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石窟都市の独裁者②   作者: 檀敦
2/2

多端編②

 根之国暦237年9月16日。

 時刻9時10分。根之国の外。防護柵、跳ね橋前。

 大戸(おおと)泉美(いずみ)が率いる偵察隊が根之国(ねのくに)に到着したのは翌朝9時過ぎだった。3台に増えた大型荷車を進める全員の顔が寝不足で疲れていた。石窟(せっくつ)都市の快適な環境に慣れた隊員達は、暑くてまともに眠れなかったのだ。

 跳ね橋を下ろした防衛部の隊員達は普段よりも圧倒的に多い収集物に驚きの声を上げた。彼等が受け持つ武器だけでも、刀剣類41振、複合弓38張に矢が300本ほどに甲冑が42領に楯が35枚。

「応援を呼べ! 製造局にも連絡しろ!」

 そう叫ぶ隊員達の横を伊凪(いなぎ)隊と三竜は小型荷車を引いて通り過ぎた。彼等の荷車は偵察隊の大型荷車よりも軽いものだから、防護柵から石窟都市の出入り口まで続く1km弱の緩やかな坂道(通称比良坂(ひらさか))を最後の力を振り絞って登っていった。

 防衛部隊員控室には磐筒(いわつつ)豪希(ごうき)が待っていた。

「心配していたのだぞ」

 豪希の目も赤くなっている。娘が心配で眠れなかったのだろう。

「親父、私にも1振くれよ」

「良かろう。だが伊凪君の太刀を探した後だ」

 刀剣類41振という報告を受けていた豪希は竜希(たつき)の言葉に頷いた。そのくらいで身内贔屓と言われるような戦利品の量ではない。

「それで良いから──」「その前に、竜希さんはこちらへ。火照(ほでり)先生もお願いします」

 久遠(くおん)は無理矢理竜希を引きずっていった。2人の後に続く緋焔(ひえん)の顔も疲れていたが、それでも笑みが浮かんでいた。これを楽しみにしていたのだ。

「親父! 私の選んどいて!」

 竜希の最後の言葉が消えた後、大きく溜息をついて豪希は悠理(ゆうり)を見た。

 悠理も目が閉じかけている。

「……お疲れさん」

 悠理と藍馬(あいま)は伊凪隊の戦利品を持って3階控室に向かった。

 一方、久遠は竜希と緋焔を連れて3階管理区域の天乃(あまの)弥奈(みな)の部屋を訪れた。

「外泊なんてまだ早いぞ、不良娘」

 弥奈も眠そうな顔をしている。悠理が心配で眠れなかったようだ。

「それより、竜希さんを入隊させたいのですが」

「あ……そういう話? その前に寝ない? みんな寝不足なんだよ」

 どうやら局長達も悠理が心配で一睡も出来なかったらしい。


 時刻17時30分。根之国、地上3階。管理区域、局長用会議室。

 局長用会議室に連れ込まれた竜希は、「どういうこと?」という顔をしている。これまで一度も入ったことが無い区画だ。

 会議室に集まった局長達は全員が起き抜けの顔をしているのだが、年増連中は時間感覚が狂ってボケているのに対し、若者達は元気になっていた。見た目は若くても本物の若さには勝てない彼女等は、(恨めしい)という視線を若者達に向けている。

 緋焔は早くも戦利品の金象嵌(きんぞうがん)(つば)を眼帯代わりに付けて壁際に立っている。相変わらずニヤニヤしているのだが、久遠の真剣な顔と比べると逆に不気味だった。

「何でお袋までいるんだ?」

 竜希は母を見つけて安堵の顔になった。拷問でもされるのかと不安だったのだが、そこまでの心配は必要無いと思い直したのだ。だが、

「黙って立ってろ、不良娘」

 削根(さくね)は不機嫌そうに娘を(にら)んだ。やはり心配していたのだろう。

「仕方ないだろ」

 竜希の抗議を(さえぎ)るように製造局長葉槌(はづち)多霧(たきり)が挙手で発言を求め、収集品の報告を始めた。

「今回の偵察で取得した物資の概要です。食料150kg、塩25kg、布13反、青銅の防具類42領、硬貨20kg。記録に無いくらいの収穫ですね。製造局としては、ぜひ悠ちゃんを偵察隊へと──」

「却下です!」「却下だよ!」「二度と外泊なんかさせるな!」「お前のせいだろ!」

「……すみません」

 危険な廃墟への遠征を企画した多霧は、全員からの罵声を浴びて涙目で小さくなった。

「まぁ……これで付近をうろつく野盗も減るだろう。防衛局も刀剣類の予備を確保できた」

「それ! 私の分とってくれてるんだろうな!」

「……もう少し女性らしい趣味を持ってほしいものだ」

 竜希の叫びに、削根は頭が痛いという素振りを見せた。

「良いんじゃないの? 嫁入り先は決まったんだからさ」

「……そうだな。どうせ男は出来ないか」

 本人の意思を無視した弥奈の言葉に削根も同調する。いきなりの結婚話に竜希は慌てた。

「何? どういうこと? 私は結婚なんか──」

「もう出来ないよ・ません・ないね」と全員が口を揃える。

「えぇ……どういうこと?」

 結婚話になったのに、もう出来ないとはこれ如何に?

 そんな娘に、削根が根之国の最重要機密を教えた。「フォルティス計画」「伊凪悠理親衛隊」「悠ちゃんの独裁国家建設計画」「新人類創造計画」等々……。

「そういうことかよ……」

 竜希は、ようやく納得した顔になった。悠理と久遠の戦闘力。引けなかった化合弓(コンパウンドボウ)の弦。

「磐筒竜希さんの入隊に、異議のあるかたはいらっしゃいますか?」

 結良が全員の顔を見回すが、異議ありと手を上げる者は1人もいなかった。いずれは親衛隊に誘う予定だったからだ。

「どうにか、孫の顔を見ることが出来そうだな」

 諦めていた削根は、どういう形であれ娘が子供を産むことに安堵していた。

 それは竜希にとっても悪い話では無い。悠理の子供であれば産んでも良いと思っていたのだが、久遠の存在で諦めていたのだ。彼女にとっては棚から牡丹餅である。

 緋焔はニヤリと笑って見せて、声を出さずに「ヨ・ウ・コ・ソ」と口を開く。ようやく親衛隊員の後輩が出来たと喜んでいるのだ。

「それからな、竜希は明日から本部付になるからそのつもりでいろ」

「何で? 私は書類仕事なんかしたくないって言っただろ」

 問答無用の削根に竜希が抵抗する。それだけは忌避したい仕事だ。

「悠ちゃんの秘密を知るというのはそういうことだ。いずれ……大戸泉美の次くらいに防衛局長になるだろうから、私が組織運営を叩き込んでやる」

「私が防衛局長って……緋焔さんは? 緋焔さんの方が強いぞ」

「緋焔ちゃんは次期教育局長に内定しています」と育子。逃がすつもりは無いようだ。

「えぇ……緋焔さんが? 教育局長?」

 信じられないという顔の竜希。

「……お前、その度胸があるなら局長くらい務まるだろう」

「3人で『新三竜』ですね」

 鳴海の言葉に、「毒竜」の渾名を毛嫌いしている結良が大きく顔をしかめた。

「これで私達も安心して引退できるわね」

 悠理との時間が増えるのが嬉しい育子は、その日が待ち遠しいようだ。これで次の体制が固まった。

 宿儺結良は内心穏やかではなかった。大戸泉美の防衛局長は妥当だが竜希への引継ぎは早いだろう。三バカは頼りにならないし緋焔と竜希は問題児。頼れそうなのは最年少の久遠だけという恐ろしい布陣だ。どうにか現役の引退を先延ばしにしようと決意する結良だった。


 時刻19時10分。根之国、地上3階。管理区域、伊凪隊控室。

 藍馬はくすぐったさで目覚めた。

「あら? あらあら?」

 仮眠用のベッドの上、自分の胸に顔を埋めて悠理が寝ている。疲れ切っていた2人は、控室に辿(たど)り着いて競うようにベッドに歩み寄り、そのまま眠ってしまったのだ。

「あの……私、そんなに胸がありませんから。久遠お姉様よりも小さいですし……」

 悠理は起きそうにない。右手は藍馬の脇腹に添えられている。

「あの……くすぐったいのですが……」

 藍馬は、恐る恐るプラチナブロンドの髪に手を伸ばして撫で、起きる様子が無いのを確認してから抱きしめた。胸の高鳴りは、これまで感じたことが無いものだ。

(これがそうなのですね……)

 南方武瑠相手には無かった感情だ。藍馬はさらに悠理に汚染された。

 その時、控室のドアが開いた。

「ちょっと……藍馬さん?」「ほぉ……良い度胸だね」

 ドアから顔を覗かせているのは久遠と弥奈。戦利品の宝石を見に来たのだ。

「あ……久遠お姉様、これは……」

「ちょっと弥奈の部屋にいらっしゃい、そこで話を聞きますから。悠理を起こしてはいけませんよ」


 新人類創造部、部長室。

「──ペリドットにアメシストにシトリンに……これはトパーズだね。放射処理だ。後はガラス玉。野盗のクセに見分けもつかないのかね……やっぱりサファイアは無いか」

 戦利品の宝石を弥奈が選り分けている。本物の宝石は13個で、高価な物は無い。

「良く分かりますね」

「唯一の趣味だからね。鉱物は面白いよ。こんな物が地面の下で作り出されるんだ」

「……私には分かりません」

 弥奈の期待に反して、久遠は宝石に興味を持てないようだ。

「そう? 久遠も竜希ちゃんと同じ?」

「いいえ、金の飾りでしたら良いと思いましたよ」

 それも、悠理が似合うと言ってくれたからで、趣味とは言えないが。

「……そっちか。こればっかりは人それぞれだからね」

「藍馬さんは興味があるようですよ」

「……そうなの?」

 弥奈が床に視線を向けた。そこには正座させられた藍馬。

「よし、今日から藍馬の趣味は宝石蒐集な。私がきっちり教えてやるから、でっかいサファイアかピジョンブラッドのルビー見つけてこいよ」

 弥奈は選り分けた宝石から10カラット程のペリドットを1つ取り、残りを袋に戻して藍馬に渡した。藍馬は一番気に入っていた宝石を取られて悲しそうな顔をしたが、それでも少し小さめのペリドットが残っていたからそれで我慢することにした。これが悠理の瞳の色に一番近いのだ。

「サファイアにルビー……ですか?」

 藍馬は山になった100個程のガラス玉を欲しそうに見た。

「……見つけたら悠ちゃんの子供産むの許してやるよ」

 弥奈はガラス玉も袋に戻し藍馬に渡した。どうやら彼女にとってはどちらも同じように見えるらしい。

「はい、頑張ります」

 2つの袋を手に藍馬はニコニコ顔だ。条件がさらに上がっているのだが、彼女は分かってないだろう。


 時刻20時30分。根之国、地上4階。居住区域、伊凪家。

 伊凪隊控室で目覚めた悠理はようやく自分の家に戻った。そこには36時間の不眠を超えて記録を伸ばしている寧々子が待っていた。

「悠ちゃん……悠ちゃぁん!」

 悠理の顔を見るなり、彼女は抱きついて泣き出した。

「え? どうしたの、寧々ちゃん?」

「バカぁ! 悠ちゃんのバカぁ!」

 何が起きているのか理解できない悠理はキョトンとした顔で、それでも寧々子を抱きとめている。女の子は優しく扱えという育子の教育の賜物である。

 続いて帰宅した久遠と育子は悠理に(すが)りついて泣く寧々子を見て何事かと目を見合わせ、やがてハッと気付いた。どちらも、悠理が帰ったと寧々子に知らせるのを忘れていたのだ。

「へっ……へへっ……2人とも寝てたんだ? 私が心配で眠れなかった間に寝てたんだ?」

 事情を知り真っ赤な目で笑う寧々子に、久遠と育子は平謝りするしかなかった。

「そう……良いよ。その代わり今夜は悠ちゃんと一緒に寝るから、誰も邪魔しないでよ」

「それは話が──」

「文句は言わせないから」

「……はい」

 鬼気を帯びた寧々子の顔に、久遠は大人しく引き下がった。

「寝るよ、悠ちゃん」

「え? どういうこと?」

「良いから来なさい」

 事情が呑み込めていない悠理を引きずって、寧々子は悠理の部屋に消えた。

「……良いの?」

「あの状態で何かできますか?」

 育子の心配を、久遠は否定してみせた。

「……それもそうね。私達も寝ましょうか」

 時間感覚が崩れた育子は辛そうに自分の部屋に戻っていった。

 悠理を部屋に引きずり込んだ寧々子は、フラフラしながら広いベッドに倒れこんだ。

「……寧々ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫じゃない。誰のせいだと思ってるの?」

「そんなこと言われても……」

 滅多に見ることが無い不機嫌な寧々子に、悠理は戸惑うしかなかった。

「何をしてたの? まさか久遠ちゃんと2人きりで……」

「違うよ。頼まれて護衛してただけで、帰れなくなったから仕方なくて……」

「外か……どんな所?」

 寧々子は展望室からの景色しか知らない。

「ん……あ、そうだ。寧々ちゃんへのお土産」

 そう言って、お土産のペンダントを寧々子に渡した。彼女の機嫌を少しでも良くしようというのだろう。

「綺麗だね……悠ちゃんの眼と同じ色。これ、くれるの?」

「うん。寧々ちゃんと育子さんに」

 寧々子は心の中でガックリと肩を落とした。こういう時に母とはいえ他の女の名前を出すなと言いたいが、悠理には分からないことだろう。

「そう……ありがと……」

 寧々子は限界だったようで、小さな寝息をたて始めた。悠理は寧々子に布団をかけて、そっと部屋を出た。

 向かったのは育子の部屋。扉を叩くと「どうぞ」と声が聞こえた。

 悠理が扉を開けると、着替え中の育子は下着だけの格好だった。

「あ、ごめんなさい」

 悠理は目のやり場に困るが、育子に気にした様子は無い。

「どうしたの? やっぱりお母さんと一緒に寝たい?」

 (うつむ)いた悠理に下着姿のままで歩み寄った育子は、むしろ見せつけるように屈みこんで悠理の顔を覗き込む。悠理の頬はちゃんと反応して赤くなっていた。チラチラと胸に注がれる視線に育子は妖しい笑みを見せた。

 目のやり場に困っている悠理に、育子は軽くキスをした。

「……育子さん?」

「心配させた罰よ」

「あの……これ、お土産」

 悠理は育子にペンダントを見せた。

「あら、ペリドットね。これを私に?」

 受け取りながら育子は、こういう気を回せるようになった悠理の成長を嬉しく思った。

「うん。育子さんと寧々ちゃんに」

 ──訂正。無邪気な悠理に育子は心の中でガックリと肩を落とした。こういう時に娘とは言え他の女の名前を(以下略)。

「そう……ペリドットは私と寧々子の誕生石だったと思うわ」

 育子は弥奈に無理矢理教えられているから少しだけ知っている。どうやら誰も弥奈の趣味を理解しなかったらしい。育子の趣味は回収した貴重な本の内容を書き写して残すことで、これは白山菊江の影響だ。

「……そうなの?」

 悠理がペリドットを選んだのは偶然でしかない。ただ、自分の緑眼と似た色を選んだだけだ。

「……ありがとうね。今夜は寧々子と一緒に寝てあげて」

「うん」

 悠理は大人しく育子に従った。あっさりと部屋を出て行く悠理の背中を、育子は少し恨めしそうに見ていた。そういう教育だけは、育子でもまだできていないのだ。


           *       *       *


 根之国暦237年9月12日。

 時刻15時40分。根之国、地上4階。居住区域、格技場。

 高見寧々子は珍しく4階格技場にいた。しかも、一度伊凪家に帰って動きやすい服に着替えている。そして、不機嫌な顔で木刀を握り、素振りを続けている。

 そんな寧々子を壁際に立つ女子生徒が見つめている。磐筒(いわつつ)玲希(れいき)という名の同級生で、寧々子の無二の親友だ。ベリーショートの髪に精悍(せいかん)な顔つきは、寧々子といると似合いのカップルに見えることから、同級生からは「寧々子の旦那」と呼ばれている。彼女がいるから禍津(まがつ)一男のような男子生徒は寧々子に近づけない。言うまでもないが、磐筒削根と豪希の次女だ。

「……そろそろ教えてくれないか?」

 玲希が寧々子に話しかけた。

「……何を?」

 寧々子は親友の気安さで、朝から不機嫌な様子を隠さない。その上、防衛局予備隊員の玲希に格技場を借りるように頼んで、無言で木刀を振っているのだ。

「決まってるだろ。何で今さら剣術なんだ?」

 彼女は防衛局長代理の母から寧々子を護るように指示されている防衛局予備隊員だ。新興宗教がどうとかで、寧々子が狙われる可能性があるということだったが、彼女には伝えていない。寧々子を護るのは、元々自分の役目と思っているからだ。だから、突然の訓練を(いぶか)しく思っているのだ。

「……何かね、私だけ除け者なんだよね」

 ようやく寧々子は不機嫌の理由を口にしたのだが、玲希は首を(ひね)った。高等部で人気者の寧々子が除け者になるような事態に、思い当たる節は無かった。

「除け者って何だ? イジメか? 私に言ってくれれば痛めつけてやるぞ」

 物騒なことを口にする玲希。激しい性格は家系なのか。

「駄目だよ。除け者にしているのは悠ちゃんなんだから」

「王子が? 最近変わったって聞いてるけど、そんなことするようになったのか?」

 「王子」というのは高等部女子生徒の間での悠理の渾名だ。

「違うよ。久遠ちゃんとは外に出て何かしてるみたいなんだ。私は除け者」

「あぁ……王子が帰らないって騒いでたような……伊凪隊だろ? すごい戦果だって噂になってるぞ。除け者じゃなくて危険だから寧々子を連れて行かないんだろ?」

「……だから私も強くなるの」

「強くって……もしかして外で戦うつもりか?」

「うん。悠ちゃんと一緒に外に出るの」

 気合いを入れて木刀を振る寧々子を見る玲希は呆れた顔。

(……剣術を舐めてるとしか思えん)

 玲希は幼い頃から防衛局を目指して剣術を続けてきたのだ。いくら彼女と同じアエテルヌスの寧々子でも、今から習い始めて外で戦えるようになるには何年もかかるだろう。そのあたりが分かっているのだろうか。

 悩んだ末に玲希は身の程というものを寧々子に教えることにした。

「寧々子……剣術は初めてだよな?」

「小さい頃に、お母さんに教えてもらったよ」

(お母さんって……教育局長だろ)

 呆れ顔の玲希は、それでも、

「よし、私達が相手してやる。少しくらい痛いのは我慢しろよ」

 と寧々子に提案した。

「うん。お願い」

 鼻息も荒く答える寧々子。

 玲希は警察部隊員控室から防具を借りてきて寧々子に渡した。そして、これも借りてきた竹刀で試合するという、怪我をさせない最大限の配慮をした。

「……おい、玲希」

 格技場の入口で手招きしているは姉の竜希だ。その隣には火照緋焔がいる。寧々子が格技場で素振りをしているという情報は親衛隊の──もしくは年増女達の──連絡網ですでに広がっていた。

「……何だよ、姉貴」

「どうなってる? 何で寧々子が剣術を習ってんだ?」

 横から緋焔が聞いた。

「それがさ──」

 玲希から事情を聞いた緋焔は、「ふーん」と考えながら防具を身に着けている寧々子を見た。

「気が済むようにさせてやったらどうだ? 身を護る術を覚えるのは悪くない」

「諦めさせるためにやってるつもりなんだけどな」

「……それはどうかな?」

 寧々子は伊凪悠理親衛隊の隊長「風神」高見育子の娘だ。素質なら充分にあるだろう。玲希は育子が強いと知らないから、寧々子の才能に気付いていないのだ。どこまでも悠理と共に生きると決めた寧々子の、覚悟ゆえの行動だろう。

「寧々子らしいというか……しばらく付き合ってやれ」

 緋焔の言葉に、玲希は肩を(すく)めるしかなかった。


 時刻18時30分。根之国、地上3階。管理区域、弥奈の部屋。

 天乃弥奈は泣沢藍馬を相手に宝石についての講義をしていた。強制的とはいえようやく出来た趣味仲間を一人前にしようとしているのだ。そもそも本翡翠(ひすい)は5月生まれの久遠への贈り物だったが、本人は気付いてもいないだろう。

「悠理様の誕生石は何になるのですか?」

「悠ちゃんは11月生まれだからトパーズだよ」

「トパーズでしたら沢山ありますね」

「トパーズってのは簡単に色を変えられるから価値が低いんだよ。悠ちゃんに相応しいのはインペリアルトパーズだね。それ以外は認めない」

 弥奈の妙な(こだわ)りは藍馬には理解できないものだが、とりあえずフンフンと頷いた。

「私の誕生石は何ですか?」

「藍馬は……お前って何月生まれだっけ?」

「……4月です」

 憶えてもらえてないことにショックを受けながら、藍馬は答えた。

「4月だったら……水晶だよ。ダイヤモンドを見つけたら私に持って来いよ」

「はい。分かりました」

 どうやら自分の代わりに価値のある宝石を集めさせようとしているらしい。

「そうだ……おいちゃんに作ってもらった刀が……」

 弥奈は1振の太刀を藍馬に渡した。

「……これは?」

「最近は外で戦うことが多いだろ? 悠ちゃんのと同じ刀を作ってもらったんだ」

「悠理様と同じ太刀ですか──」

 藍馬の顔が輝く。彼女は太刀を(さや)から抜いた。刃長72cm、反り2cm、元幅4.5cm、元重1.2cm、重量2.6kg。打刀拵(うちがたなこしらえ)柄紐(つかひも)下緒(さげお)は藍色で統一されている。悠理の太刀「白姫一文字」と似た異形の太刀だから、「藍姫一文字」とでも名付けるべきだろうか。

「──分かりました。次の野盗退治に呼ばれていますから、その時に使ってみます」

 藍馬は楽しみという顔で答えた。

「……悠ちゃんと一緒にいられて幸せか?」

「はい。とても充実しています」

 藍馬は邪心の無い顔で言い切った。弥奈には眩しすぎる笑顔だったし、何より羨ましかった。

 高見恭平から藍馬を奪い取る形になったし、彼との関係も決定的に悪くなったが、それでも間違っていなかったと確信できたことが、弥奈にとって少しばかりの救いだった。


 時刻20時10分。根之国、地上4階。居住区域、伊凪家。

 悠理の部屋には、製造局から届けられた刀掛け台が増えている。据置型で8振り用の大きな物だ。そこに掛けられているのは「白姫一文字」と「山鳥毛(さんちょうもう)一文字」の2振り。言うまでも無く、悠理が刀剣蒐集を始めたと聞いて三竜が作ったものだ。これを受け取った悠理の感想は「何振り集めれば良いの?」だった。

 悠理は寧々子に勉強を教えてもらっていた。いつもの寧々子の復習ではなく、悠理が物体の放物運動をもう一度教えて欲しいと願ったのだ。悠理の積極性は寧々子にとって好ましいものだった。

「──だからね、放物運動する物体の到達距離が知りたい場合に必要なのは、物体の初速度と打出角度なのよ。初速度の2乗にsin2θを掛けて、それを重力加速度9.8で割る。

 例えば……秒速30m、30°の角度で投げられた石ね。900にsin60°の値を掛けて9.8で割る。sin60°は√3/2だから……答えは約80mになるってわけ。でも、この計算式は空気抵抗を考えていない理論値だから、実際の到達距離とは誤差が出るよ」

「そうか……やっぱり実際に射って距離を測った方が良いのかな?」

「何に使うの?」

「ん……使ってる弓の射出角度と到達距離の関係を知りたいんだ」

「弓……も必要なの?」

「そうだね」

(剣術だけじゃなくて、弓術の訓練も必要なのか……)

 悠理には内緒で剣術の訓練を続けるつもりの寧々子は、弓術の訓練も始めなければならないと決心した。悠理と共に外に出たいという彼女の望みが叶うのは、いつになるのだろうか。


           *       *       *


 根之国暦237年9月15日。

 時刻10時15分。根之国から北東数km地点。

 悠理、久遠、藍馬、緋焔、竜希の5人は、伊凪隊だけで初めての野盗狩りに出かけていた。

 青銅の防具類は大袈裟だろうと控室においてきたから、黒い合皮の戦闘服にフード付きの黒いマントを被り、額に鉢金(はちがね)を巻いているだけだ。藍馬の鉢金にも鬼の角。南方(みなかた)武瑠(たける)を蹴り飛ばしたことで、彼女には防衛部の隊員たちから「馬頭鬼(めずき)」という渾名が贈られた。これで、「鬼神」「鬼姫」「馬頭鬼」と、3人の鬼が揃ったことになる。藍馬は「鬼」の渾名が付いて嬉しそうだが、その気持ちは悠理と久遠には理解できない。

 緋焔と竜希は、しきりに新しい太刀を振り回している。刃長72cm、反り2cm、元幅3.9cm、元重1.1cmの刀身。重量2.2kgは「白姫一文字」よりも少し軽い程度だが、それでも緋焔の愛刀「(ほむら)一文字」よりも1kg重い。アエテルヌス用だから試してみろと言われて削根に渡されたものだ。

「これを太刀って呼ぶのか? こんなの棍棒だろ?」

 太刀に(こだわ)りのある竜希は憮然とした顔をしている。無理やり防衛局本部付の職員に異動させられた彼女は、組織運営とか管理業務という嫌いな仕事を削根に叩き込まれている最中だ。鬱憤(うっぷん)が溜まっている竜希にとって、伊凪隊の任務は良い気晴らしになっているようだ。

「そうか? 私は良いと思うぞ」

 太刀を(さや)に収めた緋焔は、荷車から弓を取って確かめている。これもアエテルヌス用と説明された2張の複合強弓。伊凪隊の装備は、防衛部よりも先に充実していた。

(ついでに、親衛隊の装備を充実しようとしているのでしょうね)

 そちらには入隊していない久遠は、詳しいことを教えてもらえない。アエテルヌスが10人以上と推測している伊凪悠理親衛隊は、「根之国」では伊凪隊に次ぐ強力な武装組織だろう。

 竜希と同じく太刀に拘りのある藍馬だが、悠理と揃いの太刀というだけで「藍姫一文字」を気に入っている。ニコニコ顔の藍馬に対して、久遠は複雑そうな顔だ。悠理と揃いの太刀を持っていたのは彼女だけだったのに、いきなり立場が同じになった気分だ。

「……火照先生、丁度良い相手が来たようですよ」

 周囲を警戒していた久遠が、遠くに20人ほどの集団を見つけた。

「弓を使いますか?」

 藍馬の提案に悠理は首を振った。

「せっかくだから太刀を試してみてよ」

「悠理様のご命令とあれば」

 藍馬は張り切っている。

「命令ってわけじゃないんだけど……」

「藍馬さんの剣術を見るのも、良い勉強になると思いますよ」

 弓の腕の良さから後方支援ばかりの藍馬だが、剣術の腕も相当なものだ。日頃から侍のような格好をしているのは伊達では無い。

「私が悠理様のお役に立てるのですね? それでは本気で頑張ります」

「好きになさい。私達は見学させてもらいますよ」

「はい!」

 藍馬は張り切って太刀を鞘から抜いた。

「竜希も試してみたらどうだ?」

 藍馬と離れて横に並んだ緋焔。彼女も太刀を試すつもりなのだ。竜希は憮然とした顔のまま太刀を抜いた。

「お嬢ちゃんたち、こんなところで何してるのかな?」「そんなもの持ってたら危ないよ」「俺たちの方が良いモノ持ってるから、そんなの捨てて遊ぼうぜ」

 どうやら悠理まで女性と見間違えた野盗達が、前に出た3人に不用意に近づく。彼等からすれば、女性が振れる太刀には見えないのだろう。

「行きます!」

 野盗達の都合を無視して、気合いと共に藍馬が太刀を横に振り切った。

 首が2つ、冗談のように胴体から離れた。

 野盗達は現実を認識できない。有り得ないことが目の前で起こったからだ。

 返す刀で1人。反応さえ出来なかった男は、血を吹き出しながら倒れた。

「な……何だコイツ! バケモノか!」

「化物とは何ですか!」

 言われても仕方ないのだが、藍馬の乙女心を傷つけた野盗は真っ先に2つにされた。

「待てよ。私の分も残してくれ」

 竜希が慌てて前に出た。

 チラリと竜希を見て藍馬が下がる。

 竜希は手近の野盗が被った(かぶと)に大上段からの一撃を加えた。

「……やっぱり棍棒だろ」

 白目を()いて絶命した野盗を見下ろして、竜希は改めて言った。

「コイツ、女じゃねぇ!」「騙されたんだ!」「女装してんだろ!」

「……あぁ?」

 逆鱗に触れられたらしい竜希が危険な目になる。

「誰が男だってぇ!」

「ギャッ!」「待て!」「わ……悪かっ」「助け──」

 立て続けに4人を斬って鬱憤を晴らした彼女は、

「……悪くない」

 と、血染めの刀身を見つめた。その間に、緋焔も4人を斬っている。逃げ出した5人は、続けて試すことになった複合強弓で、緋焔と竜希に矢を放たれ次々と倒れていく。迂闊(うかつ)に近寄ってしまった野盗達にとっては災難としか言いようがない。

「私は気に入った。どう報告する?」

 歩み寄った緋焔に言われて竜希は顔をしかめた。

「分かってるよ。使えるって言えば良いんだろ」

 緋焔はそれだけを聞いて満足気に竜希から離れた。

「そのように報告してください。では、戦利品を確認しましょうか」

 悠理が引く小型荷車に、野盗から奪った戦利品が積まれていく。昔の硬貨が2kg、刀剣類が18振、布が3反、食料20kg、塩が3kg、青銅の防具等々。そして──

「金の装飾品は少ないですね……」

 と、野盗から奪った装飾品を確かめる久遠。彼女は金製品の蒐集に目覚めてしまい、宝箱風の収納箱を作ってもらって戦利品を放り込んでいるのだが、それを数える姿は傍から見れば立派な野盗だ。そして、弥奈に宝石の知識を叩きこまれている最中の藍馬は、

「赤いのがルビー、青いのがサファイア……これは、ルビー?」

 と、これもまた野盗から奪った宝石類を必死に確認しているが、手にしているのは赤いガラス玉で弥奈の望み通りには成長していないようだ。結局、藍馬はガラス玉も綺麗だからと集めている。

 竜希は18振りの太刀や打刀を1振りずつ丁寧に見ているが、気に入った物は無いようだ。緋焔は(つば)だけをチラリと見た後は、戦利品の干し肉を口に咥えて不機嫌そうに歩いている。どうやら好みの鍔は無かったようだ。

(何だか、ますます野盗みたいになってきたな……)

 と、悠理は心の中で自分の隊の方向性について悩むが、育子と寧々子へのお土産用の真珠のネックレスを2本貰っているのだから4人のことは言えない。野盗からすれば弱いフリをして鬼のように強い彼等は許せない存在だろう。

(……久遠が楽しそうだから良いか)

 悠理はいつものように悩むのを止めた。

「……悠理様! あれを!」

 ガラス玉を透かして見ていた藍馬が何かを見つけた。彼女が指差す先、遠くに20人ほどの人影がある。声に喜びが含まれているように聞こえたのは、野盗を見たら貴金属か宝石に見えるのが今の伊凪隊だからだろう。

「……野盗かな?」

 あちらも気付いたようで近づいてくる。悠理は小型荷車を止めて化合弓(コンパウンドボウ)を手にした。

「……どうやら、野盗と似たようなものですね。殲滅(せんめつ)しますか?」

 それは野盗ではなく噂に聞く南方隊(未公認)だった。悠理は憶えていないが、禍津(まがつ)一男と八十(やそ)兄弟を含め悠理に殴り倒された23人の男子生徒達だ。

「野盗かと思えば伊凪隊か。相変わらず弓などという卑怯な武器を使っているのだな。我が隊を見習って槍で武装したらどうだ?」

 どうやら伊凪隊に対抗して野盗狩りをしているらしい。南方武瑠以外の生徒達が持っているのは、竹槍か木の棒に包丁等を縛り付けた粗末な槍だ。

「竹槍なんか持ちたくねぇぞ」「野盗を笑わせるつもりか?」

 竜希と緋焔の素直な感想は無視された。

「おい人形! お前も魔物だったんだな!」「俺たちの国から出ていけ!」「そうだ! 出ていけ!」「オレたちが殺してやろうか!」

 口々に叫ぶ生徒達。どうやら彼等は悠理に負けたことをそうして納得しているようだ。強気になっているのは訓練で自信を取り戻したのか武瑠がいるからなのか。

 久遠と藍馬が悠理を護るように前に出た。

「ふん……少しは人数が増えたようだが、2人が5人になったところで変わらんぞ。我が隊のように人数を増やしたらどうだ? キサマのような卑怯な男には無理か」

「女に護ってもらうのか?」「魔物のクセに卑怯だぞ!」

 悠理は答えずに武瑠を(にら)んでいる。そして、おもむろに矢を(つが)えた。

「……悠理?」

 気付いた久遠が不思議そうに聞いた。しかし、悠理は5度の角度をつけて矢を放った。それは武瑠を(かす)めて飛んで行った。

「……当たりましたね。お見事です」

 藍馬は冷静に称賛した。久遠はようやく、悠理が何を狙ったのか理解した。武瑠に気を取られていたから気付かなかったのだ。久遠の視線の先、100mほど離れた距離に数体の野人がいた。向こうも気付いたようで全力で走ってくる。悠理と藍馬は不愉快で武瑠を見ていなかったから気付いたのだが。

「キサマ! 何をする!」「ヤロウ!」「やっちまおうぜ!」「殺してやるぜ人形!」

「……忠告しておきますが、死にたくなければ、後ろにも気をつけたほうが良いですよ」

 久遠の言葉に武瑠はようやく振り返り野人に気付いた。

「野人どもめ! 良いところを邪魔するとは許せん! 奴等は南方隊が仕留める! キサマは手を出すな! 行くぞ!」

 南方隊は野人を迎え撃つために走り出した。

「……どうする?」

 竹槍と気合い。野人を舐めているとしか思えない武装だ。

「来るなと言っているのですから任せておきましょう。邪魔をしたら後が面倒です」

「……そうだね。帰ろうか」

 悠理はやる気を削がれたようで、小型荷車を引いて歩き出した。

 遠くでは南方隊と野人の戦闘が始まっている。悲鳴が聞こえるのはどちらのものなのか。悠理にはどうでもいいことだった。

「……死んでるな」「野人を舐めてるからだよ」

 緋焔と竜希は冷静に見つめている。その先では何人かを担いで、急いで帰っていく南方隊。

「バカに付き合うと(ろく)なことがありませんね」

 久遠の言葉は同情ではなく、事実をそのまま述べただけに聞こえた。

「……身につまされる言葉です」

「藍馬さんは早く気付いたのですから幸運でしたよ。成人してあのバカの子供を産んでからでは、取り返しがつきませんからね」

「そうですね。そう思うことにします」

 初めての伊凪隊だけでの外出を台無しにされた藍馬は、出来れば早めに南方武瑠を殺そうと心に誓った。自分の人生の汚点を消すために。


 時刻19時20分。根之国、地上2階。工業区域、金屋家。

 金屋(かなや)(ひとつ)の住居兼作業場には、金屋と戸間(とま)安平(やすひら)の姿があった。2人は、天乃弥奈からの依頼で作られた2振りの太刀を手に椅子に座っている。その近くには、偵察隊が持ち帰った刀剣類が山と積まれている。

「ほぉ……(たつ)のやつもやるもんだ」

 金屋が手にしているのは、アエテルヌス用に作られ、緋焔と竜希が試した太刀だ。彼が「竜」と呼んだのは、安平の息子で弟子の戸間竜平(たつひら)という青年の名だ。

「野人相手にはこれが正解なのかもしれん。天乃鬼一の『天一文字』でさえボロボロになって帰ってきたんじゃ。鬼一が白姫一文字を打ったのは、あの数年後だったと思う。今にして思えば、孫の為の太刀だったんじゃな」

「だからこいつを竜平に打たせたのか?」

「ワシの方はそろそろ息子に代替わりしてもええかもじゃな」

「この太刀を見せられて文句が言えるか。時代が変わっとるんだ。ワシらの若い頃にこんな出鱈目な太刀を打ったらぶん殴られたわい」

 金屋一の同意に、戸間安平は寂しそうに頷いた。

「そうじゃな。ワシらの太刀や打刀を必要としてくれる者もいるんじゃ。出鱈目なのは若いのに任せようか」

 根之国の中で、時代は少しずつ変わろうとしているのだ。

「そう言えば、弥奈ちゃんに刃付けしてない刀が欲しいと言われたな」

「そんなもの誰が使うんじゃ?」

「育子の娘らしい。師匠が作刀したほどの技量の持ち主の娘だからな」

「……好きにしたらどうじゃ。どうせ弥奈ちゃんの頼みは断れんじゃろ」

「まぁな……」

 時代の変化は認めるが、斬れない刀を作れと頼まれるほどには変わって欲しくないものだと、2人の刀工は深く溜息をついた。


 時刻20時10分。根之国、地上5階。南側居住区域、中央坑道。

「──ついに! ついにじゃ! 魔物による犠牲者が出てしまったのじゃ! 3人の子供達が魔物に殺されてしもうたのじゃ! 我の声を聞かぬ者どもは死ぬのじゃ! 死にたくなければ我の声を聞け! 魔物を追い出せ! 魔物を我等の国から追い出すのじゃ!」

 日女(ひるめ)教の教祖佐古(さこ)探女(さぐめ)は、集まった50人以上の信者達を前に金切り声を上げていた。野人に殺された3人の男子生徒は魔物に殺されたことになっていた。磐筒豪希に怒鳴られた後で5階に戻った生徒達は、3人が死んだのは伊凪悠理の所為だと言いふらしたのだ。伊凪悠理は魔物の仲間で、野人を操ることができる、と。

 5階南側居住区域では、探女の叫びに応えて信者達が中央坑道を練り歩き「魔物を追い出せ!」と叫ぶようになっていた。

「何でだ! 何で俺の息子が殺されなきゃならんのだ!」「独立騒動への落とし前ってことだろ!」「4階のやつら! 許せねぇ!」

 信者等の集団の後ろを、子供を殺された親達も泣き叫びながら歩いていた。

「……お前ら、復讐しねぇと気が済まねぇだろ?」

 そう焚きつけたのは禍津(まがつ)熊男(くまお)だ。独立騒動で久遠に負わされた傷は癒えていない。彼の中で、4階への恨みは更に膨らんでいた。

「白い髪だろ?」「そいつを殺せば復讐できる」「やろうぜ」

 3人の親たちは復讐の炎を燃やしていた。伊凪悠理を殺さなければ気が済まない。


           *       *       *


 根之国暦237年9月16日。

 時刻17時5分。根之国、地上4階。居住区域、中央坑道。

 日課になっている格技場での訓練からの帰り道、4階中央坑道を歩いていた伊凪悠理は顔を隠した8人の男達に囲まれた。

「魔物の仲間」「こいつも魔物だ」「魔物め……」「こいつのせいで」「殺してやる」

 口々に罵る男達。いつもと違うのは相手が生徒ではなく30代から40代の男達ということだ。そして、皆が手に包丁を持って殺気立っている。

 後ろから悲鳴。歩いていた誰かが事態に気付いたのか。

 それを合図に男達が動いた。

 悠理は上に──男達を跳躍で避ける。

(殺す……のは後が面倒か)

 跳びながら悠理は決めた。

「痛ぇ!」「ヤロウ!」「殺してやる!」

 ぶつかり合った男達の何人かが、包丁で怪我をしたようだ。

 「加速」する。

 余裕が無いのではなく、確実に殺さないための措置だ。

 振り向いた男に迫る。左で包丁を払いのけ、腹への一撃。

 隣の男に右肘。倒れる男を(かわ)し、

 突き出される包丁の下をくぐり、右の拳。

 次は右に横蹴り。

 そして後ろに跳ぶ。男達の後ろから複数の足音が聞こえてきた。

「確保しろ! 全員確保だ!」

 それは聞いたことがある声だった。

 悠理は逃げ出そうとした男達を牽制する。逃がしてやる気は毛頭無い。

 包丁を振り回しながら抵抗する男達は、駆け付けた警察部の隊員達に防護盾で抑え込まれていった。

「伊凪君! 怪我は!」

 そう声をかけてきたのは警察部10人隊の隊長、大戸(おおと)直毘(なおび)だ。

 悠理は首を振って無事を伝えた。

「そうか、良かった……君に怪我をされたら泉美(いずみ)さんに怒られてしまう」

「泉美さん、お元気ですか?」

「うん。伊凪君のおかげで助かったと喜んでいたよ」

「僕も、色々教えてもらったから」

「事情はこいつらから聞くから伊凪君は帰りなさい。護衛は……必要ないかな?」

「はい。でも……心配するから久遠には内緒にしてください」

「……分かった。気を付けて帰りなさい」

 悠理は何も無かったように歩き出した。何故自分が命を狙われたのか、考えるだけ無駄というものだ。言葉が通じるからと言って、理解できるとは限らない。そういう相手は嫌と言うほど知っている。

「警察部に連れていけ!」

 背後から直毘の怒声が聞こえた。


 時刻19時5分。根之国、地上3階。管理区域、伊凪悠理親衛隊控室。

 地上3階の階段近く、倉庫に偽装されている伊凪悠理親衛隊専用の控室がある。親衛隊員はここで着替えて出撃するのだが、3階で勤務している職員達は黒い戦闘服を着た局長達の姿を見ても存在を認識していないように無視する。心の中では(また遊んでる)くらいは思うだろうが。

 悠理が襲撃されたという報告を受けてから、天乃弥奈は局長会議ではなく、親衛隊長の高見育子に親衛隊を集めさせた。控室には弥奈と育子の他に、宿儺良子、火照茅野、木津羽音の「三竜」、常立鳴海、葦黴宝子、葉槌多霧の「三バカ」、宿儺結良の7人。伊凪隊に籍を置いている火照緋焔と磐筒竜希は呼ばれなかった。親衛隊が対処するということは、公に出来ない手段を使うということだ。

 「三バカ」は部屋の隅で小さくなっている。彼女等の元上司「三竜」を恐れているからだ。特に恐れているのは鳴海だ。5階南側独立騒動で元上司の羽音に頼ってしまったため、親衛隊として出撃できなかったと未だに恨まれている。

 宿儺結良はここでも進行役で、警察部から得た情報を読み上げている。伊凪悠理が刃物を持った8人の男達に襲われた。悠理は無傷で犯人は全員捕らえた。警察部が取り調べ中。犯人は昨日野人に殺された男子生徒の親達。南方武瑠が勝手にやったことで死者を出し、それを禍津一男と八十兄弟が悠理の所為と吹聴しているらしい。

「最後に、休暇中の荒波永遠防衛局長からの伝言です。『殺せ』──以上です」

 その思いは皆が共有していることだ。どうせ気になるから永遠にも報告している。

「……やっちゃいけないことを、やっちまったなぁ」

 宿儺良子が唸った。親衛隊の逆鱗そのものの暴挙だからだ。

「犯人はどうする? 殺すか? ついでに南方武瑠も殺すか?」と火照茅野。

「殺して良いよ。私も許す」と木津羽音。

「……最初は、私に任せてもらえないかな?」

 考え込んでいた弥奈が静かに言った。その目はすでに「悪鬼」と渾名される冷たいものに変わっている。彼女は親衛隊員ではないが誰も気にしていない。彼女が本気で怒ればどうなるかは、ここにいる誰もが知っている。


           *       *       *


 根之国暦237年9月20日。

 時刻20時20分。根之国、地上5階。南側居住区域、中央坑道。

 南方(みなかた)武瑠(たける)は5人の南方隊の隊員と巡回の途中だった。

 ここ数日、5階南側居住区域に魔物が出るという噂が立っていた。目撃者の情報では人間の体に馬の頭の魔物だという。警察部は取り合わず、八十三郎からその情報を聞いた武瑠が南方隊の出番だと毎晩の巡回を始めたのだ。

 野人との戦闘で死者が出たにも係わらず、南方武瑠への批判は無かった。独立騒動に参加した武瑠を憶えている住人は多かったし、彼の強さに期待する住人も多かった。何より、3人の生徒達を殺したのは伊凪悠理ということになっていた。禍津一男と八十兄弟が吹聴してまわった結果だ。南方武瑠は5階南側では英雄扱いをされていたのだ。

 彼等は5階格技場から勝手に持ち出した木刀で武装し、今夜も巡回を続けていた。

 反面、日女(ひるめ)教の抗議行動が魔物の怒りを買ったのだという噂も流れ始めた。独立騒動での「黒い魔物」の記憶は生々しい。5階南側住人は日女教の信者を中心に「魔物を殺せ」と叫ぶ排除派と、「魔物を怒らせるな」という穏健派に分かれていた。宗教によって根之国を乗っ取ろうという佐古(さこ)探女(さぐめ)の野望の前に、初めての障害が現れた。布教のための嘘だったはずが、本物の魔物という形をとって。

 佐古探女は今日も中央坑道で布教を続けていた。その周囲には禍津熊男が率いる男達。独立は失敗したが、宗教によって根之国を乗っ取ろうという探女の野望に再びの希望を見出したのだ。

 息子達は南方武瑠について魔物狩りをしている。彼等は3つの組みに分かれて巡回を続けていた。その1隊を率いているのは禍津一男。もう1隊は八十継男と八十三郎の兄弟だ。


 八十兄弟は中央坑道を外れ、120m続く小坑道の1本に入っていた。

 下の階とは違い5階南側の小坑道の壁は素掘りのままで、地面だけがコンクリートで被覆されている。電灯で照らされているから暗いということは無いが、それでも不気味さは(ぬぐ)えない。八十兄弟と6人の男子生徒たちは、内心の恐怖を必死に押し殺しながら見回りを続けていた。

「継男さん……誰か付いてきてるぜ。もしかしたら……」

 そのうちの1人が何かに気付いた。皆がビクッと体を震わせる。

「な……何言ってんだ。魔物なんて、本当にいるわけねぇだろ?」

 継男は立ち止まって振り向いた。そこには黒いフード付きのマントを被った1体の魔物。そのフードから出ているのは──確かに馬という生物の顔だ。

「俺に任せろ。俺は野人を殺した男だからな」

 周囲の男達から感心の声が漏れた。気分を良くした継男は木刀を構えて魔物に歩み寄っていく。継男は野人との戦闘で数人と協力してではあるが1体を倒していた。馬の魔物は、野人と比べると怖くは見えなかった。

 馬の魔物の武器は、何故か同じ木刀だった。

 余裕の笑みで木刀を構える継男。そして──、

 彼が気付いた時、彼の周囲には同じように倒れた7人の男達がいた。


 その頃、禍津一男が率いる7人の隊は、別の小坑道でもう1体の魔物と対峙していた。

 こちらは夜叉の面を被った小柄な魔物。同じようにフード付きの黒いマントを被っているが手には何も持っていない。魔物は伊凪悠理よりも小さく見えた。

 死者まで出した野人との戦闘で、一男は1体の野人を仕留めた。自暴自棄になって突っ込んだ結果だが、それでも自信を取り戻していた。

 7人もいるのだから負けるとは思えなかった。しかし、襲い掛かった男達は、次々に木刀での攻撃を(かわ)され殴り倒されていく。まるで、悠理と戦った時の再現。あっという間に6人が倒され、残るは一男だけになった。

 逃げるしか──脳裏に浮かぶのは当然の思考だ。

 背中を向けた一男の腰に強い衝撃。

 吹き飛んだ一男は、それでも振り返って木刀を魔物に向けた。

 ゆっくりと、魔物が近寄ってくる。

「オマエ……もしかして人形か? 親父がダマっちゃいねぇぞ!」

 一男の声は震え、足も震えている。

 これも震えている木刀の先端を、魔物はゆっくりと(つか)んで持ち上げた。そのまま一男ごと上げてしまいそうな力に驚愕し、彼は唯一の武器を手放してしまった。

「魔物……本当に、魔物……」

 その力は人間のものとは思えなかった。腰を抜かした一男は、逃げようと必死だ。

「ぎゃっ!」

 一男の右足の(すね)に木刀が振り下ろされた。

「お……折れた……折れたぁ!」

 もがく彼の肩に、次の一撃。

「ぎゃっ!」

 魔物には躊躇(ためら)いが無い。虫を潰すように淡々と、何度も木刀を振り下ろす。

 人気(ひとけ)のない小坑道に禍津一男の悲痛な叫びが続いた。

 集合時間になっても戻ってこない仲間達を探していた南方隊の男達は、倒れた15人を見つけていた。その報告を受けた武瑠は黙って考え込んだ。


 時刻21時20分。根之国、地上4階。居住区域、伊凪家。

 久遠は、自室で悠理が幼い頃の写真を集めたアルバムを凝視していた。母の永遠が秘蔵写真を譲ってくれたのだ。そこには確かに、悠理の他にも久遠と寧々子と3人の母親が写っている。この頃の悠理は表情豊かで、心を閉ざしている様子は見られない。彼女にとって、憶えていなければならない記憶のはずなのだ。

「久遠ちゃん、弥奈さんは? 帰ってくる予定だったよね?」

 ノックの後、久遠の部屋に入ってきた寧々子は、帰宅予定だった弥奈の不在の理由を聞いた。

「忙しい人ですから、急な用事ができたのでしょう」

 それが何か、見当はついていたが寧々子には教えない。悠理が襲われたと聞けば心配するだろうからだ。久遠も知らないフリをしていなければならないのは苦痛だった。弥奈の代わりに魔物の役をしたいというのが本心だが、彼女であれば相手を殺してしまうだろう。

「そうなんだ……あれ? また見てるの?」

 横から覗き込む寧々子。

「……どうしても思い出せません」

 どうにかして悠理との記憶を掘りだそうとしている久遠は、ページをめくっては穴が開くほど凝視している。

「無理だよ。私でも何となくだもん」

「そこが大切なのです。何となくでも悠理を昔から知っているという実感が欲しいのです」

「悠ちゃんは夢で見ていたらしいけどね……悠ちゃんは特別だよ、頭良いもん」

「テストの点数は、それほどでもありませんが?」

「それね、ワザと間違えてるんだよ。あの可愛さで頭も良いなんて、子供の頃は特にイジメの理由になるもの」

「……私が一緒であれば、そのようなことはさせなかったのですが」

「分かんないのが、そこなんだよね。何でお父さんは、悠ちゃんを落第生だって思っちゃったんだろ?」

 寧々子は、失敗作を落第生と言い換えた。

「さぁ……悠理よりあのバカを評価する人ですから何とも……弥奈のことが嫌いだったのでは?」

「あ……それだ」

 寧々子の頭の中で、久遠の言葉と疑問が結びついた。

「冗談ですけど?」

「それだよ。お父さんは悠ちゃんを駄目だって思い込もうとしたんだ。弥奈さんよりも自分の方が優秀だっていう証明にしたかったんだよ。久遠ちゃん、よく分かったね」

 弥奈が嫌いだから悠理を評価しない。寧々子には思いつかなかった理由だ。

「……褒められているとは思えませんが?」

 娘の寧々子よりも高見恭平に似ていると言われたようなものだ。殺したいくらい嫌いな相手の思考を理解できたというのは、愉快なことでは無い。


           *       *       *


 根之国暦237年9月21日。

 時刻16時20分。根之国、地上3階。管理区域、局長用会議室。

「5階南側での魔物騒動ですが、いまのところの被害者は重軽傷者15人。死者はいません。重傷者は禍津一男。複数個所を骨折しているようです」

 局長会議は宿儺結良の報告で始まった。

「防衛局としては魔物などという噂に付き合う余裕は無い。若者同士の抗争と見ている。木刀を持ち出して集団で徘徊するなど言語道断だ」

 削根は冷たく突き放すように吐き捨てた。

 弥奈は黙ったまま、珍しく一言も発言しようとしない。

「5階南側の状況はどうなっているのですか?」

 弥奈が喋らないからなのか、久遠が珍しく発言した。佐古探女が「黒い魔物」として排除の対象にしているのは久遠だが、当人は不快にさえ思っていない様子だ。それを悠理に向ければ、逆鱗に触れてしまうことになる。今がまさにその状況なのだが、久遠はひたすら耐えていた。「久遠には知らせないで」という悠理の意思を尊重してのことだ。 

「魔物を追い出せという住人と、魔物を刺激するなという住人に分かれて対立している」

「また抗争でもするつもりでしょうか?」

「その元気があれば大したものだな。怪我人なら大人しくしていろと言いたい

 削根と久遠以外の局長は騒動の当事者だから、必然的に2人の会話になっているのは仕方のないことだろう。その2人も分かって言っているのだが。

「魔物ですか……そんなものがいるとして、次は誰が狙われるのでしょうね?」

 白々しく、誰にともなく久遠が聞いた。

「見野豊香さんは、禍津熊男と八十太助を希望していました」

 唯一反応したのは居住局長の鳴海だった。

 見野豊香とは、元々5階で掘削作業をしていた居住局の職員だったが、禍津熊男が独立を言い出したと聞いてすぐに仲間達と5階から脱出した30代の女性だ。独立騒動が収まった後も、豊香と仲間たちは5階に戻らず3階で作業を続けている。天乃弥奈の依頼で3階管理区域の奥に「天乃の岩屋」と呼ばれる新たな居住区域を作っているのだ。

「ふーん、そうなんだ?」

 会議中、弥奈が発した言葉はそれだけだ。次の標的が決まった瞬間だった。

 局長会議終了後、何となくの目配せで、弥奈と久遠は会議室に残った。

「私も手伝いましょうか?」

「ん? 久遠は悠ちゃんと一緒に野盗退治をお願い。その代わり、しばらく藍馬を借りるね」

「……分かりました。ですが程々にしてくださいね。あのバカは本当に強いですよ」

「うん、気を付けるよ」

 久遠の忠告を、弥奈は素直に聞き入れた。弥奈が冷静を保っていることを確認して、久遠は先に会議室を出た。


 時刻20時10分。根之国、地上5階。南側居住区域、中央坑道。

 禍津熊男は怒り狂っていた。魔物に襲われた息子の一男は複数個所を骨折して動けない状態だ。熊男自身も独立騒動で負った傷が癒えていないが、そんなことを言っていられる状況ではない。息子に大怪我を負わされて黙っていれば舐められる。これまで彼が築いてきた名声が地に落ち、仲間達も彼を見捨てるだろう。それだけは許せなかった。

 熊男は八十太助と仲間達を集めた。息子を怪我させられた父親を中心に、集まった数は20人ほど。独立時に負った傷が癒えてない者は多いが、その時に集まった70人を思えば少ない人数だ。独立失敗により、熊男の影響力は確実に低下していた。彼等は包丁を隠し持って5階南側を歩き回った。息子達の話では魔物は2体。岩盤の掘削を仕事とする男達は屈強で、いくら魔物でもこの人数がいれば殺せるだろうと彼等は確信していた。何より、今回の魔物はあの黒い魔物ではないという。

「いた! 魔物だ!」

 偵察に出していた男の声。

「いくぞ!」

 熊男は声の方に走った。男が指す先は1本の小坑道。その先は120m続くが行き止まりで、魔物を追い詰めたも同然だ。

 20人の男達が走りこんだ小坑道には、確かに2体の魔物がいた。黒いマントに付いたフードから覗くのは、馬の仮面に般若の仮面。どちらも小柄で強そうには見えない。2人は武器らしい物を何も持っていない。目立つのは、腕に付けた青銅の籠手と手袋くらいか。

「おいおい、これのどこが魔物なんだよ?」

 熊男は呆れた顔で2体の魔物を見た。どう見ても変装した子供だ。

「禍津さん、俺にやらせてくれよ。うちも2人の息子をやられてるんだ」

 1人の男が前に出て熊男に言った。

「おいおい太助よぉ、うちの一男は大怪我させられたんだぞ──」

 2体の魔物は2人の男の会話で目標を見つけた。

「──まぁいいや、1体は太助にやらせてやるよ。間違えて殺しても、誰も文句は言わねぇだろうよ」

 太助は熊男の前に出て、馬頭仮面の前に立った。

「いたずらが過ぎたな。どうやって俺の息子たちを倒したのかしらねぇが──」

 ドスッと鈍い音が聞こえて、太助の体が下に崩れ落ちた。

「テメェ! やりやがったな!」

 熊男が包丁を取り出す。

 その時、

「うぉっ!」「何だ!」「魔物だぁ!」「3体いる!」

 熊男の後ろに集まった男達の最後尾から叫びが聞こえた。同時に響く打撃音。今夜現れた魔物は2体ではなかったようだ。

「なにぃ!」

 熊男の気が逸れる。その一瞬で包丁を持った右手を般若仮面に掴まれた。

「だからどうしたって……ぎゃああぁ!」

 骨を砕かれた音は叫び声に消された。

「やろう!」「何しやがる!」

 殺気立った男達の前に馬頭仮面が立った。突き出した包丁は簡単に払われ、皆が一撃で倒されていく。

 熊男の腕を放した夜叉仮面は、もがき苦しむ彼を無視して気絶した太助に歩み寄った。

 投げ出された太助の腕を目掛けて、夜叉仮面の足が躊躇なく踏み下ろされる。

 夜叉仮面は他の4体の魔物が倒した男達を踏みつけながら小坑道を出て、いずこかへと消えた。


           *       *       *


 根之国暦237年9月24日。

 時刻8時50分。根之国、地上4階。教育区域、高等部1年2組教室。

 南方武瑠は悩んでいた。魔物は1体も倒せず、被害者と魔物が日に日に増えていく。馬頭と夜叉に続いて小面(こおもて)(おきな)、狐などなど、ふざけているとしか思えないのに強い。

 それなのに、何故か彼の前には一度も現れないのだ。

(俺の強さが分かるということだ。その程度の知能があるとすれば相手は魔物では無い。だとすれば裏で偽の魔物を操っているのは伊凪悠理──あの悪魔に間違いない。あの悪魔に操られた人間が魔物に変装しているのだ。1人でも捕まえることが出来れば奴の仕業だと証明出来る。どうすれば──変装? 俺も変装すれば良いのではないか? そして魔物の正体を暴き、あの悪魔の仕業と証明する。そうすれば奴はこの都市から追放され久遠は俺の元に戻ってくる)

 クワッと目を開く武瑠。その口からは不敵な笑い声が漏れる。周囲の生徒達は、もう慣れたのか無反応だった。


 時刻19時10分。根之国、地上5階。南側居住区域、中央坑道。

 佐古(さこ)探女(さぐめ)は焦っていた。日に日に増えていく犠牲者は彼女の信者達。しかも、徐々に彼女に近い人間が襲われだしている。新たに加わる信者の数は少なくなり、頭打ちになっている。

 禍津熊男も八十太助も襲われた。次は自分なのでは──それは当然の危惧だろう。

「これは宗教弾圧じゃ。4階の奴等が我々を襲わせているのじゃ。警察は味方ではない。奴等は魔物の味方じゃ。その証拠に我々の言葉に耳を貸そうとしない。現に被害者はいるのじゃ。

 その理由は1つ。我々が正しいからに他ならぬ。東に他の都市が見つかったという噂を聞いた者は多いはずじゃ。それを4階の奴等は隠そうとしている。我々が根之国を捨てれば困るのは4階の奴等じゃ。我々が本当のことを口にすると困るから我々を弾圧するのじゃ。黒い魔物の仲間に我々を襲わせているのじゃ。

 準備をせねばならぬ。我々は約束の地を与えられた。これは根源神ワカヒルメムチ様の御意思なのじゃ。我々は選ばれた民なのじゃ。しかし、その前に黒い魔物とその仲間を殺さなければならぬ。仲間を傷つけた魔物を許してはならぬ。さぁ! 魔物を狩れ! 魔物を狩るのじゃ!」

 男達の多くが重軽症を負わされ、残っているのは女性を中心に40人程。それら信者を前に探女は叫んだ。

 間違いではない。が、襲っているのは本人達で悠理の命を狙ったことへの報復である。

 東で見つかったと噂されている都市を防衛局は否定している。本当に見つかっていないからだ。誰が流した噂かは言うまでもない。

 この夜、5階南側に現れた魔物は1体だけだった。殺気立った信者達は「違う! 俺は魔物ではない!」と人語を話す魔物を追いかけまわし、追い詰めるうちに同士討ちで複数の怪我人を出していた。

「それ! 捕まえて化けの皮を剥ぐのじゃ! この都市で生み出された魔物の正体を暴くのじゃ!」

 40人程の信者の波に魔物は追い詰められていった。この日の魔物は良識というものを働かせたのか誰も傷つけようとしない。この魔物、伊凪悠理以外の誰かを傷つけようとしたことは無いのだが、そのようなことは日女教の信者達が知る由も無い。

「待て! 俺は味方だ! 俺は魔物ではない!」

 襲い来る信者達に殴られ蹴られながら叫ぶ魔物。


 その様子を陰から見る10人。

 天乃弥奈、泣沢藍馬、高見育子、宿儺良子、火照茅野、木津羽音、常立鳴海、葦黴宝子、葉槌多霧、宿儺結良。

 事態は日女教と伊凪悠理親衛隊との暗闘へと発展していた。

「……まさか武瑠が出てくるとは」

 出来れば今夜にでも教祖を襲おうと計画していた弥奈だったが、南方武瑠の行動は弥奈の計算をも超えていた。

「作戦変更。せっかく準備してくれたのに悪いけど、今夜は撤退だ」

 このまま日女教の信者達が石窟都市から出て行くまで襲撃を続けようとしていたのだが、新たな役者の登場で筋書きを変更しなければならなくなった。

 彼女等の視線の先で、優しい魔物は信者達の人海戦術に押しつぶされていた。


           *       *       *


 根之国暦237年9月25日。

 時刻8時30分。根之国から西に3km程。

 悠理は久遠と外デート──ではなく、今日は2人だけで野盗の捜索に出ていた。藍馬は弥奈に協力しているし、緋焔と竜希には強制的に遠慮してもらった。おそらくは2人から離れて見張っているだろうが、それでも邪魔しないという良識はあるようだ。都市内にいても不愉快な思いをするだけの悠理に気分転換をさせるための外出だから、親衛隊は大人しく尾行してくれるだろう。

 久遠の話題は昨夜の5階での顛末(てんまつ)。魔物の正体は南方武瑠だった。他の隊員達が狙われたのに武瑠だけは狙われなかったのが証拠だ──と、穏健派の間では、そういう話になっているようだ。弥奈は次の展開を考えているようだが、久遠は悠理にくっついていろと言われた。悠理の意思だから、悠理が襲われたことは知らないふりを続けている。

 小型荷車を()きながら、悠理は興味なさそうに聞いている。南方武瑠の名が出てきただけで不愉快なのかもしれない。確かに、気分転換が目的だから相応しい話題では無かった。

「──このままどこかで、2人で暮らしましょうか?」

「うん。良いよ」

 話題を変えた久遠に、悠理はあっさりと答えた。久遠にとっては嬉しい言葉なのだが、日女教の信者達の暴挙に辟易(へきえき)しているのかもしれない。

「まずは住むところを探さないといけませんね。悠理は川の近くが良いのですよね?」

「川の近くも良いけど……久遠は?」

「私はですね……私は悠理がいればどこでも良いですよ」

 局長達が聞いたら悲鳴をあげるだろう。今すぐに日女教の信者を皆殺しにするから残ってくれ、と。

「うーん、でも、食糧集めとか大変かな?」

 やっぱり物臭なのは変わらない。久遠は心の中でガッカリしていた。悠理さえ良ければ、本気で根之国を出るつもりなのだ。

「悠理」

 久遠が指差す先に目を向けると、遠くに10人程の人影。おそらく野盗だろう。

「どうする?」

「隊長は悠理ですよ。どうぞ私に命令してください」

「…………」

 悠理は面倒くさいという顔をした。10人程度では本気になれないのか、久遠と2人きりだから甘えているのか。

 野盗達は2人を見つけて走り寄ってくる。良い獲物を見つけたと思っているのだろう。

 男ばかりで目の色が違う。禁忌を犯した者独特の異様な光を放つ目だ。

「女が2人なんて危ないぜ。俺達が護ってやるよ」

 下心丸出しで男の1人が笑った。

「なーに、礼は嬢ちゃん達の体で払ってくれればいいぜ」

 不用意に歩み寄る1人の首が飛んだ。「白姫一文字」問答無用の一閃。悠理の逆鱗に触れてしまうのは、野盗であれば仕方のないことか。

「なっ! 何だこいつ!」「とんでもねぇ刀を持ってやがる!」

 野盗達は太刀や打刀を慌てて抜く。

 久遠は刀身を合わせることなく斬っていく。野盗達では追いつけない剣技だ。

(綺麗だなぁ……)と悠理は感心していた。久遠の動きは無駄が無く流麗で、彼では遠く及ばない。

 それでも、久遠1人に任せておくわけにはいかないと、悠理も参戦した。

 1人だけ残った野盗は慌てて逃げ出す。斬りかかろうとする久遠を、

「久遠!」

 と悠理が止め、目で意思を伝える。

「分かりました!」

 2人は小型荷車をその場に放置して、逃げ出した野盗を追う。

 野盗の隠れ家は交戦地点から西に500m程。根之国から西に4km程の場所にある洞窟だった。入口を灌木で擬装していて、生き残った1人はそこから中に入った。

「……久遠、もしかしてあれって?」

「はい。馬という生き物ですね。初めて見ました」

 洞窟の入口近くには、月毛(つきげ)青鹿毛(あおかげ)の馬が1頭ずつ繋がれていた。

「……僕たちみたいだね」

 寄り添う白馬と黒馬は、自分達を見ているようだった。

「そうですね……連れて帰りましょうか? 野盗には勿体ないですよ」

 久遠は馬を真似るように自分の頭を悠理に擦り付けた。

「うん」

 久遠が言うのであれば悠理に異存は無い。このまま逃がしても、生き残れるとは限らない。

 洞窟の入口を抜けると、内部は意外に広かった。

 留守番をしていたと思われる2人と合わせて3人の野盗を斬った後、悠理は洞窟を見回した。

 散乱している白骨、ガラクタ、寝床と思われる草の塊、石を並べた(かまど)。略奪品と思われる品々──硬貨と宝石が入った麻袋に、食糧、布、数振りの太刀等を発見した。

「……家にするには汚いかな? それに、使えそうな道具は無いね」

「そうですね……候補ということにしておきますか」

 鍋などの調理器具は使う気になれない物だった。何を料理したのか分かったものではない。それでも、製造局へのお土産として鉄製品は持ち帰るために集める。

「うん」頷きながら悠理は、野盗の死体を洞窟の外に引きずっていった。放置しておけば剣歯猫(サーベルキャット)や恐鳥類が処分してくれるだろう。それから、放置した小型荷車を取りに走る。

 戦利品を荷車に積み終えて、悠理は(つな)がれた2頭の馬に近づいた。

「……悠理?」

 久遠の声は不安そうだ。強化された体でも、蹴られたら怪我くらいはするだろう。

「大丈夫……だと思う」

 悠理もさすがに不安はあるようだ。

「こんにちは。近づいても良いかな?」

 悠理は馬達を警戒させないように声を掛けた。2頭はジッと悠理を観察しているようだ。

「良い? 近づくよ?」

「悠理……無理はしないほうが……」

 久遠が声をかける。が──、

「……大人しいよ?」

 悠理は2頭の間に入り、首に手のひらを当ててみた。2頭に嫌がる様子は無い。

 改めてジックリ馬という動物を見る。美しい生き物だと悠理は思った。

 悠理は繋がれた縄を解いて「行こう」と2頭を引いた。馬達は大人しく付いてくる。

「……慣れているようですね。それとも好かれたのでしょうか?」

 恋人バカとでも言うべきなのか、久遠は安堵の表情を浮かべて小型荷車を引いて悠理の横に並んだ。

 途中で野盗の死体から貴重品と刀剣類を回収し、2人は2頭の馬と共に根之国に帰った。


 時刻10時30分。根之国、防護柵、跳ね橋前。

 連れ帰った2頭の馬を見て、見張り(やぐら)の防衛部隊員達は慌てて降りてきた。跳ね橋を下ろした彼等は口々に「これ馬だろ?」「初めて見た!」「こんなにでかいのか!」と騒いでいる。絶滅したと思われていた動物だから皆が驚くのは当然だろう。

 比良坂(ひらさか)を上る間も、報告を聞いた防衛部の隊員達や、農業部の職員達が遠巻きに馬を見に来た。少し落ち着かなくなった2頭を「大丈夫だよ」と悠理が(なだ)める。

 久遠が隊員達に声を出さないように、少し下がるように合図を送る。隊員達は素直に従った。

 出入口には磐筒(いわつつ)豪希(ごうき)が待っていた。

「今度は馬か。伊凪君が外に出ると、帰ってくるのが楽しみになるな」

 豪希は愉快そうに笑った。

「取りあえずは畜産区域に繋いでおくか。そのうち厩舎を作らせよう。隊員達が喜んで作るだろうな」

 根之国の地上1階には、出入口近くに防衛部隊員控室があり、その奥は居住区域と畜産区域になっていて乳牛、豚、鶏が飼育されている。洞窟のまま残っている区域が多いから天井が高く空間としては広い。

「水を用意してもらえますか? 喉が渇いているでしょうから」

「分かった。用意させよう」

 悠理は青鹿毛の馬の縄を久遠に預け出入口の坂道を上った。

「あら? 貴方も行きたいのですか?」

 久遠は続こうとする青鹿毛に逆らわずに悠理に続いた。小型荷車に積まれた戦利品は防衛部の隊員達に任せる。

 2頭は用意された水を飲み落ち着いたようだ。

 食糧局畜産部の職員達が話を聞いて集まってきて観察している。

「馬って何を食べるんだ?」「牛と似たようなものか?」

 悠理と久遠は彼等に馬を任せて伊凪隊の控室に向かった。


 時刻13時5分。根之国、地上3階。管理区域、局長用会議室。

 局長用会議室は、悠理が持ち帰った馬への対応で大わらわになっていた。

 正式に開かれた会議では無いのだが、「陰の独裁者」伊凪悠理が連れて帰った珍しい動物というだけで、彼女等にとっては大問題だった。

 集まっているのは、天乃弥奈、宿儺結良、磐筒削根、高見育子、常立鳴海、葦黴宝子、葉槌多霧、荒波久遠の8局長だ。

「馬って何を食べるんですか?」「どうやって飼うんですか?」「どこが管理するのですか?」

「悠理様の馬です。ここは管理局と畜産部が管理するべきです」

 落ち着かない三バカに結良が断言する。

「畜産部って食糧局でしょう?」「もしかして食べるつもりですか?」「馬って食べられるのですか?」

「食べません! 食べるわけがないでしょう!」

 円卓をバンバン叩きながら結良が叫ぶ。彼女も浮足立っているようだ。

 久遠は眉間に皺を寄せ、何を言っているんだという顔をしている。

「すでに畜産部の職員達が観察を始めています。白い馬は月毛(つきげ)牝馬(めすうま)で、黒い馬は青鹿毛(あおかげ)牡馬(おすうま)のようです。職員の間では『鬼月』『青鬼』と呼ばれています」

「……また、鬼ですか?」

「こればかりは……『鬼神』と『鬼姫』が連れ帰ったのですから、鬼が付くのは仕方ないと思います」

 真面目な顔で言う結良と、眉間の皺がさらに深くなる久遠。

「……性別は、私達とは逆ですね」

 久遠はそう答えるしかなかった。結良にまで言われるようになったのでは、「鬼」の渾名を諦めるしかないのか、と改めて思ったのだ。

「そのままですよ?」「そのままですね?」「否定は出来ませんねぇ」

「……どういう意味ですか?」

 久遠の目が危険な光を宿す。自分の方が男っぽいのは自覚しているが、他人に言われると腹が立つ。

 扉が開いて白山菊江が入室してきた。

 三バカは直立不動になり、結良と育子と久遠は背筋を伸ばす。

「菊ちゃん、どうしたの?」

 この中で彼女を「菊ちゃん」などと呼べるのは削根だけだ。彼女等は初のアエテルヌスとして苦楽を共にした仲だ。

「お邪魔します。重要案件ですのでお許しください」

 菊江は1冊の本を机の上に置いた。「馬の生態」と表題が書かれた手作りの本だ。偵察部が持ち帰った本の内容を可能な限り書き写し、知識として整理するのは菊江の趣味だ。

「悠ちゃんが連れて帰った貴重な生き物です。殺したら許しませんよ」

 菊江に(にら)まれ三バカが震え上がる。お前等は関わるなと明確に伝えている目だ。

「お預かりします。私はまだ整理できていませんでした。助かります」

 菊江と同じ趣味を持つ育子が本を受け取った。

「年の功ですね。悠ちゃんの役に立つ日が来ると信じていました」

 結局、菊江も悠理が一番のようだ。

「……白山先生、繁殖の仕方とかも分かりますか?」

 珍しく弥奈が敬語を使った。彼女も菊江の教育を受けた1人だ。

「私が整理しているのは知識だけですから限界はあります。畜産部職員の経験次第ですね」

「すぐに検討させますが……悠理様の意向も大事だと思います」

 結良が横から口を挟んだ。目上同士の会話だが、悠理の事となれば話は別だ。

「自然なことであれば悠ちゃんは何も言わないと思うよ。貴重な動物だから数は増やしたいな」

「そうだ。厩舎は防衛部の隊員達に作らせると豪希が言っていた。畜産部からも意見を聞きたい。やり直しは避けたいからな」

「初めてのことですから、皆さんで協力してください。管理局長は宿儺さんでしたね? 貴女が中心になってしっかりお願いします」

 退室する菊江を、結良は敬礼で送り出した。さすがは「大先生」。人を見る目は確かだ。


 時刻15時5分。根之国、地上3階。管理区域、中央坑道、新居住区域建設現場。

 地上3階の中央坑道には岩盤を掘削する削岩機の音が響いていた。この現場で作業しているのは居住局都市開発部長見野(みの)豊香(とよか)が率いる40人の職員達だ。豊香は短い黒髪に褐色肌で筋肉質の大柄な体の美女で、仲間からは「アネゴ」と呼ばれている。元は5階で掘削作業をしていたのだが、禍津(まがつ)熊男(くまお)が独立を言い出したと聞いてすぐに仲間達と5階から脱出したのだ。独立騒動が収まった後も、豊香と仲間たちは3階で作業を続けている。天乃弥奈の依頼で3階管理区域の奥に「天乃の岩屋」と呼ばれる新たな居住区域を作っているのだ。

 都市開発部長という肩書になっても豊香は現場で作業を続けている。根っから体を動かすのが好きな性格なのだ。

「豊香」

 と、相変わらず呑気な弥奈の声が、手拭いを顔に掛けて休憩中の豊香の上から聞こえた。

「……弥奈か?」

 手拭いを取ると、プラチナブロンドの長髪に包まれた顔が彼女を覗き込んでいた。

「ちょっとお願いがあるんだ。5階でやりたいことがあってねぇ」

「え? 5階なんか戻りたくないね」

 豊香は手拭いを顔に被せて拒絶の態度だ。

「大丈夫だよ。禍津熊男も八十太助も大怪我して動けないからさ」

「……どういうことだ?」

 手拭いを片目分だけずらして、豊香は(いぶか)しげに弥奈を見た。どうやら、魔物騒動を知らないらしい。

「ちょっと協力して欲しいんだよねぇ」

 弥奈は意地の悪い笑顔を豊香に見せた。背筋が寒くなるような、「悪鬼」の目だった。


 時刻16時45分。根之国、地上1階。畜産区域、仮厩舎。

 悠理と久遠と藍馬は、1階に仮設された厩舎にいた。悠理が連れ帰った2頭の馬は、牛用の干草を与えられて()んでいる。世話をしているのは、食糧局畜産部の50代の職員だ。

 藍馬は初めて見た馬に感動している。自分の名前に付いている動物だから、余計に興味があるのだろう。

「白い方が牝馬で鬼月、黒い方が牡馬で青鬼って名前がついちまった。気に入らなければ変えな」

 職員は若い頃から畜産部で牛の世話をしているらしい。食糧局長の葦黴(あしかび)宝子(ほうこ)を飛び越えて、管理局長直々の指名というから信頼できる人物なのだろう。

「月ちゃんと青君で良いのでは?」

 もはや自分達に付きまとう「鬼」の渾名を諦めた久遠が無難な呼び名を提案した。

「そうだね」

 悠理は何でも良いようだ。

「あら? あらあら? 何ですか?」

 青鬼を撫でていた藍馬が鬼月にポニーテールを噛まれて慌てている。

「そんな尻尾を付けているから仲間と思われたのか?」「嫉妬しているのではないですか?」

 職員と久遠は笑っている。

「昔の人間は乗っていたらしいが、どうするんだ?」

「乗りません。好きにさせてやってください」

 職員の問いに悠理は即答した。

「そうか。それなら馬具は外しておくか」

 我が意を得たりとばかり、職員は微笑してすぐに馬具を外した。その様子から、頑固そうな人物だが、信用できると久遠は判断した。

「ほぉ……これが馬という動物なのか。この大きさ、俺にこそ相応(ふさわ)しいものだ。よし、俺の愛馬にしてやろう」

 いきなり現れた南方(みなかた)武瑠(たける)が鬼月に後ろから接近した。馬が見つかったという話が石窟(せっくつ)都市に広まっているのだろう。3人の顔が「またか」と(ゆが)む。

 悠理は干し草を食む鬼月の耳に「蹴って良いよ」と(ささや)いた。

 武瑠が尻を触ろうと手を伸ばした瞬間、鬼月が武瑠を蹴り飛ばす。

「良い子だね」

 悠理はタテガミを撫でながら鬼月を褒めた。やはり武瑠に勝てるのは女性だけなのか。

「後ろから近付いたら危ないに決まっているだろうが」

 気絶した武瑠に、ムスッとした顔で職員が吐き捨てた。

「……やはり、馬に蹴られたくらいでは死なないようですね」

 残念そうな顔で久遠。分かっていたことだが少しは期待してしまった。

「そうだね」

 防衛部の隊員達に引きずられていく武瑠を見ながら悠理も残念そうだ。


           *       *       *


 根之国暦237年9月26日。

 時刻8時45分。根之国、地上4階。教育区域、高等部1年2組教室。

 南方武瑠は追い詰められていた。5階で40人の住人に追われ魔物の正体と決めつけられてしまった。どうにか逃げ出してきたのだが、このままでは魔物と勘違いされたまま追い回されることになってしまう。せっかく鍛えた南方隊は負傷者多数で全滅状態。再び孤軍奮闘するしかなくなっていた。

(それというのも全てあの悪魔が仕組んだことに違いない。自分の罪を俺に擦り付けたのだ。このままでは俺が魔物ということになってしまう。本物を捕まえて正体を暴かなければ築いてきた俺の名声は地に落ちてしまうだろう。それこそが奴の狙い。しかし、今の俺では素顔でも変装しても魔物として追われてしまう。俺はどうすれば……)

 八方塞がりは自業自得──というより禍津一男と八十兄弟が3人の生徒の死を悠理の所為だと吹聴してまわったトバッチリなのだが南方には分からないことだろう。

(どちらにせよ追われるのであれば変装して本物の魔物を捕らえるしかない。素顔を(さら)してしまえば魔物は俺に近寄ってこない。住人から身を隠しつつ魔物を捕らえる。困難ではあるがこれも久遠のため。この程度の苦境を乗り越えずして根之国の王にはなれぬ。そうだ。これも英雄に課せられた試練なのだ)

 思考を続ける南方武瑠は、ふと自分の机の中に入れられた「ひょっとこ」の仮面を見つけた。

(これは……何だ? これを使えということか? 誰が? あるいは……間違えて俺の机に入れてしまったのか? このクラスに魔物の仲間……あの悪魔に洗脳された生徒がいるということか? そうであれば……丁度良い。この面を(かぶ)れば、魔物達は俺のことを自分の仲間だと思うだろう。この面を使って本物の魔物を捕らえてやる。まさか伊凪悠理も、自分が用意した面で尻尾を掴まれるとは思わないだろう)

 弥奈に頼まれて武瑠の机にひょっとこの面を忍ばせたのは白山菊子である。今から10分ほど前のことだ。1年2組の生徒達は、1組の女生徒が間違えて教室に入ってきて、椅子に落ち着いてからようやく間違いに気付いた、という一連の行動をそのまま受け取り、すぐに忘れることだろう。自分の存在を意識させないという彼女の特技は、こういう工作にも向いている。悠理はともかく、久遠にさえ自分の存在を気付かせない菊子もまた、伊凪悠理親衛隊にふさわしい猛者と言える。

 馬に蹴られた武瑠の腹部が(うず)いた。

(あの悪魔……野人だけではなく馬まで操れるとは……俺は見た。馬が俺を蹴る前に、あの悪魔が何かを

囁いていた。このクラスにも洗脳された生徒がいるのであれば、俺に安息の地は無い。早く……久遠のためにも早くあの悪魔を亡き者にしなければ……この俺をここまで追い詰める悪魔……認めてやる。認めてやるしかないが、それは俺を本気にさせたということだ。覚悟しろ伊凪悠理。キサマが洗脳によって奪おうとしている俺の王国を、俺1人の力で守り抜いてみせる)

 もはや彼にとって不俱戴天(ふぐたいてん)の敵となった悠理をどうやって排除するべきか、南方武瑠の思考は深く深く沈みこんでいった。


 時刻10時5分。根之国、地上4階。居住区域、警察部事務室。

 この日、伊凪悠理の命を狙った8人の中から3人の男が釈放された。

 男達の取り調べに当たっていた警察部隊員の名は木津(きづ)忍羽(おしは)、24歳。前居住局長木津(きづ)羽音(はばね)の娘で、裏の顔は伊凪悠理親衛隊の諜報隊員である。

 10日間に渡る取り調べの中で男達は真実を知った。男達の3人の息子は伊凪悠理に殺されたのではなく、無断で組織された南方隊に参加し、野人との無謀な戦闘で死んだのだ。その背景にあるのは公認の遠征隊を任された伊凪悠理への対抗心。

「少し考えてみれば分かることですよ。南方隊の中には禍津熊男の息子も八十太助の息子達もいるのですよ。勝手に編成した南方隊で、野人相手に無謀な戦闘を挑んだから貴方達の息子さんは死んだのです。自分達の息子の無謀な行動に巻き込まれて死んだとは言えないでしょう? だから伊凪悠理の所為にした。日女(ひるめ)教が言う魔物と結び付ければ、信じる人は多かったでしょうね。おそらくご存じないことでしょうが、禍津一男と八十兄弟は、3対1の喧嘩で伊凪悠理に負けています。彼を恨む動機は充分にあるのですよ。

 日女教は魔物の存在で住人を脅して自分達の教えを広めています。その魔物と伊凪悠理を結びつけることで魔物を具体的な脅威にすることは、佐古(さこ)探女(さぐめ)にとっても具合が良かったでしょうね。佐古探女と禍津熊男は繋がっているでしょう? 先の独立騒動で禍津熊男は独立国の王になろうと考えていました。今回は宗教を利用して同じことをしようとしているのでしょう。佐古探女も同じことを考えているでしょうから、協力するのは当然でしょうね。

 ですが、佐古探女が言う魔物が、実体として現れたのは3人の息子さんが死んでからです。これは偶然でしょうか? とてもそうは思えません。貴方達の怒りの矛先を魔物に向けさせ、その仲間として伊凪悠理を貴方達に殺させようとした。自分達の恨みを晴らすために利用したということです。その結果、本来は被害者である貴方達が拘束され、禍津熊男と八十太助は自由に動き回っていますよ。

 魔物の正体は南方武瑠でしょう。南方隊を勝手に編成して3人の命を奪っておきながら、未だに彼が英雄視されているのは魔物のおかげです。自作自演で名声を守ろうと考えたのでしょうね。貴方達の息子は南方武瑠の虚栄心の所為で死に、貴方達は禍津親子の嘘で伊凪悠理を殺そうとしたというわけです。野人と意思疎通できる人間など、いるわけがないでしょう?」

 木津忍羽が吹き込んだのは9割の真実と1割の嘘。日女教と南方武瑠の間に繋がりは無いし、悠理が野人と意思疎通をしていたらしいという報告は親衛隊からもたらされていた。「野人だってそのくらいの知能は持ってるよ」が弥奈の意見だ。今まで誰も試みたことが無かっただけの話らしい。だが、その事実だけは伏せた。意思疎通が出来たからといって、悠理が野人を操れるわけでも、仲間になったわけでもない。

 それでも、3人の男達は日女教と南方武瑠と禍津親子に騙されたのだと知った。味方だと思っていた奴等が敵だったと気付いた。男達の怒りは自分達を騙し、息子を殺した相手に向かった。

 怒りに震えながら5階へと戻る3人の男達を見送りながら、

「いってらっしゃーい」

 と、木津忍羽は爬虫類のような笑みを浮かべた。彼女の警察部内での渾名は「黒蛇」で、腰に差す打刀(うちがたな)の名は「(みずち)一文字」。彼女もまた、伊凪悠理を巻き込んだ奴等を許すつもりなど微塵(みじん)も無かった。


           *       *       *


 それからの数日、穏健派の間で魔物事件の真相が語られるようになっていた。魔物事件をでっち上げたのは佐古探女と禍津熊男。魔物の正体は名声を得ようとした南方武瑠。魔物に襲われたやつらは怪我などしていない。自作自演で住人の不安を(あお)り、独立運動を再開しようとしているのだ、と。この時点で、魔物の正体を暴いたのは日女教の信者達だったという事実は抜け落ちていた。

 信者達は結果的に南方武瑠を殺せずに逃がしてしまった。魔物の正体が武瑠だったという事実は日女教にとって都合が悪かった。魔物の正体は「黒い魔物」荒波久遠でなければならない。野人をけしかけて子供達を殺した伊凪悠理でなければならない。だから信者達は口を閉じたのだ。あれは何かの間違いだったのだ、と。

 その数日の間にも魔物は目撃され続けた。追えば逃げるの繰り返しで、1体に減ったひょっとこ面の魔物を捕まえることは出来なかった。


                               (続く)


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