第6章 ガスを抜け!
翌日の夕方。
「ごっはん、ごっはん、まともなごっはん」
オフィスに戻った私は、水道で身体を拭いてから、支給された夕食の前で思わず口ずさんでいた。
「あら、まあ」
ルシャ先輩も感激に言葉を詰まらせている。
ちゃんと焼いたパンと、酢漬けの瓜、それに干し肉じゃないバラしたての肉を焼いたのまである。
邪竜が落下した初日はパン種で作った粥、その後は僅かな干し肉で味を付けた汁に、麦粉団子の入ったもの。それに薄めたエールかワインがついておしまい。
瘴気の中で食べ物は腐りやすく、食料の確保はパン屋と肉屋と塩屋の倉庫から回収したものがせいぜいだった。
しかし、今日の昼過ぎ、ついに陸路からの援軍が到着したのだ!
王都の外に野戦陣地が作られ、職人や商人、救援物資などが届いている。陣地といってもその規模は巨大で、小さい街一つぐらいのものは揃っていて、パン焼きの移動かまどすらあった。
そこで供給されたものが、こちらにも届いた訳だよ!
ウヒョー!
パンうめー。
この香ばしさを胸一杯に吸い込……う。
「ティナちゃん、香りは意識しちゃ駄目よ。無意識で楽しむの。吸い込んだら負けよ」
「……分かったから言わないで」
気を抜くと麻痺した嗅覚をすり抜け、街を包む腐臭が刺激を伝えて来る。
これがつまり、援軍の皆さんが、壁もない王都の外で待っている理由だ。
腐臭に全然慣れていないフレッシュな皆様が“王都”に入ると、たちどころに“嘔吐”する訳だ、HAHA! HAHAHA!
「久々のお野菜、おいしいわ」
ルシャ先輩が酢漬けを食べている。
「船乗りさんの本で、野菜を食べないと身体中から血を吹き出して大体死ぬって書いてあったけど、本当に生き返るみたいね」
「そうですかねぇ」
ちょっと苦手なんだよな、酢漬け。
……ふむ。
あれ、なんか嫌じゃない。
「おいしいでしょ? ね? ね? 身体が求めてる感じするわよね。身体全体の欲求が満たされる感じ!」
「いかがわしい表現になってますよ」
「そうかしら?」
ううむ、うまい。おいしい。
定期的に回復魔法をかけて貰ってはいるが、やはり何かしら足りないのだろう。
今日はゆっくり休もう。
どうせ明日は、援軍の誘導で走り回るんだから。
ああ、避難した父母と弟、無事でやってるかな。こっちが心配する事なくない? どうせこっちより良い物食べてるよね。ズルくない?
「食事は終わったかぁね?」
ドアが開き、ニム部長代理が入って来た。
「食休みの時間がなくてすまないが、仕事だぁよ」
「はい」
やだーーーーー!!
ぷちゅぷちゅぷちゅ……。
なんか小さな音が、邪竜から響いてくる。
「……確かに聞こえるわね」
ルシャ先輩が、集音魔法を解く。
私とルシャ先輩は、ササラのいる物見の丘に来ていた。
「新しい指令文だ。トーダ局員、頼む」
ササラが手元にメモ書きを持って私に話し始める。
気付きました? 気づきました? 私を名字で呼んでるんですよ! やっぱり良い仕事は、人の尊敬を集めるのですよ。
「予定よりも燃気が多く発生し始めている。これから計画を前倒ししてガス抜きを実施する。工程別の必要人数がこれだ」
「爆発の可能性はどれぐらいですか」
「正直分からん。大きさは長さが2倍だと重さは8倍だ。8倍の肉は、別の性質を持つ素材と思った方が良い」
2倍が8倍?
「燃気の出ている音はするが、そもそも邪竜は魔物の類だ。ハラワタの配置からして違う可能性がある。糞管が変な場所に入り込んでいる可能性もあり得る。ある程度は博打だ」
私が伝えたササラの指示は、摂政局で分別され、通信局に返されて、一部が私の任務になった。
私とルシャ先輩は、西の城門に来る。
通用門を通り、久々に外に出た。
あ。
濃い空気がいきなり身体を包み込む。
数日前まで当たり前だった、マナのたっぷり含まれた夜風。
自分達がどれだけ濃い瘴気の中にいたことを、思い知る。
「戻りたくなくなるわねー」
「言わないで下さい」
城門から少し離れた場所に、杭が打たれ王国の紋章の入った陣幕が張られている。
軍の野戦陣地であり、現在の軍司令本部だ。
ササラが作戦参謀になった後、軍の主要な任務は物資や人員の調達援助の為の拠点構築や街道の安全確保となっている。
陣地の壁は大半が柱に張った布だが、結界を構成する為、牛馬の突進ぐらいなら跳ね返し、内側からは外が透過して見える、大変ズルい壁だ。
足取り軽く、私たちは陣地の正門に来る。
……その前に、互いに臭いを確認しつつ、香水を振った。やり過ぎると夜のお仕事の人みたいだけど、生ける屍と間違えられるよりはマシっていうか。
「お疲れ様です」
門番の軍人さんが敬礼をする。
「そちらこそ、往復の旅お疲れ様でした」
ルシャ先輩が会釈する。
「い、いえ」
軍人さんは陣地の正門脇の通用口を開ける。
陣地の中は、一つの街だった。
日はすっかり暮れているのに、無熱照明がそこかしこに浮かび、いくつものテントが並んでいる。
食べ物屋の屋台も並び、一角では移動式のかまどが大量に並んで明日の分と思しきパンを焼いている。
「司令部はあちらです」
門番の軍人さんが指さして教えてくれる。
「ありがとう」
「助かるわ」
「あの……」
ん?
「父は、無事でしょうか」
「お父さん?」
「城内の担当なんです。あ、名前はゴズイラ、ゴズイラ・ゴズイレブ」
「ええと……」
「ごめんなさいねぇ、細かい事は分からないけど、一つ言えるのは、これまでの作業で死者は出てないわ」
「え」
軍人さんは、やや意外そうな顔をするが、すぐに表情を引き締めた。
「無理なさらず、頑張って下さい」
軍人さんは敬礼して見送ってくれた。
「危険性が増している、という認識で良いか?」
元帥の義父、ドッシュ参謀が聞き返す。
「はい。必要な資材がこちらのメモです」
私は書き付けを差し出す。
軍の大半は2日かけて領国までの避難民の護衛をし、2日かけて折り返して来たのだ。激務と言えば、むしろ彼らの方が激務かも知れない。
……でもあの腐った空気の中の方がやっぱり辛いよね。
「作戦参謀のササラ殿は、エルフの竜狩り、でしたな?」
「はい」
「ならば、この連結竹筒の2500メルテ分というのは」
参謀はにっと笑う。
「鋼と読み替えても宜しいか」
「え」
参謀が陣幕をめくる。
そこから見えているのは、鋼の円筒の束だった。
「燃気抜きの必要性については、我らも気付いていた。鉱山で使う掘削管を、先んじて手配させておいた」
「ルシャ先輩……?」
「これで良い、というより、これより適した道具はないわね」
「ハハハ! 森のエルフ殿は筒と言えば竹しか思い浮かばなかったのであろう!」
ライバル心バリバリだな。分かるけど。
「形が気に入らなければ直ちに言ってくれ、王国軍は鋼の鏃を使う。工廠部の鍛冶兵にとってこのような筒の細工など、朝飯前だ」
「確認しておきます」
参謀はじっとこちらを見る。
「……元帥殿は、今回の討伐を『私の失態』と口にされた」
息が出来ない程の圧。
「それを撤回して頂く為ならば、筒など何千本でも揃えよう。湯が足りなければ血を熱いままで差し出そう。ササラ作戦参謀閣下に、そうお伝え下さい」
参謀は、膝をついて深々と頭を下げた。
「一字の言葉を違える事なく、何卒」
……こういう人達のプライドとか忠誠心とか、超怖い。
「……なるほど、鋼筒をそこまでの数揃えていたか。何とも負けず嫌いだ」
私達の報告を受け、ササラはにやにやと笑っている。
報告というよりも、掘削管を担いだ鉱山技師の皆さんが、私たちと既に一緒に王都内へ来ていた。
私たちは知らない。勝手について来ただけだし?
「よし。これから、邪竜の燃気抜き作業を行う。火花の散りそうなものはここに捨てていけ!」
ササラの先導で皆進み始める。
『あの』
私は他の炭鉱技師さん達に聞こえないように、小声でササラに尋ねる。
「なんだ」
『あなたが作業に入ったら指揮をする人がいないんですけど』
「燃気だけ抜けちまえば後は肉屋の仕事、狩人はお役御免だ」
「切り分けるのも狩人の腕前が必要じゃ?」
「肉屋なら見れば分かる。さっさと摂政局に作業状況を伝えて来い! それが終わったら、こっちの作業が終わるまで絶対邪魔するな」
「邪魔って」
「じゃあな!」
ササラは邪竜に向け、小走りに去って行った。




