2.ダニエル・ウィンダート・ノイエン
敷地も広いが生徒も多い。それだけに馬車が乗り入れる門はいくつかあり、私がいつも使う門は一番南側の門。
クレア様の寮と同じ方向で一緒に向かうと、明らかに不自然な人の流れが起き始めたのでそちらが事件現場なのだろう。残念ながら帰りの馬車が待つ門はその手前だ。
「寮がある方ぽいですね」
「ええ」
「結構人がいますが、寮までたどり着けそうですか?」
「多分大丈夫でしょう。警備の方もいますし。――あら、門のところ、殿下とローシェット公爵令嬢ですね」
「え?」
言われて視線をやれば私が向かう門には目立つ赤毛が二人。…引き返してもいいだろうか?
殿下がいる場でのキャロライナ様との遭遇は非常によろしくない。完全にフラグだ。
だけどそんな私の心情をクレア様が知るはずもなく。「クレア様、あのちょっと――」の声も虚しく殿下へと声を掛けた。遅かった…。
呼び掛けに殿下がこちらを向く。
「ああ二人か、茶会は終わったのか?」
「いえ、何か大事なことが起こったと聞きましたので切り上げました」
「なるほど、賢明な判断だ」
「グリーンフォスさんからの提案です」
「ほう、君が?」
西日を受けた輝く金の目がこちらを捉え、思わず「う…っ」と言葉に詰まった。
だってその直ぐ後ろから燃えるような鋭い視線が私を突き刺してきたから。
私まだ何も言ってませんよキャロライナ様。
だけど殿下の問い掛けをそのままスルーするのは不敬だと口を開こうとしたら、キャロライナ様自らによって遮られた。
「ダニエル様、早く我が家に参りましょう、お父様も待ってます。 東方の商人からとても良い品を手に入れたの、殿下もお気に召すはずですわ」
断られるなんて考えもしないだろう自信に満ちたキャロライナ様の声に、殿下は微かなため息をひとつ吐く。
「さっきも言ったように優先すべき急な案件が起きたんだ。だから申し訳ないが今日はローシェット公爵家に行くことは出来ない」
「そんなっ、今朝約束したではないですか! お父様にはもう連絡済みなんですよ、殿下が来られる準備ももう出来てます!」
「調整してみようとは言ったが、必ず行くとは言っていない」
「その気にさせといて、裏切るってことですか…、王族としてそれはどうかと思いますわ」
「どうしてそうなる…」
殿下は片手を額に当て今度こそわかるように大きなため息を吐いた。
「王族だからこそするべき義務は果たさないといけない」
「であるなら婚約者である私を尊重すべきではありませんか」
「それが今必要であれば、だな」
「なっ…!? 必要ないとでも言うのですか!」
「私は王族であるがこの学園の生徒会長でもある。そして今 起こってることは学園の生徒全員に関わるだろうことで、一個人の家の事情とは比べるまでもないと思うのだが?」
「殿下は我が公爵家を軽んじると…っ」
「……………君が、そう思うのならそうなのだろう…」
あ、殿下が匙を投げた。
キャロライナ様は赤銅色に燃える目の眦をキッと上げる。
「お父様にはダニエル様がそのように話していたことは報告させて頂きますわ」
「…ああ、構わない」
ため息混じり殿下の返答を聞いたキャロライナ様の燃える目は、そのままをクレア様をスッと通り越し私に止まる。ちょっと怯むくらいの強い感情のこもった目だ。おそらく、憎悪。
( いやいや、何故? )
私はキャロライナ様と直接話したことはないし、殿下とも適切な距離を保っている。そんな視線を向けられる意味がわからない。ゲームの影響だろうか?
暫く留まっていた視線はフイと唐突に逸らされ、「ではご機嫌よう、殿下」と捨てゼリフのような挨拶を残し、キャロライナ様は門の外のど真ん中を陣取っていた二頭立ての豪華な馬車に乗り込み去っていった。
殿下の深いため息が聞こえる。けれど王族相手に、大変ですねぇとは流石に言えないので黙る。
「それで殿下、案件とは事件のことですか?」
だけどそんな微妙な雰囲気をぶった切るように、キャロライナ様のことなどまるで何も無かったように、クレア様が話しを振る。
うん、流石と言おうか、それでこそと言おうか。殿下は軽く目を瞬いた。
「何か聞いたのか?」
「いえ、ダンシェル子爵令息を捜査官が訪ねて来ましたので」
「ああ、そうか…」
殿下の視線がチラリと私へと流れる。当然、殿下はエリックが捜査に携わる人間であることは知っている。春先にあった侯爵令嬢の死に関する事件にも携わっていたことも。幼馴染である私がそれを知ってることも。
ただ私自身が事件に関わっていたことを知っているのはエリックとレイフォード様だけだ。
「私はもう寮に戻るだけですので、何か出来ることがあるのでしたらお手伝いいたしますが?」
「あー、いや、生徒会という名は出したが君たちは関わらない方がいい。 …まあどうせ直ぐに耳に入るだろうから話すが、事件というのは殺人事件で、被害者はこの学園の生徒と同世代だと思われる女性だ」
「学園の生徒なんですか?」
「それがわからない」
「わからない?」
思わず口を挟んでしまった。
殿下は一瞬ハッとしたように口を噤んでからゆっくりと開く。
「…なんせ生徒数も多いからな。 教員たちも加わって今調べてるところだ」
まるで何か話しを逸らそうとしてる気がするのは気のせいか?
「まだ犯人が潜伏してる可能性も消せない。しかも被害者は女性であるのだから先ほども言ったように君たちは関わるべきでない。 レンダーソン令嬢は寮生だったな?」
「はい、殿下」
「現場は寮から近い。周辺の警備を増やすと言っていたから、早々に部屋に帰った方がいい。 ――グリーンフォス令嬢は?」
「あ、私は馬車が」
「来てるのか?」
「え、あれ…、来てませんね?」
「おい…」
殿下が呆れ顔で私を見下ろすと、少し離れた場所に立っていた男子生徒を呼んだ。確か、殿下の従者をしている何処ぞの伯爵令息だったはず。
「レンダーソン令嬢を寮まで送ってやってくれ。私はグリーンフォス令嬢の馬車が来るまで共に待つ」
「えっ!? 必要ありませんよ殿下、待つだけですから!」
「犯人が潜伏してる可能性もあると言っただろう? 私が、君をこのまま放置して去ったとして、それでもし君に何かあった場合私は一生それを苦にして生きるのだぞ?」
「一生って……。強引…というよりも、もう脅しじゃないですか?」
「君がそれで折れるのならそう受け取ってくれても構わないが」
男前なご尊顔がフッと表情を和らげる。
いやいや殿下、ズルいですよねソレ。顔で絆そうとしてますよね? 私も人のことを言えた義理ではないですけど。……けれど仕方ない。
「少し遅れてるだけだと思いますが…、ではよろしくお願いします、殿下」
「ああ」
私の譲歩に軽く頷き、殿下はまだ残っていた二人に視線を戻した。
「レンダーソン令嬢、部屋に戻ったからといって注意を怠らないように」
「はい殿下、ではまた」
「ああ。 ――じゃあ頼んだぞ、リーダス」
「はい、殿下」
殿下の声に、静かに返事を返した男子生徒。
あ、そうそう、ミッチ・リーダス。確かそんな名前だったね。
クレア様は私に小さく頭を下げるとリーダスと共に人の波が出来始めた向こうへと消えた。
そして殿下と二人、門の前。
とても気まずい。殿下と二人のシチュエーションは避けに避けまくっていたので、何気に初めてだったりする。
圧倒的に生徒でない人が増え始めた門前、だけど生徒の姿もちらほら見える。皆んな遠巻きに、私たちを避けて行く様子がはっきりと。
そりゃあ隣の存在感がね…。
殿下がコホンと軽く咳をついた。
「…そんなに硬くならなくとも、私は怒鳴ったり襲ったりしないぞ」
「いえ、そんなことひとつも思ってはいませんが、緊張はそうそう取れませんよ殿下」
殿下は、「緊張…?」と不思議そうに首を傾げる。…いや、あの、普通イケメンが横にいたら舞い上がるか緊張するからね。王族相手に舞い上がるなんて出来ないから緊張一択だけど。
けれどまあ私の場合は攻略対象者であることの方が大きい。この今の状況は完全にフラグでしかないから。
微妙に納得してない顔だがそれはそれとしたようで、殿下はさっきと同様少しだけ表情を緩めて口を開く。
「ところでグリーンフォス令嬢、君は知っているかい?」
口調も、どこか少し緩い。
そして殿下がわざわざ私と残ったのはこの話しをするためだった気がする。
怪訝にパチリと目を瞬かせる私に殿下はちょっとだけ口の端を上げ続けた。
「三代ほど遡れば、私と君は血縁になるんだよ」
「え?」
「私が側室の子であることは知ってるだろ?」
「えっ、あ、ええ…」
最初の言葉に焦りながらも頷く。それは公に周知されていることだから。
王太子である第一王子は正妃を母に、第二王子のダニエル殿下は側妃オリヴィア様を母に。
だけど正妃と側妃の仲は悪くなく。殿下が幼い頃にオリヴィア様は亡くなられたが、それからは正妃が分け隔てなく二人を育てあげたのは誰もが知っていること。
「母オリヴィアの祖母、私から見たら曽祖母は、君の母方の生家の出なんだよ」
「えっ!」
「公爵家の令息に見初められて、家格が上の候爵家の養子に入ったんだ。そこで生まれた娘が別の候爵家に嫁ぎ、そして生まれたのが母オリヴィアだ」
「………はあ…、なるほど…」
「その顔は初めて知ったって顔だな」
「そう、…ですね、初耳です」
本当に初耳だ。そんな話し両親から聞いたこともないし、そんな設定があったなんてエリックからも聞いていない。
ガチファンも知らない設定秘話とか? や、でもその設定って必要? それがどうしたって感じじゃない?
うーんと、首を捻っていたら頭上から声がした。
「……だからだろうか」
「え?」
微かな声を拾い顔を上げる。もちろん今の声の主は目の前の殿下だろう。
だけど見上げた殿下はぐっと口を閉ざしていて、今はその金の目だけが何かを訴えるように輝き揺れている。
私の、直感が言う。
ヒロインでいたくないならば、それを読み取ってはいけないと。
「……君はとても似ている」
殿下の手が伸び私の髪の一房を手に取った。
「…あ、あの、殿下――」
「マリアベルお嬢様ぁ〜」
急に半泣きの情けない声が私の名を呼んだ。
聞き覚えのある声、ダンシェル家の馭者ベイリーの声だ。
( ナイスタイミング、ベイリー! )
心の中で拍手をして声のした方へと顔を向けると、殿下の手に捕われていた髪がするりと抜ける。よし、とっても自然だ。
ベイリーは私の前まで走って来ると「はぁ~」と安堵の息を吐き肩を落とした。
「あああー、良かったぁ、いらしたぁ。 全く申し訳ねえ! 途中で車輪がおかしくなっちまいまして…、そんで直して慌てて来たらこの大渋滞だし、聞いたら事件だって言うし偉いこったってっ」
「ベイリー、取りあえず落ち着いて」
「お二人を待たせちゃあいけねえってかっ飛ばして来たんですけど、って――……あれ? …お隣…、坊っちゃんじゃねえですね?」
「ダニエル殿下です」
「殿――っ………」
ベイリーは瞬間で黙った。というか固まった。
丁度いいのでベイリーはそのままにして、殿下を振り返る。
「無作法で申し訳ありません」
「いや、別にそれは構わないが、迎えの馭者で間違いはないのか?」
「はい、ダンシェル家の馭者です」
「ダンシェル家の?」
「いつも便乗させてもらってるんです」
「……そうか」
話す殿下の目にはさっきの光は見えない。だから触れずにさらりと流す。
「では殿下、迎えが来ましたのでここで失礼いたします」
「――馬車は?」
「えっ! あ、ハイ、ええ、あちらにあるです、…いえ、ございます…です」
自分に声が掛けられると思わなかったベイリーがテンパりながら謎の敬語を披露し、指差した方向には見覚えのあるダンシェル家の馬車。
某公爵家のものとは打って変わってこじんまりとした至って普通の一頭立てだ。それで十分だけど。
殿下は小さく頷くと視線を私に戻す。
「グリーンフォス令嬢、一応道中も気をつけるように」
「はい殿下、お付き合いありがとうございます」
「ああ、また」
殿下に軽く頭を下げ、釣られてコメツキバッタのようになったベイリーを促し馬車へと向かう。
馬車に乗り込む時、ふと門の方へと視線をやれば殿下はまだそこにいて。私が完全に馬車に乗り込み扉が閉められるのを見届けてからやっとその場を去った。
カタンと馬車が揺れ、座席へと体を預ける。
「………うん、深くは考えない」
その方がいい。殿下はきっと自ら課した役割を最後まで見届けなきゃ気が済まない人間なのだ。
義理堅く律儀な温情のある人物――、…なのだろう。
少しだけウトウトしていたようで「お嬢様、着きましたよ」とのベイリーの声で家に着いたと知る。
「ベイリーはこれから学園に戻るの?」
馬車の扉を開けて横に立つベイリーの手を取りながら私は言う。
「いえ、一旦屋敷に戻ろうかと。坊っちゃんから何か連絡がきてるかもしれねえですし」
「そう、それなら丁度いいわ」
「へ?」
丁度いいとは? と、首を傾げるベイリーにニッコリと笑って「ちょっと待っててね」と告げ私は急いで家へと戻った。