多端編①
「根之国」は、二百数十年前に勃発した最終世界大戦を生き延びた人々によって山の中に築かれた石窟都市である。過酷な環境を生き延びるために人々が穴倉での生活を続けている間に、外の世界は危険な捕食者達に占領されていた。スミロドンに似た剣歯猫。小型肉食恐竜のような恐鳥類。数百万年前の猿人を大型化したような野人。これらは遺伝子操作によって生み出され、環境に適応した生物達だ。人類は生態系の頂点から脱落し、250万年前の立場に逆戻りしている。
根之国の最高意思決定機関は管理局、防衛局、居住局、食糧局、教育局、製造局の6局の局長達による局長会議であり、この都市で密かに生み出された不老の亜種「ホモ・サピエンス・アエテルヌス」の女性達が局長の職を独占している。彼女等が権力を行使する理由はただ1つ。新たな亜種「ホモ・サピエンス・フォルティス(強い人)」として生み出された伊凪悠理に快適な生活を提供するため。本人が知らないうちに「陰の独裁者」と渾名され、知らないうちに沢山の子供の父親にさせられる予定という気の毒な少年である。
5階南側居住区域独立騒動終息から40日程が経った。「鬼姫」荒波久遠によって鎮圧された5階南側住人の男達は全員が重傷を負わされ回復していない者が多い。居住局の都市拡張業務は実質停止に追い込まれ、動ける女性達は独立騒動のために荒れた5階南側居住区域の片付けに追われている。
根之国暦237年9月1日。
時刻7時55分。根之国、地上4階。居住区域、伊凪家。
伊凪悠理の朝は、荒波久遠の「起きてください」という甘い囁きで始まる。悠理の緑眼が、久遠の姫カットで揃えた烏の濡れ羽色の長い髪を捉えると、彼は決まって幸せそうな顔で微笑み、もう一度目を閉じて眠ってしまう。「起きて」「起きない」の攻防の後で無理やり引き起こされて、強制的な着替えへと続く。それから小言を聞きながら髪を梳いてもらい、久遠が納得したらようやく身支度が終わる。
「……はい、終わりましたよ」
うっとりと見つめる久遠の目の前には、ショートカットの女の子のような整った小顔に、プラチナブロンドの長い髪から覗く蕩けた緑眼。悠理は久遠に髪を梳いてもらうこの時間が大好きのようだ。
最後の仕上げを求めて椅子に座ったままの悠理が唇を突き出す。そうすると、反射的に久遠の唇が近づいてそれを塞ぐ。こういう時は久遠に任せたままで、気が済むまで彼女に唇を預ける。高等部を卒業するまでは子供が出来るようなことはしないと決めた2人の、ささやかな朝の戯れである。
「早く食べないと遅刻しますよ」
「……うん」
悠理はようやく立ち上がって部屋を出て、左側に5つ、右側に4つの扉が並ぶ20mの廊下を歩いていく。この住居は悠理のために用意されたものだ。普通の住居は私室が4つなのだが、彼の住居には9つの私室が用意されている。さらに、悠理の私室は5m四方で、その半分近くを巨大なベッドが占拠している。完全な特別待遇なのだが、それを気にした様子は悠理には無い。
「あ、悠ちゃんおはよう」「おはよう悠ちゃん。久遠ちゃんも」
ダイニングキッチンの食卓にはすでに朝食が並べられ、高見寧々子と母の育子が2人を迎えた。
「……おはようございます」
久遠の声が沈む。悠理との新婚生活気分がここで壊されるのも毎朝のことだ。伊凪家の住人は、悠理と久遠と寧々子と育子、そして悠理の遺伝上の母親の天乃弥奈の5人。これでは弥奈の存在を除けば高見家に居候していた頃と変わらない。違うのは、寧々子の父の高見恭平がいないことくらいだ。育子は恭平と別居状態で、寧々子は当然のように母について悠理の住居に転がり込んできた。
高見恭平は、不老で常人の倍の筋力を持つ亜種「ホモ・サピエンス・アエテルヌス」よりも、更に強い筋力を持つ「ホモ・サピエンス・フォルティス」の荒波久遠と伊凪悠理を遺伝子操作によって生み出した研究者である。彼が目指す「ホモ・ペルフェクトゥス(完全な人)」を生み出したいと焦るあまりに、久遠の意思を無視して大嫌いな男との子供を人工子宮によって作り出そうと計画していたことが久遠の逆鱗に触れ、それを当然のこととして久遠の支持にまわった育子との夫婦仲は、修復不可能なほどに冷え切ってしまったのだ。その経緯を知る久遠としては無下にできない状況なのである。娘の寧々子も事情を知り育子の味方になった。孤立した恭平は3階管理区域の独身用住居に引っ越し、高見家は他の家族に使われることになるだろう。
悠理の住居の部屋数が多いのは、今の状況が予測されていたからかもしれない。それを予想していただろう天乃弥奈はと言えば、悠理の遺伝上の母親と名乗り出て「困った肉親」として悠理に受け入れられた後も、3階管理区域に泊まり込む日の方が圧倒的に多い。「管理局医療部職員」「創造局新人類創造部長」「総局長」と多くの肩書を持つ弥奈を、「忙しい人だから」と育子は説明したが、特に、「総局長」という、未公開だが「根之国」で実質的な最高権力者だということは悠理には知られていない。
「悠ちゃん、たまには一緒に寝ようよ。昔みたいに」
寧々子が大きな胸を両腕で挟んで強調するように見せつける。どうやら悠理は大きな胸が好みだと寧々子も久遠も気付いている。寧々子の胸に比べれば久遠の胸は慎ましやかなもので(本人は成長中と信じているが)これだけは勝てない部分だ。
「あら? 母さんと一緒のほうが良いわよね?」
悠理の育ての親の育子は、恭平と別居するようになってから雰囲気がガラリと変わった。団子に纏めていた髪を下ろし、黒縁眼鏡を縁なしに変え、家で着る服も露出が多いものになっている。まるで悠理を誘惑しているように大人の色気全開なのだ。アエテルヌスの彼女は8月で37歳になったが、20代半ばの容姿を保っていてとても母親には見えない。さらに、寧々子並みに豊かな胸の破壊力は、大人の色気と相まって久遠どころか寧々子さえも寄せ付けないほど強烈だ。
「お2人とも、朝から発情しないでください。悠理が困っていますよ」
久遠がすかさず牽制する。彼女の首には悠理の白金の髪で作られた首輪が、悠理の首には久遠の黒髪で作られた首輪が巻かれている。2人が婚約しているのは周知の事実だ。
「発情しても良いでしょ? 私はもう大人なんだから」
寧々子がニヤリと笑う。8月生まれの彼女は夏休みの間に大人として扱われる年齢になっていた。3人の中で久遠だけが未成年ということになってしまったのだ。
「悠理には、そういうことは早すぎます」
「悠ちゃんの子供だったら何人でも産むよ。私はもう大人だし、おっぱい大きいから母乳もたくさん出ると思うよ」
「良い度胸ですね。私に喧嘩を売るつもりですか?」
そもそもアエテルヌスの寧々子がフォルティスの久遠に敵うはずがない。ただの売り言葉に買い言葉である。
「ケンカなんかしないよ。私はもう大人だもん」
食卓を挟んで2人の間に火花が散る。それでも掴み合いにならないのは、2人とも家族になっているからだろうか。
「はい、悠ちゃん、あーんして」
「あーん」
その横で、対面に座った悠理に育子がスプーンでトウモロコシを食べさせている。悠理は刷り込みされた雛のように大人しく従って口の中でモムモムしている。それを見つめる育子の目からは愛情が駄々洩れで、母親というより新妻みたいに幸せ一杯の笑顔だ。
「ちょっと! お母さん!」「育子さん!」
「だって、2人とも忙しいみたいだし、悠ちゃんもお母さんに食べさせて欲しいわよね?」
夫の恭平がいないからなのか、以前は「悠理君」と呼んでいた育子も、伊凪家に引っ越してからは「悠ちゃん」と呼ぶようになっている。常人の数倍の筋力という、簡単に人を殺せる力を持つ彼を幼い頃から無難に育て切った彼女の母親としての影響力は強い。「鬼神」「陰の独裁者」と呼ばれる悠理を服従させることが出来る彼女は何と呼ばれるべきなのか。これも久遠にとって頭痛の種である。寧々子よりも遥かに恐ろしい相手なのだ。
「たくさん食べてね。悠ちゃんは育ちざかりだから」
それ以上に、悠理や久遠のような常人を遥かに超える筋力を持つ亜種達には多量の栄養摂取が必要になる。育子が差し出す朝食を大人しく食べる悠理を見ながら、久遠と寧々子は不機嫌な顔で食事を済ませた。
時刻8時50分。根之国、地上4階。教育区域、高等部1年1組。
夏休みが終わった。
石窟都市の夏休みは生徒達にとって休みではなく、様々な職業を体験して将来に備える期間である。2学期の初日、1学期との大きな違いは、悠理が打刀拵の太刀「白姫一文字」を腰に差すようになったことだろう。これは、彼が防衛局予備隊員になった証しだ。刃長72cm、反り2cm、元幅4.5cm、元重1.2cm、重量2.6kgは棍棒のような異形の太刀で、荒波久遠の「黒姫一文字」とは拵えの色が違うだけの揃いの太刀だ。野人との戦闘で汚れた柄紐や下緒は新調されて、見た目は新品に見える。悠理に嫌がらせをしていた男子生徒達を格闘訓練で殴り倒していたから、以前のように嫌がらせをしてくる生徒はいなくなった。久遠の5階での所業も夏休みの間に広まっていたから誰も彼等には近づいてこない。2人とも、そんなことを気にする性格ではないし邪魔をされなくて良いと喜んでいるくらいだ。久遠は今日も、最後列で悠理の机に自分の机をくっつけ、椅子まで長椅子のように並べて悠理の肩に頭を預けている。
不老の亜種アエテルヌスであるにも関わらず、2人が顔さえ憶えていない伊凪悠理親衛隊盗撮専門隊員の白山菊子は今日も存在を消して悠理を盗撮している。
8時55分、いつものように高等部1年1組担任の火照緋焔が入ってきた。「火竜」の渾名を持つ彼女は、赤銅色の長いかきあげ前髪に、左目を眼帯代わりの鍔で覆い、ノースリーブのブラウスに細身のスラックス。防衛局予備隊員の緋焔は腰に「焔一文字」を差しているが、彼女がこの打刀を使うのは悠理のためだけだ。彼女もまたアエテルヌスで、伊凪悠理親衛隊の隊員である。
5階南側独立騒動で何故か独立側に参加していたフォルティスの南方武瑠は何事も無かったかのように登校している。5階に住む生徒達の多くは独立騒動中も登校していたから彼にだけ来るなとは言えないだろう。彼は未だに自分が荒波久遠の婚約者であり、彼女は悠理に洗脳されていると信じている。
「失礼いたします」
突然、教室の扉が開き、佩刀した同年代の少女が入ってきた。深藍色の髪は高めのポニーテール。藍色の柄紐の太刀に長着に袴は女性剣士と言ったところか。
少女に向いていた生徒達の視線が一斉に緋焔に向き(もしかして、また転入生?)と目で問う。 緋焔は(何も聞いてない)と首を振って答えた。
「あら? 藍馬さん」
久遠が親しげな呼び方をした。良く知っている少女なのだろう。
「彼女……強いね」
藍馬という少女を、南方武瑠と同じように自分に近い存在だと悠理は認識した。
「泣沢藍馬さんといいまして、バカの許嫁です。敵に回すとバカより厄介でしょうね」
久遠の説明に、悠理は3階の住人だろうと推測した。
藍馬は教室を見回し、久遠を見つけ歩み寄った。
「お久しぶりです、久遠お姉様」
「久しぶりですね、藍馬さん」
「南方様が帰ろうとしません。お姉様もお帰りいただけませんか?」
どうやら、許嫁の南方武瑠に3階に戻るように頼みに来て、久遠がいるからと断られたらしい。
久遠は自らの首と悠理の首を指して婚約したことを藍馬に伝えた。
「そうですか。それはおめでとうございます。こちらの殿方が久遠お姉様の──」
藍馬は悠理の顔を見て動かなくなった。
「──お姉様は、同性愛者でしたか?」
「違います。悠理はれっきとした男性ですよ」
久遠の否定に、藍馬の凝固が解けた。
「……それは失礼いたしました。このように美しい殿方は初めて拝見したもので」
「仕方ないでしょうね。気持ちはわかります」
「久遠お姉様……この殿方、私にお譲りいただけませんか?」
久遠は眉間に皺を寄せた。また面倒が増えたようだ。しかも、今回は彼女と同じフォルティスだ。
「駄目に決まっています」
「分かりました。では、私は愛人で構いません」
「許しません」
悠理を取り合う2人に教室中の生徒が注目していた。久遠を恐れない同年代の少女を初めて見た彼等は、興味津々で成り行きを見守っている。担任の緋焔は勝手にしろという顔だ。
その時、教室の扉が再び開いた。
厳かな雰囲気を全身に纏って入ってきたのは、銀縁眼鏡、黒髪黒眼、長い髪を後ろで団子に纏めた、見るからに怖そうな20代後半に見える女性だった。
瞬間、白山菊子は密かに体を小さくし、火照緋焔は直立不動の姿勢になった。
彼女の名前は白山菊江、43歳。前教育局長で、現在は3階で生活する亜種の教育を一手に引き受けている。天乃弥奈、荒波永遠、高見育子を始めとするアエテルヌス達を3階で教育した「大先生」。緋焔さえも恐れさせる教育局の陰の権力者。ちなみに盗撮専門隊員白山菊子の母親でもある。
一瞬で静寂に包まれた教室の中を、菊江は無言のまま泣沢藍馬のもとに歩み寄った。久遠でさえも、心なしか背筋を伸ばしている。
「泣沢さん、帰りますよ」
その声は有無を言わせぬ力があった。
「ですが、白山先生──」「問答無用です」
菊江にすれば久遠も武瑠も4階の学校に転入してしまい、藍馬がいなくなると教える生徒がいなくなるのだから口答えを許す気は無い。
「悠理さまああぁぁぁ……」
引きずられて教室を出ていく泣沢藍馬の目的は、南方武瑠から悠理に変わっているようだ。久遠は頭が痛いという表情を浮かべている。
「……どういうこと?」
一連の事態にあっけにとられていた悠理が久遠に聞いた。
「良い子なのですが、猪突猛進と言えば良いのでしょうか……」
「あ……そういう性格なんだ」
久遠の表情から何となく事情を察した悠理はそれ以上何も聞かなかった。面倒なことに関わりたくないからだ。
緋焔は何事も無かったように出欠確認を始めた。菊江の速やかな退室に、内心、密かに安堵しながら。
そして、出欠確認を終えた緋焔は、
「今日は皆に卒業後の進路を考えてもらうために、6人の局長に来ていただいている。1限と2限を使って各局の仕事について説明していただくので良く聞くように」
と、普段とは違うことを言った。緋焔が教室の扉を開き「どうぞ」という言葉の後で、宿儺結良管理局長、荒波永遠防衛局長、常立鳴海居住局長、葦黴宝子食糧局長、高見育子教育局長、葉槌多霧製造局長が教室に入ってくる。6人の紹介が終わり、まずは結良だけが教壇に残り管理局の仕事の説明を始めた。最前列に座る妹の宿儺咲良は照れたように頬を赤らめ姉を見つめている。25歳にして6局の筆頭である管理局長を務める姉は彼女の誇りだ。
その間、他の局長と緋焔は教室の後ろに移動した。何故か鳴海と宝子と多霧の3人は不自然に悠理の後ろに集まっている。悠理オタクが原因で揃って離婚したバツイチ子持ちの彼女等は、総局長天乃弥奈に「三バカ」と渾名されている。これまで映像か写真でしか見たことがなかった初めての生悠理に彼女等は内心大興奮しているのだ。その3人と悠理との間に割って入ったのは担任の緋焔。彼女は3人に意味ありげな視線を向けた後で悠理のプラチナブロンドの髪の匂いを嗅ぎウットリとした後で頬を擦り付けだした。これは悠理成分が足りないと思った時のいつもの行動で、悠理は(またやってる)と無反応。隣の久遠は(この変態!)という侮蔑の目を向けている。
結良の説明の声だけが聞こえる教室内で、三バカは声を上げることも出来ずに緋焔の暴挙を羨ましそうに見つめている。チラリと3人に振り返った緋焔に、3人は涙目で手を合わせ(お願い、代わって)と懇願している。永遠と育子は見て見ぬふり。こうなるのは分かっていたことだ。
緋焔が静かに移動して悠理の後ろを空ける。鳴海は恐る恐る悠理に近づき彼の髪に鼻を近づけるが興奮を抑えられずに鼻息が異常に荒い。匂いどころか髪の毛まで吸い込みそうな勢いに、隣の久遠が「却下」とでも言うように襟首を掴んで引き離す。泣きそうな顔の鳴海に続いて宝子が悠理の髪にゆっくりと唇を近づける。もう少しのところで下から伸びてきた久遠の手が宝子の顎を鷲掴みして持ち上げる。続く多霧は近づくことさえ許されなかった。
悠理の後ろで3人の静かな非難合戦が始まる。教壇から一部始終を見ていた宿儺結良の目が鋭くなっていった。
「──皆さんは高等部1年生になったばかりです。皆さんには2年以上の貴重な時間が与えられているのです。この時間を有効に使って、『三バカ』などと渾名されるような大人には決してならないで下さい」
怒りのあまりか「毒竜」と渾名される彼女の本質が現れ始める。生徒達は「何の事?」という顔をしているが、口から色が付いた毒の霧を吐き出しそうな彼女の雰囲気に気圧されて黙り込んだままだ。彼等の担任は口から火を噴くのだから少しは慣れているのだが。
教室の後ろでは名指しされた「三バカ」が攻撃の矛先を結良に向けて静かに抗議している。
それでも結良は平静を装いながら生徒達への説明を続けた。15分の持ち時間の間だけは我慢しなければならない。それが終われば彼女も悠理との初めての接触を経験できるのだ。
その15分は、宿儺結良の人生の中で最も長い15分になった。
時刻20時30分。根之国、地上5階。南側居住区域、中央坑道。
5階南側居住区域の中央坑道に30人ほどが集まっていた。この光景が見られるようになったのは独立騒動が終わってしばらくしてからのことで、人数は少しずつ増えている。それらの視線は台の上に立つ1人の女に集中している。
新興宗教「日女教」教祖、佐古探女、57歳。
「──我は根源神ワカヒルメムチ様の化身なり! 今の世界は神が与えた試練! 我の言葉を聞け! 我の言葉を信じるのじゃ! この国で魔物が生み出されておる! あの禍々しい黒い魔物を思い出せ! あれこそが生み出された魔物じゃ! あのような魔物が次々と生み出されておるのじゃ! 魔物を追い出せ! 皆の団結で魔物をこの国から追い出すのじゃ!」
「黒い魔物」こと荒波久遠に襲われた100人ほどの男達は矜持を打ち砕かれていた。力こそが全てという価値観を持つ5階南側住人達の中には、佐古探女の言葉に頷き、あれは魔物だから仕方なかったのだと自分を納得させる者もいた。その男達の中には、禍津熊男と息子の一男、八十太助と息子の継男と三郎の姿があった。彼等は護衛役のように探女の周りを囲んでいる。彼等だけは他の男達と目的が違う。失敗した独立を、宗教によって達成することが出来るかもしれないと考えているのだ。そのためには黒い魔物は邪魔になる。「魔物を追い出せ」という探女の叫びは彼等にとって好都合だった。再び、根之国に暗雲が迫りつつあった。
* * *
根之国暦237年9月3日。
時刻18時5分。根之国、地上3階。管理区域、局長用会議室。
定例の局長会議。大きな円卓を囲んで座るのは8人の局長達だ。
総局長、天乃弥奈、36歳。
管理局長、宿儺結良、25歳。
防衛局長、荒波永遠、37歳。
居住局長、常立鳴海、29歳。
食糧局長、葦黴宝子、30歳。
教育局長、高見育子、37歳。
製造局長、葉槌多霧、30歳。
創造局長、荒波久遠、16歳。
そして、今日の局長会議には、1人だけ局長ではない女性が、防衛局の黒い制服を着て出席していた。前防衛局長の磐筒削根。防衛部長、磐筒豪希の妻であり、現在は食糧局農業部で農作物の品種改良をしている44歳の女性だ。彼女のような前局長は「元老」と呼ばれ、局長会議とは別に不定期の元老会議を開き、現役局長達の都市運営を評価し提言を行うという重要な立場にいる。削根には、結良が自分の椅子を譲っている。
「しばらく防衛局長代理として防衛局を指揮したいと思う。元老会議での承認は得たので、各局長の承認を求めに来た」
前置きの無い削根の言葉に久遠が不思議そうな顔をした。現防衛局長は彼女の母の永遠だが、代理が必要な状態とは思っていなかったのだ。
「……妊娠している私を気遣ってくださったのだ」
永遠が何でもないという風を装って娘に爆弾を投げつけた。
「え?」「荒波局長?」「妊娠しているのですか?」
鳴海と宝子と多霧が驚いた顔を向ける。娘の久遠は絶句していた。永遠の狙い通り、かなりの衝撃を受けているようだ。
「おめでとう。これでお姉ちゃんだねぇ」
事前に報告を受けていた弥奈は面白がっているし、顔には出さないが育子も同様だ。この3人は子供の頃からの親友だから当然だろう。
「永遠はしばらく休養しろ。夫を心配させるのは良くないぞ」
その言葉で永遠は事態を察した。どうやら夫の速雄が削根に相談したらしい。
「……お言葉に甘えさせていただきます。よろしくお願いします」
確かに体調が安定しない永遠は、夫と元上司の好意に甘えることにした。他の局長達からも反対の意見は無かった。席を立ち退出する荒波永遠は一瞬だけ久遠の顔を見た。娘は何とも表現しようがない複雑な表情をしていた。空いた椅子に結良が座り、会議が始まる。
「さっそくだが──」
そう言って挙手したのは、防衛局長代理に就任したばかりの削根だ。
「──5階で日女教という新興宗教を始めた女がいる。佐古探女という57歳の居住局職員だ。自称『神の化身』で、今の世界は神が与えた試練とか、神を信じれば新しく生まれ変われるとか言っているらしい。久遠を人が生み出した魔物として敵視していて、さらに新たな魔物が生み出されていると主張しているようだ」
魔物を亜種に入れ替えれば真実と言えるだろう。だが、
「偶然だと思うけどね。フォルティスが魔物だって言うなら私達も同じだよ。それなら44年前から言ってないと本物とは言えないよねぇ」
と、弥奈が探女の主張を否定した。それは初めてアエテルヌスが生まれた年だ。この年に生まれたのは5人の女性達。宿儺結良と咲良の母である前製造局長、宿儺良子。火照緋焔の母である前食糧局長、火照茅野。磐筒豪希の妻である前防衛局長、磐筒削根。白山菊子の母である前教育局長、白山菊江。そして、前居住局長、木津羽音の5人だ。前管理局長だけは普通のホモ・サピエンスで故人である。
「警察部は戯言と思って放置していたようだが、予想以上に信者が増えている。久遠の関係者が狙われる可能性があるから、寧々子は予備隊員に護らせている。悠ちゃんにもそれとなく注意を促して欲しい」
久遠は頷き、育子は感謝を込めて頭を下げた。
「世界をこうしたのは人間だよね。何でもかんでも神様のせいって、神様ってのも大変だねぇ」
弥奈は不快な顔を隠さない。根之国に宗教は必要ないというのは彼女達の共通認識だ。神というのは自然現象を説明する術が無かった時代に生み出された幻想に過ぎない。本来であれば、旧世紀の終わり頃には必要が無くなっていたはずのものだ。
「どうせ宗教で根之国を乗っ取ろうという輩だろう。今のうちに潰すか?」
前防衛局長だけあって削根も容赦は無い。潰すと決まれば本気で潰すのが彼女だ。
「そうしたいけど、どうせ隠れて続けるだろうし、同じようなのが次々出てくるだろうね。独立騒動に続いて力で抑え込んだら、他階の住人にも疑念を抱かせることになるかもしれない」
「……とりあえずは静観するしかないか。警察部には続けて監視させる。次は防衛部の話だが、根之国の周囲に野盗が増えているようだ。偵察を強化したいが人手が足りない。そこでだが……豪希から悠ちゃんに協力を頼めないかと相談された。偵察部とは別組織として伊凪隊を編成し、好きに動いてもらいたいと思っている。それから、これは私見なのだが……豪希に悠ちゃんのことを話して良いか? その方が豪希に協力を頼みやすいし、悠ちゃんも動きやすいと思う」
確かに、妊娠中の永遠には負担が大きい状態のようだ。独立騒動に続いての新興宗教出現に野盗対策では心が休まる暇が無いだろう。この野盗というのは、元々は根之国の住人だ。二百数十年の間に石窟都市から追放された人間は多い。彼等が野盗化して根之国の作物を狙うのは必然と言える。防衛部120人の隊員が3交代で環濠に囲まれた2㎢の農場を護っていて、これとは別に偵察部隊員20人で広く野盗や野人の接近を監視している。防衛局の人手不足は慢性的なもので、増えている野盗に対応できていないのが現状なのだ。食料局農業部に所属している削根にとっても、これは見逃せない事態だ。
弥奈は久遠と目を合わせて(良いの?)と聞いた。久遠の答えは(大丈夫ですよ。私がついています)という軽い頷きだった。
磐筒豪希との秘密の共有に局長達は了承を与えた。妻と2人の娘がアエテルヌスで、その秘密を頑なに守り続ける豪希なら大丈夫という判断だ。サピエンスとアエテルヌスの夫婦は離婚することが多い。第一次アエテルヌス計画で生まれた5人のうち離婚したのは宿儺良子と火折茅野と木津羽音の3人。第三次計画で生まれた6人のうちで離婚したのは「三バカ」と呼ばれる常立鳴海、葦黴宝子、葉槌多霧。これに第二次計画で生まれた高見育子が加わろうとしている。その中で、磐筒夫婦の仲の良さは突出している。
「随時増員していくつもりだが、とりあえずは悠ちゃんと久遠の2人ということになる。不都合はあるか?」
「野盗が相手なら充分だと思います」
削根の問いに久遠は軽く答えた。2人が揃えば相手が剣歯猫だろうが恐鳥類だろうが野人だろうが問題は無いだろう。
「悠ちゃんが無理をしないように、しっかりと手綱を握ってくれ。夫を制御するのも、良い妻の条件だ。男というのは色々と面倒な生き物なんだよ。図体のわりにメンタルが弱くてすぐ凹むから、宥めたり甘えさせたり大変なんだ」
「それは防衛部長のことでは?」「防衛部長、あの厳つい顔で?」「ノロケですか?」
揃ってバツイチ子持ちの三バカは、削根に睨まれて黙り込んだ。あれこれと愚痴を言いつつ、姐さん女房の削根は、2人の娘が辟易するほど夫と仲が良い。彼女の前で豪希への悪口は厳禁だ。
悠理と南方武瑠が数十体の野人を倒してしまったことで、自分の存在に疑問を感じた豪希が防衛部長を辞めると言い出したのを引き留めたのは削根だ。永遠に相談されての説得だったが、悠理を含むフォルティスのことを黙ったままでのそれは困難だった。豪希との秘密の共有に許可を求めたのは、その経験があるからだ。武瑠との斬り合いのついでに野人を倒したという真実を知れば、再び辞めると言い出すだろうが。
削根の経験談に、久遠は微笑で答えた。将来のための訓練というわけだ。
彼女は豪希の妻だからという理由で伊凪悠理親衛隊には入っていない。だが、前局長達も現局長達と同じように、悠理の成長を陰から見守ってきたのだ。他の前局長達と違い、削根が悠理に甘いのにはもうひとつの理由がある。悠理の遺伝上の父親である伊凪悠斗は、彼女の夫である豪希の命の恩人なのだ。当時、26歳で防衛部10人隊長だった豪希は、新人隊員として自分の隊に入った悠斗を連れて野人との戦闘に出撃し、悠斗に命を救われた。悠斗が十数体の野人を道連れにして戦死し、「伝説」と呼ばれるようになったのはこの時からだ。2人目の娘が1歳になったばかりだった頃の削根が未亡人にならずにすんだのは、悠斗が豪希を護ってくれたからなのだ。豪希がアエテルヌスの秘密を頑なに守り、削根が悠理に甘いのはそういう理由だ。
「悠ちゃんには、久遠から伝えてくれ」
「分かりました。悠理に伝えておきます」
久遠は削根の決定に素直に従った。さすがは永遠の元上司と言うべきか、三バカなどとは違い安心感がある。
「伊凪隊か……私も参加しようかなぁ」
弥奈が本気で悩んでいる。肉親という理由で伊凪悠理親衛隊には入っていないが、伊凪隊であれば悠理と外で遊べると考えているようだ。
「総局長に、そんな暇はありません」「そんなぁ……」
結良の却下で弥奈の密かな野望は潰えた。
局長会議の議題は、最重要極秘計画「悠ちゃん育成計画、進捗状況報告」に移った。
「……で、具体的に何か変わったのか?」と削根が聞く。そういう計画が進んでいると小耳にはさんでいたが、親衛隊ではない彼女には、詳しい話までは伝わっていない。
「最近は、スカートめくりがお気に入りのようです」と育子。
「は?」「スカートめくり、ですか?」「何故でしょう?」
急展開についていけない三バカはポカンとしている。
「それについては、私から」と久遠。主な被害者は彼女なのだ。いきなりめくられると恥ずかしい久遠が「コラ!」と怒ると笑いながら逃げていく。寧々子いわく、「あぁ……男子がよくやってたな……好きな女の子の気を惹こうとしているらしいよ」とのこと。
「そういうものですか?」「そうだとして、悠ちゃんはやれる状態ではなかっただろうな」
この中で誰1人、普通の環境で幼少期を過ごした者はいない。アエテルヌスがサピエンスに交じって成長するようになったのは寧々子の世代からだ。だから、寧々子の意見を信じるしかない。
「……初等部くらいには成長したってことで良いの?」
弥奈の質問に育子は頷いてみせた。育成計画は順調に進んでいるという自信だ。
「方向性は合っているのでしょうか?」と久遠。悠理の成長は好ましいのだが、極度の女好きになられても困る。
「本当の悠ちゃんがどう成長していたかは、誰にも分からないわ。それに、楽しんでいるのは家の中だけだから、問題は無いでしょう」
そもそも学校でスカートを穿いている女子生徒は少数派だ。
「いや、そもそもさ、家の中でもスカートやめれば良いだけだよね?」
当然と言う解決策を弥奈が提示する。
「それでは悠理の楽しみを奪ってしまいます」
「私達も楽しいのよね」
久遠の反論に育子も歩調を合わせる。久遠に相談されてから、育子も寧々子も家でスカートを穿くようになっている。しかも、かなり短い物を選んで。年甲斐も無く黄色い声を出して怒ると、悠理は笑いながら抱きついてくる。育子も楽しんでいると分かっているのだ。
(ノロケだ)(ノロケですね)(羨ましいですぅ)
心の中で久遠と育子を妬む三バカ。
「そりゃノロケだ。困ってなんかないだろ」
そう言いつつ、次に帰宅する時はスカートにしようと心に決める弥奈だった。
管理局長の宿儺結良はずっと黙り込んでいる。
「……妄想してますね?」「ムッツリですからね」「顔に出ていますねぇ」
一点を見つめる結良の顔は、真っ赤に染まっている。悠理との戯れを想像して悶々としている最中のようだ。
「……本当に上手くいくのかな?」
育成計画に疑問を持ち続けている弥奈は削根に意見を求めた。
「私のところは娘2人だからな……両方とも男っぽく育ってしまったが、やはり男の子とは違うだろう。この中で男の子を産んだのは……多霧か?」
「ウチの子は手を付けられないくらい暴れん坊です。悠ちゃんほど可愛くありませんし」
「多貴君カワイイですよ」「生意気なのは確かですけど」
「男の子なんてそんなものだろう? 心配するほどのことではない」
「そのうち反抗期とか始まりますよぉ。言うこと聞いてくれなくなりますよぉ。クソババァとか言われてへこむことになりますよぉ」
育子を脅す多霧。絶賛へこみ中の彼女だ。
「クソババァ──」
悠理に言われれば絶望的な気持ちになるだろう。
「──弥奈、反抗期だけは母親代わって」「イヤだよ。そんなこと言われたら死んじゃうよ」
育ての母と遺伝上の母2人は恐怖に震えている。多霧の経験(脅迫)はかなりの効果があったようだ。
時刻21時20分。根之国、地上4階。居住区域、伊凪家。
眠るには早い時間だが、悠理と久遠は部屋の灯りをベッド脇の照明だけにして、2人用としては広すぎるベッドに横になっていた。放課後からは別行動をすることが多くなっているから、眠る前に1日のことを報告しあうのだ。
局長会議での決定を、久遠は防衛局からの要請として悠理に伝えた。久遠が知る、「陰の独裁者」「悠ちゃんの独裁国家建設計画」「伊凪悠理親衛隊」等々の、根之国の秘密を悠理に教えるつもりは無い。面倒だから関わりたくないと言うのは目に見えているし、そもそも自分の正体さえ知るつもりが無かったのが悠理だから、バレたとしても彼が怒ることは無いだろうが。
久遠の報告の内、悠理は伊凪隊に久遠が加わることに難色を示した。
「はしゃぎすぎないように監視するためですよ」
「…………」
そう言われた悠理は言い返せなかった。数十体の野人を倒す目的で出撃したにも関わらず、途中で目的を変更して南方武瑠を殺そうとした前科があるからだ。
悠理は、何となく久遠が管理関係の仕事をしていると推測していた。予備隊員の仕事だけにしては出かける日が多いからだ。そもそも悠理も予備隊員として登録されているが、呼び出しを受けたことは一度も無い。が、久遠が言わないなら聞かない。彼女が一緒にいてくれるなら他の事はどうでも良いというのが悠理だ。
そして──、
「永遠さんが妊娠?」
やはり、悠理が一番興味を示したのはこの報告だった。
「そうか……久遠に弟か妹ができるんだ」
「この歳で言われても戸惑うのですが……父上と母上も意外に仲が良いのですね」
久遠はやはり複雑そうだ。年頃の娘としては両親がそういうことをしているのは想像したくないのだろう。
「羨ましいね。僕も早く久遠の子供を見てみたい」
「はい。悠理の子供でしたら何人でも産みますよ」
その前に悠理の育成を終えなければならないのだが、彼が健全に成長するのはいつのことになるのだろう。久遠の懸念はそれだ。2人で眠る夜も、悠理から求められなければキスさえしない。
ただひたすら、悠理の成長を待っているしかないのが今の彼女だ。
* * *
根之国暦237年9月5日。
時刻8時10分。根之国から東に数km。
悠理と久遠は根之国から東に数km離れた川沿いを歩いていた。黒い合皮の戦闘服にフード付きの黒いマント。太陽から目を護る保護眼鏡も外出には欠かせない。お互いの髪で作られた首輪は、汚れたり無くしたりする恐れがある時には悠理の部屋の机の上に並べて置いてくる。
伊凪隊としての初任務だが、残念ながら2人きりの外出ではなかった。防衛局偵察部からの依頼で偵察任務に同行しているのだ。偵察部だから主な任務は偵察だが、彼等には「収集隊」という別名がある。偵察のついでに近くの廃墟で使えそうな物を拾ってくるという重要な任務があるのだ。それらは石窟都市にとって貴重な資源になる。目的地は、この川に沿って北に進めば見えてくるらしい。出発したのは朝7時だ。7月から9月の間は日中の最高気温が40℃を超えるため、比較的気温が低いうちに移動しないと命の危険がある。
磐筒豪希は親しげに2人を送り出してくれた。おそらく妻の削根から悠理の秘密を聞いたと思われる。それであの態度ということは、アエテルヌスの妻と同じようにフォルティスの悠理を好意的に受け入れてくれたということだろう。伊凪悠斗と豪希の話を知らない久遠だが、豪希が悠理に好意的に接したという事実だけで充分だった。
2人が同行しているのは、1台の大型荷車を引いて歩く10人の偵察隊だ。よく見れば偵察隊の装備はバラバラで、戦利品を流用していると思われる。しかも、長い間使われているようでボロボロの防具ばかりだ。
偵察隊の隊長は、大戸泉美という29歳の女性だった。
「あの……もしかして、警察部の大戸隊長の?」
久遠は気になっていたことをようやく隊長に聞いた。
「そうだよ。私は大戸直毘の妻だ。直毘君から2人のことは聞いている。とても強いとね」
そう答える泉美の容姿は20歳前後に見える。不老のアエテルヌスと思われた。
(大戸隊長が悠理の近くにいるのも、偶然ではないということですね)
そうであれば、今回の任務はただの護衛ではなく大戸泉美との繋がりを持たせようという意図があるものと思えた。いずれアエテルヌスやフォルティスという亜種の存在が公になってしまった時に備えて、磐筒豪希や大戸直毘のように亜種に理解がある人間との関係を築いておこうというものだろう。永遠の代理として防衛局を指揮する磐筒削根が悠理の為に仕組んだことのようだ。
「……大戸隊長が結婚されているとは知りませんでした」
それでも久遠は、安易に近寄る気にはなれなかった。自分のことより悠理のために慎重になっているのだ。
泉美は久遠に顔を寄せて、他の隊員達に聞こえないように囁く。
「直毘君は私達の存在を知っている。その上で私を受け入れてくれたのだ。信用してくれても良い」
久遠は微笑むだけで答えた。泉美がフォルティスの存在を知っているのか、現時点では判断出来なかったからだ。
「今日は、顔合わせということでしょうか?」
「ん? それだけでは無い。野盗が増えて困っているのは事実だ。あの『鬼姫』と『鬼神』に護ってもらえるのだから、隊員達も安心だろう」
「……鬼姫に、鬼神、ですか?」
泉美は自分の額に巻いた鉢金をつついて見せた。悠理と久遠の格好は黒い戦闘服とフード付きの黒いマントに、お揃いの鬼の角が付いた鉢金だ。
「荒波さんと伊凪君のそれは、そういうことだろう?」
「成程……そういうことだったのですね」
ようやく久遠は自分の渾名が「姫」ではなく本当は「鬼姫」だと知った。そして悠理の渾名が「鬼神」だということも。その出所が何処か──取りあえずは元警察部隊員の火照緋焔にでも聞いておく必要がある。
「あれ? 知らなかったのか?」
「お気になさらないでください。犯人が大戸隊長で無いことは分かっていますから」
久遠は笑って見せたが怒りを誤魔化せていない。こめかみがピクピクと動いている。
「うん……そうなのだが、なるべく穏便に頼む」
どうやら失言だったと分かったようで、泉美は大きく顔をしかめた。真面目な夫と違って飾らない性格のようだ。
泉美の要望に久遠は答えなかった。穏便に済ませる自信が無かったからだ。
もう1人の鬼──悠理は初めて見る川沿いの景色を珍しそうに眺めながら歩いていた。
根之国の周囲の景色は単調なものだ。サバナに似た草原に灌木が群生する風景の中で、防護柵の外に植えられ、この時期に収穫を迎えた一面真っ白なワタ畑か、2m以上に成長した緑のアサ畑か、防衛局が管理する矢竹が、せいぜい目を楽しませてくれる程度だ。それら単調な植生と比べて川沿いの緑は複雑で色濃く、茂る木々の中で小鳥に蛇に兎に虫にと生物の営みも騒がしいものだ。図鑑でしか見たことのない動物たちが動く様子は新鮮だった。
「……きれいな水ですね」
悠理の隣に移動した久遠は、彼の視線を追って川面に目をやった。久遠も写真でしか見たことがない景色だ。
「飲めるのかな?」
「飲めるよ。私達も帰りにはここで給水しているし、川を辿っていけば根之国がある山々に着く。私達が利用している地下水と同じものだよ」
泉美が案内人のように解説する。外を歩き回っている彼女は広い知識を持っているようだ。
「ふーん……あ、あれって魚? 図鑑で見たことがある」
川面を動く影を見つけて、悠理が目を輝かせた。
「そうだよ。焼いて食べたら美味しいぞ」
「食べられるんだ……」
悠理は興味津々だ。見たもの全てを記憶しようとしているかのように。
「今度は2人で来ましょうか。もっと涼しくなってからですけど」
「うん。そうだね」
久遠の提案に悠理は大きく頷いた。偵察隊に同行していなければ、いつまでも動かないかもしれない。悠理とのそんな1日も良いかもしれないと久遠は考えていた。あるいは、悠理と2人だけでこんな場所で暮らすのも──。
「ほら、見えてきた。あそこが目的地だよ」
川沿いに目を向けた遠く、人工物らしいものが密集した場所がある。
「……あれが、人が住んでいた所ですか?」
「そうだよ。あんな場所が幾つもある。そこから使えそうな物を見つけて持ち帰るのが私達の仕事だ」
二百数十年前に失った文明の遺産。たとえ壊れていてもそれは貴重な物だ。全てを何も無いところから創り出していたのでは、ここまで早く文明を取り戻せなかっただろう。根之国の中では再生利用が当然だが、それでも偵察隊が持ち帰る収集物は貴重な物で、他局からの収集依頼は途切れることが無い。
やがて、川に架かった石橋を渡って廃墟の入口に着いた。偵察隊は一時停止して、隊員が双眼鏡で周囲を確認した。コンクリートの建物はひび割れ崩れ蔦が絡みつき、地面は草に覆われている。石窟都市で暮らす彼等の目にも不気味な光景だった。隊員達は荷車に乗せてきた木製の長方楯を構えている。
「ここには野盗が住み着いていることがあるから充分に気を付けてくれ。1人で離れて遠くに行かないように。いざとなったら荷車を捨てて逃げるからな」
自らも双眼鏡を覗きながら泉美が言った。
「うん」「分かりました」
確かに、草原とは違い隠れられる場所が多く、ここでの戦闘は困難だろう。泉美は荷車に積まれている複合弓を2人に示した。久遠は首を傾げた。使ったことが無いものだ。
「これは……私達も練習しておくべきですね」
「そうだね。力加減とか分からないよ」
自分より強い動物を相手にするために石器時代から使われている武器だ。単純な力だけで万事を解決してきた久遠には、これまで必要の無いものだった。2人は、力の入れすぎで折ってしまいそうな弓を諦めた。そして、荷車を護るために周囲を警戒する。聴力も視力も常人と同程度の2人にはそれ以上のことは出来ない。新たな亜種といっても全てが優れているわけではない。
「この辺りは調べつくしているから、今日はもう少し奥を調べよう」
泉美の提案に2人は頷いた。
やがて、真っ直ぐに伸びた道の両側に小さな建物がズラリと並んだ一画に辿り着いた。商店街の廃墟だが、そこが何であるのか2人には分からなかった。
「待って……この臭い」
先頭を歩く悠理がそれに気づいて偵察隊を止めた。全隊員が息を殺して周囲に目を凝らす。
「……何かが燃えている臭いですね」
悠理に近寄ってきた久遠が耳打ちした。
「……あそこ」
悠理が指した先、20m程先にある1軒の建物から薄っすらと煙が出ている。
「おそらく野盗だな。引き返した方が良いかもしれない」
泉美も2人に近寄って囁いた。防衛局長代理の削根からは、危険は絶対に避けろと念を押されている。
「……それ以外の可能性はありますか?」
「こんな所に野盗以外が住んでいることは無い。間違いなくそうだ」
久遠は悠理を見た。彼女は伊凪隊として偵察任務に参加している。何であれ悠理の決定に従うつもりだ。悠理は少し考えてから、2人で行こうと身振りで伝えた。久遠に否は無い。久遠は泉美に待機するよう促した。偵察隊は慣れたもので、すぐに荷車を中心に長方楯を構え防御の陣形になった。悠理と久遠は足音を忍ばせて建物に近づいていった。
やがて、複数人の話し声。やはり煙が出ていた建物の中だった。
「──だからよぉ、殺すなら女の方が面白れぇだろ。悲鳴がたまらねぇ」「バカか。オマエみたいなのがいるからダメなんだ」「殺すのは男だけにしろ。楽しめねぇだろ」
悠理を止めて久遠が建物の中を覗き込む。そこには焚き火を囲んで座る十数人の男達。身なりと会話から、野盗に間違いないと思われた。
顔を引っ込めた久遠は、悠理に15人と指で伝える。
悠理は頷いた。そして、足元に転がっている直径6cmほどの石を2つ拾い上げ、1つを久遠に渡した。頷き返す久遠。
2人は足音を忍ばせて建物の入口に並んで立った。
悠理の目も15人を捉えた。こちらに気付いたのは3人か。
ブン、と空気が震えて、2人の手を離れた石が野盗の側頭部に直撃した。ゴスッ──鈍い音の後で石が床に転がり、2人の男が崩れる。
(当たった)(当たるものですね)が2人の率直な思いだった。要は偶然である。
突然のことに残りの男達は事態を把握できないようだ。
人間が投げる石の速さでは無かった。
2つの影が飛び込む。
背を向けていた2人の男が吹き飛んだ。巨大な何かにぶつかったように。
「野郎!」「何だテメェ!」
ようやく刀に手を伸ばした男達は、次々と殴り飛ばされていく。
2人は無手。手袋を嵌めているだけだ。
(久遠が言った通りだ。本気で殴ると死ぬんだな)
それは一瞬だけの悠理の思考だ。野盗達への憐憫は無い。「加速」により色彩が減じた視界。脳が処理速度を上げ続けている。
「早くヤレ!」「この!」
残りの5人が刀を抜く。
手前の2人が斬られる。悠理と久遠の抜刀。
切っ先は前に進み次の2人の胸に。
続いての蹴りで抜ける刀身。
刀を振り上げたまま硬直した1人の男の首と胸に、2振りの異形の太刀が突き付けられた。
「他に仲間は?」
冷たく問いかける声に男は頭を振った。
「……そうですか」
男の首と胸に切っ先が吸い込まれたのは同時だった。抜かれると同時に倒れる男。
ここまで1分もかかっていない。
(成程……だから鬼神に鬼姫なのですね)
まさに鬼と呼ぶに相応しい冷酷な戦い。久遠は妙に納得してしまった。
周囲に意識を巡らせる。男の言葉を信じるつもりは無い。
残心──、
そこに、2人以外で生きている者の気配は無かった。
「……どうやら」
「うん。本当みたいだね」
ようやく2人は建物から出て偵察隊に合図を送った。10人の隊員達が荷車と共に移動し建物の中を覗き込み、全員が絶句した。あらためて「鬼神」と「鬼姫」の名が伊達ではないと知ったのだ。
「ここまでとは……」
大戸泉美が声を絞り出した。直毘から聞いていたが、想像を遥かに超える強さだった。
「急いでください。他にもいるかもしれません」
久遠の声に隊員達はビクッと体を震わせて動き出した。その間も、悠理と久遠は周囲への警戒を怠らず隊員達の収集を待つ。
幸運と言うべきなのか、建物の中には野盗達が集めたと思われる物が山積みになっていた。収集隊はそれを荷車に積み込んでいくだけだ。
(どっちが野盗なんだろう?)
悠理の思いは久遠も同じだったようで、チラリと彼女を見た悠理に、久遠は一瞬だけ笑って見せた。
「よし、撤収しよう。長居は無用だ」
泉美の判断は2人にも正しいものと思われた。住み着いている野盗が彼等だけとは限らない。
偵察隊は無言で、しかし足早に安全と思われる場所まで荷車を走らせた。
やがて、小休止の指示。
「おかげで今日は大量だな。これで多霧の泣き言を聞かなくて済む」
大戸泉美は御機嫌だった。彼女は「三バカ」と呼ばれる3人の局長達と同期で、日頃から「泉美、代わりに局長やって」と泣きつかれることが多いのだが、あんな頼りない奴等に偵察隊を任せられるわけがないというのが泉美の思いだ。他の隊員達も安全圏まで荷車を走らせて、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。木陰に荷車を止めて、隊員達の多くは草の上に寝ころんでいる。
「2人とも休憩の間に川に入ったらどうだ?」
泉美に言われて悠理と久遠は自分達のマントと戦闘服が返り血で汚れていることに気付いた。
2人は目を合わせて頷きあい、太刀を鞘ごと固定具から引き抜き川の中に入った。
「中心は流れが速い。近くにいたほうが良いよ」
泉美は隊員達に給水を指示した後で彼等に注意した。
「そうですね。気を付けましょう」
石窟都市で育った2人は泳いだことなど無いし、おそらく、筋肉が重くて泳げない。
久遠は腰まで水に浸かった悠理のマントを脱がし洗い始めた。
「川の近くで住めれば良いのにね」
「そうしますか?」
久遠は本気だ。悠理がそうしたいと言えば否応無く根之国を出るだろう。
「……暑くなければね」
「そうですね。毎日これでは体に良くないでしょうし」
太陽は真上までは昇っていないが日差しは強烈に降り注いでいる。温暖化に加え、核戦争によるオゾンホールの拡大で、紫外線は長時間浴び続けると危険な強さになっていたという。それでも、少しずつ回復してきたオゾン層のお陰で、昔ほどの危険は無くなった。それでも、石窟都市で暮らす人間にとっては耐えられない暑さだ。
「うーん、やっぱり外での生活は難しいのかな」
悠理は残念そうに景色を見渡した。そこには彼等を拒む豊かな世界がある。
「良い場所があるか探してみましょう。外に出る機会が増えるでしょうから」
「そうだね」
泉美の「出発するぞ」という声に2人は川から出た。
歩いていれば乾くと言われ2人は濡れたまま荷車に付いて歩き出した。荷車の中には3反の布、十数本のガラス瓶に入った塩、小麦と乾燥トウモロコシが入った麻袋、木材に本、野盗が使っていた太刀や甲冑や楯の他に見たことが無い物が多くあった。
「……これは?」
悠理は木箱に入った沢山の小さな円盤を指した。
「ん? あぁ、これは昔の硬貨だよ。これを欲しい物と交換していたんだ」
それを覗き込んで泉美が答えた。
「……これと?」
それだけの価値がある物には見えなかった。配給が普通の根之国には、物々交換はあっても貨幣制度は無い。例えば、悠理が腰に帯びる太刀は必要だから与えられているのであって、欲しいからと言って必要のない人間には与えられない。
「昔はこんな物に価値があったんだよ。でも、今でも貴重な物だ。例えばこの小さいのはアルミニウム。この穴が開いているのは真鍮。こっちの緑色は青銅。これが白銅。熔かせば色々な材料になる」
「こんな物、どうして野盗が集めているのかな?」
「さぁね、野盗達の間では硬貨として使っているのかもしれないな」
硬貨の隣には数冊の本が積まれている。表紙には笑顔の女性。それらが何であるか悠理には分からなかった。
こうして集められた本や教科書を元にして歴史の教育が行われているが、それが本当かどうかは確かめようが無い。空の上には沢山の人工物がありますと言われても、それを確かめる術は無い。全てを信じてしまえば、人類は数千年前から空を飛んでいたことになってしまう。生まれてすぐに喋った人間。殺されてから生き返った人間。数百年も生き続けた人間。そんなものが存在していたとすれば、悠理や久遠など彼等の足元にも及ばないだろう。
やがて人類が再び生態系の頂点に立った時、それらは全て神話として語られることになるかもしれない。どこからが本当に存在した人物なのか、記録にある国が何処にあったのか、全ては推測であって確定できるものでは無い。文明の断絶とは、そういう歯がゆいものだ。
偵察隊は沢山の収穫を荷車に乗せ、昼には根之国に辿り着いた。服が乾くどころか汗でビショビショになりながら、悠理も久遠も荷車を押した。昼を過ぎればさらに危険な暑さになると言われて急いだのだ。木陰がある川沿いから離れると灌木の茂みしかないサバナのような草原が続く。その中を、熱中症で倒れた隊員を荷車に乗せ、疲れ果てた隊員たちに代わり悠理が荷車を引き、久遠と泉美が横に付いて押した。
「……外で暮らしていた人達の……気が知れません」
「……全くだ」
最後は久遠と泉美の意地の張り合いで、どちらも恋人と夫には見せられない顔をしていた。
「あ……ありがとう。武器と防具類は……岩筒部長に渡してくれ。これだけは、防衛部の管轄だ」
こうして集められた刀剣類は、金屋一と戸間安平という2人の刀工のもとに運ばれ、良質の物は拵を変えて再利用され、質が悪い物は包丁や剣鉈等の日用品に生まれ変わる。
「た……大変な仕事ということが……よく分かりました」
「うん……だから、野盗達を頼む。できるだけ……減らしてくれ」
「……はい」
荷車を挟んだ2人の最後の会話。これもまた、修羅の戦いだった。
ようやく初めての任務から解放された2人は、4階の伊凪家に帰って泥のように眠った。
* * *
根之国暦237年9月8日。
時刻16時10分。根之国、地上4階。居住区域、格技場。
悠理と久遠は4階の格技場にいた。2人が格技場に来たのは弓の練習をするためだ。10m四方の空間に真砂土を敷き詰めた格技場は、石窟都市では広い施設だが弓の練習をするには狭い。防衛部の隊員達が作った外の弓技場を勧められた2人は丁重に断った。しばらく炎天下には出たくなかったからだ。防衛部に借りた複合弓と胸当てと皮手袋を使っているのだが、指導教官として磐筒竜希という隊員までついてきた。防衛局防衛部の隊員で「土竜」と呼ばれている23歳の女性だ。言うまでも無く豪希の娘である。父親に似たのか175cm程の長身に小麦色の肌と筋肉質の体。それでも顔は母の削根に似て美人で、ベリーショートの髪が良く似合う。そして、当然のことだが悠理が反応しやすいアエテルヌスだ。しかも、
「ふーん、親父が気に入ったって聞いていたから、どんな屈強な男かと思ったら、まさか鬼神がこんな可愛いとはね」
と、すでに悠理に興味津々になっている。
竜希は手本を見せてから2人に弓を渡した。悠理は取り敢えず竜希の手本と同程度に弱く弦を引いてから矢を放った。
「筋力に問題は無いか。それなら練習あるのみだな。残心とか型とかどうでもいい。敵より多く射て当てれば良いんだよ」
(そんなことなら教官なんて必要ありません)
思いつつも久遠は黙って練習を続けた。習得しておけば悠理に手取り足取り教えることが出来たのにと後悔しながら。石窟都市内で弓が必要になることは無い。野人を相手にするのも太刀があれば充分だ。力だけで全てを解決してきた彼女に、まさか弓の技術が必要になる日がくるとは思っていなかったのだ。
竜希は悠理の後ろで、彼の背筋に手を当てたまま立ち続けている。悠理が矢を射るたびに唸るような声を発しているのは何の意味があるのか、全く謎の行動だった。
「……何?」
気になっていた悠理がようやく聞いた。
「ん? 背筋の動きを感じていたんだけど……良い背筋だな。私と結婚してくれ」
「……ちょっと、磐筒さん?」
「あぁ、鬼姫の婚約者だったな。たまに貸してくれるだけで良いんだが」
「駄目に決まっています」
もはや何人になったのかも憶えていない要警戒名簿に、久遠は磐筒竜希の名を書き込んだ。
「ほぉ……弓の練習とは。卑怯者には似合う武器と言うべきだな」
そう言いながら格技場に入ってきたのは南方武瑠。彼は悠理と久遠が狙っている的の前に進んでいった。
同時に放たれる2本の矢。それは正確に武瑠の頭を狙ったものだ。
「おっと……危ないではないか」
軽く後ろに跳んで矢を躱す武瑠。2人の口から同時に舌打ちが漏れた。さらに矢を番えて的の前に歩み寄るのを無言で待つが、さすがに武瑠もそこまでバカではないようだ。
「ふっ……これが伊凪隊の訓練か。俺が鍛えている南方隊の武装は槍だ。これぞ俺の部下に相応しい武器と言えよう」
悠理と久遠は目を見合わせた。
(南方隊って?)(いいえ、聞いたことがありません)
どうやら勝手に編成して勝手に名乗っているらしい。伊凪隊の存在を耳にして対抗心を燃やしたのだろう。
「さらに、我が南方隊の隊員は精鋭23人。たった2人の隊しか持てないキサマとは器が違うということだ」
自慢しつつ歩みだした武瑠に向かって再び矢が放たれる。武瑠はこれも華麗に躱してみせた。
再び2人の口から舌打ち。
「なぁ、あのキザな奴は何者だ?」
竜希は素朴な疑問を口にした。
「何の事ですか? 私には見えません」「そうだね」
悠理まで冷めた目で次の矢を番えている。出来れば本当に亡き者にしたいのだ。
「ふーん、残念な奴なのか?」
「気になるのでしたらどうぞ。良い背筋をしていると思いますよ」
これ幸いと久遠は竜希に薦めた。筋力だけなら悠理よりも上だろう。
「ふーん、まぁ、いらないけど」
「ふっ……まさかとは思うがキサマ、俺に喧嘩を売っているのか? そんなもので俺に勝てると思っているのか?」
武瑠はついに腰の太刀に手を伸ばした。
「おい! 住人に向けるのは御法度だぞ!」
さすがに見咎めたのか、横から竜希が叫んだ。
「さんざん弓で狙っておいて言えることか!」
「む……確かに」
これは正論である。竜希は納得して黙り込み、壁際に移動して腕を組んだ。どうやら傍観者になると決めたようだ。
「そんな物を使わずに腰の物を使えばどうだ? それともまた久遠を操って俺にけしかけるつもりか? 恥を知れと言いたいところだが、キサマにそのようなものがあるはずは無いか」
悠理は見せつけるように久遠の腰を抱き寄せた。久遠は「あら?」と驚きながらも頬を染めてモジモジしている。こういう積極的な悠理は貴重だ。もはや悠理の中でも久遠を洗脳していることになっている──のではなく面倒なので話を合わせているだけだ。
突然の三角関係に、竜希は「面白い」という顔で観戦している。
「キサマ! そもそも久遠を妊娠させておいてこのようなことをさせるとは! とてもではないが許せん!」
この言葉に、久遠が「え?」という顔になる。悠理も首を傾げている。武瑠への苛立ちから嘘をついたのを忘れているのだ。
「……何それ?」
さすがに無視できなかったのか、ようやく悠理が武瑠に答えた。
「キサマが言ったのだろうが! 『妊娠させたからボクのだ!』とかバカみたいに言っていただろうが!」
しばらく考えてから「あぁ、そうだった」と思い出して悠理は悪い笑みを浮かべた。
「そうだよ。久遠のお腹の中には僕の子供がいるんだ。だからもう諦めてよ」
久遠の横から「おい」という小声。見ると竜希が久遠の腹を指した後で自分の腹を膨らませる身振りで「妊娠してるのか?」と聞いている。久遠は「違う」と否定。どうやら、武瑠を相手にすると悠理は子供になってしまうようだ。野人と戦いに行ったのに武瑠と対峙していたあの時に何が起きていたのか、目に浮かぶようだ。それはまさに、「やーい、やーい、お前の母ちゃん──」「うっせぇバカ! だまれウ〇コ!」という子供の口喧嘩だった。
(やはり、悠理をバカに近づけてはいけませんね)
これ以上の汚染は防がなければならない。やはりここは自分が──久遠が悠理の前に出ようとしたその時、
「お待ち下さい!」
1人の少女が悠理を庇うように武瑠の前に立ち塞がった。
「……お前は何者だ?」
「泣沢さんだよ」「藍馬さんですよ」
2人の声は武瑠の耳に届いただろうか。しかし、
「……赤の他人です」
泣沢藍馬の口から出た声は冷たいものだった。放課後になると隠れて悠理の追っかけ行為をするようになった彼女は、ついに名前さえ憶えてくれない婚約者を拒絶する決断をしたのだ。
突然の三角関係から四角関係への展開に、竜希は「とにかく面白い」と観戦を続ける。
「そうだろうな。お前もこの悪魔に洗脳された女に違いない。だが心配するな。久遠の次にお前の洗脳も解いてやろう」
竜希が補足情報を求めて再び久遠を呼んだ。「コ・ン・ヤ・ク・シャ」という口の動きを読み取った竜希は「あちゃー」という気の毒そうな顔を藍馬に向けた。
その藍馬はと言えば──、
「もう……もう……」
その肩は細かく震えていた。それを見て久遠の顔が引きつる。そう、これこそが久遠が口にした「バカより手強い」状態。
「こんな男イヤですうううぅぅぅぅぅ!」
泣きながら武瑠に突撃する藍馬。
武瑠はその涙に一瞬だけ動揺を見せたが、
「おっ! うぉっ! あぶない!」
と藍馬の連撃を避ける。
「死んじゃえバカあああぁぁぁぁ!」
「うっ! ぬぉ! これは!」
速くなる攻撃。武瑠の防御を抜いて、拳が、足が当たり始める。
そして──、
最後の止めは後ろ回し蹴りだった。
「ぐふぅ……」
武瑠がくの字のまま飛んでいき、ドッと地面に叩きつけられた。
「つ……強えぇ……」
竜毅の呟きに悠理は頷いた。が、もう1つの確信があった。悠理同様、南方武瑠も女性に暴力を振るうことが出来ないらしい。そうでなければ、一度も反撃しなかったことの説明がつかない。久遠が言う通り、南方武瑠は強いのだ。だからと言って、南方武瑠への評価が上がるわけでは無いが。
藍馬はしかし、その場に蹲って動かなくなってしまった。こんな男を相手に貴重な時間を浪費してしまったことが悔しいのだ。
「悠理……藍馬さんは私が。今日はもう帰ったほうが良いでしょう」
「……うん」
悠理は素直に従った。南方武瑠を気にする者は誰もいなかった。
時刻16時30分。根之国、地上3階。管理区域、新人類創造部、部長室。
久遠は泣き続ける藍馬を連れて天乃弥奈の仕事場を訪れた。
「ちょうど良いや。悠ちゃんの隊用に控室を用意したからね。浴室がついているから便利だよ。武器類だけは防衛部に渡して欲しいけど、隊で集めた物はそこに保管して良いからね。お礼は……でっかいサファイアで良いや。9月生まれなんだ」
「見つかるとは思えませんが……そこまでしてもらって良いのですか?」
「反対する奴はいないよ。製造局も大喜びだったもん。で? どうしたの?」
久遠は教室での出来事から格技場までの一部始終を説明した。
「──ということで、何とかしてあげられませんか?」
「そうか……そのうち愛想をつかすと思っていたんだよね」
藍馬を武瑠と交配させようとしているのは高見恭平の一派である。彼等は初期の計画に拘り、完璧な人「ホモ・ペルフェクトゥス」を生み出そうと必死になっている。フォルティス同士の交配から生まれる可能性を捨てるつもりは無いのだ。そもそも、アエテルヌスが普通の人間と同じように学校に通うようになったのは恭平の影響力が大きい。寧々子の前までの亜種は3階で教育を受けていた。それを普通の人間に交じって教育を受けるべきだと主張したのは恭平である。弥奈の遺伝上の母、天乃弥寿と同等の天才と言われた彼の意見は無視できるものではなかったようだ。それなのに、恭平の良心はアエテルヌスで止まってしまったのか、フォルティスに対しては研究者の冷酷さを隠そうとしない。あるいは、アエテルヌスなど最初から眼中に無く、普通の人間並みの扱いで充分と思っていたのか。
「今さらフォルティス同士とかどうでも良いんだよね。悠ちゃんは久遠との結婚を望んでいるんだし、放っておいても強い子が生まれるのは分かっているんだよ。ここまできたら本人の希望が一番だと思うね。悠ちゃんだって久遠だって、普通に生きて良いはずだもん」
それは遺伝上の母親である天乃弥寿を殺して自由を手に入れた弥奈の率直な思いだ。アエテルヌスの中で1人だけイレギュラーとして生まれ、悠理を愛したことでようやく普通の感情を持てた彼女は、今でも弥寿を殺したことは間違いではないと思っている。そうでなければ彼女は悠理さえも実験動物として扱っていただろう。本当の鬼女とは弥寿のような人間のことだ。これは普通の人間の恭平には理解できないことかもしれない。
「一番の希望というのであれば、悠理になるのですが?」
「やっぱり汚染されちゃったか。久遠としてはどうなの? 悠ちゃんとの子供を許せる?」
「まぁ……本人次第ですけど」
2人の会話を聞いていた藍馬が顔を上げた。その目は期待に溢れている。南方武瑠以外の選択肢があるとは思っていなかったのだ。
「おマセさん、性交渉が出来るってことじゃないよ。悠ちゃんの子供を産めるかもって話だけど、秘密は守れるかな?」
藍馬はコクコクと頷く。
「恭平君が邪魔になるだろうけど、殺しても育子は文句を言わないだろうね。さっさと離婚しちゃえば良いのに」
「藍馬さん、邪魔をするなら高見恭平でも殺すという覚悟はありますか? 悠理に関わるというのは、そういうことですよ」
すでにその覚悟を済ませている久遠は諭すように藍馬に言った。彼女の場合、殺す対象には弥奈も入っていたのだが。
「藍馬は14歳だから、まだ4年もあるからね。その間に考えれば良いんじゃないの? とりあえずは悠ちゃんの隊に入れて様子を見るってことでね」
「私は構いませんが、藍馬さんはそれで良いのですか?」
久遠としては願っても無い味方だ。何しろあの武瑠を蹴り飛ばしたほどの力の持ち主だ。泣いてしまえば久遠でも勝てないかもしれない。
「悠ちゃんの役に立って久遠に認められれば、悠ちゃんの子供を産む機会はあるかもだね」
「あの……お願いします」
藍馬にとっては当然の選択だろう。南方武瑠との性交渉など今の彼女には拒否感しか無い。
「はいよ。恭平君と他の局長達には私から言っておくから、藍馬のことはお願いね」
弥奈は面倒くさいという表情を隠さなかった。局長達は味方だが、高見恭平から藍馬を奪い取るのは骨が折れる交渉になる。最悪、殺すという選択肢もありえるのだが、出来れば育子と離婚した後にしたい。
「分かりました。お願いしますね」
こうして伊凪隊に、ある意味で最強のフォルティスが加わった。
「なぁ……久遠?」
弥奈は久遠と目を合わせずに呟くように言った。
「何ですか?」
「悠ちゃんは……楽しそうかな?」
その言葉の重みは、傍で聞いていた藍馬には分からないものだろう。15年を孤独に生きてきた悠理に、少しでも時間を取り戻して欲しいと願うのは弥奈と久遠の共通の思いだ。
「えぇ、とても楽しそうですよ。外の景色が珍しくてはしゃいでいましたし、色々な物に興味を示していましたから」
「そうか……それなら良いや」
弥奈はようやく笑顔を見せた。「頼むね」という弥奈からの願いを読み取って、久遠は柔らかな笑顔で頷いた。
時刻20時40分。根之国、地上5階。南側居住区域、中央坑道。
新興宗教日女教教祖、佐古探女の説教に聞き入る聴衆は、少しずつだが増えている。
「我は根源神ワカヒルメムチ様の化身なり。今の世界は神が与えた試練。神を信じれば新しく生まれ変わり、外の世界で生きることができるのじゃ。
これを否定する奴らは我々に奴隷のような労働を続けさせようとしているのじゃ。黒い魔物を使って我々を服従させ、自分達が楽をしようとしているのじゃ。この都市で次々と魔物が生み出されておる。我々は団結して魔物を追い出さなければならぬ。これこそが根源神ワカヒルメムチ様の御意思である。皆は選ばれた民なのじゃ」
* * *
根之国暦237年9月9日。
時刻16時20分。根之国、出入口横。弓技場。
伊凪悠理、荒波久遠、泣沢藍馬の3人は、磐筒豪希に勧められていた弓技場で、中断した弓の練習をすることにした。南方武瑠に邪魔されるよりは暑いほうがマシという判断だった。
根之国の出入口は狭い坂道になっている。元は切り立った山肌に口を開けた洞窟へと続く斜面だったのだが、野人の侵入を防ぎやすいように狭い坂道だけを残して周囲を掘り下げてあるのだ。防衛部の弓技場は掘り下げた部分に作られていて、射場から的場までの距離は60m。射場には日除け用の黒いシートを張っているがそれでも暑い。3人は涼しい格好で、胸当てと皮手袋を借りて身に着けている。
藍馬は経験者らしく、麦藁を纏めた標的に高い確率で的中させている。磐筒竜希が指導に付いているが、彼女は相変わらず悠理の背筋を触って感心しているだけだ。久遠はイライラしながらも、藍馬からの助言を素直に聞きつつ黙々と練習を続けた。早く自分のものにして悠理に教えたいという切実な願い──あるいは下心からだが。
「どけ」と声が聞こえて竜希は襟首を掴まれて悠理から引き離された。
「なにを──」と言いかけて振り向いた彼女の目に飛び込んできたのは赤銅色の長い髪。そして左眼の眼帯代わりの鍔。彼女の2年先輩の「火竜」火照緋焔だった。
「何するんだよ。私は鬼神に──」
威嚇するように目を細めてシッシッと追い払う仕草の緋焔に、竜希は不貞腐れた顔を見せつつも黙り込んだ。この先輩に理屈は通じないと分かっているからだ。
緋焔は竜希から奪った悠理の背後に立ち、プラチナブロンドの髪に頬を擦り付けてウットリと幸せそうな顔をした。それを見る竜希は羨ましいという顔に変わっている。
「……先生?」
憶えてしまった匂いを嗅いで、悠理はすぐに緋焔だと気付いた。それでも彼女には不満だ。
「こういう時は緋焔と呼んでくれと言っているだろう? もしくは、お姉ちゃんでも良い」
悠理の肩に顎を乗せた緋焔は、自分を射るように見る久遠に気付いた。その目は(邪魔をするな)と明確に意思を伝えている。
「……伊凪君、手本を見せてやる」
「……うん」
悠理から複合弓を受け取った緋焔は、慣れた様子で矢を番えて素早く射る。矢は正確に標的に突き刺さった。
「実戦では速さも重要だ。モタモタしていると標的になるだけだぞ」
緋焔の言葉は悠理にではなく久遠に向けたもののようだ。久遠は悔しそうに目を外して自分の練習に戻った。それを見た緋焔の顔が満足気に綻んだ。ようやく久遠に勝てるものを見つけたのだ。
「……久遠お姉様、あの派手な女は何者ですか? 殺しても良い相手ですか?」
再び悠理の背後に回りベタベタしはじめた緋焔に、藍馬は殺意を向けていた。悠理はすでに諦めたようで、困惑しつつも無抵抗で緋焔の好きなようにさせている。
「悠理の担任です。気持ちは分かりますが、殺してはいけませんよ」
久遠も腸は煮えくり返っているようだ。彼女にとって弓は鬼門なのかもしれない。
「……残念です」
竜希は「面白い」という顔で久遠と緋焔を観察していた。この2人が4年前に斬り合ったのは有名な話で、眼帯代わりの鍔の下にはその時の傷が残っている筈だ。それなのに、2人に蟠りは無いように見える。これが本当に「火竜」と呼ばれ恐れられていた火照緋焔なのか。
「緋焔さんは、鬼神とどういう関係なんだ?」
「ん? 私は伊凪君の担任だ」
「え? 本当に教師なんかやってんの? 生意気な生徒殴ってもクビにならないの?」
噂には聞いていたが、信じられる話ではなかった。
「…………」
緋焔は後輩の暴言に言い返せなかった。自分の過去を知っている相手だからだ。それでも不機嫌そうに顔をしかめたが。
「……その鬼神というのは、どうにかなりませんか」
もはや聞き捨てならなくなった久遠が竜希に怒りを向けた。八つ当たりとも言えるが竜希は平気な顔をしている。
「ん? 格好良いだろ。鬼姫の婚約者にはピッタリの渾名だって皆が言っているぞ」
そう言われるのは悪い気がしない。
「そうですか。良い機会ですから聞いておきますが、まさか火照先生が言い出したのではないでしょうね?」
「ん? それは違う。私の案は『羅刹』だが却下された」
久遠は眉をひそめた。大して変わらないと思ったからだ。しかし、やはり警察部の隊員達が犯人のようだ。
「そうですか。どうやら私に原因があったようですね」
鬼姫と呼ばれるのは嫌だが自覚があるから仕方ない。
「鬼神に鬼姫か……私も鬼が付く渾名を考えようかな」
「土竜」は気に入っているが鬼も捨てがたい。
「そういうのは自分で付けるものではないだろう」
緋焔だって変えられるものなら変えたいのだ。それにしても──と緋焔は思う。こいつはいつになったら「土竜」がモグラだと気付くのだろう。ザンネンな後輩を、緋焔は不憫に思っていた。
「ちょっと邪魔するぞ」
5人の前に防衛部長の豪希が姿を見せた。
「どうしたんだ、親父?」
「うん、伊凪君にちょっとな」
そう言って、1振りの太刀を悠理に差し出す。柄紐は、悠理の太刀「白姫一文字」、大太刀「鬼神」と共通の卯の花色だ。
「……これは?」
「伊凪君が前に持ち帰った戦利品の中から見つかった太刀だ。抜いてみなさい」
その太刀は、刃長70cm、反り2.7cm、元幅3.7cm、元重7.5mm。いわゆる山鳥毛と呼ばれる重花丁子の刃文。
「美しい刃文だろう?」
悠理は頷いた。刃文など気にしたことは無かった。
「この太刀は、お亡くなりになった天乃鬼一という刀工が作ったものだ。金屋先生から、これを伊凪君に持たせろと言われている」
天乃鬼一の名に久遠はドキッとした。もしかして、悠理の祖父かと思ったのだ。そうであれば、金屋一は悠理の素性を知っているということだろう。
「天乃ということは……」
「そうだ。天乃鬼一は金屋先生の師匠で、伊凪君の祖父と聞いた」
「お祖父ちゃん……ですか?」
「伊凪君が持っているべきだろう。これを機に太刀を集めてみたらどうかな? 俺も蒐集しているんだ」
悠理は魅入られたように刀身を見つめている。顔も知らない祖父が作刀した太刀というのは、彼にとって不思議な物かもしれない。悠理は外に出るようになってから色々な物に興味を示しているように久遠には見えた。この様子であれば、久遠と会う以前の全てを諦めたような虚しい目に戻ることは無いだろう。
「良いと思いますよ? 悠理には趣味がありませんから、野盗退治にも楽しみが出来ます」
久遠は豪希が刀剣蒐集仲間を欲しているのだろうと察した。もっと仲良くなりたいと思ってくれているのであれば、悪いことではない。
久遠の言葉に豪希は大きく頷く。悠理は、久遠が言うならと頷いた。
「良かった。天乃鬼一の太刀が見つかれば、伊凪君に渡すことにしよう」
「悠理の趣味のために、この辺りの野盗が全滅してしまうかもしれませんね」
久遠は苦笑した。だが、色々な物に興味を示す悠理を見るのは幸せなことだった。
* * *
根之国暦237年9月10日。
時刻6時20分。根之国、地上3階。管理区域、伊凪隊控室。
悠理、久遠、藍馬の3人は、天乃弥奈が用意した伊凪隊専用の控室で戦闘服に着替えていた。いつもなら眠っている時間で3人共が眠そうだ。早起きしたのは、偵察隊の護衛をしてくれという依頼のためだ。前回の護衛任務で戦利品が多かったから味を占めたらしい。
弥奈が用意してくれた伊凪隊の控室は独身者用の住居だったようだ。3.6m四方の部屋に浴室が付いていて、3人で使う控室としては贅沢なものだった。部屋の中には仮眠用のベッドと机と椅子と棚が置かれており、鉢金や戦闘服や弓等の装備も置いておけるようになっている。
昨日のうちに控室を確認していた久遠は、3張の化合弓と矢筒が置かれているのを見つけていた。根之国で普通に使われている複合弓とは違い、弓の両端に滑車が付いている見慣れない弓だ。その強さからフォルティス用に作られた弓だと久遠は理解した。
そして、机の上には何故か、昨日は無かった小さな箱が置かれていた。
「……何かな?」
「……何でしょうね?」
久遠は蝶番になった蓋を開いた。その中には、10カラットほどの本翡翠の裸石が1個だけ入っていた。
「……何?」
悠理が不思議そうに見つめる。彼にはただの石にしか見えないようだ。
「つまり……こういうものを集めろ、ということでしょうか?」
「……誰が?」
久遠は苦笑で誤魔化した。明らかに弥奈からの無言の要求だった。大きなサファイアを見つけろというのは本気だったようだ。どうやら弥奈には宝石の蒐集という趣味があるようだ。あるいは、自分の趣味に久遠を引き込もうとしているのか。これで久遠にも外に出る目的が出来たということだ。
「あら……キレイですね」
カボションカットされた緑色の石を見つめて藍馬が溜息をついた。その額には、2人と同じ鬼の鉢金。
「……やはり、伊凪隊用の鉢金なのですね」
「私も鬼の渾名をつけたほうが良いのでしょうか?」
藍馬は鉢金に付いた鬼の角を触りながら言った。彼女にはまだ渾名が無い。
「そういうのは自分でつけるものではありませんし、私も悠理も知らなかったのですよ」
「そうですか。では私も素敵な渾名がつくように頑張ります」
「…………」「…………」
(鬼神に鬼姫が素敵かな?)それは悠理と久遠に共通の感想だった。
時刻6時40分。根之国の外。防護柵、跳ね橋前。
7時出発の予定と聞いていたが、そこにはすでに20人の防衛局偵察部の隊員が集まっていた。これは偵察部に所属する全隊員だ。用意された荷車は2台。そして、伊凪隊の物だと言われた小型荷車。そして、その隣には、
「おはよう伊凪君」「おう、鬼神」
何故か戦闘服と甲冑の上からフード付きマントを着て保護眼鏡を掛け、複合弓を手にした完全装備の「火竜」火照緋焔と「土竜」磐筒竜希が立っていた。
「火照先生と磐筒さん……何故お2人がいらっしゃるのですか?」
「伊凪隊だろう? 私等も入れろ」
緋焔の言葉に竜希が頷く。
「まぁまぁ、不良娘だが仲良くしてやってくれ」
「……茅野さんまで、何をしているのですか?」
久遠の肩に顎をかけてニヤリと笑うのは緋焔の母の火照茅野、44歳。前食糧局長で今は製造局開発部の職員だ。その後ろには、同じく開発部職員の宿儺良子と木津羽音という2人の女性が立っていた。良子は宿儺結良と咲良の母で前製造局長。羽音は前居住局長だ。この3人は良子が「紫竜」、茅野が「燭竜」、羽音が「黒竜」の渾名を持ち、合わせて「三竜」と呼ばれている。元部下で現局長の「三バカ」とは大違いの渾名だ。3人とも久遠とは顔見知りだった。
特に久遠と茅野は4年前の「火竜事件」の当事者同士である。茅野の娘の緋焔が久遠に斬りつけて返り討ちにあった事件の後、ボコボコにした緋焔を引きずって荒波親子に詫びをいれにきたのは当時食糧局長だった茅野だ。その後すぐに茅野は食料局長を退いて製造局に異動したのだが、娘の愚行が無関係だったとは言えないだろう。以後、久遠と茅野は気心の知れた仲になっている。
「悠ちゃんに紹介してくれよ」
茅野が耳元で囁く。
「……もしかして、それが目的ですか?」
「緋焔の姉ってことで、な?」
「…………」
言われた通り、久遠は仕方なく茅野を緋焔の姉、良子を結良と咲良の姉として悠理に紹介した。悠理に疑った様子は無かった。
「3人共、これを着けてくれ」
茅野が指差した小型荷車には、青銅の板金胸甲に青銅の籠手、青銅の臑当て、青銅の薄い板を張り付けた木製長方楯が乗せられていた。それらは全て黒色で統一されている。動くなと言われマントを外され、戦闘服の上から黒塗りの板金胸甲、籠手、臑当てと装備させられた伊凪隊の3人は、最後に鬼の鉢金を外されて鬼の角が付いた冑を渡された。青銅の鉢に鼻と頬を護る古代ギリシャのコリント式に似た面を付けた物だ。悠理の冑には大きな鬼の角が1本付いている。久遠と藍馬の冑には小さな角が2本だ。隊長の印だろうが、遊んでいるとしか思えない。藍馬の冑にはポニーテールを出すための隙間が開いていて、まるで冑に付いている飾りのように見える。鉢金に鬼の角を付けた犯人が確定した瞬間だった。そして、フォルティス用の化合弓を開発したのもこの3人だろう。
「前回の戦利品を改造したものだ。重くはないと思うが?」
「独自の防具を作れないのですか? 野盗から奪った物を使うというのはどうも……」
「作れるけど材料が無い。ウチは貧乏なんだ」
「野盗よりも貧乏というのは、複雑な気分ですね」
「これを試して良かったら、防衛部と偵察部でも採用するからな。装備を整えたいと削根に頼まれたんだ。野盗から奪って、たんまり持って帰ろう」
野盗が増えたことで防衛部も偵察部も装備強化の必要に迫られている。集められるだけ資材を集めておきたいのだ。
「火照局長、出発の準備が整いました」
かしこまった大戸泉美隊長が茅野に報告した。三バカ局長に対する時よりも数段丁寧な対応だ。
「おう、行こうか泉美ちゃん」
どうやら、実質的な偵察隊の責任者は火照茅野のようだ。
時刻8時15分。根之国から東に数km。
総勢28人の偵察隊は、根之国から東に数km離れた川沿いを歩いていた。
フォルティスの3人は別格としても、常人の倍の筋力を持つ不老の亜種アエテルヌスが6人集まっているというのは贅沢な偵察隊だ。ここまでの戦力を揃えたのは、製造局からの資材収集依頼に応じるために、これまで被害が多すぎて諦めていた別の廃墟に挑むからだという。前回行った廃墟を通り過ぎ、更に川沿いを北に進んだところにあると説明された。
藍馬は初めての遠出のようだ。大戸泉美の説明を聞きながら、物珍しそうに川沿いの景色を眺めつつ偵察隊の先頭を歩いている。
小型荷車は、不機嫌な顔の緋焔と竜希が交代で引いていた。どうして伊凪隊への参加が認められたのか、ようやく理解したようだ。
同じく不機嫌な顔の久遠の視線の先では、自称20代後半の3人の年増が悠理に絡みつくように歩いていた。初対面なのに馴れ馴れしく「悠ちゃん」と呼び、自分達が開発した化合弓の構造を悠理に説明しているのだ。
「伊凪君をこんな危険な任務に連れ出して良かったのか? あの顔に傷でもついたら……」
「私は顔だけで悠理を選んだつもりはありません。傷の1つくらいで嫌いになることはありませんから御心配なく」
「……ごちそうさん。だが、命の危険だってあるだろう」
「そのために火照先生が呼ばれたのでしょう? 竜希さんにあの3人もそうですね」
誰に呼ばれたのか──と言えばそれは天乃弥奈しかいない。おそらく悠理が数十体の野人を相手にした時も親衛隊とやらが近くに隠れていたのだろう。少しくらいの怪我ならともかく、悠理に大怪我をさせるようなことを弥奈が許すとは思えない。
「ん……そうかもしれないが……」
緋焔は言葉を濁した。確かに、緋焔に与えられた任務は悠理を護ることだ。
「野盗程度に殺される悠理ではありませんし、私がついているかぎり、そんなことはさせません」
悠理に実戦経験を積ませるのは大切なこと。そう思ったから伊凪隊の編成を許した。もう二度と1人で戦わせることが無いように。
「そこまで考えているならもう言わないが、私が婚約者だったら……」
最後の方はゴニョゴニョと言葉にしなかったが何を言いたいかは明らかだ。どうやら悠理を緋焔に任せてしまうと物臭な性格が悪化してしまうことになりそうだ。
「……泉美さん、あそこを見てください」
先頭を歩く藍馬が遠くを指した。泉美は偵察隊に停止の合図を送り双眼鏡を覗いた。
「……黒恐鳥だな。6羽か」
進行方向、距離は200m程。体高1.5m程の飛べない鳥だが、ダチョウ等よりも、小型肉食恐竜に近い。二百数十年前はハトよりも少し大きい程度の鳥だったと言われても、信じる者は少ないだろう。何の意味があるのかもはや不明だが、カラスの遺伝子を組み替えて創られた新種の鳥類だ。
「どうした……ん、恐鳥か」「……ちょうどいい的だな」「目の前で確かめられるな」
先頭に移動した三竜が双眼鏡を覗き、同じく集まってきた悠理と久遠に振り返ってニヤリと笑った。
「藍馬、2人に手本を見せてやれ」
「はい」
宿儺良子の命令に藍馬が答えた。彼女は新装備の化合弓に征矢を番え思い切り弦を引き、照準用の目盛で6度の仰角を付けて矢を放った。
150m程先の地面に突き刺さった矢を見て、藍馬は仰角を8度に修正して再び矢を放つ。
「……当たったな」「うん。良い腕だ」「藍馬、具合はどうだ?」
「はい。良い弓だと思います。不安はありません」
藍馬は続けて矢を番え、次の黒恐鳥を狙う。
「悠ちゃんも久遠も試してみな。壊れることは無いと思うぞ」
2人は顔を合わせて頷いた。残り5羽の黒恐鳥は、こちらに気付いて走ってくる。
悠理は化合弓の弦を引いたが、壊れそうな不安は無かった。黒恐鳥の1羽を狙い、15度の仰角で矢を放つ。
それは群れの上を、遥か後方に飛んでいった。
「──残念。練習だと思って、どんどん射て良いぞ」「久遠は当てたな」「悠ちゃん頑張れ」
藍馬に助けを求めると、その唇が「は・ち」と動く。
5羽の黒恐鳥は偵察隊まで到達することが出来なかった。矢を受けた程度で倒れる恐鳥類ではないが、負傷した黒恐鳥は驚いて逃げていく。3羽は藍馬、2羽は久遠、1羽は悠理という結果だった。
「藍馬に一日の長だな」「うん。練習すれば上手くなる」「気にしなくて良いぞ」
微妙な顔の悠理の頭を、3人の年増が順番で撫でる。同じく微妙な顔の久遠は放置だった。
時刻9時45分。廃墟の入口まで200m。
大戸泉美は偵察隊を止めて双眼鏡を覗いた。三竜も同じように双眼鏡を覗いている。
「……どう思う?」「……見えんが、ここで大損害を被った隊もある」「伊凪隊の出番だな」
良子が悠理と久遠に手招きした。
「突撃してくれ。私等も後ろから5人で突っ込む」「5人って誰だよ?」「私等も、だろうな」
良子の指示に、傍で聞いていた竜希と緋焔。
「指揮は悠ちゃんだぞ」
「え? 僕なの?」
「当然だ。悠ちゃんの隊だぞ」「心配するな。私達が付いているからな」「そういうこと」
悠理と久遠と藍馬は化合弓を持って前衛。三竜が複合弓で支援。小型荷車に矢筒と楯を積んで緋焔と竜希が引いて走る。
100mまで近づいたところで廃墟から矢が飛んできたが大きく外れている。やはり見張りがいたようだ。遠くから聞こえる仲間を呼ぶ声。
悠理は隊を停止させた。
「藍馬、頼める?」
名前を呼ばれた藍馬の心臓は跳ね上がった。悠理に初めて名前を呼ばれた。しかも、久遠と同じ呼び捨てだ。
「……お任せください」
藍馬は動揺を抑えて、悠理の期待通り見張りを射抜いた。
「ここで迎え撃つよ!」
「泉美! 垣楯!」「はい!」
良子が叫ぶ。泉美が指揮する偵察隊が5枚の垣楯を伊凪隊の前に置いた。悠理はペコリと頭を下げた。
「足りないところは補う。自信を持って良いよ」「うん」
どうやら、三竜の中で戦闘の主導権を握っているのは良子のようだ。
廃墟に動き。物陰の間から、動き回る人影がチラチラと見える。
「……いるな。ざっと10人か」「まだいるだろうな」
「引き付けるよ!」「分かった!」「おう!」
緋焔と竜希が動く。小型荷車から長方楯を取って前に出る。
走り寄ってくる野盗からの矢は、届いても楯で防げる程度の威力でしかない。
6人が弓を構える。緋焔と竜希は楯で矢を払う。
「撃て!」
悠理の合図で6人が次々と射る。
あまりの被害に野盗が引き返す。
「僕と久遠に楯! 残りは支援! 行くよ!」
「はい!」「お任せを!」
2人は化合弓を置き、楯を受け取って垣楯から飛び出し走った。後ろから藍馬と5人が弓で支援を始める。
「私等も前へ!」
良子が叫ぶ。
垣楯を抱えた偵察隊の隊員に合わせて前進。藍馬と5人は逃げる野盗を次々に射る。
悠理と久遠は廃墟の入口まで全速で走った。
抜刀。乱戦。
最後の1人が隠れ家に逃げ込む。倉庫として使われていた大きな建物だ。
入口。待ち構えていた弓が久遠に放たれる。
「加速」。突き出した悠理の腕が矢を掃う。
そこには10人程の野盗。次の矢を番えようとする野盗に突撃する悠理。
久遠も「加速」。野盗を次々と斬っていく。
「悠理! 怪我は!」
野盗を全滅させて久遠が叫んだ。
悠理は青銅の籠手を見せる。籠手の矢傷を見て、久遠はほっと一息ついた。合皮の戦闘服だけでは防ぎきれなかっただろう。
建物の中には野盗が集めた物が大量に積まれている。6人も到着して、緋焔と竜希が偵察隊を呼びに戻った。
偵察隊も建物の中に2台の荷車を入れ、積み込みを開始した。
大戸泉美が久遠に幾つかの麻袋を差し出した。
「野盗が持っていた物だ。我々には必要ない」
袋の中には宝石、ガラス玉、金貨、銀貨、首飾り、腕輪、オモチャも混ざっている。
「たくさんありますね」
藍馬は宝石を見て目をキラキラさせている。悠理は金の腕輪を取り出して久遠の手首にあてがった。
「うん。似合うよ」
「……そう、でしょうか?」
久遠は言いつつまんざらでもない。腕輪を受け取ってポケットの中へ入れた。
「育子さんと寧々ちゃんにも、お土産がいるかな?」
「……そうですね。悠理が選んであげて下さい」
言いながら久遠は、心の中でガックリと肩を落としていた。こういう時に他の女の名前を出すのが悠理だ。育子の教育は、女心を理解させるまでは進んでいないらしい。無邪気な顔で小さな黄緑色の宝石がついたペンダントを2本取り出した悠理を、久遠は少しだけ恨めしそうな顔で見ていた。
「防具は23領か。これで偵察隊の分は揃えられるな」
「助かります。隊員達の士気も上がるでしょう」
茅野と泉美が甲冑の改良点について議論を始めた。
悠理と久遠と藍馬は化合弓を手に見張りにつき、伊凪隊の分は緋焔と竜希が集めるよう指示された。
「何を集めれば良いんだ?」
「キラキラした物をお願いします」
竜希の問いに久遠はそれだけ指示した。竜希は頷いて偵察隊の中に突撃する。
良子と茅野と羽音は、収集というよりは珍しい物を見つけてその構造を議論し合っているようだ。今は大きな鉄の箱を囲んでその中から何かを取り出そうとしている。
竜希は「面白い」と呟きながら、久遠に言われたキラキラした物を探している。
緋焔は入口で見張る久遠に近づき、黒地に金象嵌の刀の鍔を見せた。
「これ欲しい。私にくれ」「……どうぞ」
何でそんな物をという目の久遠。他人の趣味というのは分からないものだ。
緋焔は嬉しそうに鍔をポケットに入れた。偵察隊の隊員達は鍔を見つけると緋焔への贈り物にしている。女性が少ない偵察隊の中では「火竜」も女性として扱われているようだ。緋焔は思わぬ贈り物にホクホク顔をしている。
竜希はとにかく貴重品らしい物を集めるがセンスが無い。ガラス玉やオモチャの王冠を持っていっては久遠に捨てられている。むしろ偵察隊が持ってきてくれる貴金属や宝飾品の方が多い。
「……分からん」「……代わってください」
途方に暮れた竜希に、久遠はガックリと肩を落として化合弓を小型荷車に置き交代を告げた。
竜希は久遠が置いた珍しい弓を手に取り弦に指を掛けた。
「あれ? 引けないぞ?」
久遠は彼女の呟きを聞き逃さなかった。立ち止まり、振り返った久遠は竜希に歩み寄り耳元に口を寄せた。
「……後でお話しがあります。それまでは黙っていてください」
「……分かった」
久遠の低い声に殺気を感じ取って竜希は頷いた。冗談とは思えなかったのだ。その様子を離れたところから見ていた緋焔はニヤリと笑った。伊凪隊に関わったのが運の尽きだ。(ようこそ)と彼女は心の中で新たな犠牲者を迎えた。
しばらく考えていた様子の竜希は、やがて考えることを止めた。そういう性格なのだろう。
彼女は死んだ野盗の服を探って貴金属と宝石が入った麻袋を見つけた。ようやく正解を見つけた竜希だったが、
「何でこんな物集めてんだ?」
と見張りに立つ悠理に聞いた。
「……分かんない」
悠理も同感のようだ。竜希はむしろ集められた刀剣類に興味津々だった。
「帰ったら1振り貰えると思うよ」
「マジ? やったね」
どうやら竜希は父の豪希と同じ側のようだ。
「後でね。それより見張り」「りょうかい」
やがて、収集は完了しこれからの予定が話し合われた。事前の行動計画では夕方前に出発して日暮れ前に根之国に到着することになっていた。確かに、これから帰ったら一番暑い時間に歩くことになる。
時刻15時35分。廃墟入口付近、倉庫跡。
「そろそろ出発しようか」
茅野の言葉に腰を上げる隊員達。2台の荷車を建物から出そうとしたところで、荷車を引く野盗10人程と互いに目が合ってしまった。どうやら宝探しから帰ってきたようだ。
「何だテメェら!」「何してやがる!」「人の物を盗むんじゃねぇ!」
しばらくの沈黙の後で叫ぶ野盗と、慌てて建物の中に荷車を戻す隊員達。伊凪隊が弓で牽制する。
「……野盗に言われたら複雑ですね」「仲間がいたのですね」「帰ってきたんだ」
野盗達は慌てて荷車の陰、物陰に逃げ込んだ。弓での戦いが始まる。
こちらは建物の中で野盗は直射日光。野盗達は荷車に乗せた蛇口付の缶で水分補給している。
「……藍馬、あれ狙って」「はい」
藍馬が放った矢が蛇口近くを破壊した。漏れ出す水。
「うわあぁ! 水がぁ!」「何しやがる!」「お前ら鬼か!」
(……鬼だよ)と偵察隊の一同。冑に角が付いているのだから、そうだろう。
野盗達はジワジワと全滅していった。こちらに被害を出さないように、持久戦に持ち込んだが貴重な時間を消費してしまった。
茅野と泉美の話し合いで、ここで1泊すると決定した。このまま予定通り出発すれば、暗闇の中を歩くことになる。剣歯猫にでも出会ってしまえば大量の犠牲者を出すことになるだろう。
時刻20時55分。廃墟入口付近、倉庫跡。
小さな焚き火が周囲を淡く浮き上がらせている。木材は貴重だが仕方ない。
悠理と久遠は建物の入口付近でマントを敷いて壁を背に並んで座っている。
「……悠理、眠れそうですか?」
「疲れてるんだけどね、暑くて無理かも」
日中に溜めこんだ熱を地面が吐き出し続けている。温度が下がるのは明け方になるだろう。
「そうですね」
「外で暮らすのは難しいのかな?」
悠理の口調は本当に残念そうなものだった。外の世界を知ってしまったから、石窟都市での生活が窮屈に思えているのかもしれない。
久遠はしばらく考えこんだ。
「……涼しくなってから、外で暮らせる場所を探してみましょう。昔は別荘というものがあったそうですよ。時々外で過ごすだけでも違うのではないですか?」
「川の近くが良いな。焼いた魚を食べてみたい。色々準備しておかないとね」
悠理は久遠の提案に食いついたようで、声の調子が明るくなった。
「そうですね。使えそうな物を分けてもらいましょうか」
「うん」
「……料理を覚えないといけませんね。頑張ります」
そんな2人の会話を少し離れた場所で聞いていた緋焔は、(親衛隊で見張るとか言い出すだろうな。勘弁して欲しいよ)と、恐らく自分に回ってくるだろう役目を思ってゲンナリしていた。
(続く)