夫人、エリック共にギョッとした顔をする。
「なんてことを言うんだいっ、あんた!」
「そうだよリリアベル! 不敬過ぎるよ!」
あら、息ぴったりじゃないか。
「そう?」
「当たり前だろそんなの」
「あんた…、大体殿下だったら覚えてるに決まってるだろう。印象にも残らない地味な学生だったよ」
「覚えてないと?」
「男子学生は私の監督範囲外だよ」
まあ、そりゃそうだ。男子学生なんてこの学園内にどれだけいるか。
「じゃあ最後にもうひとつ、事件が起こった前日にいつもと変わったことなど起きませんでしたか?」
「事件の…?」
エリックの咎める視線が横から突き刺さるが、ここはあえて無視する。
「何でもいいんです」
イライザ夫人は大変面倒くさそうな顔をしながらも考えるように宙を見た。
「そうだねぇ…、――ああ、大きな虫が入り込んだって騒いでたね」
「また虫ですか…」
「なんだい、あんたも虫は駄目かい?」
「…得意ではないです」
「ただの蛾だよ? 明かりにつられて入って来たんだろうね。寮生たちがあんまりうるさいから結局私が逃がしたよ。 …ああそれと、ネズミ捕り用に作ってた餌がなくなってたねぇ」
エリックが一瞬ピクリと反応したのを見逃さない。
「ネズミ捕り用の? 毒入りですよね、誰かが誤飲した?」
「はは、あんな不味そうなもの大人なら誰も口にしないさ。 それにそんなことになってたら大騒ぎになってる」
「……そうですね」
チラリとエリックを見れば、とても渋い顔をしている。
取りあえず、収獲はあった。
( 今はこんなもんでいいか )
「イライザ夫人、今日はお話し聞かせていただきありがとうございました」
「――え、あ…、ああそう」
頭を下げ気分良く切り上げようとしたら「ね、あんた」と引き止められる。
「あんた、大分見目は良いけど婚約者はいるのかい?」
「えっ、あー、いえ…」
「それは駄目だね、早くちゃんとした婚約者をつけるべきだよ」
「あー…」
「今は恋愛結婚だなんだ皆んな言っているけど、あんたもその口かい?」
「や…、そうとは限らないというか…」
「なんだいその煮え切らない返事は。全く…、言っとくけど貴族の結婚というのはそういうもんではないんだよ。大体ねぇ、」
「あっ! あーっと、…そう! 実は先生に呼ばれてまして、それでエリックが迎えに来てくれたんですよっ! ってことで、失礼しますイラクサ夫人!」
「イライザだよ! ――あっ、あんた!」
考え込んでる様子のエリックを引っ張りそそくさと撤退する。
チクチク刺すというよりもお節介だとは思うが、私にとってそれは地雷だ。
その信管部分であるエリックは私に引きずられるままで。寮から十分に距離をとり、足を止めたと同時に大きな息を吐いた。
「…他の寮も調べてみるよ」
「ネズミ捕り用の毒が使用されてた?」
「ああ。死因はやはり出血によるものだけどそれも検出されたんだ」
「ふーん…。 寮を見上げる男子学生学生に、死角にある部屋、それと無くなった毒ねぇ」
「………もしかして、レンダーソン先輩を疑ってる?」
エリックの言葉にパチリと目を瞬かす。
「そりゃあ一旦ひと通りは全員疑ってかかるけど?」
「ええっ! …それはどうなの?」
「だってまずは疑ってそこから可能性を排除していった結果、残ったのが犯人でしょう?」
「いや、そうかもしれないけど…」
かもでもけどでもなく、そうでしかない。
知り合いだろうと友達だろうと身内だろうと、疑ってかかるのは当然だ。
捜査官のくせに何言ってるんだ、と思ったけど、エリックはどちらかといえば鑑識の方だった。
「じゃあ、今から擦り合せをしましょうか、エリック」
「…じゃあ? …擦り合せ?」
エリックの視線が途端に胡乱なものになった。だけどそんなことではめげない。私は満面の笑みを浮かべる。
「進展、あったよね?」
「――うっ」
「私のお陰だよね?」
「――うぐっ」
私はそのままニコニコと待つ。エリックが折れて諦めのため息を吐くまで。