3.策略と事件の概要
現場検証を粗方終えこれ以上は明日と決めて、やっと帰り着いた家の玄関で迎えてくれたのは我が家の老執事。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ、エリック坊っちゃん」
「皆んなは?」
「旦那様はまだお帰りではありませんが、皆様食事を終えられてもうお部屋です」
まあそうだろう、時間も時間だし、仕事が入った時はいつもこんな感じだ。
「父さんは今日は帰れないんじゃないかなぁ」
「おや、そうでございますか」
「僕ももう部屋に引き上げるよ。 何か簡単な夜食でも後で届けてもらえる?」
「ええ、かしこまりました」
老執事マイルズは、返事をした割には立ち去ることもなく何故かニコニコとこちらを見ている。
「……何か?」
「いえいえ、別に。 お夜食には甘いものもお付けしますか?」
「そうだな、もう少しやることがあるからそうしてもらおうかな」
「承知しました」
そう言って今度こそ厨房の方へと移動したがその間もずっとニコニコ顔のマイルズに、怪訝に思いながらも二階に向かう。
灯りを落とした廊下は普段よりも暗く静かで、先ほどの現場の凄惨な場面が再び脳裏に蘇り軽く首を振った。
手前のローズマリーの部屋を通り越し、自室へと入ると制服の上着を脱いでソファーにポイと放り投げその横にドサリと座る。そして大きく息を吸って吐く。
「きっつ…」
リリアベルが現場について来なくて良かったと心底思う。流石にあの現場を見せるわけにはいかない。頭部を切断された少女の遺体なんて。
でも逆に頭部がなかったからマシだったとも言える。苦痛に満ちた死に顔は何度見ても慣れるものではないから。
目頭をグリグリと指で揉んでから、通学に使ってる鞄から雑に放り込んだ紙を取り出す。現場で書き留めたメモ書きだ。
これをもう少しきちんと纏めて他人にも読めるものとしなくてはならないが、川に浸かったり地面に這いつくばったりした為に今は何よりもシャワーを浴びたい。というか、浴びよう。自分の家だ別に誰に咎められることもない。それに家人は全員部屋に戻ったというならバスルームも空いてるだろう。
「取りあえずさっぱりして来よう」
誰に聞かすでもなく断言して、メモ書きを机に置くともう一度廊下へと出た。
□
「体は流されることなく川辺に垂れた枝によって留められて……、首の切り口は鋭利なナイフか何か、ん? えっと…、ああ、皮膚の青白さから出血によるショック死ではないかと。抵抗らしき跡はない。薬物の可能性も、ん? んんー…? ね、これ、流石に字が汚すぎて読めないんだけど?」
――と尋ねたら、
タオルを頭に被せ部屋に入って来たエリックは物の見事に固まった。そこから五秒ほどして。
「なななな、何で、リリアベルがここにいるの!?」
「さっきまではローズマリーのところにいたわよ」
「そういうことじゃなくっ!」
「お父様とお母様にも話してきてるし、おば様にもちゃんと話してるけど?」
「いやだからそういうことじゃなくて!」
「それより早く髪を拭いたほうがいいよ、夜はまだ冷えるから」
濡髪が気になりそう切り出せば、エリックは「ああ…っ」と声を出してしゃがんだ。そしてタオルでもって頭をガシガシしている。拭く行為をプラスした頭を抱える応用編か。
何にしても詰めが甘いよ、エリック。
「……もう読んだよね、それ」
「んー、字が汚過ぎていまいち読めてないけど、…女子寮近くの小川に女性の遺体、年齢的には十代と推測される。それと川に浸かってはいるが溺死ではなく、所々傷は見られたが抵抗などで出来た傷とは見受けられない。そして何より一番は首から上を切断された状態であること。つまりは頭部がない。 現場近くでの捜索でもそれはまだ見つかってはいない…、――まだ続ける?」
「…いい。ほぼ読めてるよね、なのに人の字ディスってくるし…」
しゃがんだエリックがタオルの隙間から恨みがましい目でこちらを見る。そこらに置いとく方が悪いんじゃない? とは思うが、元々それが目的でダンシェル家に来たので余計なことは言わないでおく。藪蛇藪蛇。
「ああっ!」ともう一度声を上げたエリックはスクッと立ち上がる。お、諦めたか、開き直ったか。
「エリック、そこにさっきマイルズさんが夜食だって置いていったわよ」
「………」
立ち上がったエリックの横、扉脇にあるワゴンには一人分のサンドウィッチと小さなチョコレートとドライフルーツ、茶器セット二人分が乗っている。
それを無言で眺めたエリックは小さなため息を吐いてからワゴンを押してこちらに来た。
「追い出す?」
「出さないよ、どうせ話さなきゃ出て行かないだろ」
「わかってるねー」
「わかってるねじゃないよ、――ほら、机空けてお茶置くから」
散らばった紙を纏めてるとエリックが手ずからお茶を入れてくれた。ラベンダーの香りが広がる。時間も遅いのでカフェイン抜きのハーブティーだ。
私は纏めた紙をヒラリと振る。
「ね、エリック、これ報告書に起こすんでしょ?」
「ああ、うん」
「じゃあそれは私がやるからエリックはご飯食べなよ」
「え?」
「どうせ話してくれるんならそれを聞きながら書き写せばいいでしょ? それにエリックより私の方が字が綺麗だし、こういう書類の書き起こしは得意だから」
「え、ああ…、まあ、そうだろうけど…」
何たって前世はブラックな会社の社畜だもの、書類整理なんてお手のものだ。しかも強制でない自ら望んでやるのだから尚更。
「…何だか結局は上手いこと誘導されてる気がするんだけど…」
「え、そう? 気のせいじゃない?」
そう言ってニッコリと笑って見せれば、エリックは眉を寄せて深く息を吐いたが、最終的には「じゃあ…」と頷いた。
「えっとそれじゃあ首の傷が致命傷じゃなく毒殺ってこと?」
「いや、今はどうなんだろうとは思ってる。あれだけ血が抜けてるとなると生きてる状態でないと駄目だと思うんだ。 もちろん毒物検査はかけてるけどね」
「それだと麻酔みたいなので意識を失わせてスパッとってことかな」
「スパッとはいかないよ、人の肉って切りにくいものだから。 医療用メスとかあれば別だけど」
「あ、じゃあ犯人はジャック・ザ・リッパーだ」
「違う世界観になってるから」
ここ一応乙女ゲームの世界だからね。と、ローストビーフを挟んだサンドウィッチにぱくつきながらエリックは言う。この会話でよく肉食べれるよね?
「で、結局頭部が不明の為に身元がわからないと。なら、体の方に特徴とかは?」
「それもない。 肌の状態や指や爪をみる限りは、名無し被害者は貴族の子女だと思われるけど…」
言葉を濁すエリックに私は走らすペンを止めた。
「けど?」
「検死解剖によると遺体は……妊娠していた、らしい」
「え……、……ダメじゃない…、それ…」
「うん、色々と駄目だね」
だとすると死者は二人と言うこと。
お腹の子と、その親と。犯人は二人を殺害したことになる。
それに加えてその遺体が貴族であるともなれば醜聞でありゴシップの餌食だ。
今日でさえ結構な野次馬が出でていた。
検死解剖はその場ではないだろうけど、どこまでその事実を隠し通すことが出来るか。
エリックは小さく首を振ると肩を竦めた。
「でもまずは、何によりも先に身元を明らかにしなきゃ捜査も進まないよ。聞き込みから何か出ればいいけど」
「出そうなの?」
「あー、うーん…、どうかな? 人がわざわざ通るところでもないし、発見されたのも昆虫標本を作るのが趣味な学生が、エルダーフラワーに来るカミキリムシを採集する為にそこを訪れたから見つけられたのだし。 可能性は限りなく低いような」
「うぅ、虫を集めるのが趣味って…」
「そこは放っといてあげなよ。趣味なんて人それぞれなんだから」
虫と聞いてしかめていた顔も一瞬でスンとなる。 自分こそ、そのオタク趣味に私を巻き込んどいて何を言うか。
「…そりゃあエリックはそう言うよね?」
「え、何? どういうこと?」
「何でもないよ。 それよりエルダーフラワーってどんなのだっけ?」
「ん? ああ、この時期に白い花を咲かせる木だよ。結構ワサッてなるんで、その垂れた枝に遺体は引っ掛かってたんだ」
「ふーん」
「多分うちの庭にも咲いてるんじゃないかな? 明るくならないとわからないけど」
「じゃあ取りあえずそれはいいとして」
私は最後の仕上げに再び書類に向き合いながらとりとめもなく言葉を連ねる。
「…そもそも、首を持ち去った意味は何だろう」
「普通は身元を隠したかった、だろうけど」
「うん、バレるとマズい遺体ってことだよね。 犯人が直ぐにわかってしまうような……――て、どういうこと? 被害者は敵が多かったってこと?」
「そんなマフィアのボスじゃあるまいし…。 一応 学園の生徒で現在登校していない人物を当たることにはなってるから、それについてはここまでにしなよ」
「でも妊娠していたということは愛憎の果てとか? …んー、いやいやいや、でも恨みから首まで切るなんて常軌を逸してるよね? リスクも大きいし」
「リリアベル聞いてますー? おーい? ……聞いてないな、これ。 てか、さっきから生々しい遺体の話しとかしてるけど大丈夫なのか? 虫で顔をしかめるくらいなのに…」
「頭の中でそれを想像しなきゃ大丈夫ですー。 ――と、こんなもんかな」
よし!とペンを置き、「聞こえてんじゃないか…」と零すエリックに書き起こした書類を揃え渡す。
既に食事を終えているエリックはそれを受け取り一通り目を通した後、両手で掲げて深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、リリアベル様ぁ〜」
「うむ、くるしゅうない顔を上げよ」
謎の即興劇を演じてから「ところで――」と話しを振る。
「今日帰り殿下と二人で話してたんだけど」
「――えっ!? ええっ、何それ! どういった状況!?」
エリックが驚きの表情で速攻食いつく。
「馬車が遅れたから一緒に待ってくれていただけだよ」
「ああ、ベイリーが何かそんなことを…、でもそんな美味しいシチュエーションを見逃すなんてっ! ――く…っ、一生の不覚!」
「…いや、どんだけよ」
「だってリリアベルってば、殿下と二人になるのを避けまくってるじゃないか!」
「そりゃそうでしょ、殿下は攻略対象者なんだから」
その上に王族なんて。そんなの、絶対にハッピーエンドを迎えては駄目だろう。私は今世こそ楽に生きたいのだから。
「そんなことよりも、…ね、エリック、私と殿下が遠い親戚って知ってた?」
「……え…?」
「そっか、エリックも知らないのね」
エリックの茶色い目がキョトンとしたように開く。なので殿下が話していた内容をそのまま伝えれば、今度は妙に納得した顔で「なるほど…」と呟いた。
「ええっとね、詳細なビジュアルが登場したわけじゃないんだけど、殿下の母親のオリヴィア様ってリリアベルと同じピンク色の髪なんだよねえ」
「ピンク…」
「殿下の回想シーンでチラッ出てくるんだけど、写真なんてないから王宮に飾られた絵で、幼い殿下がその絵を見上げて佇んでいる的な引きのシーンでさ、陰影を強くした感じにしていて、なんていうか殿下の寂しさを表してて良いんだよなぁ。 それにね、今気付いたけどそのふわっと下ろした髪の雰囲気も似てる」
「ええっ?」
…髪型変えようか。今更な気もするけど。
私の渋面に気付かずにエリックは続ける。
「だからなるほどなぁって。 ほら、ダニエル殿下って別に暗い設定背景もないし、とっても理性的で合理的な人だろ? ゲームの方でもそれは結構そのままで、そんな人が政略と関係ない恋愛を選択するのも違和感なあったんだよねー。うん、だから納得」
いやいや、そこで納得されてもね。
「でもさエリック、それって謂わばマザコ…――ンンッ!」
「えっ、何?」
「…や、なんでもないです」
危ない危ない、王族相手への発言は流石は気を付けねば。普段口にしてるとパッと出てしまうかもしれないし、不敬罪で裁かれる。異物混入菓子ほどではないけれど。
私はお皿に乗った一粒チョコを手に取るとポイと口に放り込む。
「そういえばクレア様が言ってたけど、生徒会にあるお菓子って変な薬混ざってるらしいね」
「ええっ、マジ!? じゃあ今日食べたのってっ」
「ああそれは大丈夫、あれは生徒会役員のお土産だから」
「それじゃあ?」
「殿下宛の差し入れがそんなだって」
「あー…、って全然駄目じゃん!」
「でしょ」
エリックは顔をしかめる。
「まあ、どうせ媚薬とかそういった眉唾なものだろ? 効くわけないのに…」
「興奮剤も、って言ってたわ」
「こうふ…っ!? ……いや、それでも殿下には効かないと思う」
「?」
「ほら、よくあるだろ、小さい頃から毒を慣らすってやつ。それを王族に生まれた全員がやってるんだよ。そんな設定があったはず」
「いや…、よくある、はないでしょ」
ちょっとドン引く。リアルで、それを当たり前にやるとか。殿下だけでなく、王族である限り常にそういったことを気を付けて生きていかねばならないってことだ。
そしてその話しの流れで一つ気になったことがある。
「…ねえエリック、殿下のお母様のオリヴィア様ってもしかして」
最後まで言うことをはばかる想像に、それはこじつけだよと言ってくれると思ったエリックは困ったように眉毛を下げた。
「そういう噂はあるにはあったみたいだよ。 …昔、父さんがポロッと零したことがある。 結局は噂だけで終息したそうだけど」
「殿下はそれを…、」
知っているのか? と口にしようとしたけれど、知らないはずがない。噂はどこからでも直ぐに耳に入るものだ。
「………やっぱり、殿下とのエンディングはなしだね」
「え?」
「だって私は楽して長生きしたいし」
「んんんー…、…うーん」
何とも言えない顔でぎゅーっと眉間に山を作ったエリックにチョコを一つ押し付ける。チョコには食べると幸せな気持ちになれる効果があるらしい。
一つ二つとチョコを口に放り込むエリックを眺めながら、私は冷めてしまったハーブティーを飲む。
ねえ知ってる、エリック?
チョコレートには媚薬効果もあるんだよ。