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さらさら  作者: 藤堂左近
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 半月もすれば、伊勢の傷も癒えた。早速袴を穿き、外に出ようとする。


「そんなうろうろして大丈夫なのか」


 全く関係のない重実のほうが、外を探るにはよかったが、生憎重実は小野派の者も田沢派の者も知らない。

 伊勢はどこか得意そうに、くるりと回った。


「ご心配召されるな。姿はあなた様が変えてくれたではありませぬか。まさかこの小僧が、女剣士・伊勢とは思いますまい」


 短くなった髪を頭頂できゅっと括り、笑ってみせる。艶姫はまだまだ幼い感じがするが、伊勢は大人の美しさがある。つくづく、こんな女子の髪を落としたことが悔やまれる。もっとも伊勢は気にしていないようで、むしろ敵方にバレにくくなったことが嬉しいようだ。


「おれも行くよ」


「駄目ですよ。私は一人でも大丈夫ですが、姫様は、そうはいきません」


 一人で行かせるのは危険だ、と思ったのだが、伊勢はあっさりと重実を退ける。腰に小太刀を差した姿は、すっきりとした若侍のようだ。これならそうそうバレないだろうし、バレたところで伊勢の腕なら何とかなるのだろう。


「うーん、そんじゃあ……」


 重実が言いつつ、つい、と顎を動かす。狐が、のそりと伊勢に近付いた。


「何かあったら頼むぜ」


『わしを女子につかすとは』


「姿は男なんだから、いいじゃねーか」


 短いやり取りを、伊勢が怪訝な顔で見つめる。狐の姿は見えないのだ。


「じゃあまぁ、気をつけろよ」


 ひらひらと手を振る重実に、伊勢は少し驚いた顔をした。が、すぐに笑顔で小さく手を振る。そして部屋を出て行った。


 久しぶりに街に出た狐は、辺りを憚ることなくきょろきょろしていた。何せ姿が見えないのだ。何をしたって周りの人間はわからない。伊勢も同じように辺りを気にしているが、こちらは深く被った笠の奥から、注意深く周りを見ている。

 探索なら姿の見えない狐がうってつけだが、重実同様、狐だって艶姫の周りの人間の顔など知らない。適当に、すれ違う人を眺めたり、店をひやかしたり(といっても店の者には見えていないが)していたが、ふと伊勢が足を止めたのに気付き、狐はその視線を追ってみた。先に、武士らしき男が二人歩いている。


 伊勢はしばらく、その男を眺めていた。見たところ、特に殺気も感じない。

 狐はしばらく伊勢の様子を見ていたが、やがてするりとその男に近付いて行った。足元で軽く地を蹴り、狐は男の背を駆け上がると、堂々と肩に乗る。ちょっと男が、自分の首を掻いた。

 狐はそのまま頭を突き出し、男の胸元をじろじろと間近で見る。懐に前足を突っ込んでみるが、そこまでするとさすがに男が少し慌てたように、自分の胸元をぱんぱんと叩いた。狐が慌てて肩に戻る。


「どうされた、後藤殿」


 いきなり自分の胸を叩きだした男に、もう一人の男が声をかける。


「い、いや。何かむずむずしたのだが……」


 男がまた首を掻きだしたので、狐はぴょんと肩から地面に降り立った。そのまま、たーっと駆けて、伊勢の元に戻った。


 伊勢より一足早く、狐は重実の元へと帰って来た。


「おい、何で一人で帰ってきてる」


『心配せんでも、伊勢は今この宿に入った。同時に帰ってきたら報告できないじゃろ。お前、周りを気にせずわしと喋るから』


「何が悪い」


『一人でぶつぶつ言う奴なんざ、世間的には気持ち悪いんだよ』


 常に一緒にいる故か、重実はどんな状況でも狐と話すのに躊躇いがない。重実には普通に見えているので、そこにいる狐と喋るのに違和感はないのだ。狐が喋ること自体が普通でないのだが。


『まぁそんなことは、いまさらいいよ。宿場の少し先で、伊勢が二人連れの男に目をつけてた。探ってみたが、わしには特に何もわからんかったがな』


「へー。けど何かが気になったってことか。国元の誰かかな」


『さぁのぅ。あ、一人は後藤っていうらしいぞ』


「珍しい名前でもねぇなぁ」


 うーむ、と頭を悩ませていると、前触れもなく、すらりと障子が開いた。


「……おいおい、いきなり部屋の襖を開けるなよ」


 伊勢らしくもない不作法に、意外に思いつつ重実が言うと、伊勢は、ざっと部屋の中を見た。


「あなた様が、留守中姫様に無体なことをしていないか確かめるためです」


 悪びれもなく言う。いきなり襖を開けて、重実が何か艶姫にしていたら斬り捨てるつもりだったのか。


「へ。護衛を申し付けておいて、信用はしねぇってか。安心しなよ、おれはそういうこととは無縁だ」


 軽く言った重実を見る伊勢の目に、疑いの色が浮いた。冷ややかに重実を見ていたが、やがて、はっとした顔になり、次いで困惑気味な表情になる。


「ん? 何を考えてるんだ? 別におれは、実は女ってわけでもねぇし、男が好きなわけでもねぇよ?」


「あ、い、いえ……。で、でも、でしたら何故……?」


 ばっちり伊勢の心の内を言い当てたらしい。少し赤くなって狼狽えたが、納得できないらしく、さらに突っ込む。

 これについては、重実も上手く説明できない。一度死んだようなものだから、そういう色っぽいことに一切興味がなくなった。色事だけではなく、『欲』そのものがなくなったと言ったほうが正しい。何かを熱望することもなく、誰かに恋い焦がれることもない。金だって、生きていくに足るだけあればいい。


「……欲がないのさ」


 一言で言うと、そういうことだ。だがそんなこと、普通の人間ではほぼあり得ない。まして人生を達観した老人でもないのだ。

 伊勢の目が、胡散臭そうな者を見る目に変わった。


「……まぁよろしいです。見たところ、姫様もご無事で……て、姫様は?」


 はた、と伊勢が、きょろきょろと部屋の中を見回す。艶姫の姿がない。


「あ、大丈夫大丈夫。そこの湯屋に行ってるだけだから」


 ちょい、と障子の向こうを指差して、重実が言う。途端に、ぱっと伊勢が身を翻した。


「おい、待てって」


「いくら湯屋でも、油断できませぬ!」


「いや、そうでなくて。あんた、そのまま行くのか? 男装がバレるぜ」


 う、と伊勢の動きが止まる。忘れていたが、今、伊勢は男装だ。風呂自体は混浴なので問題なかろうが、男として入って女として出てくるのは如何なものか。


「大丈夫だって。気を探ってるから」


 一緒にいるほど正確ではないが、何かあれば気が大きく乱れる。それを追っているので、多少離れても大丈夫なのだ。が、やはり伊勢は胡散臭げな視線を投げる。

 そのとき、外から襖が開き、艶姫が顔を見せた。


「あら伊勢、帰ってたの」


「姫様っ! 姫様ともあろう者が、湯屋になど行かないでください」


「だって、つまらないんだもの。外にも出られないし」


「それにはそれなりの理由があるのです。姫様が襲われたら、わたくしは切腹を免れませぬ。ご自分の身が危ういだけでなく、周りも同様、と自覚してください」


 どこまでも男勝りだ。女子に切腹もないだろう、と思ったが、伊勢に限っては本当にやりそうだ。


 伊勢に怒られ、艶姫は、しゅん、と項垂れる。商家の娘として育った故か、あまり政治のどろどろやお家騒動というものに現実味がないのかもしれない。目の前で追っ手が斬られたこともあり、命の危険は感じているのだろうが、それも日が経つにつれて薄れていく。生来あまり慎重なほうではないのだろう。


「もう商家の娘ではないのですからね。藩主の娘で、一国を背負うお立場が控えている、ということを、もうちょっと自覚してください」


 くどくどと伊勢が艶姫に言い聞かせる。商家の娘と藩主の娘とでは、かかってくる責任が全く違う。藩主直々の命で守っている姫君を失ったとあれば、連座して罰せられる人数は、商人の比ではない。


「まぁまぁ。いつもいつもびくびくしてるより、気を楽にできるほうがいいじゃねーか。そんなことより、何かわかったんかい?」


 宥める重実をじろりと睨み、伊勢はようやく腰を下ろした。


「この宿場町には、いかにもな田沢派の者の顔はありません。まぁ全ての旅籠を確認したわけでもありませんし、街道を行く人をそれとなく見張ってみただけなので、いない、と断言はできませんが」


「そうだな。向こうさんも、常にうろうろしてるとも限らんしな」


「ただ、相当に剣の修業を積んでいるであろう人物で、且つそれなりの身なりの者が目につきました」


 それが、狐の言っていた二人連れか。


「ほー……。あんたはガタイで、力量を計れるのかい」


「構えを見ないと、正確にはわかりませんけど」


 それだけでも大したものだ。並みの腕では、相手の構えを見ても腕のほどはわからない。


『そういうことだったのかい。やたらじろじろ見ておると思ったら』


 重実の横で、狐が納得したように言った。


『そういえば、あの者たち、よくいるくたびれた旅人風でもなかったな。うむ、どこぞに草鞋を脱いでおる、れっきとした藩士じゃろうて』


「てことは、国元から新たに人が寄越されている、ということか」


「その可能性が高いです」


 重実は狐の言葉に返したのだが、そんなことは知らない伊勢が、こくりと頷いた。伊勢の言葉の返事としてもおかしくなかったのだ。


「追ってくるのは田沢派ばかりか。お味方は来ないのか?」


「……いきなり襲われ、逃げ出した故、安芸津様に連絡を取る暇もありませなんだ」


 この方面に逃げたことを知るのは、敵方ばかりということか。


「安芸津様なら、何とかして私たちを見つけてくれるはずですが」


 この半月あまり、音沙汰はない。連絡手段もないまま姿をくらました者を探し出すのは容易ではないのだ。だから危険を冒しても、それなりに姿を晒す必要がある。


「でもその見事な変装じゃ、向こうもわからんかもなぁ」


「そうなのですよ……。探索にはいいのですけど、お味方にも見つけて貰えないという」


 困った、と伊勢は眉間に皺を刻んで考え込む。部屋から通りを見張ろうにも、この部屋は離れで、隠れるにはいいが、通りからは全く見えない。


「おれが探すっきゃねぇか」


 変に伊勢や艶姫を外に出して、この宿に踏み込まれても厄介だ。無関係な客や店の者が巻き込まれるかもしれないし、何よりそんな騒ぎになったら、宿にも迷惑だ。ここは敵にも味方にも面の割れていない重実が適任であろう。

 とはいえ、味方が追ってきていても、誰が来ているかはわからない。


「おそらく安芸津様はおられると思います」


 そう言って、伊勢は安芸津とその他、主立った小野派の面々の風体を、細かく説明した。

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[良い点] さらさら、というかするすると読みやすい文章で、ストレスなく5話まで一気に読み進められました。 [気になる点] 時代劇の定番お家騒動 + 眠狂四郎的な無敵牢人 + 無限の住人的な不死属性 …
2020/06/08 18:41 退会済み
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