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24話:東日本大震災と父、熊坂俊茂の偉大さ!

 9月10日、日本振興銀行が経営破綻し、自見庄三郎金融担当大臣が史上初のペイオフの発動を表明した。12月4日、東北新幹線の八戸駅~新青森駅間が開業し、東北新幹線線が全線開通委した。2011年3月11日、東日本大震災が発生した。日本における近代以降の観測において最大となるマグニチュード9を記録した。そして、宮城県栗原市で最大震度7。


 東北地方や関東地方の広い地域でも震度5弱以上の揺れを観測した。また、三陸海岸および福島県の海岸部を中心に10メートル以上の津波が押し寄せ、被害が広範囲に拡大した。その結果、死者は戦後最悪となる1万5千人以上に及んだ。さらに、この地震と津波により福島第一原子力発電所事故も引き起こされた。原子炉建屋が水素爆発を起こし多くの放射能が空気中に放出された。


 そのため、帰還困難区域が指定され、そこの住民は全て移動しなければならなくなった。そのため、飼い犬、猫、牛、馬、豚が多数、置き去りにされた。このニュースを見て、熊坂一家は、愕然とした。さらに親を亡くした東日本大震災の孤児「両親を亡くし子」、遺児「片親を亡くした子」のシーンを見ては、涙を流した。


 父、熊坂俊茂は、熊坂家として1億円を東日本大震災の孤児、遺児のための募金のために出そうと提案した。こうして東日本大震災の孤児、遺児基金に連絡して入金方法を聞いて2週間後、指定口座に送った。その他、熊坂、一家が総出で募金集めに奔走した。すると教会に少額でも募金を持って集まる人が増え始めて、高齢者が中心となって、その事務処理に当たった。


 多くの心優しい日本人が、教会に立ち寄りクリスチャンであるなし関係なく募金してくれ、集まり次第、日本大震災の孤児、遺児基金に送り続けた。若いクリスチャン達は、土日、周辺の駅出口に立って募金活動を続けた。この募金に関して、決して忘れてはいけない人がいる。


「その人の名は、張栄発!長栄海運「エバーグリーン」の創始者」

「1980年代に国際コンテナ船業務を柱に事業を急拡大させた」

「史上初の世界一周航路で名をはせた」

「1989年にはエバー航空を設立して航空事業に参入!」


「ホテルや金融を抱える巨大グループに成長させた」

「この頃、張栄発氏は、経営の最前線から身を引いていた」

「震災は張栄発氏の目にどう映ったのか?」

「東日本大震災の巨大な津波が東北の市街地を次々に飲み込んだ」


 そのニュースは、台湾でも大々的に報じられた。3月11日、エバー航空がすでに定期便を飛ばしていた仙台空港に大津波が押し寄せたのは、地震発生から約1時間後の16時前後。時差で日本より一時間遅い台北にある総裁室で張氏は、テレビで流れるニュース映像をみて涙を流したと言う。


 地震直後、張氏はポケットマネーから被災地への巨額の寄付を決め日本赤十字社を通じて送った。

 また、海運や航空のグループ傘下企業に対し毛布などの支援物資を運搬するよう指示。エバー航空の機材を使用して、各国政府や国際援助組織の物資まで無償で日本に運んだ。東日本大震災の時には個人で10億円を寄附した。


 それだけでなく自分の関連会社に対して、国際救援組織の関係者や物資を被災地まで無料で運ぶよう指示したと言う。後日、張氏は深刻な被害が判明するにつれ「眠れないほど胸を痛めた」と述懐。

 被災地に惜しみない支援を即決したのは、とりわけ仙台の地が張氏の心情に訴える場所だったからかも知れない。


 事業拡大に励んでいた張氏が、日本各地の港湾に苦心しながら進出しようとした際、まず神戸港がそして仙台港が門戸を開いてたと言う。台湾の新興企業にとって参入は簡単ではなかったのだろう。

 生前に張氏と親交を深めた全日本空輸の元台北支店長、I氏は「あのとき仙台が温かく迎えてくれた事に張氏は恩義を感じていた様だ」と話した。


 エバー航空が日本路線を増やしていく過程でも張氏は仙台空港への就航に並々ならぬ意欲をみせていたと池本氏は振り返る。2012年春の叙勲で、張氏は旭日重光章を受章。関係者でお祝いの席を用意しようと持ちかけたが、張氏は固辞したという。また、自分の死後は「すべての遺産を寄付する」と明言していた。


 池本氏によると張氏は、日本語で教育を受け、「日本人以上に日本人的だった」という。

 さらに張氏は、生前、

「台湾は人口わずか2300万人で日本との関係なくしては、どうにもならない」

「だから日本にはもっともっと、しっかりしてもらい、台湾を引っ張っていってほしい」

そう語っていたことを思い出すという。

「この張氏の東日本震災への援助を決して忘れてはいけない!」


 その後、2011年3月15日の朝、証券会社の担当者から熊坂健闘に電話が入りキーエンス株の気配値が19310円と安いと言われた。その意見に同意し5千株成り行き売り注文を出した。すると9655万円で買え残金が18045万円となった。4月27日、プレイステーション・ネットワーク個人情報流出事件が発覚し、不正侵入によっておよそ7700万件の個人情報が流出した。

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