16 第二回授業、あるいは脱税指南
夜、なろう塾特別教室。
生徒一人に講師が4人というコスパ無視の超過密個別指導が今日も行われている。
「これは全てのJS、JC、JK、JDに知っててほしいことなんだけど」
サキュ猫先生が言った。あれだけミズキに任せると言っていたのにノリノリで講義している。
「ウリをやってることが親バレしちゃうトラブルっていっぱいあるでしょ?」
ミサキはスルー。サキュ猫は構わず続けた。
「実は税務署から脱税の指摘を受けて親バレするケースが多発してるの。これから話すことは成人してからも役に立つことだから完全マスターしておいてね」
「待ってください。それは試験に出るんですか?」
サキュ検で出題されるかどうかを気にしている。受験生らしい取り組み方だ。
「ええ、今度のサキュ検から必出問題になります。それくらい重要なことなの。ぜひともマスターして、お友達にも広めて欲しいことなのよ」
交友関係への拡散希望……。何を話すつもりか知らぬが絶対広めてはならないような気がするミズキである。
「…………」
ミサキが黙ったのでサキュ猫はロルパに目配せ。ロルパが講義プリントを各員に配った。
『問 次の意味を答えよ。
1,ホ別イチゴ
2,KSKシステム』
……?
ミズキは怪訝そうに眉をひそめた。どちらも初耳だ。
「……どちらもわからないです」
これは『知ってるか知らんか問題』なので、知らないならさっさと白旗を上げた方がよい。
「一つ目は、『ホテル代別、1万5千円』の略よ。何の値段かはわかるでしょ?」
「……はい」
不承不承頷くJC。
「このようにサキュッ娘に限らず年頃の子はウリをしていっぱい稼いで日本経済を回しているんだけど、税務署の情報ネットワークに引っかかる場合があるの。この情報ネットワークが国税総合管理システム、通称KSKシステムと呼ばれているものよ」
生徒の教育にとって、この話を進めるのは良くない気がする。だが筆記問題で必出と言われればミズキは黙るしかない。実技を避けるため筆記で取りこぼしはしたくない。
「あなたのお母さんが納めている税金はお母さんの収入を元に算出されるのね。税務署はもちろんそのデータを持っている。それと銀行口座の情報も握っていて、大きなお金の出入りはわかるようになっている。相続が発生したり、保険金が入ってきたり、家や車、貴金属や株、高価なブランド品を買ったり、そういった大きなお金の動きは全部税務署に情報が入ってくる。ここまではわかる?」
小首を傾げて生徒を覗き込むサキュ猫先生。
「はい」
対するミサキの返事は短い。
「収入に見合わない不自然な財産があるとKSKシステムが『税務調査をしろ』と警告する仕組みになってるのよ」
ミズキは知らなかった。社会人のミズキが知らないのだからミサキにとっても初耳だろう。
サキュ猫先生の説明が続く。
「たとえば年収500万と申告している人が数億のタワマンをポンと現金で買ったら、年収を誤魔化してるってわかるでしょ? 申告した収入に見合わない財産を持つとKSKシステムに捕捉されてしまう。このシステムの恐ろしいポイントは、コンピュータが脱税疑惑案件を自動的に検知して知らせてくれるところにある。納税者に関する膨大なデータから脱税疑惑を発掘するのは大変な作業なの。その作業から職員たちは解放されて、疑惑の裏付け調査と現地調査に集中できるってわけね」
ミズキは思った。中学生の少女に何を教えているんだと。
サキュメトラの講義はまだまだ続く。
「ミサキちゃんは銀行口座を持ってる? 『竜崎ミサキ』名義の口座があるかって質問なんだけど」
「はい、一応は」
「芸能活動はもうしてないのよね?」
「はい」
そういえば母親の意向で芸能事務所に所属していたのだった。
「だったらその口座に入ってるお金は全部お母さんからのお小遣いとか、お年玉とかでしょ?」
「はい。私に収入はありません」
質問の意図を正確に理解しているようだ。
「税務署はお母さんの口座だけでなく娘であるあなたの口座も把握しているわ。名義はあなたの口座だけど、実際はお母さんのお金と見なされるのね。これを『名義預金』といいます。税務署にとって子供のお金は親のお金。理解できる?」
「はい」
「例は極端な方がわかりやすいから極論でいくけど、ミサキちゃんがウリで500万円稼いだとします」
「しませんけど」
「それも『込み』での極論だからね」
生徒の不機嫌オーラを物ともせずサキュ猫先生は続けた。
「その500万円を自分の口座に入れて、いつまでも放っておいたらどうなる?」
「システムが警報を鳴らすんですか?」
「そう。500万円も収入がありながら申告せずその分の税金を納めていないわけだからね。しかも脱税したと疑われるのはミサキちゃんではなくお母さんなのよ。ミサキちゃんの口座の500万円は『名義預金』と見なされるからね。かくして親に税務調査が入って、芋づる式に娘のウリがバレてしまうってわけ。この話を聞いて、ウリをやってる子はどう行動するべきだと思う?」
「税務署にきちっと収入を報告して税金を納めるべきだと思います」
ああ、めちゃくちゃ怒っているなぁ……とミズキは思った。
「それだと親バレした挙句警察も出てきて大騒ぎになっちゃうじゃない」
サキュ猫先生苦笑い。相手は猫だが表情がわかってしまうミズキである。
「……稼いだお金を銀行口座に入れたらダメってことですよね?」
生徒の言葉にサキュ猫は大きく頷いた。
「結局その結論にたどり着くのよ。俗に『タンス預金』っていうんだけどね」
ようやく結論か。長い旅路であった。
「そもそも口座に入れるだけで親バレ不可避だから、金融機関に預けるのはダメ。ミサキちゃんもウリやってる子にはうっかりお金を口座に入れてしまわないようアドバイスしてあげてほしいのよ」
……これはハッキリ脱税指南だ。
「サキュ猫先生、生徒のプライベートに立ち入る発言は慎んでください」
サキュ猫に警告してからミサキに向き直る。
「竜崎さん、さっきの話はあくまで受験対策として覚えておいてほしい。3年生になったら公民で学ぶはずだが納税は国民の三大義務の一つだ。税金はしっかり納めないといけない。税金を誤魔化そうとしても税務署のすごい情報システムで簡単にバレてしまう。この『たとえ話』を戒めにしよう」
「神澤センセの口から納税意識高い系発言を聞くと痺れるわね」
サキュ猫の言葉にミズキは警戒した。ミズキの仕事はほとんどが秘密作戦か殺人を含む犯罪行為だ。まさか納税のため犯罪報酬を税務申告するわけにはいかないので必然的に脱税することになってしまう。納税はしているが会社員の薄給分だけだ。
……サキュメトラは自分の正体を知っているのだろうか……?
サキュ猫は油断ならぬ相手だ。サキュ猫の背中を見遣りながら、ミズキは心の中で独りごちた。
一方、ミズキの複雑な視線に気づかないサキュ猫は大きな欠伸をした。その拍子に書棚が目に入り、何かに気づいたようだ。振り向くと神澤センセは苦い表情、ロルパ先生はニコニコ笑顔、スルラ先生は明後日の方向を向いている。一同を見渡してから「フーン」と口元に笑みが浮かべた。
「神澤センセ、私はこの後出張があるからしばらく留守にします」
「?」
突然の出張話にミズキは驚いた。竜崎ミサキの命が危ない(かもしれない)というのに、これより大事な仕事が塾やサキュ検協会にあるのだろうか? しかも夜の今から出発するのか?
「サキュ猫先生、少しいいですか。ロルパ先生、スルラ先生、少しの間頼みます」
「はい」
ロルパ先生は愛想よく頷くがスルラ先生は無視。とにかく隣の部屋でサキュ猫と話をせねば。
隣室。巨大ベッドの上にサキュ猫が勢いよく飛び乗ってミズキを振り返った。
「出張のことでしょ?」
「はい。そんな話、私は聞いてませんでしたから」
「ごめんなさい、忘れてたのよ。税務署の話をしていて思い出したの」
サキュ猫が忘れていたことが問題なのではない。教室責任者であるミズキが講師の出張という大事な話を聞かされていなかったことが問題なのだ。などと思う一方で、世の中の組織はこんな風にいい加減なものだということもミズキは知っている。今まで潜入してきた公的機関や会社組織はみんなそうだった。
「……いつまでなんですか、出張は?」
「早ければ明後日、でももっと遅くなるかも」
これはどうにもならぬ。生徒防衛作戦のメンバーからサキュ猫は外して考えるべきだろう。
「そうですか、わかりました。連絡だけはなるべく早くください」
「うん、ごめんね、こんな時に」
あんまりすまないと思ってなさそうなサキュ猫に「いえ、道中お気をつけください」とミズキは応じた。
サキュメトラが出て行った後、講義する者がいなくなったのでミサキにはひたすら問題集を解いてもらっている。もう既に自宅学習を進めているらしく、問題集も後半に差し掛かっている。
「先生」
放っておいても勝手に勉強して結果を出してくれそうなミサキでも質問したいことがあるようだ。
「語彙や語句説明は過去問をやるだけでは不十分なんじゃないですか?」
「もちろんだ」
ミズキは頷いた。過去十年分の問題を振り返ってみたが、毎回同じ問題が散見される一方、新しい用語なり語句なりが出題されている。DIC-PICなどは最たるもので初出が三年前だ。
「知識だけならネットを調べれば、試験に出そうな言葉はたくさん見つかりますが、ダブルミーニングは難しいです。『死を見つめよ(メメントモリ)』『近親相姦禁忌』レベルの問題が出たら解けそうにありません」
そんなもんミズキだって解けない。筆記を落としてしまえば実技で取り戻すしかなくなる。悩ましいかぎりだ。実技テストはセックス・スキルの他に恋の取り持ち……キューピッド型とかファム・ファタル型とかアホなことをぬかしていたが、ミサキはそのどれも不得意であろう。
「君は良い心配をしている」
「良い心配?」
「受験勉強には適度なストレスも必要だ」
受験勉強の指導者としてミズキはミサキの不安を積極的に肯定することにした。
「サキュバス検定試験の筆記は過去問を反復練習すれば小学生でも解けるように作られている。心配な気持ちを焦りではなくやる気に変えて勉強を続けてほしい。試験までまだまだ時間はある」
「ストレス・コントロールですね。言いたいことはわかります」
さすがは元芸能人で医者志望だ。
「新しい言葉と出会ったら貪欲に吸収してくれ。たとえば英語のdoctorは『治療する』という意味の他に『改竄する、捏造する』という意味もある。君は医者になるんだろう? これは医業に携わる全ての者が知っておかねばならないダブルミーニングだ」
「……わかりました」
ミズキの指導や説明に納得したかはわからないが、とにかくミサキは頷いた。
「オレもそういうの知ってるぜ。『祈る』のprayと『捕食する』のpreyだ」
スルラの声がしたかと思うと教室風景が一瞬で遷移した。
「⁉」
あまりに唐突だったのでミズキは何も反応できなかった。




