わたしが悪役令嬢になった日
二〇XX年。
悪役令嬢ブームが席巻している頃。
悪役令嬢は漫画や小説に限らず、アニメ、舞台、ドラマ、遂にはハリウッド映画化まで成し遂げた。
「悪役令嬢」という新たなジャンルまで確立され、悪役令嬢を取り扱った作品は、日本を代表する文化の一つにまで成長した。
わたしが働いている書店にも、悪役令嬢だけを集めた特設コーナーが出来て、毎日の様に新刊が並び、常に賑わっていた。
マニアックなファンになると、それぞれ推しの悪役令嬢がいるらしく、推しの悪役令嬢のグッズを集め、イベントに参加して、漫画や小説の更新は逐一チェックしているらしい。
まさに、悪役令嬢のジャンルだけが花ひらいた昨今。
(悪役令嬢、悪くはないんだけど……)
悪役令嬢。
物語に彩りを添えるキーパーソン。
ライバルとして立ちはだかり、ヒロインたちを一躍成長させる存在。
幸せな結末を迎えるか、不幸せな結末を迎えるかは、作品によって異なる。
それでも、ヒロインたちが越えなければならない障害として、いなくてはならない存在だった。
でも、それも昔の話。
昨今の悪役令嬢といえば、悪役を脱却するために主人公の味方をして、農業や産業、経済に手を出して、時には野山をかけて敵や猛獣を一網打尽にする。
本来のヒロインを放置して、メインヒーローと結ばれた作品もあった。
どの作品にも作者の個性が溢れてて、ストーリーも、悪役令嬢を始めとするキャラクターたちも、魅力的だけども――。
「レジ変わります」
短髪にした黒髪をしっかり整えた丸眼鏡の男性アルバイトがレジに入ってくる。
「もうそんな時間……!? お願いします」
わたしからレジの引継ぎを受けた男性アルバイトは、書店のロゴが入ったエプロンを再度整える。わたし釣られて自分のエプロンを見ると、いつの間にか肩紐が下がって斜めっていた。もうじき退勤するとはいえ、一応直していると、男性アルバイトが気遣うように声を掛けてくれる。
「新刊の発売日なので、大変じゃなかったですか?」
「まあ……そうですね……」
わたしは目を逸らすと、学校帰りと思しき制服姿の女子高生たちで賑わう悪役令嬢コーナーに目を向ける。
彼女たちが手に持っているのは、ピンク色の縦巻きロールと豪華なドレス姿が特徴的な若い女性が表紙の単行本であった。
「本当に人気ですね。『マチルダの愛』でしたっけ。確か」
今日発売の新刊小説『マチルダの愛』。
貴族の子息子女が集まる学園を舞台に、元悪役令嬢のマチルダが、これまでの自分の行いを改め、本来の主人公であるヒロインのカナリアの恋愛を応援しつつ、玉の輿を目指す話。
『マチルダの愛』は外伝であり、原作は『カナリアのさえずり』という小説である。
ヒロインのカナリアが、同級生の王子や学園の後輩である騎士団長の息子、元魔術師の教師などと好感度を高めつつ、学園の卒業パーティーで共に踊るパートナーを探す物語。
この世界では、学園の卒業パーティーで共に踊った相手が、そのまま婚約者となり、その後、結婚相手となる。
貴族の子女たちは、家や自分のために、少しでも良い家柄の男子学生をパートナーにしようと躍起になっていた。
ヒロインのカナリアも、最初は侯爵である父親の命令で、良い家柄の男子学生に近づこうとするが、次第に自分の本当の気持ちに気づくようになる。
やがて、父親の命令ではなく、自分が本当に想いを寄せる相手を探していくことになるのだった。
そんなカナリアの邪魔をするのが、悪役令嬢のマチルダであった。
マチルダに妨害されつつも、力強く生きていこうとするカナリアの姿に、やがてマチルダ自身も影響を受けて改心していく。
そんな改心後のマチルダを主人公にしたのが、外伝である『マチルダの愛』であった。
原作には書かれなかったマチルダの努力家な裏の顔や、実はドジっ子だった一面など、新たなマチルダが見れると話題になり、新規のファンも多く増えた。
わたしが働いている書店の女性店員の中にも、大の『マチルダ』ファンがいる。
わたしも彼女に勧められて、外伝と原作どちらも読んだ。
今風の内容で面白いとは思うが、自分の好みとは微妙に違っており、そこまで好きにはなれなかった。
「すみません。さっき購入したこの本なんですが、店舗特典が付いていなくて……」
その時、仕事帰りと思しきスーツ姿の女性がレジにやって来ると、書店のショップ袋から本を取り出しながら話し始める。本の表紙には会計時に店で付けたブックカバーが巻かれており、どの本かまでは分からなかった。
「失礼いたしました。すぐに確認いたします。……ここは自分が」
「よろしくお願いします」
そうして男性アルバイトにレジを任せて事務室に戻ると、タイムカードを打刻して、荷物をまとめる。その時、社員の一人が社用の携帯電話で話しながら、事務室に入って来たのだった。
「はい。はい……。本日発売の小説ですね……。店舗特典が付属していなかったと本社のお客様センターに連絡が……。確認いたしますので、書名をお願いいたします……」
気になったわたしが盗み見すると、社員は座る間もなくパソコンで何かを確認しているようだった。
「はい。確かに、本日店頭にて販売を開始しています。店舗特典として、ショートストーリーのペーパーが付属しております。あっ……出版社では二種類の店舗特典のうち、どちらかを配布していることになっているのですね。うちで配布しているのは、ショートストーリーBで、タイトルにお茶会が入っている……」
社員はバックヤードを確認しに行ったのか、電話で話しながら事務室を出て行ってしまう。近くに座っていた休憩中と思しき女性アルバイトと目が合うと、お互いに首を傾げたのだった。
「何かあったんでしょうか……?」
「全部知っているわけではありませんが、さっきから似たような問い合わせがレジや電話であったみたいです。出版社や印刷会社の手違いでしょうか……?」
わたしたち書店員も全ての新刊本と、それに付属する出版社や店舗特典を知っているわけではないので、たまにこうして購入後に客からの問い合わせで特典について知ることがある。店舗側で配布を忘れていることもあれば、出版社の案内や印刷会社の搬入ミスということもあるので、何が原因かは一概に分からなかった。
「明日来たら分かりますよね?」
「そうですね。さっきの社員さんの様子だと、明日までには判明しそうです」
どのみち特典の配布にミスがあった以上、明日からは問い合わせや対応で忙しくなりそうだった。嫌なことを考えて気分が重くなる。
レジに戻るというアルバイトと別れると、書店を後にしたのだった。
*
店から出ると、外はすっかり夕暮れ時であった。
(帰って作るのは面倒だし、夕食は買って帰ろう……)
そして近くのスーパーに行って、値下がりになっていた唐揚げ弁当を買うと、そのまま帰路に着く。
たまにはもっと違うものを食べたいと思いつつ、フリーターの身であまり贅沢は出来ない。値下がりの弁当や惣菜を買うたびに、早く正社員になりたいと考えてしまい、つい溜め息が漏れてしまう。
(自宅に戻ったら、夕食を食べながらひと昔前に流行った恋愛小説でも読もう……)
母親が子供の頃に流行っていたらしいヒロインがスパイ、ヒーローが英雄という冒険恋愛小説について想いを馳せながら店を出た時だった。
「危ない!!」
どこからか声が聞こえてきたので振り返ると、スーパーの駐車場から飛び出してきた車が目の前にあった。
(えっ……?)
アクセルとブレーキを踏み間違えたのだろうか、咄嗟のことで避けきれずに車に突き飛ばされる。
何も考える間もなく、どこかに叩きつけられたのを最期に、わたしの意識は途切れたのだった――。
*
「……様、起きて下さい。お客様」
「ん……」
目を開けると、そこはどこかの屋敷裏であった。
目の前には、燕尾服の若い男性が立っており、心配そうに顔を覗き込んでいたのだった。
「お客様、この様なところで休んでいて、どこかお身体の調子が悪いのでしょうか?」
どうやら、わたしは木に寄り掛かって寝ていたらしい。
辺りには瑞々しい草木と甘い花の香りが漂っていた。
「よろしければ、個室をご用意いたしましょうか……」
「だ、大丈夫です。多分……」
心配を掛けないように立ち上がるが、スカートの裾を踏んで転びそうになる。
「わわわ……」
男性の手を借りて体勢を整えると、ふと気づく。
(あれ、ロングスカートなんて履いていたっけ?)
今日の服装を思い返すと、パリッとした白いブラウスを着て、前日にアイロンをかけた黒いズボンを履いていたはずだ。
社内規定でロングスカートの着用は禁止されており、わたし自身も動きやすさ重視で、仕事中はいつもズボン姿であった。
そのまま着替えずに帰ってきたので、服装はズボンと白いブラウスのはずだったが――。
(えっ……)
自分の身体を見下ろすと、中世風のデザインをした薄紫色のロングドレスを着ており、足元は同じ色のヒールを履いていた。
まるで、どこかの貴族令嬢のような姿に、わたしの思考は固まったのだった。
「お客様?」
「あ……。すみません。やっぱり、個室をお借りしてもいいですか?」
「わかりました。こちらへどうぞ」
男性の後に続くと、庭園の側の大きな屋敷の中に入って行く。
階段を昇って二階に行くと、ホテルのような豪華な一室に案内されたのだった。
「こちらの部屋をお使い下さい」
「ありがとうございます」
男性が部屋から出て行くと、すぐに洗面室に入っていく。
洗面台に備え付けの鏡に向かうと、そこには見知らぬ女性が写っていたのだった。
「え……。誰?」
鏡に写っていたのは、カナリアの様な金髪を腰まで伸ばした温顔の女性であった。
わたしが瞬きをすると、鏡の中の温顔の女性も空色の両目で瞬きを繰り返したのだった。
「もしかして……わたし?」
確かめるように顔をペタペタと触れれば、わたしより歳下と思しき温顔の女性も顔に手を這わせる。
月並みではあるが、頬を掴んで軽く引っ張ると痛みが走った。
やはり、夢ではないらしい。
「どういうことなの……?」
誰も答える者がいない呟きを溢すと、洗面所の扉がノックされたのだった。
「あ、はい!」
鏡を見ると、特におかしなところはなかったが、念のため、カナリア色の金髪を手で整えて、ドレスに乱れがないか確認する。
そうして、洗面室から出ると、先程とは違う若い男性が立っていたのだった。
「カナリア様、お姿が見えないと思ったら、こちらで休まれていたんですね」
「は、はあ……」
どうやら、この身体の持ち主はカナリアという名前らしい。
(ん……。カナリア?)
確か、『カナリアのさえずり』のヒロインはカナリアという名前であった。
原作では、カナリア色の金髪だったことから、カナリアという名前を名付けられたという設定になっていた。
空色の瞳に、綺麗な声も合わせて、鳥のカナリアにそっくりなことから、一部の登場人物から「小鳥」の愛称で呼ばれていた。
そして、この身体の女性もカナリア色の金髪と空色の瞳であった。
声も可愛い方だと思う。
と、いうことはーー。
(もしかして、カナリアに転生しちゃった……?)
これこそ、昨今流行りの異世界に転生する話と同じ。
事故に遭って、目が覚めると、小説やゲームなどの登場人物になっているという……。
「具合が悪いとのことでしたが、もし辛い様ならこのまま屋敷に戻られますか?」
カナリアのお付きと思しき男性の言葉に、わたしは首を振った。
「だ、大丈夫です! 本当に! なんでも!」
「そうですか? それならいいのですが……」
男性は安心した様に肩の力を抜いたようだった。
もし、わたしが転生したのが、本当に『カナリアのさえずり』に登場するヒロインのカナリアだとしたら、この男性は誰なのだろう。
『カナリア』や『マチルダ』に登場していた男性キャラクターとは、全く特徴が合わない。
作中に登場していないのか、それともただの名もなきモブキャラクターなのか。
「それより、お茶会って言ってましたよね」
「はい。貴族の令嬢が集まるという茶会に招待されてやって来ました。途中でお姿が見えなくなって探していたところ、この部屋で休んでいるとお聞きしまして」
「そうだったんですね。あはははは……」
乾いた笑いを漏らすと、執事は訝しげにじっと見つめてきた。
「やはり、どこか調子が悪いのでは……」
「だ、大丈夫です! お茶会でしたよね。すぐに行きます!」
「そうですか。では、庭園にご案内します」
男性のあとに続いて部屋を出ると、お茶会の会場という庭園に向かったのだった。
(こ、これは――!?)
庭園に入ると、既にお茶会は始まっており、あちこちの丸テーブルでお茶とお菓子を片手に、若い女性たちが話に花を咲かせていた。
問題はそこじゃない。なぜなら、お茶会に参加していたのが――。
(縦巻きロールの集団!? )
どのお茶会に参加している人の大半が、縦巻きロールの若い女性。
それ以外の髪型もいるが、それでもお茶会に参加している女性の九割が縦巻きロールであった。
(どこかで見たことがある顔ばかり……)
男性が庭園にいた給仕らしき男性に声を掛けて、テーブルまで案内してもらいながら、参加者の顔をチラ見する。
どのテーブルにも、どこかで見たことがある色とりどりの縦巻きロールが座っていたのだった。
「この間、王子に近づく卑しい女を――」
「わたくしは汚らしい倉庫に閉じ込めたのよ。わたくしの婚約者の色目を使っていて……」
「それなら、異なる世界からデネスト王国に現れて、わたしから聖女の座を奪った女に、こんなことをしてやったのよ……」
聞いたことがある国名が聞こえてきて、わたしは閃く。
(デネスト王国の聖女の座を奪われたって……もしかして、あの作品に登場する悪役令嬢!?)
デネスト王国という国に、異世界からヒロインがやってきて、聖女の座を奪われた令嬢がヒロインを苛め抜く話――。
タイトルは思い出せないが、確か、書店の悪役令嬢コーナーに並んでいた本の中にあった気がする。
( ということは、もしかして、ここにいる縦巻きロールの集団って……)
会場を見渡して間違いなかった。
ここにいる女性たちは、書店の悪役令嬢コーナーに並んでいた悪役令嬢たちで間違いない。
それも悪役令嬢から脱却する前の――悪役令嬢だった頃の。
(もしかして、このお茶会って、悪役令嬢のためのお茶会!?)
ざっと会場を見渡した限りでは、悪役令嬢以外の女性――例えば、ヒロインなどは、ここにいないようだ。
わたしが転生したヒロインのカナリアのように、このお茶会にも他の作品のヒロインが参加しているかと思ったが――。
「こちらがカナリア様のお席となります。もう少しでお開きとなりますが、しばしご歓談をお楽しみください」
執事が引いてくれた椅子に座ると、対面に座るオレンジ色の縦巻きロールが口を開いたのだった。
「あらあら。急に具合が悪くなって退席したようですが、もうよろしいのですか?」
「ええ。ご心配をおかけしました」
オレンジ色の縦巻きロール以外にも、同じテーブルには二人の女性がいたが、いずれもどこかで見たことのある悪役令嬢だった。
「今は私たちが目をつけている女狐たちについて話していたのよ。あなたもどうかしら?」
「そ、そうですね……」
乾いた笑みを浮かべて、返事をしながら内心では冷や汗を掻いていた。
(マズイ……非常にマズイ)
悪役令嬢というのは、自分の居場所、立場を奪ったヒロインを恨んでいる。
そこにヒロインである自分が混ざっているとバレたらどうなる。
他作品のヒロインとはいえ、袋叩きに遭いはしないか。
(もうすぐお開きになるっていう話だし、バレないようにしないと……)
それから、わたしは悪役令嬢たちの聞き役に徹した。
すると、急にオレンジ色の縦巻きロールが、わたしに声を掛けてきたのだった。
「ところで、あなた」
わたしはビクリと肩を揺らす。
「あなたは何か仕返しした? 卑しい女狐について」
「わ、わたし!? わたしは……」
他の悪役令嬢たちからも、同じように期待するような目を向けれられて言葉に詰まる。
(何か適当に言わないと、何か……)
考えていると、不意につい最近まで読んでいたひと昔前の悪役令嬢の話を思い出す。
「か、階段から突き落としたわ。わたしの想い人に近づくから……」
悪役令嬢たちが顔を見合わせたのを見て、わたしは失敗したと思った。
やはり、最近登場した悪役令嬢たちに、ひと昔前の悪役令嬢の苛めは古いのだと。
すると、悪役令嬢たちは各々、笑い出したのだ。
「随分とひどいことをするのね。でも、その方がいっそのこと清々しいわ」
「ええ。わたくしもやってみようかしら」
オレンジ色の縦巻きロールを始め、他の悪役令嬢たちの反応も悪くないところから、悪役令嬢らしい回答を返せたらしい。
その後、すぐにお開きとなり、わたしは付き添いの男性の案内で、庭園前に停められていた馬車に乗り込んだのだった。
「ふう~」
馬車が走り出して息をつくと、向かいに座っていた付き添いの男性に労われたのだった。
「お疲れ様でした。屋敷に着くまで、まだまだ時間が掛かります。今のうちにお休みください」
「そうします」
前後を走っていた悪役令嬢たちが乗った馬車は、一台、また一台と、減っていった。
彼女たちは自分たちの作品の中に帰っていったのだろう。
わたしもこれからカナリアがいるべき世界――『カナリアのさえずり』の中に帰るのだろう。
(そういえば、あの時は考える余裕がなかったけど)
会場内を見渡した時に、『カナリアのさえずり』に登場する、悪役令嬢のマチルダの姿がなかった気がした。
あちこちの作品から悪役令嬢たちが集まっていたのに、どうしてマチルダはいなかったのだろう。
(まあ、気にしなくてもいいか。ただ単に、縦巻きロールの中に埋もれていただけかもしれないし)
緊張が抜けたからか、身体がだるかった。
わたしは馬車の揺れに身を任せると、そっと目を閉じたのだった。
わたしが転生したのが、本当に『カナリアのさえずり』のヒロイン・カナリアなら、早く現状を理解しなければならない。
今が小説でいう、どの時点で、どこまで物語が進んでいるのか。
外伝も原作も読んではいるが、しっかり読み込んでいないので、大雑把な内容しか覚えていない。
どこまで自分の知識が通用するかわからないが、まずは物語通りに進んでみるしかない。
屋敷に着いて、馬車から降りると、わたしは敷地の外に向かって歩き出した。
「近くを散歩してきます」
「では、誰か人を呼んできます」
「すぐそこまで行くだけなので平気です」
「お待ちください!」
男性の制止を聞かずに、敷地の外に出て行く。
落ち着いて状況を整理するためにも、一人になりたかった。
歩きながら考えたら、何か思いつくかもしれない。
そんなことを考えながらしばらく歩いていると、大きな噴水のある公園に辿り着いたのだった。
この場所はわたしにも覚えがある。
確か、カナリアがマチルダに嫌がらせをされた最初の場所だ。
カナリアが学園で出会ったこの国の王子に連れられて、この公園を散歩していると、それを見かけたマチルダが、噴水に突き落としたのだった。
実は、マチルダは子供の頃から王子に想いを寄せており、学園のダンスパーティーのパートナーになって、王子と結ばれるつもりだった。
それをカナリアに邪魔されたと思い、噴水に突き落としたのだった。
(ここが『カナリア』の世界なら、推しの王子に出会えるよね)
本作に登場するカナリアの同級生である王子は、わたしの推しでもある。
爽やかな見た目ながら、硬派な一面もあり、文武に優れた姿が魅力的であった。
(あそこにいるのって……)
噴水に近づいていくと、噴水で遊ぶ子供たちや談笑している老人たちに混ざって、ピンク色の縦巻きロールの女性と、白銀色の短髪の男性がいた。
(マチルダと王子! どうして……)
二人が噴水の前で会うシーンは、どこにも書かれていなかった。
目の前で、原作にも外伝にもなかったシーンが展開されていた。
(ううん。それよりも、かなり親密そうに見えるんだけど……)
楽しそうに談笑する二人の姿を見ていると、身体の内側から黒いものが沸き上がってきた。
それを振り払って、二人から目を離した時だった。
「そういえば、あの小鳥とはどんな関係ですの?」
「小鳥……ああ、彼女のことだね」
二人が話す小鳥というのは、カナリアーーわたしのことだろう。
「学園で噂になっていますわ。王子は卒業パーティーで小鳥と踊るのではないかと」
「ボクが小鳥さんと? それはどうかな……」
「小鳥ではないの?」
「ボクは、ボクの目の前のピンクの小鳥も気に入っているからね」
「ピンクの小鳥って……きゃあ!」
足を滑らせて階段から落ちそうになったマチルダを、すかさず王子が助け起こす。
「ありがとうございます」
「こんなことをするのは君だけだよ」
「もう、王子ってば……」
甘い雰囲気になった二人に、わたしの中で何かがブチ切れた。
しばらく見守っていると、王子は迎えの馬車が来たと言って、マチルダと別れた。
王子と別れたマチルダは、一人でどこかに向かうようだった。
わたしは木陰から出ると、公園から去って行くマチルダのあとを追いかけたのだった。
公園を出たマチルダは、学園へと向かっているようだった。
私は学園の裏口から入って先回りすると、学園の入り口前の長い石階段を昇ってくるマチルダを待ち構えたのだった。
「あら、ごきげんよう。カナリア様」
「ごきげんよう。マチルダ様」
踵を鳴らしながら、階段を降りてマチルダに近づいて行く。
そうして両手を伸ばして、力を入れると、マチルダを階段から突き飛ばしたのだった。
「きゃあ!」
「わたしの王子に何をするのよ!?」
ゴロゴロと転がりながら、階段を転げ落ちていく姿があまりに滑稽で、笑いが止まらなかった。
マチルダが転がり落ちる音を聞きつけて、学園の関係者がどこからか現れる。
「カナリアに突き落とされた!」という、マチルダの金切り声が聞こえてきたするが、それを無視して、足早に去って行く。
「カナリア様!」
前方からは、原作でマチルダの取り巻きをやっていた女子学生たちが、空き教室から顔を出して声を掛けてきたのだった。
「どうしたんですか?」
「最近、王子様と親密になったことで、すっかり大人しくなってしまって、つまらなかったんです!」
「やっぱり、カナリア様が一番ですわ!」
「あなたたち……」
わたしはクスリと笑うと、胸を張った。
「ええ、ええ。マチルダってば調子に乗っているのよ。わたしが教えなくては。
調子に乗ったら、どうなるのかを!」
顔を歪ませて笑う、その姿。
胸の中にあった、意地悪な才能が花ひらいた姿。
その姿は、まさに――。
了