グレゴリー
「あの山脈を越えて来たのか」
バルドは絶句せざるを得なかった。それは、とても不可能とも見られていた行為だったからだ。それを可能にする手段は一つしかない。
「浮遊石か」
浮遊石の瞬間移動の性質を使ったのだ。だがそれをなし得たブルーノにも代償は伴った。保有している浮遊石では、全軍を山脈越えさせることは出来ず、その数を大きく減らす事となった。ブルーノは、数を犠牲にしてでもバルドに心理的な圧迫を加えたかったと言える。
「ブルーノは、思った以上に思い切りがいい奴らしい」
バルドは、この若輩の王に感嘆を漏らしつつ、その頭で既に対策も講じ始めていた。退路を絶たれた以上、ぶつかるしかない。それもブルーノの後続部隊が合流する前に。バルドは周囲に宣言した。
「今こそブルーノを迎え撃つ」
両軍は、ぶつかった。兵力はほぼ拮抗している。壮絶な斬り合いとなり、一進一退の攻防が続いたが決着が付かず、一歩も引かない両軍は、とも大きく損害を出したところで互いに一旦、軍を引いた。
その後、双方距離をとって野営し、睨み合いが続いたが、バルドにとって戦況は思わしくない。退路を絶たれたバルダロス軍は補給がままならない。しかも待っていればブルーノの後続部隊が合流してしまう。つまり、長期戦に持ち込まれれば、俄然、不利になるのだ。そんな中、ダンテとカルロにバルドから極秘の指令が降りた。夜襲に打って出る決断をしたバルドにその手引きをせよと命じられたのである。
夜更、斥候に出たダンテとカルロは、暗闇の中を走った。
「ダンテ、ドリアニアの連中はどうだ?」
「分からない。もう少し先に行ってみよう」
二人は、夜道を走り、安全を確認すると夜襲部隊を手引きして行った。だが、その途中、異変が生じた。
「待ってカルロ!」
カルロを引き止め先を睨むダンテは、その先に潜む人影に息を飲んだ。
「ドリアニア軍だ!」
何とドリアニア軍の方も夜襲を仕掛けて来たのである。互いに鉢合わせとなった両軍の夜襲部隊は混乱の中、ぶつかり合った。辺りは暗闇である。よく見えない中での激突に指揮系統は乱れ、同士討ちが多発し、互いに収集の付かない事態となった。
情勢がよく掴めないまま、カルロとはぐれてしまったダンテは走り込んだ先を見渡し息を飲んだ。何とドリアニア軍の本陣に紛れ込んでしまったようなのである。
「まずい……」
焦るダンテは、ふと目の前を一匹の猫が走ったのを見つけ、声をあげた。
「あの時の猫……」
不審に思ったダンテは、その猫のあとをつけた。そして、猫が入っていった野営テントの中を見て、目を見開いた。
「グレゴリー!?」
そこには、ドリアニア軍の軍師であるあの白髪白髭のグレゴリーがいたのである。そして、ダンテは見た。グレゴリーの異様な姿を。それはとても人間とは思えない醜い姿だった。思わず後退りするダンテにグレゴリーは気がつき、声をあげた。
「おのれ、見たな」
ダンテは、慌ててテントから逃げ出した。ドリアニア軍の本陣は大騒ぎになった。
「バルダロスの夜襲だ!」
「バルドが攻めて来たぞ!」
ダンテをバルダロス軍の奇襲だと勘違いしたドリアニア軍は、逆に動揺することとなった。
夜襲部隊の偶発的な鉢合わせとダンテのドリアニア本陣への侵入騒ぎは、バルドに思わぬ効果をもたらした。混乱したドリアニアが本軍をある領域まで引き上げ始めたのである。そこに今まで塞がれていた退路に活路が見出された。
「ここが浮遊石の使い所だ」
そう判断したバルドは、開いた退路に浮遊石を投入し、部隊の大部分を瞬間移動で撤退させ始めた。




