3・メール
……あれから先の事は良く覚えていない。
あちこちから聞こえる怒号とサイレン、捕まれる腕と誰かの声……気付けば僕は病院の一室で先生の前に居た。
ーーシュー シュー
先生の口元に繋がれたチューブが呼吸音と共に僅かに揺れている。
「ーーと言う事でして、重傷ではありますが命に別状ありません、しかし……意識…だ……戻っーー」
白衣を着た中年男性が僕に何かを説明していたが、正直何も頭に入って来ない…。
ピッ ピッ ピッ ピッ
規則正しく聞こえる電子音は辺りの静寂をより引き立てた。僕と先生の周りを白衣の女性が忙しなく動き回る音がやけに癇に障る。
僕は白衣の人達に言われるがまま入院手続きを済ませ、ベッドの横でボーっと心電計を眺めていた。
先生はあの時、暴走するトラックから学生を助けて轢かれてしまったらしい。その時に後頭部を強打したらしく未だ意識が戻らない…と。
家族を呼んでくれと言われたが、先生は独り身だし、ご両親はもう亡くなったと聞いている。
「先生…僕は一体どうしたら…」
項垂れた僕はふと先生の所持品であるタブレットが目に入る。手に取ると事故の衝撃で画面に大きなヒビが入っていたが電源は入る様だ。
先生の所持品はこのタブレットくらいだった、他は事故の衝撃で吹っ飛んでしまったのか、最初から無かったのか……。
ーーブブッ ブブッ
「う、うわっ!? びっくりした!」
何気なく電源を入れた瞬間、タブレットがメールを受信したのだ! 危ない、もう少しでタブレットを床に叩き付けるとこだった…。
ひび割れた画面に映る文字を見て、僕はもう一度タブレットを床に叩き付けそうになる。
【件名】
ー佐久間くん、メール見れるかな?ー
……はっ!?ーーぼ、僕の名前??
差出人は…先生??
「え、何?ーー何で??」
思わず寝ている先生の顔を覗き込む。もしかしてドッキリ?僕を驚かせ様としてる…訳ないよね、あまりにも冗談が過ぎるし先生にしてはセンスが無い。
それにしても…こんな状態の先生からメールだなんて……一体誰のいたずらか? いや最近は時間指定のメールサービスもあるんだっけ。
もしかしたら事故前に先生がメールを送っていた? でも何故自分のタブレットに僕宛のメールを?
恐る恐るタブレットに指を這わす…
【パスワードの入力_ _ _ _ _ _ 】
う〜ん、パスワードか……3回間違えたらダメなタイプだっけ? 6桁なら生年月日かな、いやベタ過ぎるな。マモル(MAMORU)さんとか?
先生がタブレットを起動している時の事を思い浮かべる。 思い出せ、どんな指の動きをしてたか…………ダメだ、サッパリ出てこない!
いや待てよ……多分指紋認証でもいける筈だよね?こんなに近くにタブレットの持ち主が居るんだし、これ程確実な方法は無い!
分かってる、他人のメールを見るなんていけない事だ。家族であっても許されないとは思うーーけれどこれは先生からの僕宛てのメールなのだ。
ーー気にならない訳が無いじゃないか!
決心した僕は勢い良く立ち上がるとベットへ向かう、先生はまるで眠っているようだ…。そういえば先生の寝顔は初めて見るかもしれない。
ーー僕はタブレットに先生の指をそっと乗せる。
「…先生ごめんなさい! でも重要な事だったら困るし……」
タブレットのメニュー画面が開いた。
僕は震える指でメールBOXをタップし、先程見た僕宛のメールを探す。
「ーーあった、これだ……間違い無い、確かに僕宛だ」
【件名】
ー佐久間くん、メール見れるかな?ー
お手を煩わ是ェて済まな為ィ?ね、佐久間くん。
私は宛ィィ異世界に着いた鯖ゥだ、ちょっと想像していた世界と張ォ違ゥけどね。
でも、取材とは為ェ旅行なんて何年振りだ炉ゥ!
年甲斐なくワクワクして伊ルゥんだ。
新ジャンルだシ時間ヲ掛けてィしっかりと取材したい。それで悪ィ亜ん鯖ィオオ? レ牡虚れからは定期的に此方からメールで原稿送るので佐久間くんに代筆を頼みたい殷ェだ。
代わりと言っちゃなんだが、私の家は好きに使ってくれても構わない、宜しく頼んだよ。
追伸、マモル散ェ?ナ躍 世話も宜しく。
「ーーあれ? 文字化けしてる。事故の衝撃でタブレット壊れちゃったのかなぁ?」
それでもまぁ、なんとか意味は分かる。つまりだ、長期取材で暫くは帰らないつもりだった先生は、僕に代筆を頼むつもりだったみたいだ。あとマモルさんの世話も……。
ーー実は、僕は元作家志望だった。
それこそ先生の作品に出会い、感銘を受け、憧れ、書き始めたんだ。
けれども直ぐに自分には文才が無いと気付いた。どれだけ書こうと、どれだけアイデアを絞り出しても……先生に追い付くどころか並ぶ事ーー走り出す事すら出来やしなかった。そうだ、僕は作家としてのスタートラインにすら立つ事が出来なかったのだ。
ーーそんな僕が次に目指したのが編集者だ。
才能は無くとも、やはり何かしら文字に繋がりがある仕事に就きたかったんだ。もしかしたら、ほんの少しだけ作家という特別な職業に未練があったのかもしれない。
いや、それは多分ほんの少しでは無かったんだろう。だって今、僕の心はこんなにも震えてる!
「ーー代筆、先生が僕に代筆を頼もうとしてたなんて!」
代筆と言っても色々ある、例えばタレントやスポーツ選手なんかが出版する自著伝やらの代筆はほぼ全文書き下ろしだ。ゴーストライターって呼び方の方がピンとくるかもしれない。
他にも、学者さんが難解な論文を一般向けの科学雑誌に掲載する時に加除訂正しながら読みやすく編集するのも代筆だ。
今回、先生か僕に頼もうとしていたのは勿論後者だ。取材先で先生が書いた原文を僕が編集する、まさに二人三脚で作る作品!
代筆の腕次第では作品の色がガラリと変わる、責任重大な仕事だ。
ーー信じられるかい、先生はそれをこの僕に頼んだんだぜ? あの時、スタートラインにすら立てなかった僕にだ!
まぁ、結局はこんな状況になっちゃったから代筆なんて話は無くなってしまったのだけれど……。
それでも僕は、先生の信頼を勝ち取った様な気がして嬉しかったんだ。