4 ミズキ先生、悩む
保護者が帰った後のなろう塾。もう本日最初の授業が近づいているので長話はできない。しかしミズキは抗議せずにはおれない。
「どうするんですか、子供をサキュバスにしろとか、学習塾の仕事じゃないでしょう!?」
さすがにミズキも色をなして教室長に詰め寄った。潜入工作員としてはシスタリヤに楯突きたくないが、このまま黙って従っていたら性犯罪者にされてしまう。
「今回竜崎さんのお嬢さんを一人前にすれば、他のサキュバス達もこぞって自分の娘を私たちに預けてくれるでしょう。竜崎母娘の背後には巨大市場が広がっている、そうは思いませんか?」
「それなら専門学校を作ればいいじゃないですか」
「サキュバスが蕾を咲かすのは一〇歳から遅くとも一五歳までの間です。義務教育が参入障壁となって手も足も出ません」
義務教育を参入障壁呼ばわりである。どんだけ反社会的なんだと思う。
「でも神澤先生はいい提案をしてくれました」
「? 提案ですか?」
俺、何か提案したか? この話の流れとシスタリヤの心底嬉しそうな笑顔……イヤな予感しかしない。
「専門学校は学齢の問題で無理ですが、それなら学校を作ればいいんです。私立サキュバス学園……いい響きですね、もちろん小中高一貫校で。気に入りました。神澤先生、お手柄ですよ」
良い上司は褒め上手である。シスタリヤに褒められて、なぜかミズキは泣けてきた。学校設立の許認可権は文部科学省が握っている。文科官僚の良心に期待したいところだが、なろう塾経営陣には文科省の天下り官僚(初等教育局長経験者)がいる……。
「まぁ、学校はまだ先の話です。有望なビジネスかどうか見極める意味でも今は竜崎サキュバスの指導に全力集中しましょう」
「あの、この上の階に新しい塾ができるなんて聞いてなかったんですけど」
「当然です、さっき決めたのですから」
やっぱり……。
「あなたには本当はこの寒川教室の室長を任せる予定でしたが、上の寒川特別講座教室を任せることにします。といっても新教室の生徒は一人だけですから、こちらの寒川教室副室長は続けてもらいます」
「本当に僕がサキュバスを指導するんですか? サキュバスのことなんて全く知りませんし、さっきのお母さんの話を聞く限り、警察か児童相談所に駆け込んだ方がいいと思うんですが……」
「警察や児童相談所に行っても無駄ですよ。何も起こっていないのに、彼らが動くはずがありません。あなたの仕事は、警察や児童相談所を必要としないやり方で生徒を導くことです。遵法精神に則り、公序良俗を守り、税金をきっちり納めることが我が社の誇りであることを忘れないで下さい」
なるほど、ミズキが性犯罪者として捕まった時、会社は守ってくれないということがよくわかった。
「サキュバスの指導については教務部長に教材を手配させます。あなたもそれを見て勉強してください。必要とあらば研究会を開くのも良いでしょう」
シスタリヤは立ち上がった。
「私は今からこのビルの管理会社に行って交渉してきます。……しばらく赤字になるのがおもしろくないですが、先行投資と思って我慢しましょう」
苦い顔でミズキを見遣る。
「いいですか、赤字店舗の店長だという自覚を持って仕事をしてください。すぐに黒字にせよとは言いませんが、どうすれば赤字を小さくできるか、早速あなたの手腕が問われているのです」
まるで赤字の元凶を見るような、給料泥棒を見るような目で見据えながら言い捨てるとシスタリヤは足早に教室を出て行った。
入れ替わりで小学生が三人入ってくる。
「こんちは」「こんにちは」「こんにちは」
「こんにちは。宿題、ちゃんとやって来たか?」
「んー? それなりに」「うん」「やってきました」
さて、もうすぐ授業が始まる。
『もう中学生なんだから処女くらい捨ててきなさい』と母親に言われてしまう竜崎ミサキとはどんな少女なのだろうか? しかも本人は異性交遊や性行為に無関心あるいは頑なに拒んでいるというのだから同情を禁じ得ない。
「先生、あっちの机使わせてほしいんですけど」
サキュバス教育……道徳教育や修身教育に対語があるとすればこういう言葉なのではないか。シスタリヤは教材を手配すると言っていた。その授業内容たるや、きっと性犯罪のオンパレードに違いない。
「先生?」
もちろん従業員は、ムチャクチャな命令に対して抵抗する権利を持っている。たとえば人を殺せとの業務命令が下った場合、従う必要があるだろうか? むしろ『従ってはならない義務』があるはずだ。
「先生、先生」
抗命闘争を仕掛けるべきか? 抗命の結果、待っているのはクビか左遷だろう。どっちの場合でもシスタリヤから遠ざかることになり、潜入調査は失敗する。失敗したら別の人間が調査を引き継ぐのだろうか? 今後の去就も含めて、『国山小夜』と協議する必要がある。
「先生!」
「っ!」
びっくりして顔を上げると、少年の視線とぶつかった。黒川薫、中学三年生。一見華奢で線の細い美形だが、なよなよしさは感じさせない。部活はサッカー、ポジションはMF。聞いたところでは攻撃的なプレイスタイルらしい。
「黒川か」
「黒川です」
誰とでも打ち解ける性格で、面倒見のいい兄貴肌、学力も学年トップクラス。その上一度フィールドに立つと激しい攻撃サッカーを演じるのだ。これで同性の人望を集めないわけがない。とどめに超級美少年ときている。これで異性からの人望を集めないわけがない。
実際、黒川つながりの入塾者が男女合わせて十人以上いる。営業手当てを支払ってもいいくらいだとシスタリヤ教室長は激賞していた。
「コイツらが英語教えてほしいって。あっちの席使っていいですか?」
顎でしゃくった先には男子中学生が二人。どちらも最近入塾した二年生で、部活の後輩だ。彼らに勉強を教えてくれるという。もちろんボランティアで。シスタリヤが黒川少年を気に入る理由がここにもある。
ミズキも黒川に好意的だ。先輩が後輩の勉強をみてやるというのは、私塾として最高に美しい姿ではないだろうか?
「ああ。よろしく頼む。俺は次、体験授業が入ってるけど、何かあったら呼んでくれ」
「はい」
夜七時、四時間目の生徒がどんどん教室に入ってくる。その中に馴染みのない顔が一人いた。彼女が竜崎ミサキだろう。