2・マモルさん
「マ、マモルさ〜ん?居ますかー、う〜んコッチかなぁ?」
約1時間27分と48秒(自己ベスト!)をかけて辿り着いた先生宅の玄関で鍵を持つマモルさんを探す。
「おかしいな、今日は暑いから軒下にでも居るのかな?」
僕は玄関脇にある誰も食べやしないゴーヤが茂る壁沿いを通り抜けて庭へ出る。
「マモルさーん…マモルさん?ーーやっぱりここでしたか!」
僕の予想通り、マモルさんは軒下の日陰で丸くなっていた。
そう、マモルさんは先生宅に居付く猫さんだ。
真っ黒な体で尻尾の先と足の先だけが白く、まるで靴下を履いてる様に見えるのがとても可愛らしい。さらにその黒いお顔の鼻下にはチョビ髭みたいな白斑があり、それがまたマモルさんの可愛らしさを引き立てている。
いつの間にか先生宅に住み着いたこの可愛くも美人なマモルさん、実は物凄い人見知りで仲良くなるにはかなりの根気がいる。
僕だって毎回ネクタイとズボンの裾をボロボロにされながら貢ぎ物(焼きササミ)を献上し続けた甲斐あって、やっと最近お触りが解禁となったのだ!
つまり、マモルさんに鍵を預けると言う事は、マモルさんが心許した者しか鍵を手にする事が出来ないと言う事なのだ。
ーー防犯としてはこれ程確実な方法は無い。
「マモルさん、先生から鍵を預かってますよね?ちょっと貸して頂きたいのですが…」
マモルさんは薄目を開けてこちらをジロリと一瞥すると、フンっと鼻を鳴らしてまた目を閉じてしまった。
「あ、アレですよね?ーー勿論、今日も持ってきましたよ……ただ、急だった物でして…いつもと趣向が違うのですが…」
僕は先程コンビニで急いで購入したカニカマを恐る恐るマモルさんの鼻先へと捧げる。
クワーッと欠伸をし、クンクンと何度かの厳しい検品後、のそりと軒下から出て来たマモルさんはガツガツと僕の手からカニカマを奪う様に食べだしたーーどうやらお気に召して頂けた様だ。
僕はマモルさんが食べてるその隙に首から下がる鍵をお借りしてそっと背中をひと撫でする。
ウゥァー
「す、すいません!調子に乗りました…食べてる最中は駄目ですよね、はい」
マモルさんは食べながら怒ると言う荒技で僕を窘める。優しい…いつもなら指をグワっと噛まれるのに…。
もしかしたら僕の悲壮感を感じてーーそうだった!!
「のんびりしてる場合じゃなかった!」
慌てて残りのカニカマをマモルさんに捧げると小走りに玄関に向かう。
ーーーガチャリ
「お邪魔しまーす…」
マモルさんの首に鍵がぶら下がっていた事から、もう先生が此処には居ない事は予想出来ていた。
「先生の言葉を疑う訳じゃないけどーー」
取り敢えず明日〆切の「雨降る時間に会いましょう」の原稿を確認しなくてはと、僕はギシギシと廊下を鳴らしながら書斎へと向かった。
「あぁ、流石先生!ちゃんと出来てる!」
これでひとまず明日は凌げると僕は胸を撫で下ろす。しかし、問題は明日以降だ…一体先生は何処でいつまで取材をするつもりなのか。
「……携帯は繋がらないし…そういえば!」
先生は確か『予習済みだよ』と言っていた。これは事前に行き先のリサーチをしたと言う事だ、部屋を探せば何か手がかりがあるかも知れないーー例えばパンフレットとか。
部屋のあちこちを調べていると、閉じたノートパソコンに挟まった一枚の紙が見つかった。
「…これって…もしかしてーー」
そこには先生の字で乱雑に色々な事が書かれていた。その中から丸で囲ってある言葉に注目する。
『逢魔が時』『桜木街道』『人助け』『大型車』
『逢魔が時』
それは昼と夜が移り変わる時刻。魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信じられた事からこの名が付いたとされる……平たく言えば夕方の事だ。
そして『桜木街道』と『大型車』
『桜木街道』これは先生宅から少し離れた場所にある そこそこの交通量がある街道の事だ。『大型車』バスの事だろうか?
成る程、きっと先生は夕方に桜木街道からバスか何かで移動するつもりなのだ。
『人助け』の意味は良く分からないけど、取材先でボランティアでもするつもりかもしれない。
ーー時計を見るともうすぐ午後6時、こうしちゃいられない!
僕は玄関を出るとしっかりと鍵を閉める、戸締り大事。ーーふと玄関横の塀の上に居るマモルさんが目に入った僕は、思わずそのビロードの様な背中を撫でようと手を伸ばす。
ーーバシッ!
「痛っ!? すいません、確かにこんな事している場合じゃないですよね?」
鰾膠も無く猫パンチで拒否られる僕の右手ーーいや、これはきっと…そう、ハイタッチだ!
今日のマモルさん…優しい…。
マモルさんの激励を受けた僕は急いで桜木街道へと向かった。
◇
桜木街道はこの町の主要道路の一つだ。最近は大きな商業施設が建設されているらしく昼間は大型車両がひっきりなしに走っている。
通学路が重なる道路では「緑のおじさん」が子供達を誘導する姿がチラホラ見えるのだが、流石にこの時間帯は居ない様だ。
「取り敢えず、街道沿いにあるバス停を見て回ろうーー」
僕は先生宅から拝借してきた自転車を漕ぎ、時折すぐ側を追い越してゆくトラックの風圧に怯えながら街道を下ってゆく。
「ーー居た!多分あれ、先生だ!」
だいぶ日も暮れ車のライトが灯り始めた頃、僕はとうとう交差点の反対側で数人の学生と信号待ちをしている先生を見つけた。
取材と言いながら先生は碌な荷物を持っている様には見え無い。あれじゃあ、近所のコンビニに出掛ける途中だと言われても納得してしまいそうだ。ーーもしかすると取材とは口実で、単に休みが欲しかっただけとか?
「先生ーっ! 佐久間です! ちょっと待って下さいっ!ーーうわったった!?」
ーーその時、物凄い風圧が僕の横を通り過ぎ、僕は思わず自転車から転げ落ちそうになる。
「もうっ!危ないなーーッえ?」
僕を掠める様に走り抜けたトラックがそのまま喧ましいブレーキ音を上げ反対車線目掛けぶっ飛んで行ったのをーー僕はただ呆然と見送った。
ーーーキキキィィイ!ダァンッ!!
学生を庇う様に前に出た先生が宙を舞う。何故か僕にはその瞬間、先生が笑っていた様に見えた…。




