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サキュバトクラシー  作者: 竹取翁
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3 サキュバスママの苦悩

 サキュバス。男の夢に忍び入り、言葉にするのも憚られるようなご乱行の果てに男の精力を搾り取る恐怖の淫魔……一般的な通念では、こんな感じだろうか。


「サキュバス……ですか?」

 思わずオウム返しになってしまった。


「はい、娘も私の子だから当然サキュバスになる、はずなんですけど……」

 お母さんサキュバスの憂色が濃くなった。


「サキュバスの本分はご存知ですよね? そういうことに娘は潔癖で、ちっとも真面目に取り組んでくれないんです」


 いいお嬢さんじゃないですか、と思わず口から出かかった。


「キスどころか異性と手をつないだ経験すらないんですよ? もう中学生なんだから処女くらい捨ててきなさいといくら注意しても聞く耳持たずで……。娘でしかも反抗期だから母親の言うことを聞いてくれないんです……」


 反抗期教育の難しさに嘆息するお母さん。悄然と肩を落とすその姿は見ていて痛ましい。が、なぜか同情心の湧いてこないミズキであった。


 それにしてもお母さん、よく喋る。学業成績のことではあれだけ淡白だったのに、こっちのことではよほど言いたいことが積もり積もっていたのだろう。相槌を打つ暇も与えず話し続けた。


「こんなことを言うと親バカと笑われるかもしれませんが、娘は本当にかわいい女の子で、ものすごくモテるんです。この分なら小学校高学年の頃にはサキュバス修行に入れるだろうとタカをくくっていたんです。だって、進んでる子ってそういうものでしょう?」


 真摯な眼差しで同意を求めてくる。マジだ、この人。

「は、はぁ」


「でもあの子ったら、異性関係にはものすごく潔癖で、いえ、無関心なのかもしれません。好きな人もいないみたいですから。小学六年の時に、さすがに私も危機感を覚えて芸能プロダクションに登録してみたんです。誰かがあの子を奪ってくれるかなと期待してたんですが、そうはならなくて……」


 なんて邪悪な女なんだろう。さすがは淫魔の二つ名に恥じぬ種族。性に潔癖な娘さんのことが本気で心配になってきた。


「中学も迷ったのですが……」

 お母さん、まだまだ話すようだ。


「公立が荒れてるっていうからせっかく通わせてるのに、強姦どころか和姦すら滅多にないんです。学校でも性教育をやってはいるのですが、内容を聞くと体の部位とか思春期の心理とか妊娠・出産について教えたり、子を産むことの責任を論じたり、それって生物学や倫理道徳の授業じゃないですか。快楽の素晴らしさや、性のいろんな営み方を教えないでどこが性教育なのでしょうか……」


 お母さんの公立不信は深刻だ。だがミズキは、公立中学もまだまだ捨てたもんじゃないな、との思いを強くするのである。


「あ、誤解なさらないでくださいね。私は塾に性教育を希望しているわけではないんです。娘が一人前のサキュバスになれるようご指導願いたいのです。そういうお願いは可能でしょうか?」


 明らかにアウト事案である。

いくら個別指導を掲げていても個別すぎる。これは断らないとダメだろう。第一、自分が性犯罪者になってしまう。


「お母様……」

 残念ですがそういったご要望には応じかねます……そう続けようと思い、口を開きかけたところで横槍が入った。


「もちろん可能です、細やかなご要望に応じられるのが個別指導の強みですから」

 シスタリヤはきっぱり言い切った。目を剥いて真横の上司を顧みるミズキ。後ろから弾が飛んでくるとはまさにこのことだ。


「まぁ、本当ですか!?」

 竜崎ママは本日最高の笑顔を見せてくれた。


 上司の介入で混迷が深まり、まさしく進退両難。性犯罪者になりたくないのだが、前門を淫蕩乱倫の大姦婦が、後門を究極の上司代表取締役社長が塞いでいる状況だ。


「この塾を選んで良かった」

 塾関係者にとって最高の褒め言葉なのだが、このお母さんの口から聞くと全然嬉しくない。


「どうしようかと途方に暮れていたんです。十四にもなってまだ処女でしょう? 自分が母親失格なんじゃないかって思って……」


 志操堅固な少女を淫らな夢魔にせよなんて、充分母親失格だ。この母をこれほどまでに悩ませるとは一体どんな娘なのだろうか?


「お母様、そう悲観なさらないでください。いつ学び始めても遅いということはございません。私どもにお任せいただければお嬢様を立派なサキュバスにしてみせます」

 シスタリヤ、大見得を切る。


「まぁ頼もしい。でも先生、この教室、他の生徒さんもいるんでしょう? ここで指導していただくとなると、他の子たちに刺激が強すぎるんじゃないかしら?」


「いえ、実はこのビルの二階に特別講座教室を開校予定でして、お嬢様にはそちらでサキュバスの勉強をしていただこうと思っております」


「まぁ、それは存じませんでした」


 全くである! ミズキだって今初めて知った!


「教室長にはこちらの神澤が着任する予定です」

 それも初めて聞いた!(怒)


「ということは神澤先生にご指導いただけるのですか?」


「はい。もちろん女性講師をご希望でしたら手配しますが」


「いえ、女子生徒を食べてしまいそうな不埒な男性教師をお願いします」


「なら神澤で問題ないでしょう」

 どういう意味だ!(怒怒怒怒怒)


「良かった。浅はかな母親の高望みかもしれませんが、やっぱり娘にはこれくらいはできるようになってほしい」

 お母さんは蜜色の長い髪を両手で梳くようにかき上げた。フローラルな香水の香りがほのかに漂い、鼻腔をくすぐる。


「ひとつの到達点として見知ってもらえますか? 神澤先生」

 竜崎の瞳が赤く光った。ミズキ、身構える。


「っ!」


 脳天を貫くというのはこういうことを言うのだろうか。



目は露出した脳の一部ともいわれる。



 竜崎の赤い眼光がミズキの目から脳を侵し、惑乱し、歪める。理性が細り後景に下がると、性衝動がブレーキを失ったまま溢れ出てきた。かくして脳が欲するようになるのだ。『この女が欲しい。他のことはどうでもいい、とにかくこの女と一緒に壊れたい……』


 『淫魔による支配サキュバトクラシー』。呪文一〇万語相当の超級洗脳魔導を無詠唱で発動できるこの女の正体に誤解の余地はない。


「お母様のご要望はよくわかりました。その瞳術をおやめください、神澤が困っています」


 ここにきてシスタリヤがやっと上司らしいフォローを入れてくれた。遅い! と言いたいがありがたい!


「ふふふ、残念。神澤先生がお相手なら壊されても良かったのに」


 瞳が青くなり解呪、淫魔の術から解放された。乱れた呼吸をやっとのことで整え、汗をぬぐう。そんなミズキに構うことなく、今度はシスタリヤが入塾説明会の進行役を買って出た。


「週何回のご通塾をお考えですか?」


「毎日通ったほうがいいのでしょうか?」


 何でサキュバスになるため毎日塾通いせにゃならんのだとミズキの顔に書いてある。大方の予想通り、シスタリヤは力強く頷いた。


「はい、お母様のお話をお伺いするかぎり、最初はじっくり時間をかけ、徐々に慣れていった方がいいと思います。とりあえず週五回ほど通っていただいて様子を見ます。それでご家庭やお嬢様のご負担が大きいようなら通塾時間を減らしていけばよろしいかと」


「シスタリヤ先生は商売がお上手ですね」


「いえ、教育者として最善策を提案しているのです。たとえば週一回の授業を週三回に増やすのと、週五回から週三回に減らすのとでは、同じ週三回でも生徒のモチベーションに与える影響が違うのです」


 初めから週三でいいんじゃね? とツッコミ入れたいミズキだが、もう少し我慢すればこの悪夢のような入塾説明会は終わる。沈黙は金なのである。


「わかりました。でも娘の意向を聞かないわけにはいきませんから、体験授業の後二人で相談して決めたいと思います」


「それで結構です」


「その体験授業ですが、善は急げといいますし、早速今日お願いしてもいいですか?」

 オカン焦り過ぎ(怒)。娘の成長をゆっくり見守ろうとか思わないのだろうか?


「スケジュールを確認します……四時間目、十九時からなら大丈夫です。いかがですか?」


「わかりました、その時刻に行かせます。で、ご担当はやはり神澤先生が?」

 いきなり名指しされ驚いたミズキは居住まいを正した。


「はい、私が……。お子様の体験授業は私が担当します」


「それって、処女くらいは奪ってもらえるのですか?」


 いうまでもなく、体験授業の『体験』と初体験の『体験』は全く別物である!


「いえ、体験授業の目的は塾の雰囲気を知ってもらうことですので、五科目のどれかを勉強してもらうことになっています。英数の二科目が多いですね」


「あら、そうなんですか」


 本日最高の残念顔。このお母さんを喜ばせるのは至難の業だ。――――良心がある限り。

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