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サキュバトクラシー  作者: 竹取翁
5/16

5 竜崎ミサキ

 ショートカットの黒髪に整った目鼻立ち、勝気な瞳。きゅっときつく閉じた唇が意志の強さを感じさせる。

 少なくとも娘の外見に関する限り、あの母親が親馬鹿でないことはハッキリした。なるほどモテそうな美少女だ。近寄りがたいオーラのようなものを感じないでもない。拒絶オーラかもしれない。あの母親とのあんなやり取りの後だ、警戒されていても不思議ではない……


 竜崎は席に着くと黙々と筆記用具を取り出した。机の上に一通りの勉強道具が揃ったところで自己紹介を始める。


「はじめまして、ここの副教室長の神澤です、よろしく」


「竜崎です、よろしくお願いします」

 睨みつけてきた。まぁ、しょうがないだろう。


 一つの考え方として、メチャクチャな体験授業をする。そうすれば彼女はこの塾に通う気を無くしてしまうだろう。ミズキはサキュバス教育の重責を免れ、性犯罪者の汚名を被らずに済むという寸法だ。だがこの場合、シスタリヤを失望させミズキの調査作戦は失敗する可能性がある。


「最初に言っておきたいことがあります」


 言いたいことが山ほどあるに違いない。とにかく聞いてみよう。

「どうぞ」


「母に何を言われたのかは知りませんが、私はサキュバスになるつもりはありません。サキュバスになるための塾通いも必要ありません」


 そりゃそうだ。納得である。したがってお帰りいただくのが筋だが、帰すわけにはいかぬ。何でもいいからとにかく話題を変えよう。


「サキュバスになる気がないのはよくわかった。それはそれとして竜崎さん、君は将来の夢はあるの?」

 相手は子供なので出会い始めの知り始めは言葉遣いに気を付ける。


「医者になりたいです」

 即答。それから好戦的な眼差しでこう付け加えた。「でも警察官にも魅力を感じてます。性犯罪の横行が許せませんから」


 警察官云々という皮肉は聞こえなかったことにして質問を続ける。

「医者か。どんな医者になりたいの?」


「研究医か臨床医って意味ですか? それとも科目のことですか?」

 思ってもみない質問で返されてしまい、ポカンとなった。


臨床医とはいわゆる『病院のお医者さん』。科目は呼吸器科や消化器科、小児科などの診療科目を指すのだろう。難しい言葉を知ってるもんだ……


「詳しいな。研究と臨床、どっちに進むかもう決めてるの?」


「臨床です。研究をないがしろにするつもりはありませんが、今現に苦しんでいる人を助けられる医者になりたい」


 しっかりした答えだ。普段から将来のことをよく考えているのだろう。だが研究者としての道を今のうちから閉ざしてしまうのもいかがなものか。


「かつてはちょっとしたケガが原因でバイ菌に感染して死んでしまうことが多かった。菌よりもさらに小さい細菌が敵だったので、現場の医者たちは為すすべもなかった」


 臨床医では患者を救えなかった事例を話そうとしているのを竜崎は察したようだ。黙って次の言葉を待っている。


 ミズキは続けた。

「イギリスの研究者フレミング医師は病原菌をペトリ皿で培養中に、ペトリ皿のふたをちゃんと閉めなかったらしい。皿の中で培養中だった病原菌コロニーに大きな穴が開いていたんだ。なんで病原菌の塊に大穴が開いたのか、想像しながら聞いてほしい」


「……」

 竜崎は黙って聞いている。


「雑菌が入ってしまったんだ。この雑菌のために病原菌は増殖できなかった。病原菌培養実験は失敗したわけだ。本当なら、失敗したんだからペトリ皿を洗ってやり直しのところだが、フレミング医師は違う感想を持った」


「病原菌の増殖を阻止した雑菌に興味を持ったってことですか?」

 さすが医者志望。ミズキは頷いた。


「ペニシリウムというアオカビの一種だとわかった。このカビの性質を利用すれば多くの感染症患者を救えることがわかった。カビは植物だろ? 植物から作られた薬を命名するときは『~in』で終わるというルールがある。この薬が何て呼ばれてるかわかるか?」


「ペニシリン……?」


「おそらく何千万という人命を救った薬の発見物語だ。俺も何度か助けられている。失敗を失敗のまま放っておかなかった研究者のおかげで、今俺は生きている。ひょっとしたら君だってご先祖様がペニシリンで救われているかもしれない。そう考えたら研究の道も悪くないだろ?」


「でも私は……」


「いや、臨床がダメと言ってるんじゃなくて、これから先、君は研究にも興味を持つかもしれない。その時は研究って選択肢もアリだって言いたいんだ」


「最初から進路を狭めるなってアドバイスですね。わかりました」

ここで竜崎は表情を和らげた。

「そのためにわざわざペニシリンの話をしたんですか?」


「頭ごなしに『進路を一つに絞るな』と言っても聞かないだろ?」


「はい、確かに」

 少しだけ打ち解けられたかなと思う。


 ひとこと『サキュバス修行なんてさせない』と約束すれば入塾してくれそうだが、空約束して生徒を裏切ると後で困るのは自分である。交わした言葉は少ないが、この子は正直に話した方が理解を得やすいと思う。


「竜崎さん、サキュバスについて話を聞いてほしい」

 キッと表情がキツくなった。むべなるかな。


「さっきも言いましたが……」

「君の考えはさっき聞いた。俺たち塾側にも塾側の考えがある。それを聞いてほしい」


「……どうぞ」

 耳を貸す気があるみたいだ。今から開陳するのは塾というよりはミズキの意見である。


「俺たちは生徒を指導するにあたって、保護者の意向をできるだけ尊重する。これって当たり前のことだろ?」


 同意は得られなかった。竜崎は黙って続きを待っている。


「君を立派なサキュバスにしてほしいというのは君のお母さんの要望だ。誤解しないでほしい。責任逃れのために言っているんじゃない。もしこの塾がダメだったら、お母さんは他の塾を探すだけだと言いたいんだ」


 この塾を拒んだところで事態は何も変わらない。根本的な問題は保護者の要望にあるのだから……これは竜崎にとっても悩ましい点のはずだ。


「もし母が他の塾に行けと言ったらそれも断ります。母が諦めるまで断り続けます」


 到底現実的な対応とは思えない。が、生徒が頑なに言い張っていることを塾講師は頭ごなしに否定すべきではない。


「それも一つの手だろうな。そこで聞きたいんだけど、なんで君は今日ここに来たんだ?」


「行くだけ行ってみなさいと母に言われたからです。無下に断ると、関係が悪くなるでしょう?」


 母親に言われたくらいで来るだろうか? 彼女の場合、通塾目的が普通ではないのだ。常人であれば反抗期でなくとも死に物狂いで拒絶するだろうに。


「どんなにお母さんを慮っても、数回断ればどうしても関係は悪くなると思う」


「……そんなこと、わかってます」

 痛いところを衝かれたらしく、渋面でうつむく。


「それにこの先、君をサキュバスにするために、強引な手を使う連中が出てくるかもしれない」


「この塾はそうじゃないって言いたいんですか?」

 そう言えないのが辛いところだ。せめて今手配中の教材とやらを見ることができたら性犯罪確定か否か答えられるのだが……


「竜崎さん、もう一度体験授業を受けてくれないか? 今教材を手配中なんだ。その教材を見てもらい、我々の指導方針について聞いてほしい。その上で気に入らなければ断ってくれていい。どうだろうか?」


 指導方針不明、教材未着の状況でミズキが指導内容について確言できることなどない。指導方針が定まらず指導教材もない状態で体験授業をすること自体間違いといえば間違いなのだ。


「……」

 竜崎、長考に入る。


      塾側の申し出は自分に有利だろうか不利だろうか?

        申し出を断った場合、次の展開はどうなるだろうか?

   申し出を受けたらどうなるだろう?

     目の前の講師は信用できそうか?

       二度目の体験授業で豹変する可能性はないか?

    母は何を考えているのだろうか?

        母は自分のことをどう思うだろうか……?


 いろいろな思いや計算が頭の中を駆け巡っているに違いない。彼女が受け入れやすい申し出内容にしたつもりだが……


「わかりました。とにかくそのサキュバスの教材というのを見せてください」

 竜崎はこちらの申し出を呑んだ。


 これは塾側の勝利ではなく解決の先送りにすぎぬ。が、貴重な時間を稼いだ。

 教材を調べる時間、教務担当者に問い合わせる時間、シスタリヤと要談する時間、潜入作戦担当オフィサー国山小夜と打ち合わせをする時間。

 作戦のためにこの少女を傷つけねばならない。その決断に要する時間。


「ありがとう。用意ができたらお母さんに連絡する」

 サキュバスの話はひとまず終わりだ。体験授業の時間はまだある。昼竜崎ママに話した通り、体験授業は英語や数学をすることが多い。


「まだ時間あるな。英語か数学をやってみようか」


「いえ、さっきみたいな話をしてくれませんか?」


「さっき?」

 サキュバス問答を蒸し返すつもりだろうか? 双方にとって愉快な話ではなかったはずだが。


「ペニシリンの話です」

 そっちか。体験授業の目的は塾に好印象を持ってもらうことなので、生徒から要望があれば可能なかぎり応じるべきだ。


 医者志望の子が喜びそうな話をすればいいわけか。でも何を話せばいいんだろう?


 話題に悩む必要はなかった。竜崎の方から話を振ってきた。


「魔導のことを教えてください」

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