第1章 住人避難
城塞内の破壊を免れた王城にて。
「――邪竜は現在の姿勢で全長1200ミルテ、直径でおおよそ2500ミルテの王都にほぼすっぽり収まった形で倒れました」
無熱灯が薄暗く照らす議場で、ホビット族の王国軍参謀が概略図を前後のボードに魔力表示させる。
対策会議に参加しているのは、議長役の国王を始め、軍、内務省の各責任者、神官長、外務省の軍以外の責任者などが1人ずつで、総勢20名。
議場を丸ごと使うには広すぎる為、テーブルを並べた円卓会議の形になっている。
「市民、管理奴隷について、邪竜の攻撃を因とした死亡報告ありません。目視による人間の死体の発見もありませんでした」
「兵士の被害は」
国王が尋ねる。
「東城壁で3名負傷しましたが、いずれも神官による治療が速やかに行われ死亡には至っていません。軍は、被害状況確認後、邪竜の死骸の王都外への移動のための作業に移っています」
「参謀」
森の賢者族の摂政局長が挙手をする。
国王が無言で頷き、発言を促す。
「どれぐらいかかりますかな」
「王国軍の誇りにかけ、全力で作業しています」
「疑っている訳ではない。だが、邪竜の身体から発せられる瘴気は地を這いマナを打ち消し、石の城塞をも腐らせる。処分が終わらねば」
摂政局長は、天井を指す。
「今正に、この上の広間に避難している市民を自宅に帰す事が出来ぬのだよ」
「……まったく困ったものです。元帥があのような場所で倒すから、このような事になる。再建費用がどれだけかかるか」
「内務局長殿、今は責任を問うているのではない。魔物は生来マナを持つ者に破壊衝動を起こす。王都を認識された時点で、あの邪竜を引き離す事自体が不可能だったのです」
「いや、そのようなつもりは……」
追従しようとして逆にたしなめられ、内務局長は口ごもる。
「我々は、つまらぬ足の引っ張り合いは慎まねばならん。見栄や責任問題のような名ばかりで実を伴わぬものを徹底して排除し、正確な状況把握に基づき対応法を策定せねばならんのです」
摂政局長は、議場を見渡す。
「1000年前、邪竜は西の王国を滅ぼした。今回の邪竜は、かの邪竜に匹敵する規模の国難であった。にも関わらず、かくも軽微な損害で討ち果たした。この英雄的戦いを、我らは断じて穢してはならないのです!」
「――おや出勤出来たかい。お互い無事で良かったぁね、トーダ君」
ロクル・ニム部長代理が、オフィスに戻って来た。
「お疲れ様です。会議いかがでしたか? 通信局の任務は?」
私、ティナレ・トーダは尋ねながら、無熱灯の魔法を使い直す。薄暗くなっていたオフィスが、やや明るくなった。
まだ高台の王城を覆う程には瘴気は溜まっていない。
「何ともまぁ、厄介そうだよ」
いつものように、のほほんと笑いつつ、ニム部長代理は丸メガネをずり上げる。
「邪竜の片付けは、1日、2日じゃとても無理みたいでね。全住民が領国に避難する事に決まったよ」
……今、全住民って言いました?
「そんな顔しなさんな。1000年邪竜に襲われたってのに死者ゼロ、文字通り王都の全住民が避難出来るんだ。ヤノハハキ神へ感謝の舞いをひと月は続けるべき奇跡だね」
「……それは神殿に任せるとして、通信局は、何をやるんですか?」
「市民への状況の説明と、領国との受け入れについての折衝。どっちやる?」
そんな重たい摂政なんて出来る訳ないでしょーが。選択の余地がない選択肢って嫌い。
「……市民説明の方で」
「じゃ、ルシャ君と頼むよ。手分けしても良いし、2人で一緒に動いても良いけど、早めにね」
「分かりました」
うぇえ……。
今回の件、軍隊だけで終わらないの?
邪竜との戦いの最中に地下道に避難した市民達は、討伐の後は王城に避難している。
元々、王城は王様の家というだけでなく、1階には領国を含めた王国議会の議場、2、3階に各領主の滞在中のパーティー会場になる広間、会議室、厨房、各省局のオフィスなどがある。
また、正面玄関から直結するロビーは住人サービスも行う窓口もあって、裁判所以外の王国政治のシステムが全部詰まっている場所だ。
加えて、軍事侵攻や災害などの物理的な危機においては、避難所としての機能もある。
……のだが、市民を全員収容するにはやはり手狭だ。
「――他の領国へ避難するなんて、納得してくれるかしらねぇ」
グリュゥ・ルシャ先輩が、隣を歩く。
獣人族豹型で、ウェーブのかかったロングヘアが似合う美人だ。凹凸がはっきりしていながら、しなやかなラインの体型は、ともすると子供扱いされがちな自分から見れば大変に妬ましい。
「フォロー、お願いしますよ。こっちも出来れば刺激しない言い方するんで」
「任せて、ティナちゃん」
厨房の前を通ると、熱気が伝わって来る。中では、料理長の指揮で、調理奴隷達が大鍋で何か煮ていた。かまどが足りないせいで、勝手口の外でも煙が上がっている。
湯気は麦の香りがする。確か、パン屋から回収したパン種を、粥に炊いている筈だ。
……かまどが足りないにしても、揚げてハチミツでもかければ、すっごくおいしいのに、実に勿体ない。
厨房を過ぎ、第一会議室の前を通ると、赤ん坊の鳴き声がした。
2階に上がると、一気にざわつく声が聞こえ始めた。
王国会議期間に領主を集めたパーティーに使われる広間で、王国内で一番広い部屋だろう。
入り口に座っていた担当の軍人さん2人が、こちらの制服に気付いて立ち上がり手を挙げた敬礼をする。
「お使いになりますか」
軍人さんの1人が、拡声魔具を差し出す。
「ありがとう」
私は受け取って、風の魔力を込めた。
言う内容、OK、よし。
「待って、ティナちゃん」
ぐいと引き戻される。
っとぉ!
ルシャ先輩が後ろを向いている。
そちらを見ると。
厨房からの炊き出しが運び込まれて来たところだった。
料理奴隷が、遠慮がちにこちらを見る。
「先にお願い」
ホッとした顔で、料理奴隷たちは、避難所の中に入って行った。
20分ほどして、ようやく全員に食事が行き渡る。人々の声のトーンが明らかに穏やかになり、笑い声すら混じる。
せめて、未曾有の危機を生き残った喜びと団欒を――。
「ティナちゃん、今でしょ」
「え」
ルシャ先輩にぐいぐい引っ張られ、私は避難所に入った。
広間には、やや発酵臭のある麦粥の匂いが立ちこめ、思い思いに人々が座り込み、麦粥を食べてたり、食べ終わって寛いだりしている。
超広い。
超多い。
政府関係者以外の市民と奴隷を合わせると、これだけの人数になるのか。
こちらに視線を向ける者は少ない。
パ……父母、弟、それに友達。いるはずなんだけど、ゆっくり探す余裕がない。
話を聞いてくれるだろうか。
ちらとルシャ先輩に視線を向ける。
ルシャ先輩は『がんばれ!』という感じにぐっと拳を握ってこっちを見ている。
心臓がバクバクいっている。こんな人数に向けて話す事なんて初めてだ。ぐっと息を吸って震えを落ち着ける。
「あー、あー、きぃ? 聞こえますか!」
声が裏返ったが、始めたものは停まるものじゃない。
「王国内務省通信局です! 市民の皆様へ! 今後についての連絡を致します」
大きく息継ぎ。
「お聞き逃しのないよう、ご注意下さい」
ざわつきがやや収まり、次第に視線が集まって来る。
ちょっとカンニングペーパーを確認。よし。いや、別に隠して見る事もない。
「現在、王国軍により、邪竜の、死骸の、処分作業が、急ピッチで進められています。作業完了まで、最低でも、数日、を、要するとみられます」
今や、ざわつきは収まり、しんと静まり返っている。
「解体作業に伴う、大規模魔法の使用や、瘴気の大量流出の可能性がありますので、皆様には王国所属の領主国へ避難していただきます」
再びざわつき始める。
「護衛として王国軍が随行し、移動速度についても1日の移動距離は砦単位と致しますので、無理のない安全な避難が可能です。具体的な移動先については、明日の朝の連絡となりますので、皆様は動揺する事無く、本日はお休みになって下さい」
「ちょっと待ってくれ!」
巨人族の男が怒鳴る。
「そういう事なら、家から荷物を取って来たい」
「そうだな」
「確かに」
皆ざわつき始める。
要らんことを!
「お静かに。王都内は、瘴気の濃度が高く、マナ濃度が減り『街腐れ』の箇所が増えています。また、邪竜の落下時の衝撃もあり、建造物は大変崩れやすく、下水道の落盤による陥没も危惧されます」
ざわつく者はいるが、聞いていない訳ではない。
「皆様が一度でも街に戻られれば、全員の避難完了の確認作業が必要となります。その場合、軍の解体作業が滞り、避難が長期化する結果になるでしょう」
言うだけ言って引き下がるべきかな。
「避難はあくまで、今の持ち物のままで行う考えて下さい。王国政府は、皆様が無事に避難出来るよう支援を行いますので、ご安心下さい」
「冗談じゃない、この寒いのに、肌着一枚で行けってのか!」
「凍え死んぢまう!」
「誰もが軍人みたいに鈍感な訳じゃねえんだぞ!」
通信局に決定権はないんです、伝えるだけなんです、勘弁して下さい。
……予想はしていた事だが、反発が強い。
1000年前の伝承を考えれば、生きているだけで有り難いと思うぐらいの事態だ。
しかし、人的被害がなかった事が、今が緊急事態である事を見えなくさせている。
「静まって下さい」
何度か声をかけるが、ざわつきは収まらない。
公務執行の妨害は、国家反逆が適用出来るけど、この人数相手にでは。
「だから静かに!」
そう言っても静まらないのは分かる。
でもなんて言ったら良いか。
黙ってたらマズい。
でも。
その時。
ルシャ先輩が周りからはとても見えないほど小さく、指先で印を描き、魔法を発動させた。
範囲沈黙魔法だ。
皆、一気に静かになった。正確には声量がかなり絞られた状態だ。
上手い。
全くの無音にすれば、今度は暴力で訴えようとするところ、何とか声が出るので一層の大声を出す方向に意識が向く。訓練した詩人でもなければ、10呼吸分も力の限り怒鳴ったら息切れがして続かない。
そして、こっちの声ははっきりと伝わる。
よし。
「現在王都は戦争状態から脱していません。戦争時は、王国法第5条を根拠とし、国王命令が全てに優先されます。これに従わない場合、軍の憲兵による現場処断が可能です」
「現場処断」の響きに、人々はしん、と静まりかえる。
だが、目つきは恐怖よりは反感がある。
おなかいたい。
「もう、ティナちゃん、そんな怖い言い方しちゃ駄目よ」
ルシャ先輩がぽん、と私の頭を撫でる。
「皆さん、怖がらせてごめんなさい」
ルシャ先輩が頭を下げる。その声は、風魔法で運ばれる。魔具の一方向からの強い音量ではなく、各々の耳元でささやくように伝わる。
「邪竜が退治されてやっとお家に帰れると思ったのに、他の街に避難なんて大変だって、お気持ち分かります。わたしもお家が心配なんです」
一番最初に声を上げていた男が既に聞き入っている。完全に掴んだ。
「でも、沢山のみんなで少し我慢すれば、大きな助けになるんです。避難と言っても、そう長くはありません。邪竜を解体して風魔法で瘴気を吹き飛ばして、街の本当に崩れそうな部分に囲いをすればおしまい」
ルシャ先輩は楽しげだ。
「他の街に行った事がある方、どれぐらいいます? 田舎の綺麗な森や畑を、王国軍の護衛とお弁当支給で見物に行ける、それぐらいの気持ちの方が、気分良く過ごせるものですよ」
言っている内容以上に、言葉の抑揚や声質がとても柔らかい。
まあ要するに、話が終わった時には、皆の表情は和らいでいた。
「諸君」
その時。
ダメ押しのもう1人。
「王国軍元帥マルキ・ドッシュである」
王国軍のトップ。
邪竜に止めを刺した張本人。
神殿と預言局双方が完全一致して認定した勇者。
魔王出現の予兆に呼応して現代に顕現した勇者。数多の伝説で魔族の台頭を退けた、人間存続のために振るわれる神の矢。現在進行形の英雄伝説。
「住人諸君には苦労を強いるが、それこそが我らの力を支えるものと理解し、我々と共に戦って欲しい。さすれば1000年の後も、英雄譚は諸君らの偉業を含んで謡われるものとなろう」
ドッシュ元帥が立ち去る。
その後に起こった熱狂の中、寄せられた要望は、『乾杯したいけど、酒ないの?』だけだった。




