六
それから二日後、重実の姿は城にほど近い仕舞屋にあった。いつまでも宿場に留まっているわけにもいかないし、何より藩内とはいえ宿場町は遠い。何かあったときに対応できないので、安芸津が用意したのだ。
「殿も心配しておられる故、早く始末をつけてしまいたいところだが」
そろそろ小野の手配した下り米が届く。荷揚げ前に、大きく動くはずだ。
「下り米は藩からの正式な依頼なので、決まった問屋しか扱えぬ。此度は小野様の差配故、泉屋という米問屋が取り仕切るはずだが」
泉屋は藩お抱えの米問屋だそうだ。
「なら下り米に関しては、心配いらないんじゃねぇの?」
「無事に陸に上がれば、な」
米滋からすると、下り米が陸に上がってしまったら手を出せなくなる。それまでに何か手を打ってくるはずだ。
「でも舟を襲えばすぐにバレるぜ。目立つしなぁ」
「うむ……」
安芸津も顎を撫でながら考える。
「何かあるはずなのだが。此度の下り米の差配をしくじれば、それはそのまま小野様の失態となる。ここしばらく姫君を追う田沢派の者が鳴りを潜めているのも、今は下り米のほうに気が向いているからではないか。小野様が失脚してしまえば、姫君は後からゆっくりとどうとでもできると思っているのだろう」
安芸津が気を揉んでいる間に、下り米が城に入ったとの連絡があった。何事もなく荷下ろしされているという。
「……無事ならば、それに越したことはないのだが」
納得いかない顔ながら、安芸津は急ぎ登城した。そこで、茫然自失の泉屋を見ることになる。
城の米蔵の前に、泉屋が立ち尽くしていた。ただ事ではない雰囲気に駆け寄ると、青い顔の泉屋が振り返った。安芸津の姿を認めるや、よろめくように縋り付いてくる。
「あ、安芸津様。とんだことになり申した」
「どうされたのだ」
泉屋を支えながら蔵を見た安芸津は、我が目を疑った。目の前の米俵から、砂がこぼれ落ちている。
「先ほどこちらの米蔵に詰め終わったのです。無事に全て運び込んで安堵いたしましたところ、俵の一つから砂がこぼれているのに気付いて、不審に思って開けてみたのです。中が、まさか砂だとは」
米俵の中は砂が詰まっていたのだという。安芸津はざっと蔵の中を見た。解かれた俵と、砂の山。
「す、全てか?」
「いえ、恐ろしくてまだきちんと調べてはおりませぬが、全てではないようです」
泉屋が震える手で指したほうを見れば、立てられた俵がいくつか置かれている。反射的に、安芸津は駆け寄った。がばっと中を覗くと、そこには白い米粒が詰まっている。ほっとしたものの、立っているものはそう多くない。
「全て解いてみないとわかりませぬ。でも……この分だと大半が砂の可能性も……」
肩を落とす泉屋の言う通り、蔵の中は砂だらけだ。
「許せぬ。騙されたということだな?」
腰の刀を握り締めて言う安芸津だが、泉屋は渋い顔で、彼を押し留めた。口の前で人差し指を立て、自分も声を潜める。
「しーっ。滅多なことを仰いますな。事が露見すれば、小野様の首が危うくなりますぞ」
「し、しかし、これは上方の米問屋の責任ではないか」
「恐れながら、上方の問屋も信用できるお人です。此度下り米として手配するのに、小野様自らやり取りなされております。手前も現地で米を見ましたし、船に積み込んだ時点で砂だったということはありませぬ」
「となると、船が襲われたのか……?」
それは考えにくい。泉屋は藩の御用達の資格を得ているので、此度の下り米の船も泉屋の御用達船で運ばれた。御用達船でない船でついたらすぐにわかる。
かといって誰にも見咎められずに船を残して米俵だけを海上で他の船に乗せ換えることは不可能だ。
「わからぬ。米が勝手に砂に変わったのか……?」
頭を抱え、安芸津は砂だらけの米蔵を見つめた。
「ふーん、なるほどな」
仕舞屋で話を聞いた重実が、煙管を吹かしつつ呟いた。
「北山は妖術遣いでも飼っているのか」
安芸津が悔しそうに言う。その横で、伊勢は若干冷めた目を向けた。
「何を馬鹿なことを。安芸津様らしくもない」
「しかし、現に米が砂に変わったのだぞ」
「そのようなこと、あるわけないではないですか。誰かがすり替えたに決まっております」
「だから! すり替えるにしても、どこで! どうやって! どう考えても無理なのだ!」
拳を握る安芸津に、伊勢は小さく息をついた。
「そうでしょうか? 安芸津様は、船が城の米蔵につくまでに入れ替えがなされた、と思ってらっしゃるから無理だと思われるんですよ」
冷静な伊勢の言葉に、安芸津はきょとんとする。重実は面白そうに、二人を眺めた。
「荷下ろしのときなど、絶好の機会ではないですか」
いろいろな人足が入り乱れて、てんやわんやの大騒ぎになる。当然泉屋の者ばかりでは賄えないので、それ用に臨時に雇われた人足たちだ。
「港には他の船もありますし、同時に荷下ろししていた業者もあります。それらに紛れて、あらかじめ用意しておいた砂俵を混ぜ込み、代わりに米俵を掠めたのでしょう。そのまま運んでは目につきますから、すぐに何かで覆ったりして、どこぞへ運んだのではないでしょうか」
船で直接城に入れるわけではない。港で荷揚げして、藩の米蔵までは陸路になる。そう長い道のりではないし、人の目もあるので、そこで襲われることはない。
なるほど、と安芸津は手を打った。
『なかなか賢い女子じゃの』
重実の背後で、伸びをしながら狐が言う。ああ、と呟き、重実は伊勢を見た。
伊勢は城の剣術指南役の娘だとか。身分はさほど高くないが、家老である小野からも絶大な信頼を得ているという。実際相当腕も立つし、なるほど、頭もいい。
「その下り米ってな、結構な量だろ? 全部じゃねぇにしても、奪ったほうも相当な労力だ。そう遠くにゃ運べねぇと見たが」
奪うための人足とはいえ、大勢が妙な動きをすれば目立つ。おそらくすり替えに関わったのは二、三人ではないか。それだけの人数で相当数の米俵を遠くまで運ぶのは無理だ。とりあえずでも、傍のどこかに隠すはず。
「おれがその港の辺りを探ってみよう」
「わたくしも参ります」
重実の申し出に被るように、伊勢が言った。どうもじっとしていられない性分のようだ。
「まぁ……おれは土地勘もねぇしな」
『それ以前に、信じられないほどの方向音痴じゃしのぅ』
狐の言葉に、重実は内心それがあった、と思った。ここは目立たぬ造りで、さらに結構入り組んでいる。簡単に見つかるようでは困るので、隠れ家となるのは当然そういったところが選ばれるものだ。
方向音痴の重実が、無事帰って来られる保証はない。むしろ可能性は低い。故に伊勢がいたほうがいいわけだ。
「では、それがしも……」
安芸津が言うが、そこは伊勢が断った。
「安芸津様は、小野様派の中心ですので危険です。こちらの調べも、そうすぐに何かわかるとも思えませぬし、しばしお城のほうにお戻りください」
「しかし……」
「田沢派にも安芸津様は張られておりましょう。それに、八瀬様のことも気になります。八瀬様の身辺にも注意しておいて欲しいのです」
「う、そ、そうだな。今のところ、八瀬様のほうには何事もないようだが」
何となく後ろ髪を引かれながらも引き下がった安芸津が、きょとんとしている重実に気付いて補足した。
「八瀬様というのが、勘定方だ」
つまりは次期藩主候補である真之介の父親か。勘定方故、藩内の不自然な金の流れに気付いたのだろう。
「では、繋ぎはしばし、小弥太を使うことにします。彼なら疑われることもないでしょう」
「そうだな」
頷きあい、安芸津が出ていく。伊勢も刀を腰に差すと、笠を手に振り向いた。
「では参りましょう」
少し汚れた着物に茶筅髷。笠で顔を隠せば、まさか女子だとは思われまい。折角整った顔立ちなのに勿体ない。
「ま、おれが髪を切り落としたんだしなぁ」
今さら悔いてもしょうがない。小さく言って腰を上げる重実に、伊勢は少し意外そうな顔をした。
「私の髪を切ったことを悔いているのですか」
「うん……。いや、でもあんときは、それが最善の策だったとは思うよ」
「なら悔いる必要はありません」
ぴしゃりと言う。睨むような眼に、重実は苦笑いした。
「けどなぁ、やっぱり女子にとっちゃ、髪は大事だろ」
元々長かったときの伊勢がどんなだったかなど知らないが、最近とみに男っぽく振る舞っているような。気を張って、無理をしているように見えなくもない。
「私はそんな世間の女子のような感覚は持ち合わせておりません。私の役目は、あくまで姫君の警護ですから、女子らしさなど無用のものです。髪も短くなって、返って助かりました。やはり男の形なりのほうが、戦うにはいいですからね」
「そうかい。まぁそう言って貰えると、おれっちも救われるがね」
「髪など、すぐに伸びますよ」
素っ気なく言い、伊勢は戸を引き開けた。
『やれやれ。可愛げのない女子じゃのぅ』
たた、と重実の肩に駆け上がった狐が、呆れたように言った。
二人はまず下り米が荷下ろしされたという港にやってきた。
「ここでわらわら人が入り乱れりゃ、多少の行動は目につかねぇな」
荷を積んだ船が入れば荷下ろしの人足が駆り出され、多くの人が入り乱れる。今も船から荷を下ろす男たちが忙しく行き交っていた。
「この中に、米の荷下ろしに関わった奴がいるかもしれねぇな」
荷下ろしの人足は、大抵日雇いだ。重労働だが金がいいので、体力に自信のある者には人気である。よく働く者は口入屋も重宝するので、同じ者を斡旋することも珍しくない。
二人はしばらく様子を窺い、仕事が落ち着いたところを見計らって、重実が屈強な一人の男に近付いた。
「ちょいと兄さん。あんた、よくこの港で仕事してんのかい」
重実が問うと、男はあからさまに不審げな目を向けた。
「何でぇ、お前は」
「へへ、見ての通りの食い詰め浪人で。割のいい仕事を探してるんだがね、ここの港の荷の出入りはどうかと思って」
浪人、というわりには町人のような口調で、重実は頭を掻く。男は馬鹿にしたような目を向け、ふん、と鼻を鳴らす。
「やめておけ。お前さんみてぇなひょろっこい奴には務まらねぇよ」
しっしっと鬱陶しそうに追い払おうとする。が、重実はなおも食い下がった。
「けど見たとこ、そうでかい荷はなさそうじゃねぇか」
「馬鹿言え。今日はたまたまだ。いつもはもっと、でかい荷が入ってくる」
「でかいっても知れてるだろう。米俵が何十俵も入ってくることもあるまいし」
「ふん、そのまさかよ。前はそれこそ、米俵が何十俵と入ってきたぜ」
きらりと重実の目が光る。
「本当か。そりゃあ大変だ。やっぱりそんな重いもののときは、特別金が良かったりするのかい? あ、でも人数も多いだろうから、そうでもねぇのかな」
「人数は、あの量にしては少なかったな。お陰でこっちゃ大変よ。あんま人目につかないようにしてたし。まぁ仕方ねぇわな、今年は米不足で、それを補うための下り米なんだから、誰かに盗まれちゃ堪らねぇ」
「へー。あんた、詳しいな」
感心してみせると、男は小さく舌打ちした。喋りすぎたと思ったのだろう。口を噤み、背を向ける。
「おっ、待ってくれ。ちょいと話を聞かせてくれよ」
「しつけぇな。何でそんなに聞きてぇんだ」
やたらと荷のことを聞きたがる重実に、男は疑いを持ったようだ。さっさとその場を去ろうとする。だが重実は気にせず、当然のように言った。
「当然だろ。こっちゃ生活がかかってんだ。明日の飯もねぇ身なんだよ」
ぴた、と男の足が止まった。まじまじと重実を見る。
「実はなぁ、昨日ここいらについたばっかなんだが、道中やられちまったみてぇでよ」
ひらひらと袖を振る。
「は。一端に刀なんぞ差してるくせに、巾着切りにやられたのか。情けねぇ」
「そういうわけで、昨日から何も食ってねぇ。困り果ててここいらに来たら、あんたが荷下ろししてたってわけだ。米俵だって、その気になりゃ担げるぜ」
「どうだかな」
相変わらず馬鹿にしたような物言いだが、先ほどよりも口調は柔らかい。無一文になった(ということにした)重実に同情したらしい。
「ま、米俵なんざ、そうそうねぇよ。今回は特別だ。城からお偉方が出張ってきてて、皆緊張してたしな。お前さんみたいな慣れてねぇ奴が、俵を一つ駄目にしやがって、えらく怒られてたぜ。慣れねぇことはするもんじゃねぇ」
「駄目にしたって? 大変じゃねぇか」
「そりゃ、大騒ぎだったぜ。おれは荷揚げをよくやるんだが、そいつは新顔だった。やっぱ慣れてねぇ奴は駄目だと思ったものさ」
「そうか。そんな目には遭いたくねぇな。でもそんな知らねぇ奴に大事な下り米を頼むほうも悪いんじゃねぇの?」
「さっきも言ったろ。下り米なんざ、緊急事態だ。すぐに人数集めようと思ったら、日雇い人足が一番簡単。ま、荷揚げさえしてしまえば、あとは藩の奴らががっちり守ればいい話だ」
「そうだな。……ま、とりあえずおれは口入屋に行ってみるよ」
「それがいい。荷揚げ人足は甘くねぇかんな」
適当に話を打ち切り、重実は男と別れた。
『お前は話を聞きだすってのが上手くないから、こっちがはらはらするわい』
男と別れるなり、狐が耳元で言う。そして、ぐい、と襟を咥えて引っ張った。
『伊勢はあっちじゃ』
見ると、先のほうに見える柳の陰に伊勢が待っていた。重実が近付くと、すぐに口を開く。
「何かわかったのですか」
「おそらく、米俵と砂俵の入れ替えのからくりが、な」
ぼそ、と言い、足を止めずにそのまま港から離れた。歩きつつ、周りに目をやり、米俵を隠せるようなところを探してみる。
「つっても、隠そうと思えばどこにでも隠せるよなぁ」
この辺りの建物全て家探しするわけにもいかない。が、港から続く川沿いを歩いていて、ぴんときた。
「伊勢。北山って奴と関わりのある舟宿を洗い出して貰え。多分米俵はそこだ」
「え……。あ、なるほど」
いきなりな命に、一瞬きょとんとしたが、すぐに合点がいったらしく、伊勢は頷いた。舟宿は大抵川沿いにあり、舟からの荷も積み込みやすくなっている。迅速に、かつ怪しまれないためには、舟宿を使うだろう。
「して、すり替えのからくりとは?」
「ちょっとした騒ぎを起こして、そっちに皆の目を向けたのさ」
男は見慣れぬ者が、米俵を一つ駄目にした、と言っていた。多分わざと中身をぶちまけたりしたのだろう。米俵一つからこぼれた米を集めるのは大変だ。皆が必死でこぼれた米をかき集めている間に、俵をすり替えたのだ。
「それこそ慣れたもんなら、十何俵ぐらいあっという間にすり替えられる」
「そういうことだったのですね」
「まぁ見つけたところで、下り米じゃない、と言われればそれまでだが。でも港の米を買い占めてる証拠にはなる。それだけでも十分罪だぜ」
いっそのこと、現在買い占めている米俵も見つけてしまいたい。多ければ多いほど言い逃れはできまい。
「下り米を奪った以上、北山は必ず動くはず。米滋と売り出す時期を打ち合わせるはずです」
「そこに踏み込むか。それまでに米俵を見つけねぇとな」
頷きあい、二人は港を後にした。