7 なろう塾、特別講座準備中
20XX年4月吉日午前、なろう塾寒川教室では二人の男が要談中であった。一人は副教室長神澤ミズキ。
「要するにだ、ションベン臭いメスガキをどこに出しても恥ずかしくない立派なクソビッチに仕立てあげろってことだろ?」
教務部長ロバート・ゼックハウザーは彼流の言葉で、ミズキが直面している問題をそう表現した。
教務部門は教材の選定や業者テストの手配、季節講習会のコースやカリキュラム作成を担当するセクションだ。
二メートル近い長躯に真っ黒なワイシャツ、真っ白なスーツ……ゼックハウザー教務部長は、彫りの深い顔立ちと金髪オールバックがギャングの親分の風格を醸し出す三十一歳。ちなみに人間ではない。
指には金ぴか指輪がいっぱい、手首には金ぴか腕時計。
奥歯も何本か金歯らしいが、それは昔教室内でタバコを吸おうとしてシスタリヤにボコられたからだとか。この会社は社長の暴力によって律せられているのである。
アームチェアにどっかと尻を沈め、長い足を組む。ガラの悪さはきっと生得的なものなのだろう。黙ってればハリウッド俳優が演じる大企業のCEOとかに見えなくもないが、喋るとチンピラ……もとい暗黒街の帝王の貫禄である。
「で、お前、サキュバスを抱いたことはあるのか?」
「あるわけないでしょう。本物のサキュバスを見たのだって、昨日が初めてです」
「あ? 竜崎とかいう母親がサキュバスなんだろ? 母親はヤらせてくれなかったのか?」
「何で客である母親が初対面の塾教師相手にヤらせてくれるんですか」
「おいおい、そりゃ人間のメスの話だろ」
ゼックハウザー、失笑。ミズキ、ムッとする。
「母親がダメなら何人か紹介してやろうか? あいつらのことを理解するにはヤることヤらないとな」
仕事について、こんなアドバイスしかしてくれないのである。性犯罪者ルートをひた走りだ。
話の流れを変えようと、昨日の竜崎ママの超級魔導を話題にする。
「昨日保護者面談で母親の眼が光ったかと思うと信じられないくらい心をかき乱されたのですが、あれは何だったんでしょうか……」
「サキュバトクラシーだ。自分自身を淫蕩に沈めることで相手を淫欲に狂わせる。母親は相当上位のヤツみたいだな」
サキュバトクラシーの概略は聞き知っているミズキだが、知らない風を装って質問してみた。
「サキュバトクラシーというんですか。それはサキュバスの中でも上位の者しか使えないのですか?」
「女王級のサキュバスだと思っていいだろう。良かったな、女王級のオンナをゴチになって、その娘を処女から開発できるんだ。男冥利に尽きるだろ」
「その娘さんは堅固な貞操観念の持ち主みたいです。そういうことは起きませんよ」
「オタマジャクシからカエルの姿は想像できんが、カエルの子は所詮カエルにしかならん」
淫婦の娘は淫婦にしかならぬと言わんばかりだ。
ゼックハウザーはメンド臭そうに数冊の本を机の上に放り出した。どれも二冊ずつあり、書名を挙げると……
「『サキュバス検定問題集』『サキュバス検定 実技』『サキュ検 面接対策』……」
ここが学習塾であることに思いを馳せるミズキである。
いや、学習塾ではないのか。なるほど、特別講座教室。なるほど……(怒)。
「娘を一人前のスーパークソビッチにしろってクソ依頼だが、俺たちゃ塾だからな。『一人前』ってのを定義する必要がある。その定義が指導目標になるわけだ」
「『一人前のサキュバスに育て上げる』っていう曖昧な目標を、『検定試験合格イコール一人前』と定義することで初めて学習塾の仕事になる、そういうことですか」
たとえば『私の子供を賢くしてください』と保護者に求められても学習塾は困る。『賢く』の定義が曖昧だからだ。そうではなく、『ウチの子を東大に行かせてください』などと具体的に目標を設定してくれたら指導しやすい。または諦めさせやすい。
「重要なのは、これが俺たちにとって有利な定義だということだ。営業担当として保護者に直面するお前はこの定義を死守せねばならん。意味わかるか?」
「サキュバス検定の線で保護者を納得させろってことですよね?」
「どうしても納得せず、ぐだぐだ言うようだったらコイツで言うこと聞かせりゃいい」
握り拳を突き出した。人差し指と中指の間から親指が自己主張している。これがこの会社の教務部長のアドバイスなのである。
教務責任者としての務めを果たしたゼックハウザーは勢いよく立ち上がった。
「教材研究だけじゃなく、サキュバスそのものについてもっと理解を深めろ。てっとり早いのは食っちまうことだ。どうせそのメスガキも食っちまうんだしな」
「俺はそんなことしません」
そういう優等生的答辞を聞くと口の端を歪めてしまうゼックハウザーである。
「ふん、まぁいい。サキュバスとヤりたくなったら俺に言え。イイところに連れてってやる。『教材』のことは教務部長の仕事だからな」
ガッハッハッと露悪的な哄笑をあげてゼックハウザーは教室から出て行った。
ゼックハウザーの退場を計ったわけではないだろうが、ミズキが教室で一人になった途端、電話が入った。シスタリヤからだ。
「おはようございます」
『おはようございます。ゼックハウザーから教材を受け取りましたか?』
「はい、サキュバス検定と書いてあります」
『それで結構です。上階の賃貸契約が終わりました。今日十一時にガス工事が入るので立ち合いをお願いします』
「ガスですか?」
下の寒川教室にはガスは通っていない。教室運営にガス湯沸かし器は必要ないし、暖房は電気だ。上の階は違うのだろうか?
『バスルームを使えるようにするためです。実技指導で使うでしょう?』
風呂場で何を指導するんだと千回くらいツッコミ入れたい。
『十五時にベッドと冷蔵庫が届きます』
「ちょっと待ってください、ベッドや冷蔵庫って何に使うんですか?」
『ベッドは実技で必要かと思いまして。冷蔵庫は要冷蔵の薬品もありますから絶対必要です。少しくらいなら私物を冷やしてもいいですよ』
「薬品って、僕は薬物関係の知識も資格も持ってませんが……」
『…………。……問題ありません、教材研究を怠らないようにしてください』
その間は何なんだと千回くらいツッコミ入れたい。
『まだあります。十六時までにテレビとビデオの搬入があるのでこれも立ち合ってください』
「テレビとビデオですか?」
まさかエロビデオでも見せようってか?
『視聴覚教材のためです。テレビ番組は見れないですよ? 余計な費用がかかりますし、サボり対策の意味もあります。もちろんあなたの勤労精神と愛社精神を疑っているわけではないのですが』
めっちゃ疑ってるやんけと千回くらいツッコミ入れたい。いや、そんなことより視聴覚教材だ。つまりエロビデオじゃねーか(怒)。
「視聴覚教材って必要なんですか?」
『教務からは『是非に』と言われてます』
ミズキの脳裏ではゼックハウザーが呵々大笑していた。
『あぁ、バスルームで思い出したのですが』
「?」
『洗濯機って必要ですか? ほら、実技でいろいろ汚れるでしょう?』
「あー、そうですね、無いよりある方がいいんじゃないでしょうか。使わないと思いますが」
努めて平静を装い、ミズキは答えた。