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さらさら  作者: 藤堂左近
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 二日ほど経つと、伊勢はゆるゆると起き上がれるようになった。放たれた刺客と対峙したときも思ったが、武芸を仕込まれているようだ。身体つきも、普通の女子よりも鍛えられている。


「お世話になったばかりか、此度の助太刀をお願いするのは、さすがに」


 伊勢は渋ったが、腕の立つ味方は必要だ。鳥居のことは、伊勢がよく知っていた。


「鳥居は元々、どこぞの道場の師範代まで務める者だったそうです。でも気性が荒く粗暴で、門弟を血祭りにあげることがままあったそうです。そんなことが重なり、とうとう破門に。その後は辻斬りや賭場の用心棒などをしていたそうですが、五年ほど前でしょうか、現藩主の叔父君に引き抜かれたようです。それから重臣が何人か不審死を遂げ、いつの間にやら叔父君は家老に」


「ふーん。そんな奴と知り合いってことは、その家老って奴もなかなか胡散臭ぇな」


「元々お家がお家ですし、それなりの地位には就いてらっしゃいましたけど。でも出世欲が強く、昔から少し煙たい存在でした」


 ずばりと言うところを見ると、伊勢は相当家老を嫌っているようだ。


「私を斬ったのが、鳥居 十郎です」


 怒りの籠った目で言う伊勢を、重実は意外そうに見た。刀で斬られて、その斬った相手に怯えるどころか強い怒りを向けるとは。

 伊勢は女だてらに剣術を習い、今や家中の男子とも互角どころか打ち負かせるほどの腕前だという。その腕を見込んで、藩主自ら艶姫の護衛に抜擢したらしい。

 なるほど確かに、伊勢の腕前はそこいらの女剣士よりも大分上だ。実際追っ手を二人も倒している。


「そんな凄腕の刺客に襲われて、よく無事だったな」


「悔しいことですが、奴は私をいたぶるために、わざと致命傷にならないよう加減したのだと思います」


 いかにも悔しそうに、ぎり、と伊勢は歯を鳴らす。


「奴の殺し方は残忍です。猫が獲物をいたぶるように、すぐには殺さずじわじわと追い詰める。奴に殺された者の死体は、全身なます斬りにされていたり、両手がなかったり。一つとしてまともなものはないのです」


 うげ、と重実は顔をしかめた。横で狐が面白そうに重実を見上げる。


『おぬしなら、なますにされようが四肢を斬られようが死なぬから、いたぶり甲斐があるじゃろうのぅ』


 それだけは御免被りたい。


『もっともおぬしが斬られれば、わしも同じ痛みを味わうからのぅ。悠長に構えてもいられぬ』


 重実と狐は一心同体。一方が怪我をすれば、痛みはもう一方にも及ぶのだ。

 ちらりと重実は艶姫を見た。


「つってもな……。あんたも今まで放っておいたくせに、いきなり手元に呼び寄せて跡を継がそうなんて、腹は立たなかったのかい」


 孕んだ母親を捨てたようなものではないか。藩主の命令だとはいえ、反発を覚えるものではないのだろうか。


「初めはもちろん、お殿様に腹は立ちましたよ。仰る通り、母を捨てたのですから。でも父が、殿様は折につけいろいろな贈り物をくださっていると。何も無慈悲に母を捨てたわけではないと言うのです」


「は。そんなことで、あんたはあっさり肉親の情に目覚めたのかい」


「そ、そりゃわたくしのこの言葉だけではそう思われるかもしれません。でも、何と言ってもわたくしを身籠った母を下げ渡された父が、殿はいい人だって必死で言うんです。商売人として甘い汁を吸ったのかもしれませんけど、それでも元々父は母を好いていたようです。お殿様だって、母を手放すときは泣く泣くだったそうですし、せめて母を想ってくれていて、且つ信頼できる者に、ということで、父に白羽の矢が立ったそうなんです」


「確かに殿は、艶姫様の母君を、それはそれは寵愛しておりました。でもやはり、芸者では側室でも外聞が悪ぅございます。母君はなかなかな売れっ妓でしたので、過去を隠そうにも隠せなかった故、実らぬ恋であったのでございます」


 伊勢が、よよ、と袖で目を押さえながら口を挟む。実らぬ恋なら子など作らぬことだな、と心の中で言い、重実は冷めた目を向けた。


「それに、お殿様はわたくしの相手に、わたくしと面識のある方を選んでくださいましたし」


 ぽ、と頬を染めながら、艶姫が言う。なるほど、それが城に上がることを決めた一番大きな理由か。


「それが、こんな恐ろしいことになろうとは」


 わっと艶姫が突っ伏して泣き崩れる。


「姫がこうも大っぴらに襲われたとなると、向こうも一気にこちらを潰しにかかったと思っていいでしょう。殿も老齢ではないにしてもお歳の上に、最近は病がちですし、我ら小野派の者全て葬ってしまえば、誰も家老に逆らえませぬ」


「小野ってのが、その……お姫さんの婚約者か」


 全く上の者の人間関係というのはややこしい。必死で頭の中に関係図を描きながら重実が言うと、伊勢は、いいえ、とあっさり首を振った。


「小野様は、家老の一人です」


「家老って、その藩主の叔父って奴だけじゃないのか」


 重実の言葉に、伊勢は冷たい目を返す。


「家老職というのは、一人ではありませんよ。まぁ、だからこそこういうときには争いが起こるのですけど。殿の叔父上は、現在筆頭家老です。小野様は同じ家老職とはいえ、殿の叔父上であり、且つ筆頭家老である田沢様に比べると、どうしても立場が弱ぅございます。ま、お家柄だけで筆頭家老に成り上がった田沢様よりは、よほど家臣の心を掴んでおりますけども」


「そんじゃ皆が協力すれば、こんな血生臭い騒動も起こさず、その筆頭家老を引き摺り下ろせるんじゃないのか?」


「それができれば、こんな苦労はしません。大方の者が小野様についていても、それを公にすることは憚られる状況なのです。事実、田沢様の身辺を探っていた者が、何人か死体になっております。田沢には米問屋との不正の噂があります。腐っても筆頭家老の地位にいる者を、何の理由もなく廃することはできませぬ故、確たる証拠を掴まんと、小野派の者は長い間、田沢のことを調べているのですが、なかなか尻尾を掴ませませぬ」


 話しているうちに気が昂ってきたのか、感情が露わになる。初めは『様』付けだった筆頭家老のことも呼び捨てだ。


「ちょっと待てよ。長い間ってことは、そこに目を付けたのはお姫さんがどうこう、とかいうのとは、また別なのか? そいつが失脚すれば、何もお姫さんを担ぎ出すこともないんだろ?」


「いえ、田沢が失脚したとしても、世継ぎ問題は残っております。田沢を廃し、小野様が筆頭家老になられても、すでに小野様も老齢であられますので、小野様自身が藩主を継ぐことはありませぬ。小野様にも、そこまでの野心はありませぬし。そこで小野様と昵懇な、勘定方の八瀬様が浮上したのです。八瀬様の嫡男・真之介様は聡明な方で、小野様に師事していたこともあってお殿様の覚えもめでたいお方です。また殿は、真之介様と艶姫様が親しくされていたこともご存じでしたので」


「殿様は、父の言う通り、わたくしを気にかけていてくださったのです」


 ほろり、と艶姫が涙を拭う。

 本当のところはわからないが、筆頭家老である田沢なる人物を潰せば、全て上手くいく、ということだ。艶姫の養父と実父の藩主との間に黒い取引がなされていようと、姫自身が好いた人物と一緒になれ、それにより跡継ぎ問題もなくなるのであれば、これほど良い話はない。


「さすがに筆頭家老を闇討ちにすることはできませぬ。田沢には不正の証拠を突き付けて、失脚していただきましょう。ただその証拠を殿にお渡しする機会がないのです。田沢が筆頭家老の権力をもって、殿に直接意見することを阻んでいるので。それに、下手に証拠をちらつかせれば、たちまち田沢は刺客を放ちます。まずは田沢の身辺に詰める刺客を排除せねば」


 ぐ、と伊勢が拳を握る。


「事情はわかったよ。とりあえず、今は傷を治すことだな」


 それは伊勢もわかっているらしく、必要以上に動かずじっとしている。ただ、何とか外の様子を知りたいらしく、飯を運んでくる老婆にいろいろ聞いていた。ちなみに老婆は、がっつり金を頂いているので、他の客にこの部屋のことは一切言わなかった。

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