1.新たな事件
書き終えていますので一応毎日更新予定です。(全11話)
…カァーン…、カァーン…、カァーン…、
正午を知らせる鐘が鳴る。
近くの教会の祈りを捧げる時間の合図だ。
物悲しく、だけど高らかに。
そして今ここにある命なき体を弔うように。
小川と言える浅い川に浮かぶ遺体。
白く薄い寝着は水に浸かりその体の線を露わにしている。なのでそれが女性であるとわかる。
まだ丸みの少ない未熟な果実のような肢体、おそらく少女だろう遺体には、だけど有るべきところに有るべきものが無かった。
首の半ば程で歪に切り取られたその先。失った頭部。
それは遺体が誰であるかを、誰であったかを示すものだ。それが無き今、この体が誰であるかはわからない。
恐怖や苦痛といったものを表現する術を持たない血の抜け切った遺体は青白く、首にある無残な傷がなければただ川に横たわる人形のようにも見えた。
……カァーン…―――
鐘が、最後の一音を響かせる。
さあ――、祈りを捧げよう。
神に讃美を、死者に鎮魂を。
□□□
束になった書類をトントンと机の上で整え、私は隣にいる幼馴染に呟く。
「――ねえ」
「何?」
「私、生徒会には入らないって言ったよね?」
「え、でも…入っては、ないよね?」
「………」
そういうことじゃないだろうと、隣を睨み付けたところで、横の扉がバタンと開いた。
「ああ、ダンシェル…にグリーンフォス令嬢、いたのか。すまないな、手伝ってもらって」
「いえっ、滅相もないです、殿下! どうせ僕もリリアベルも暇ですので」
「ええ殿下、お気になさらずに。どうせ暇ですので」
私の嫌みに、幼馴染――エリック・ダンシェルは気付かなかったが、さすが次代の為政者たる殿下はその棘に気付き苦笑を浮かべた。
「今日の書類はそれだけだから一段落着いたら休憩してくれ。 ――ああそれと、レンダーソン令嬢、隣の部屋に届けられた菓子がたまってるからそれを出してくれても構わない」
「わかりました、殿下」
私とエリックの他にもう一人、書類整理をしていた女生徒が静かに頷くのを見て、「じゃあよろしく頼む」と殿下は生徒会室を後にした。
少しだけ場の空気が緩くなる。
まあそりゃそうだ、呼び掛けでもわかるように今ここ居たのは殿下だ。
生徒会長であるから生徒会室にいる私たちとも当然に顔を合わすが、普通であれば大きな茶会や夜会でしか会うことのないこの国の第二王子、ダニエル・ヴィンダート・ノイエン。
燃えるような赤毛に王家の象徴である輝く金色の目を持つ美丈夫。眉目秀麗で知勇を兼ね備えた王子様。
パッケージの一番目立つ場所を飾る攻略対象者なのも頷ける。
『ランディル・ベールの鐘』
という乙女ゲームが、この世界の基となるらしい。
ただそこからは随分と逸脱してしまっている気もする。
なんせ、このゲームのヒロインである――リリアベル・グリーンフォス子爵令嬢――私は、誰も攻略する気なんてさらさらない。ただ幼馴染で、同じ子爵のエリックが馬鹿が付くほどこのゲームにご執心なのだ。
…いや、ちょっと違うな。私と攻略対象をくっつけること、それに情熱を全振りしているのだ。 はた迷惑なことに。
そしてエリックの一番の推しだった公爵令息のレイフォード・ブラッデンは、春先に起きた事件を最後にこの舞台から退場した。
まあ退場といっても別にレイフォード様が亡くなったとかそういうことではなく、ただ学園を卒業してしまったのと、彼の心に、もう誰も入り込める余地がなくなっただけ。
そのレイフォード様だが、攻略対象者らしく優秀だった彼は当然の如く生徒会役員で、卒業にあたって自分が抜ける穴にある人物を推挙した。……そう、エリックを。
最推しであるレイフォード様の頼みをエリックが断るはずもなく。意気揚々と生徒会役員を引き受けた。
だから私個人としては生徒会とは全く関係ない、関係ないけれど。
関わりたくないと言いながらも、結局こうやって攻略対象者がいる生徒会に付き合う私自身を、何だかなぁと思う。心ってままならない。
全ての書類を整え終えたとこで一息ついていると、声が掛かった。
「キリが良ければお茶にでもしませんか?」
「あ、ハイ、私は大丈夫です。エリックは?」
「あー、僕はもうちょっと」
「じゃあお茶の用意をするから終わったら机の上片付けておいてね。 ではクレア様、お茶は何にしましょう?」
私が「クレア様」と呼んだもう一人の女生徒、クレア・レンダーソン子爵令嬢は一つ上の学年で、エリックと同じく生徒会役員だ。私たちと同じ子爵だが彼女の家は商家に近く、本人曰く、ただの成金貴族ですよ、だそうだ。
麦色の髪に焦げ茶色の目。エリックと同じ系統の色合いで、地味めな顔立ちの少女。化粧を施せば見栄えもしそうだが、いつも長い前髪で顔を半ば隠すようにしている。
そういったことに興味がないのかもしれない。だけどその容貌は、失礼だが私的にはとても和む。
というのも随分見慣れてはきたが、糖分高めなヒロインフェイス、そんな如何にもな自分の顔が未だに落ち着かないからだ。
大体ピンクの髪はないでしょ、ピンクは。
いつか染めてやるという私の願望は取りあえず置いといて。
そんなクレア様は全学年でも上位に食い込み、学年では首席を取れる頭の持ち主で、頭脳明晰な彼女は生徒会長である殿下の秘書的なことを担っている。
殿下が出てきた会長室とは反対側の扉の向こう、そこには生徒会専用の小さなキッチンが設けてある。
クレア様と紅茶はダージリンのファーストフラッシュと決めて、次はお菓子の物色をする。
生徒会には是非どうぞと色んなものが持ち込まれる。そういったものは基本受け取らないのだが、勝手に置いていかれたお菓子に罪はない。
私がこれにしようと手に取った焼き菓子を見てクレア様が首を振る。
「それは止めた方がいいと思います」
「え、そうなんですか。 ちなみに何故?」
「それは明らかに殿下狙いのものですので異物混入の疑いがあるかと」
「ええっ!? ……それは流石に駄目なのでは?」
相手は王族だ。そんなの重罪判決待ったなしだ。
「殿下は基本どれも口になされませんし、殿下宛てのものは一旦全て検査されます」
「検査…」
「ええ、まあ毒物検査ですね。 といっても興奮剤とか幻覚剤とかが大半ですけれど」
「や、それでもやっぱり駄目では…?」
「はい、だから持ち込んだ相手がわかった場合は警告を出します」
「警告…、だけですか?」
興味津々で尋ねれば、クレア様は菓子箱を吟味していた手を止めこちらを向いた。
「警告は二回、それでも改心されない方は、………辿る道は一つしかないかと」
滅多に表情を変えないソラア様がうっすらと笑い、間を空け告げられた言葉に私はびくっと身を竦める。
深く追求しない方がよいみたいだ。
これにしましょう、とクレア様が手に取ったのは、同じ生徒会役員が出掛けた先でお土産にと買ってきたものだ。それと紅茶セットをトレイに乗せ元の部屋へと戻ると、エリックも丁度机を空けたとこでそれらを並べる。
さて、生徒会特権を活かした午後のティータイムだ。私は無関係だけど殿下の許可ももらっているので心置きなく混ざらせてもらおう。
「…殿下、急いでたみたいですけど、何かあったんですか?」
隣に座るエリックがお菓子をつまみつつ向かいのクレア様に尋ねる。
「いえ、午後からは何も入ってはいなかったはずですが…――ああ、そういえば、ローシェット公爵令嬢が朝いち殿下に約束を取り付けてられましたね」
「キャロライナ様ですか…」
エリックがうへぇ…という顔をする。
「殿下も大変ですねー」
「ちょっ、エリック…、ローシェット公爵令嬢は殿下の婚約者なんだから大変とかないでしょ」
「でもあのキャロライナ様だよ?」
あのとか言わない、あのとか。今は二人だけではないのだ、クレア様もいる。余り気にしてなさそうだけど。
エリックが言うあのキャロライナ様とは第二王子ダニエル殿下の婚約者である、キャロライナ・ローズ・ローシェット公爵令嬢。
公爵家であるため王族と血が近いのか、殿下と同じ燃えるような赤毛に赤銅色の瞳を持つ、ミドルネームにある薔薇を思わすような少しキツめの美人だ。
情熱の真っ赤な薔薇という感じ。ちょっと、うん、情熱が過激過ぎるきらいはあるけど。
それになんたってキャロライナ様はダニエル殿下ルートにおける悪役令嬢のポジションだ。
だから私としてはなるべく関わり合いたくない人物でもある。
そうして三人でお茶をしてると、廊下側の扉からノックの音が聞こえた。
「すみません、こちらにエリック・ダンシェルはいますか?」
「――え、僕…?」
名指しで呼ばれたエリックは首を傾げ、立ち上がり扉へと向かう。
でも何だろう、聞いたことのある声な気がする。そして扉が開いた音の直ぐ後にエリックが驚いた声を上げた。
「あれっ、え、ローラン兄さん!?」
「あ、良かったいたいた。 ここにいるだろうって聞いてな」
「…え、何で? わざわざ学園までくるなんて、また何か…」
「いや、わざわざじゃないんだよ、これが」
「え、何、どういう…」
「ご機嫌よう、ミルズ卿」
驚いているエリックの背後から顔を出し、扉の向こうに立つエリックの従兄、ローラン・ミルズへと声を掛ける。
「――お、リリアベル嬢もいたのか。まあそうだよな、同じ学園だしな。 それにしても制服姿も可愛いねぇ。うんうん、いいねぇ青春って感じがして。俺ももう一度学生に戻りたくなっちゃうなぁ〜」
「そんなことより、もしかして事件ですか? それもこの学園で」
ローランの一人語りをあっさり遮ってそう切り出せば、エリックが驚いた声を上げる。
「え、学園でって…?」
「だってわざわざじゃなければそういうことでしょ?」
「ハハハ、相変わらずリリアベル嬢は顔に似合わずスパッとものを言うね〜」
顔に似合わずは余計だが、このエリックの従兄であるノリの軽いローラン・ミルズは私も昔から知っている人物で、事件捜査官している。所謂刑事だ。そしてエリックは、前世の鑑識捜査官(ただし新人)という知識を活かして事件に何度も携わっているのだ。
「うん、まあ、そうなんだよ。 そういえばエリックが通ってる学園だな、これは丁度良いってね」
「丁度良いって…」
エリックは呆れた顔をするが、そんなことはどうでもよくて。
「どんな事件なんです? エリックを呼ぶってことは――、」
「リリアベル」
いつもより低い声でエリックが私の名を呼ぶ。その視線も幾分厳しい。その理由は言わずもがなだ。
「わかってるだろ。捜査に首は突っ込まない」
「でも前回は…っ」
「前回は前回だよ。 あれは君にも近いところの話しだし仕方ないと思ったけど、今回は関係ないだろ」
「でも関係ないかどうかは聞かなきゃわかんないじゃない」
「あー、うん、そうだな、今回のは流石にリリアベル嬢とは関係ないと思う。それに内容的にも余り詳しくは話せない……というか、知らない方がいいと思う」
ローランもエリックに加勢する。
エリックは私が事件に関心を持つことを良しとしない。でも別に私は全ての事件に首を突っ込むつもりなんてない。面倒くさいとか大変なのは今世ではしないと決めているから。
だけど今、ローランは知らない方がいいと言った。
( …そんなことを言われると余計に気になるんだけど… )
でも宣言通りローランは何も話さないだろうし、何よりもエリックの表情が『ゼッタイダメ』と語っている。
…仕方ない、今は引こう。今は。
やや視線を下げ一歩後ろに下がる。
私が引いたことでエリックは諦めたと思ったのだろう小さく頷いた。
「じゃあリリアベル、絶対に捜査に首を突っ込んじゃあ駄目だからね」
「ハイハイ、わかってます」
「………」
雑な返事にエリックは何か言いたげに口を開いたが結局は「ハァ」と軽くため息を零し、視線を部屋の中へとやった。
「レンダーソン先輩、僕ちょっと行かなきゃならないんで、片付けお願いしてもいいですか?」
「――え、あ…、はい、大丈夫です」
急に話しを振られ、少し慌てた様子のクレア様の声が聞こえた後エリックは再び私を見た。
「たぶん遅くなると思うからリリアベルは馬車で先に帰ってくれていいからね」
そう話すのには学園とエリックの家の道中に私の家があるため通学は専らダンシェル家の馬車に同乗させてもらっているからだ。
まあ互いの家の距離は歩いてもしれてるけど。
無言で頷く私にエリックはやっといつものゆるい表情を見せて。美味しいカフェを見つけただ、なんたらだと騒いでいるローランの背をぐいぐい押し退けながら生徒会室を出て行った。
「……あの…、今のは…?」
余り動じないクレア様でも流石に気になったようで、遠慮がちな声が掛かる。
「すみません、騒がしくして」
「いえ、それは別にいいんですが…」
「あ、あのチャラ男…いえ、男性はエリックの従兄でローラン・ミルズ卿です。ああ見えて捜査官なんですよ」
「事件…、ですか?」
「みたいですね。 教えてもらえませんでしたけど」
「でもダンシェル君まで何故?」
「あー…それは、手伝いを、してるんです。ダンシェル家がそういった仕事に就いていますので」
「ダンシェル家……ああ…、なるほど」
クレア様は納得という顔をする。家名だけでエリックの父親、ダンシェル子爵がどんな職に就いてるか解ったみたいだ。凄い。
ちなみにダンシェル子爵は、王都での事件や犯罪を扱う治安維持局局長の筆頭補佐官だ。
だから私の説明も間違ってはいない。確かにエリックは事件解決の手伝いをしてる。ただ脇か主の違いだけで。
「それじゃあどうしましょうか?」
私の言葉にクレア様は軽く首を傾げる。
「どう、とは?」
「本当に学園内で事件があったとすると、きっとこれから騒がしくなると思うんですよ。 クレア様は寮生ですよね」
「ああそう…、ですね。 そう言えばグリーンフォスさんは先ほど馬車と言ってましたね」
「ええそうなんです」
「それならば今日はもうお開きとしましょう」
「すいません、ありがとうございます」
クレア様は話しが早くて助かる。
多分だが、ローランの言い方をみるに単純な事件ではないのだろうと思う。そうなると捜査官も沢山来るし野次馬も沢山湧く。大混雑間違いなしだ。
寮生であれば問題はなさそうだけど帰宅組は確実に巻き込まれる。となればそうなる前に、ここはささっと学園を出るのがベスト。
茶器を纏め、トレイを持って立ち上がるとフワリといい香りがした。
横で余ったお菓子を片付けているクレア様からだろうか? 香水とかそういったものはつけないと思っていたけど。 …何の香りだろう?
「いい香りですね、果実か何かを使った香水ですか?」
「えっ、…いえ、私はそういったものは使わないですが、もしかして紅茶では?」
「紅茶?」
「ダージリンファーストフラッシュは爽やかでフルーティな香りが特徴ですから」
「へえ、そうなんですか」
「………」
ちょっと残念そうな顔をされた。すみません、窘めない、どちらかと言えば飲めたらなんでも良い派なもので。